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[十]闖入者

「友人なのかい? 君が悲鳴を上げていたのが気になって」


「見えて……気づいていたんですか?」


 ナキリが慎重に問いかけると、リュシアンは困ったように頰をかいた。


「クロハヤも気にしてはいたようだけど、僕にははっきりと」


 少女に勘が鋭いと言わしめたクロハヤだったが、リュシアンは更にその上をいくようだ。少女の存在を認識できていながら、周囲には勿論のこと、相棒のクロハヤにさえそのことを悟らせなかった。それを踏まえれば、リュシアンもまた、ただの物腰の柔らかい少年というわけではなさそうだ。


「勘違いしないでほしい。別に君を責めてるわけじゃないんだ。様子を見る限り心配はなさそうだったけど、もしあの少女にナキリ嬢を害する意思があるなら、こちらとしては黙っていられない。それに、いくら実体がないからといっても、無断で建物内に侵入されては警備の者の立つ瀬がない」


 護衛に就くというのは、そばにいて監視だけしていれば事足りるものではない。それはナキリにも理解できる。


「隠すつもりはなかったんです。いきなりのことで」


 ナキリは言葉につっかえながら説明した。少女の登場から、彼女の目的、興がそがれたような去り際。悩んだ末に会話の中で出た、クロハヤが黒の民ではないかという推測についても打ち明けた。本人が無理なら、友人であるリュシアンから話を聞けるかもしれないという淡い期待からだ。


 当のリュシアンは額に手を当て、悩ましげに息を吐いた。


「ここにクロハヤがいなくて良かった。この話を聞いていたら、何を置いてもすっ飛んで行くところだ」


「どういうことです?」


「あまり立ち入った話を他人がするものじゃないんだろうけど、事が事だ。君が言うように、クロハヤは半分黒の民の血を引いている。母君が黒の民だったらしい。歳の近い妹さんがいて、よく話題に上っていたよ」


 リュシアンは話しながら、ナキリの手首に巻かれた手巾に視線を落とした。


「ご両親が亡くなり、身寄りのなかった二人は流星街に身を寄せた。クロハヤは円環の盾で働き始めて兵舎に個室を用意してもらえたけど、さすがに妹さんまでとはいかなかったようだ。ここまで言えばもう――いや、君は三年前の事件については?」


「知っています」


 三年前に解体されたという流星街。クロハヤと引き離された妹が同じ場所で暮らし続けていたのなら、壊れゆく街と運命を共にしたということになる。手巾はクロハヤが妹のために購入し、ついぞ渡すことのできなかった贈り物――時が経った今でも保管しておくほど大切なものだった。


「跡地とはいえ、思い入れの強い場所で異変が起こっていると知れば、黙って見過ごすはずがない」


「でも、この街の人達は見て見ぬふりをしている、と」


「そこが謎なんだ。確かに封鎖はされてるけど、それは事件が起こった現場で、半壊した建物が崩落する危険も踏まえてのこと。怪異が起こっているなんて話は聞いたことがない。彼女の勘違い? つい最近のことなんだろうか? 僕は遠征でいなかったから、知らなかったという可能性はある」


「犯人は捕まったんですよね? でしたら、クロハヤさんだってそんな無茶――」


 と、言いかけたところをリュシアンに遮られた。


「待ってくれ。犯人? 一体何の話だ?」


「ですから、街の住人を殺した犯人です」


 医師団というからには複数犯。それも、かなり大がかりな犯行だった。街中となれば目立ちもする。

 ナキリが改めて説明せずとも、治安維持組織に属しているなら事件について詳しく知っているはずだ。そう思っていたのだが、リュシアンから返ってきたのは意外な反応だった。


「記憶喪失の君にこんなことをいうのは酷かもしれないが、事件の概要を間違えて覚えているようだ」


 ナキリが混乱するのも無理はなく、三年前に起こった流星街での惨劇について、少女とリュシアンでは話の内容が全く異なっていた。

 リュシアン曰く、事件は事件でも失踪事件。流星街から一夜にして住人が消えたというものだった。死体や争った形跡はなく、ただ人が忽然と消えた。街での暮らしに嫌気が差して逃げ出した、誘拐されたなどと当時は色々と噂されたが、一番有力だったのはすでに死亡しているという説だった。何の後ろ盾もない、生きる術を持たない者の行き着く先はおのずと決まってくる。ナキリの手前、リュシアンは言葉を濁していたが、相手が黒の民だったからか、本格的な調査は行われていないようだ。街がとり壊されることになったのは、単にそこで暮らす住人がいなくなったから。瓦礫や廃材、半壊したままの家屋が残っているため、今もなお封鎖されている、と。


