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ミス。ブルックナー登場

 お兄さまは宰相閣下ですからとてもお忙しいし、お姉さまもきっと予定がぎっしり詰まっているに違いありません。

お兄さまは手早くパドスを呼び付けると、矢継ぎばやに指示を飛ばしましています。

 

 あの傍若無人なパドスが蒼白な顔をして大急ぎで帰っていくと、必要な指示を済ませたらしいお兄さまとお姉さまは、それこそ嵐のように去っていきました。

 

 あの恐ろしくパワフルなお姉さまと、淡々としているぶん底の知れないお兄さまがお帰りになって、ようやく美緒は息をつくことができました。


「ふわぁ~ん。セディ。怖かったよ~。」


 美緒が思わずセディに泣きつけば、セディはよしよしと美緒の頭を撫でるてやりましたが、セディの方も心底疲れ果てた顔をしていたのです。


「姉上は、確かにパワフルで我が道をドンドンと進まれるか方だから、ロッテが怖がるのもよくわかるよ。でもお姉さまは、とても気配りができて聡明な社交界きっての貴婦人だから、ロッテも素直に甘えてごらん。」


 セディはたった今から美緒をロッテとこちらの世界の名前で呼ぶことにきめたらしく、ロッテと呼んで優しく宥めてやりました。


 確かにセディの言うとおりなのです。

お2人ともどこの馬の骨ともわからない、異界の娘相手に皮肉を言う事もなければ、蔑むことすらしませんでした。


 けれどロッテとはどう考えても人種が違いすぎます。

 きっとフランの予定表は、スケジュールがぎっしり詰まっているんじゃないでしょうか?


 それに引き換え、美緒はほとんど引きこもりに近い生活をしていました。

 もしも働く必要がなかったら、家から一歩も出なかったに違いありません。


 引きこもりの地味子と、社交界の華では生きる世界が違い過ぎます。

 ロッテがどんよりとしていると、セディはもっとどんよりとした顔をして愚痴りはじめました


「ロッテはいいよ。少なくとも兄上はロッテを庇護してくれるつもりみたいだからね。」


「姉上なんてかわいいものなんだよ。あの腹黒宰相に比べたらね。ここですっかり借りを作っちゃったから、私はこれからどれだけ兄上にこき使われるようになるかわからないんだ。」


 心底あの宰相閣下を恐れているセディをみると、益々ロッテはセディ一の一家が怖ろしくなってしまいました。


「セディ、お茶でもおいれしますね」


 社会人として働いていれば、嫌でもお茶ぐらいは美味しくいれられるようになってしまうものです。

 それにロッテは何か作業することで、気持ちを落ち着かせたかったのです。

 ゆっくりと丁寧にお茶を入れているうちにロッテの頭も少し整理されてきました。


 セディはロッテのいれたお茶が思ったよりもおいしかったらしく、思わず嬉しそうな顔になりました。

 ロッテもお茶を飲みながら、気になることを聞いておくことにしました。


「ねぇ、セディ。それでは私は25歳ってことでいいのよね。お姉さまの母君が25年前に私を出産した訳ですもの。」


「ごめんね、ロッテ。でもロッテはしっかりしているからね。いくらか幼くみられるかもしれないけれど、それは保養地で育った世間知らずで誤魔化せるよ。いきなり年が増えちゃって女性としては嫌かもしれないけれど……。」


 へっ? いったいセディはロッテをいくつだと思ってるんでしょうか?


