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[八]自称、精霊

 ひとまず状況が落ち着いた今、よくよく思い返してみれば、ナキリが身を寄せることになったここ円環の盾、本部はいくつかの建物が連なった複合施設らしく、かつ相当な敷地面積を有していた。初めに立ち入った屋敷はまだ序の口。未だ全貌を把握しきれていないが、本部を囲っていた塀にしろ、中庭にしろ、そして、目の前にそびえ立つ客室棟にしろ規模が大きい。


 客室棟はクロハヤの私室があった兵舎とよく似た造りをしていた。部屋の扉には番号が書かれた札が貼られているだけで、一見すると見分けがつかない。現在、客室棟を使用している者はいないというので、間違って誰かの部屋に出入りする心配はなさそうだ。

 平屋建ての客室棟の一番奥からリュシアン、ナキリ、クロハヤの順で部屋が割り振られる。


 リュシアンといえば、やはり完全に本来の護衛任務から外れることはできないらしい。本人は可能な限りナキリ達に付き合うと主張しているが、無理はさせられない。

 クロハヤもまた、歩哨に立つこともあれば、街の巡回に借り出されることもある。こればかりは持ち回りのため、拒否することはできない。他にも日頃の鍛錬や、急な任務が入ったりと、何かと忙しい身なのだ。

 それらを考慮に入れ、最低でも一人はナキリのそばにいられるように計画を立てるとのこと。これからのことについて話し合うため、二人でクロハヤの部屋にこもった。


 一人残されたナキリは、自身に宛てがわれた部屋で着替えることにした。

 元々着ていた服は湿気を多分に吸いこんでくたくたになった紙のようだった。これはもう捨てるしかないだろう。クロハヤから借りた上下は大きめで、白いシャツは腕まくりをし、裾はズボンに入れて隠した。黒いズボンの方は折り重ね、歩くのに支障が出ないようにする。

 次に部屋の中を見て回った。客室と称されているだけあって、生活に必要なものは一式揃っている。風呂などの設備も完備されていた。ただし、蛇口や給水管の類はどこを探しても見当たらない。どうやって水や湯を調達するのか、後で確認が必要だ。


 部屋の中央に戻ったナキリは、とりあえず寝台に腰を下ろした。困ったことに、もう暇を持て余し始めている。娯楽になるようなものは一切置かれていなかったため、他にできることといえば極端な話、息をするか、考えごとをするか、寝ることくらいだ。


 ふと、壁を一枚隔てた隣から、かすかに話し声が聞こえた。

 邪魔になるかもしれない。けれど、他でもない自分のことなのだから、会議に混ぜてもらおうか。そう思い立って腰を上げかけた、その時だった。


 もう何を見聞きしても驚かないと思っていたが、まだ上には上があったらしい。

 鍵がかかっているはずの扉をすり抜け、半透明の少女が目の前に迫ってきた時は、さすがのナキリも悲鳴を上げてしまった。

 すぐさま隣の部屋から二人が駆けつけて来る気配がする。


「無駄よ。普通の人間にあたしは見えないから」


 突然現れた少女はナキリの横をすたすたと通り過ぎ、窓辺へ歩み寄った。ナキリは慌てて扉を開け、クロハヤ達を室内へ招き入れた。


「お嬢さん、無事か?」


「何かあったのか?」


 クロハヤとリュシアンはそれぞれ室内を見て回り、問題がないことを確認するとナキリの元へ戻って来た。安否を気遣ってくれる二人には申し訳ないが、ナキリはそれどころではなかった。

 少女が初めに言った通り、彼らは突然の闖入者に目もくれない。艶を失った黒髪に、くすんだ色のワンピースを着た少女が清潔感の漂う空間にいればそれだけで目立つというのに、存在を認識できていないのだ。


「だから言ったでしょ。わかったら、さっさと追い出して」


 見えないのをいいことに、二人に向かって舌を出す少女。しかも、やはり全体的に半透明だ。

 普通の人間に見えないものが見えている。つまり、ナキリは普通の人間ではないということだ。わかっていたことだが、受け入れがたい現実を突きつけられるのはこれでもう何度目だろう。


