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[二]出会い

「面倒よ。殺してしまいましょう」


 間もなく森を抜けるという時。進行方向が明るく拓けてきたと思った矢先、背後にいた女がとんでもないことを言った。


 現在、ナキリは手首を拘束具で固定され、無理やり歩かされていた。腰には縄が巻かれ、余ったぶんはそのまま女の手中に続いている。まるで紐に繋がれた動物のような扱いだ。


「死んでも誰も気に留めないわ」


 女の冷めきった言葉に、さすがに黙っていられなくなった。しかし、布を押しこまれた上で口を縛られていては声を発することもままならなかった。万が一にも舌を噛み切らないようにという対策なのだろうが、ナキリにしてみれば呼吸まで制限されたようで生きた心地がしない。


 右隣を歩いていた男はナキリを一瞥した後、視線を前方に戻す。


「まずは隊長に報告し、判断を仰ぐ」


「俺はどっちでもいいけど、あのガキに媚びへつらわなきゃならんってのがどうもなあ」


 左隣を行く男は、まるでナキリの存在などないものとして振る舞っている。仲間の死を経たとは思えない気軽さだった。


 よく言えば前向き、悪く言えば薄情。三人は死人が出たことに動揺こそすれ、悲しむ素ぶりは見せなかった。部外者の目があるからか、所詮その程度の関係だったのか、ナキリには知る由もなかった。

 男と初対面だったナキリといえば、自分でも不自然だと思うくらいに冷静だった。本当なら泣き喚いて今すぐにでも逃げ出したい状況だ。自身をとり巻く異常さが、逆に感情を凍りつかせているのかもしれない。

 結局、大人しく従う他に選択肢はなかった。


 身の回りを囲まれた状態で森を抜けた先――そこは荒野だった。申し訳程度に生える草に、乾いてひび割れた大地。遠目に見えるのは石造りの壁で、違和感ばかりが募っていく。それでも、意外と近くに街があったことには安堵した。


 肩越しに背後を振り返ったナキリは、こちらを油断なく伺う女越しに森を見た。大木は相変わらず蒼い炎に包まれており、そうでなくとも飛び抜けて大きいため、どこからでも目にできる。


 前に向き直ったナキリは、森の始まりに張られた天幕と、周囲を行き交う人々を目にして眉根を寄せた。


 天幕は全部で五つ。布地は黒で統一されており、荒野と森に挟まれ異彩を放っている。赤い模様まで描かれていてはなおさらだ。複数の記号と一つの円で構成されたそれは、三人の制服の胸部分にも刺繍されており、この得体の知れない集団の象徴だということが一目でわかる。


 中央にあった一際大きな天幕に近づいた時、一行の歩みを阻む者があった。


「よう、ご苦労さん」


「隊長? どうしてこちらに?」


 年の頃はナキリとそう変わらないだろう。少し癖のある鈍色の髪と端正な顔立ちが印象的な少年だった。やや着崩した制服は三人と同様のものだが、肩にかかる外套は隊長と呼ばれるだけあって権威を象徴するかのように装飾過多だった。


 少年は質問に応じず、ナキリに屈託のない笑みを向けた。


「報せは受けてる。報告を聞こう。と、その前に」


 少年の手がナキリの顔のすぐ横を通り過ぎた。かと思えば、口元の布が外れ、手首の拘束も解かれる。


「彼女には休息が必要だ。後は俺が引き受けるから、おまえ達は下がっていいよ。一時間後に再度集まってくれ」


 ナキリは擦れて赤くなった手首をさすりながら、改めて自分の体を見下ろし、我ながらあんまりな格好だと小さく息を吐いた。白っぽい服は薄汚れ、足元は泥に塗れている。この様子では髪や顔も酷いことになっているだろう。少年の言う休息はともかく、身支度は必要だ。当然、それが許される立場にないことは十分に理解していた。

 諦めの境地でじっと地面を見つめるナキリに対し、難色を示す三人。


「隊長、お言葉ですが、この娘は得体が知れません。例の場所に居合わせたんです」


「外見は黒の民だけど、人の姿を借りた魔物の類じゃないの?」


「拘束具もなくそばに置くのはおすすめしません。消し炭になるのはごめんですよ」


「さっさと殺してしまいましょう」


 この短期間でナキリはすっかり殺人者に仕立て上げられていた。単に運が悪かっただけなのだと信じてもらうには一体どうすればいいのだろう。もし少年まで三人に感化されてしまったら、いよいよ後がなくなってしまう。


