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[五]王都へ

 王都、ヘリオドール。炎木(えんじゅ)のある森から目と鼻の先にあるそこは、石造りの城壁で守られた城塞都市だった。


 ナキリ達がまず向かったのは、四方に存在するという交通の要の一つ、南門だった。併設された詰所の前で革の装備を身に付けた兵士が数人、通行人や周辺の様子に目を光らせている。

 簡単な聞き取りと所持品検査が行われていたが、クロハヤは免除されているらしい。すれ違いざま兵士に声をかけただけだった。一緒にいたナキリもまた、怪訝な視線を向けられはしたものの、そのまま何事もなく街へ入ることができた。


 真っ先に視界へ飛びこんできたのは、木材で造られた粗末な家々だった。人通りは皆無に等しい。砂塵に何かよくわからない臭いが混じっている。森にいた時はむせ返るほどの緑と土の匂いがしていたが、よくよく見れば、ここにはそれらしい影も形もない。細い路地は板や粗大ごみで塞がれている箇所が多く、不便な生活環境が窺える。

 王都と聞いて、華々しい場所を想像していただけに肩透かしを食らった気分だ。それとも、ここが街の端だからで、もう少し移動すれば景色も違ってくるのだろうか。


「しっかり付いて来て。迷子にならないように」


 何ならこれでも掴んでおくといい、とクロハヤから示されたのはきらきらしい外套で。ナキリはやんわり遠慮して歩く速度を上げた。自分の意思で歩けている現状に彼の配慮を感じるが、同時にどこか子供扱いされているようで複雑な心境だ。


「これから向かうのは俺の根城――『円環の盾』の本部だ。上司に相談して、お嬢さんの保護を頼む」


「わかりました。お願いします」


 以降は会話らしい会話もなく、黙々と歩み続ける。

 クロハヤの言うちょっとした散歩とナキリのそれとでは天と地ほどの差がある。ナキリがそのことに気づいたのは、街の中心部に差しかかった頃だった。クロハヤは歩幅を合わせてくれていたが、それでもナキリには肩で息をするほどの疲弊の色が見え始めた。

 元々、普段からあまり歩かない生活を送っていたようだ。単に運動不足というのもあるのだろう。


 辺りは先程までの静寂が嘘のように喧騒で満たされていた。洋装で着飾った通行人が、一人だけ歩調の違うナキリを迷惑そうに睥睨してくる。人の姿が増えるのに比例して建物の質は上がり、剥き出しの地面が綺麗に整備された石畳に変わっていた。


 白塗りの塀がずっと続いていると横目で見ていたら、その塀が途切れた場所でようやくクロハヤが立ち止まった。


「ここだよ。さあ、入ろう」


 クロハヤに促されて、ナキリは二階建ての白い大きな屋敷を見上げた。治安維持組織所有の建物だというが、物々しさは感じられない。外観が病院のような、あるいは教会のような、ある種の近寄りがたさはある。正面玄関の脇では黒い制服を着た男性が二人、見張りとして立っていた。

 ここでもクロハヤは二人に対して気さくに声をかけ、ナキリは好奇の視線を浴びただけだった。


「さっき話した上司っていうのがセシリア・バーデンっていって、うちの団長だ。とても怖い人だから十分に注意して。俺から話すから、お嬢さんは調子を合わせてね」


「はい」


 屋敷の中は左右対称の造りになっていた。正面の階段を上がり、絨毯が敷かれた廊下を進む。突き当たりにあった部屋の前まで来ると、さすがのクロハヤも緊張した面持ちになる。


「クロハヤです。入ります」


 重厚な扉を叩くとすぐに中から反応があり、クロハヤは一度ナキリに頷いて見せると部屋に入った。事前に約束を取り付けずにいいのだろうかと疑問に思いながら、ナキリも後に続く。


 扉の向かい側には窓があり、手前に執務机が置かれている。壁際に本棚、部屋の中心に来客用の机と長椅子があるだけで、随分と質素な印象を受ける室内。


 執務机で書き物をしていた組織の長はクロハヤを一瞥し、再び視線を手元に戻した。

 飴色の長髪を頭の高い位置で結い上げた妙齢の女性だった。琥珀色の瞳は切れ長で、黒い制服と相まって威圧感がある。ただ対面しているというだけで背筋がまっすぐ伸びるような心地がした。


「なぜ貴様がここにいる? 先刻、仕事を命じたはずだが」

 

「緊急事態につき帰還しました」


「また勝手なことを。『姫』のお気に入りか何か知らんが、最近の言動は目に余るな」


「説教なら後でお願いしますよ。緊急事態だと言ったでしょ」


 クロハヤはセシリアの厳しい追及を物ともせず、事件の顛末とナキリに関して、かいつまんで説明した。


「俺の古い知人です。本部で保護をお願いします」


「戯言を。仮にその報告が真実だとしても、我々が世話をする謂れはない」


「ありますよ。何せ彼女は『最後の一人』ですから」


「何だと?」


 セシリアはそれまで紙面に視線を落としたまま、一度たりともこちらを見ようとしなかった。それがクロハヤの一言で弾かれたように顔を上げるまでに至った。


「馬鹿な。ありえん」


 クロハヤは答えなかった。しばし無言の応酬が続く。といっても、一方は口元に微笑を浮かべたままだったのだが。


 先に折れたのはセシリアの方だった。


「条件がある」


「聞きましょう」


「明朝、中庭に来い。詳しくは追って伝える」


 もう下がれ、と素っ気なく切り捨てられ、クロハヤはやれやれと肩をすくめた後、ナキリの背中を押しながら部屋を出た。


「条件を明言しなかったのが気になるけど、まあ、あの反応はまずまずといったところかな」


「わたしには話が見えませんでした」


 調子を合わせるどころか、ナキリには取り付く島もなかった。クロハヤが最後の一人という言葉を放った途端、セシリアの態度が軟化したように見えたのだが。

 問いかけの代わりに名前を呼ぶと、それだけでナキリの言わんとすることを理解したようだ。強い光を湛えていたクロハヤの瞳に影が落ちる。


「俺からは何とも。この世界に関することならいくらでも教えられるけど、お嬢さんのことはお嬢さんが自力で思い出さないと駄目だ」


「それは……そうかもしれませんが」


「ごめんね。でも、お嬢さんのためでもあるんだ」


 それまで余裕綽々だったクロハヤの顔がわずかに歪むのを見てしまった後では、ナキリとしてもこれ以上の追及をためらってしまう。無理やり頭を切り替え、セシリアの言葉を反芻した。


 ――今は明日のことに集中しよう。


 記憶は徐々に戻りつつある。散々思わせぶりな態度をとっておいて、肝心なことは何も明かそうとしないクロハヤは気がかりだが、その辺りのこともいずれは思い出すだろう。


 焦る必要はない。その判断が大きな間違いだったと気づいたのは翌日のことだった。

 ナキリはクロハヤの提案を断って、是が非でも元いた世界への帰還を要求するべきだった。人や状況に流されてしまう性格がここで災いしたと言える。


 指定された場所へ赴いたナキリに待ち受けていた試練。クロハヤがセシリアを怖いと評した理由を嫌というほど知ることになった。

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