 ナキリが少女から聞いた話をすると、リュシアンは困惑した表情を浮かべた。


「馬鹿な。それこそ彼女の思い違いとしか」


「とてもそんな風には見えませんでしたが」


 少女は本心から自分を殺した何者かを憎んでいるようだった。黒の民の扱われ様を嘆いてもいた。実際、死者と成り果てている。実体をなくしても殺された無念は忘れず、ナキリに依頼までしてきたほどだ。


「なぜ、わたしだったんでしょう」


 さまよう魂だけの存在を信じきれない自分がいる。と同時に、似たような境遇だったことがわかったからこそ、彼女を受け入れられたし、親近感が湧きもする。


「俺が話したからですよ」


 独り言に近かったつぶやきに、第三者の声による返答があったのは突然だった。


「な――!」


 話に夢中で気づかなかった。もしかするとリュシアンは気づいていたのかもしれない。瞬時に扉の方を振り返ったが、相手の方が早かった。次の瞬間にはナキリに向かって痩躯が倒れこんでくる。とっさに受け止めたはいいものの、支えきれずに最後は一緒に床へ転がった。


「……リュシアンさん?」


 自分に被さった体を横に押しのけ、気を失った彼の顔を見下ろす。そして、戸口に立っていた青年に視線を移した。扉を叩く音が今頃になって聞こえてきて、悪ふざけにも程があると自然と顔がこわばる。


 言いたいことはたくさんあった。青年が冷めた眼差しでナキリを見下ろしてこなければ、何者なのかと質問を投げかけていただろう。友好的な二人に挟まれて、しばらく忘れていた感覚が戻ってくる。


「心配はいらね――いりません。少し眠ってもらっただけです」


「……」


「いきなりですみませんね。そっちのガキ――少年がいると色々面倒なんで」


 見たところ、本部に詰めている兵士ではなかった。服装は上下とも黒いが、制服とは細部の作りが違っている。赤銅色の短髪に、琥珀色の瞳を有していた。野性味が強い顔立ちの割に肌が病的なほど白い。先の少女のように壁をすり抜けるのではなく、一応手順を踏んだということは、少なくとも表面上は生身の人間だ。


 青年の背後から少女がおずおずと顔を覗かせたのを機にナキリは立ち上がった。


「あなたが何か言ったんですか」


「まあ。ただ、俺は解決できるかもと言っただけで、頼んでみろとは一言も。正直言って焦りましたよ。こいつが直談判に乗り出すとは思ってもみませんでした」


「だって……!」


 少女が何か言いかけたが、青年に一瞥されただけで黙りこんでしまった。ナキリに対してはうるさいくらいだったのに、力なく項垂れてしまう。それだけでも彼らの力関係を把握するには十分だった。


「わたしを知っているような言い方ですが?」


「みんな知ってます。噂してる。兆しがあったじゃないですか」


「噂? 兆し? 何のことですか?」


「それです」


「……?」


「あんたは自分が何者なのかまるでわかっちゃいない。現に、こんなところで呑気に油を売ってる。だから、俺が連れ戻しに来たんです」


 青年は一瞬で距離を詰めると、ナキリの体に腕を回した。お腹を抱えあげられ、荷物のように運ばれる。


「何す……っ!」


「叫んでも無駄です。この辺りにいた見張りの奴らは眠らせてあるんで」


 その言葉通り、青年はナキリを抱えたまま部屋を出ると、軽い足取りで廊下を歩き出した。客室棟を出ても周囲を警戒する様子はない。少女はナキリ達を少しばかり見送った後、どこかへ姿を消してしまった。


 本部の敷地へ侵入するのは並大抵のことではない。触れもせずに人を眠らせることができるなど、人間業とは思えない。この男は危険だと、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。

 クロハヤに助けを求めようにも、どこにいるのかわからない。声が届く範囲にいないのは確実だろう。結果的に置き去りにしたリュシアンも気がかりだ。


「俺のことも含めて正体が知りたくないですか?」


 それでも。誰か一人にでも声が届けばいいと、思いきり息を吸いこんだところで頭上から青年の甘言が降ってくる。


「それは……っ」


 痛いところを衝かれて、悲鳴の代わりに息を吐き出した。

 答えは決まりきっている。記憶喪失にさえなっていなければ、こんなことにはなっていなかったかもしれない。たらればの話をしても仕方ないが、悲観せずにはいられなかった。


「知りたい、です」


「それは良かった」


 どこか噛み合わない会話。苦しい体勢で懸命に視線を持ち上げて見た横顔は、台詞とは裏腹に不機嫌そうだった。

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