「ごめんなさい。何でもありません」


「ならいいけど」


「虫でも出たかい?」


「そう、そうです。大きな虫です」


「あら、こーんな美少女を捕まえて、虫とは何よ。失礼しちゃうわ」


 クロハヤはナキリの様子に不信感を抱いたようだが、問い詰めてはこなかった。リュシアンはどこから調達したのか、棒切れを持って来てナキリに持たせてくれた。これでどうしろというのだろう。


 二人の足音が部屋の前から遠ざかるのを確認して、ナキリは少女へ向き直った。途端に手元の棒切れが唯一の拠り所のように思える。


「久しぶりね! 元気にしてた?」


「失礼ですが、どちら様ですか?」


 ほとんど同時に相手へ問いかけていた。先に答えたのは少女の方だ。


「覚えてないの? 流星街に来たばかりで右も左もわからないあなたの面倒を見てあげたのは、他でもないこのあたしなのに」


「すみません。流星街って?」


「そんなことまで忘れちゃたの!? まあ、もう三年も前のことだから、仕方がないといえば仕方がないのかも」


「物体をすり抜けたということは、あなたは所謂、ゆ――」


「言いたいことはわかってる。でも、その先は口にしない方が賢明よ。そうね、精霊ということにしておいてちょうだい。人に視認されないという点では似たようなものでしょ」


「精霊? こちらの世界には精霊が存在するんですか?」


「そうよ。そうだけど……もう! まったく話が前に進まないじゃない!」


 あたしはこんな話をしに来たんじゃないのよ、と少女はナキリに詰め寄った。


「あなたに頼みがあるのよ」


 濃褐色の瞳が不安そうに揺れているのを見て、少女が単に自分を脅かすために登場したわけではないと悟る。


「まだ質問の答えを聞いていません」


「この際どうでもいいじゃない、そんなこと」


「わたしにとっては重要です。三年前まで流星街にいたというのは本当ですか?」


「ええ、本当よ。実は頼みっていうのが、その流星街に関することで――」


「三年も、前」


「ちょっと、人の話は最後まで聞きなさいよ」


 少女の話が本当なら、ナキリは三年もの長い間、もしかするとそれ以上の年月を異界で過ごしていたことになる。その間、元の世界へ帰ろうとは思わなかったのだろうか。あるいは、何か帰れない事情があったのか。まさか、その事情というのは――。


「……ねえ、あなた大丈夫? あんなことがあったっていうのに、それも覚えてないなんて言わないわよね?」


「あんなこと?」


「三年前、流星街は解体されたじゃない。住人は残らず殺されたわ」


「……え?」


 呆気にとられたナキリを置き去りにして、少女の話は続く。


 ある日、流星街に医師団がやって来た。少女は街で暮らし始めて長いことになるが、医師が派遣されたのは初めてだったという。

 いつもなら急患が出ても相手にされない。死人が出ても捨て置かれる。そんな劣悪な環境が改善される兆しもない。


「後になってようやくわかったわ。医者なんて口から出まかせ。あいつらはただ、あたし達を殺すために遣わされた死神だって」


 一人一人の健康状態を把握するためという名目で診察を受けることになり、急拵えで設営された天幕の前に並ばされた。やがて少女の番になり、天幕へ足を踏み入れたのが最期の記憶となる。次に目覚めた時にはもう、街は壊された後だった。


「どうして……?」


「どうして殺されたか? そんなのこっちが聞きたいくらい。向こうが何とも思ってないのは確かね。黒の民なんて呼ばれてても、こっちの世界じゃ家畜以下の扱いよ」


「……わたしもその時、殺されたんでしょうか?」


「さあ。現に生き残ってるわけだし、何とか難を逃れたんじゃない?」


 本当にそうだろうか。流星街が解体された際、ナキリも死んだのではないだろうか。何の力も持たない自分が一人だけ虐殺から逃れられたとは考えにくかった。だが、心臓が止まってもなお生き続けているのはどういうわけだ?


「いい加減、本題に移っていいかしら?」


「は、はい」


 黒の民。そして、流星街についてもっと詳しく知りたい。だが、今は少女の言う頼みとやらを先に片付けてしまわなければ無理のようだ。


「流星街――今は元、流星街ね。街があった場所は封鎖されてるんだけど、そこで怪異が起こってるの。というか、怪異が原因で封鎖されているわけ。なのにこの街の住人ときたらいつまで経っても見て見ぬふり、臭いものには蓋状態。だから、あなたが解決してよ」


「は、はい?」

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