「あくまで彼女は保護対象だ。あまり手荒に扱わないように」


 ナキリの心配をよそに、少年の態度は一貫していた。


「それに、不用意な発言は隊の品位を貶める。彼女は彼女で混乱があるようだ」


「私達を油断させるための演技ですよ」


「俺には無害なお嬢さんにしか見えないけど。もしそれが本当なら大したものだよ。ここにいる全員、とっくの昔に殺されていても不思議じゃない」


 それまで黙って話を聞いていたナキリはそこでようやく顔を上げた。不用意な発言云々の話題が出たばかりで下手に言い返すのは憚られる。代わりに抗議の意味をこめて少年に視線を送ると、ごめんごめんと軽く流されてしまった。


「いきなり魔物だ何だと言われてもね。俺はその場にいなかったから肝心なことは何も見てないし、仔細の把握もまだだ」


「ですから、報告をと」


「そう、一時間後にしてくれと言ったはずだ。何度も言わせないでくれないか」


 どうやら少年の方もなかなか首を縦に振ろうとしない三人に焦れていたらしい。表情は穏やかだが、言葉の端々に棘を感じる。


「大体、生き別れた俺の姉妹かもしれないじゃないか」


「はい?」


「は?」


「はああ?」


 もっとも、解散の流れになった際、少年が放った、それこそ余計な一言で張り詰めていた空気はあっけなく壊れてしまったのだが。


「俺って人望ないなあ」


 仮にも隊長を相手に、ここは二つ返事でうなずく場面だろ、と遠ざかる三人の背中を見送りながら独りごちる少年。


「じゃあ、行こうか」


 と言ってもすぐそこなんだけど、と少年がナキリを案内したのは例の一際大きな天幕だった。中は見た目ほど広くなく、雑然と物が詰めこまれている。


「まずは俺と二人で話そう」


 と、ここで椅子に座るか座らないかで押し問答が始まる。高級そうな椅子が汚れる心配をしていたナキリだったが、素足でここに入った時点で一緒だろうと押し通され、しぶしぶ席に着いた。


「俺はクロハヤ。よろしく」


「ナキリ――名霧です」


 移動中、僅かではあるが思い出したことがある。どうやらナキリは家名だったようで、名前は別にあった。さすがにこの場でそれを明かす気にはなれない。


「まずはその格好をどうにかしないとだな」


 クロハヤは外套を脱ぎ、書類が乱雑に積まれた机に放り投げると、今度は上着のボタンを外し始めた。白いシャツ姿になると、腕まくりと続く。


「え? あの?」


「ああ、お嬢さんはそのまま」


 隅に置いてあった桶に水差しから水を足し、焦って立ち上がりかけたナキリの前に置く。


「自分でできます」


「悪いけど、その頼みは聞けない。お嬢さんの面倒は俺が見る」


「えっ、ちょっ……っ」


「大丈夫、変なことはしないから」


 戸惑っている間に足首を掴まれ、水に浸される。少年ながら男性特有の節くれだった指先によって泥が洗い落とされていく様を前に、気恥ずかしさと申し訳なさで頭が沸騰寸前だった。


 いい加減、呑気に構えていてはいけない。目覚めてからこっち、流されてばかりの自分に嫌気が差す。


 目の前で鈍色の髪がふわふわと揺れるのを見つめながら、この際だからと思案する。

 相手が一人なら、うまく隙を突けば逃げられるかもしれない。けれど、逃げ出したところで行く宛のない身には後先を考えない無謀な行動でしかないのだろう。

 少なくとも、クロハヤはあの三人より話の通じる相手のようだ。問答無用で人を手にかけるようなことはしないだろう。

 そう判断し、潔白を訴えようとした時、


「俺を殺しに来たの?」


 視線を下に固定したまま、先にクロハヤが口を開いた。

 ナキリは言葉に詰まる。それくらい唐突な切り出し方だった。

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