「セディは31歳だよね。」


 ロッテが念を押すように尋ねてみると、セディはますます申し訳なさそうな顔をしました。


「うん、ごめんね。こんなおじさんで。」


 どうやらセディはロッテを随分若い娘と勘違いしているようです。

 ロッテは自分の年齢を暴露する前に、情報を仕入れることにしました。


「セディはおじさんには見えないけどなぁ。この世界の結婚適齢期っていくつ位なの?」


「そうだねぇ。女の子は20歳~30歳。男性は28歳~38歳くらいに結婚するかな。出産できるのは女性が40歳ぐらいまでだから、一応女性は40歳くらいまでが結婚適齢期かな。大体70歳になったら引退して家を子供に譲るんだ。後はのんびり余生をすごすんだよ。大抵は領地でね。平均寿命は90歳ぐらいかな」


 ほぼ日本と同じですが若干こちらの方が結婚が遅いようです。


「お兄さまたちやセディのお父さまたちは、おいくつぐらいなんですか」


「兄上は私より6歳年上だから37歳だよ。フラン姉さまは私と同い年なのさ。いつだって姉上に比べられてしまうんだよなぁ。同い年だとね。どうやら私は少し子供みたいなところがあるらしくてさ」


「父上は62歳で母上は57歳だよ。父上は早く家督を兄上に譲って楽隠居したいんだけどさ。なにしろ僕が結婚もしないから心配してね。でもようやくこれで父上や母上を安心させることができるよ。二人ともずっと僕が番を呼び寄せるのを待っていてくれたんだから」


 そんな風に言われると、ちょっぴり後ろめたいロッテでした。

 

「私はこれでも28歳なのよ。セディとは3つ違いだね。公式には6歳違いかぁ。まぁちょうどいいくらいかもね」


 年齢差が6歳かぁ。

 実質3歳年上の旦那さまです。

 それぐらい年上の方が頼りがいがあるはず……


 そこまで考えてロッテはすっかりセディと結婚する前提で考えている自分に気が付きました。

 だってね。

 番だって言うんですし、もう帰れないし、セディってちょっと変わり者だけどいい奴みたいだし。

 なんだかいいように流されているロッテでした。


「えー。ロッテはまだ20歳ぐらいだと思ってたよ。でもそれなら私とも釣り合いが取れてるよね。良かったよ」


 まぁ日本人は若く見られる民族ですしね。

 ロッテが気を良くしている時に、恐ろしい訪問者がやってきました。

 フランお姉さまは思っていたよりもずっと優秀だったようです。

 

「私、長らく王女殿下の教育係を受け持っていました、ジャスミン・ブルックナーと申します。ミス・ブルックナーとお呼びいただきます。」


 ミス・ブルックナー呼びで決定だそうです。

 なんかすごい人が来たんですけれど、お姉さまいったい何を考えているのでしょうか。


「シャルル坊ちゃま。コホン。クレメンタイン公爵閣下から、シャルロット嬢の教育をお願いされましたの。なんでも、のうのうと。コホン。失礼。あまり人のいない保養地でお暮しのために、貴族令嬢としての教育をまったく受けていらっしゃらないとか。」


 いま、のうのうと保養地暮らしを楽しんでたんだろうって言いましたよね。

 しかも公爵閣下を、坊ちゃまってよびませんでしたか?

 どうやら頼んだ犯人はお父さまのようですが……

 ロッテは話についていくだけで必死です。


「不詳この私。王家の方のお頼みとあらば、いかに出来が悪かろうが、素養がなかろうが、なんとか見れるところまでは引き上げて差し上げる所存でございます。」


「シャルロット嬢。麗しき貴婦人になるためでございます。しっかりと学んでいただきますわよ。よろしいですわね」


 怖い・怖い・怖い

 ロッテが恐怖のあまり涙目になってセディをみれば、セディもあわてて駆けつけてくれました。


「ミス・ブルックナー。ロッテはずっと病弱で、ようやく普通の人のように暮らせるようになったばかりなんだ。どうかお手柔らかにお願できないかな。」


「シャルロットさま、お手をお出しください。」


 ロッテぽかんとしていると、両手の平を上にして差し出せというのです。

 おずおずと手をさしだすと、ピシッと鞭が手の平に打ち下ろされました。


 痛みよりも驚きの方が大きくて、ロッテはそのまま固まってしまいました。


「鞭で打たれたのも、初めてのご様子ですわね。随分な甘ったれですこと。よろしいですか。お勉強中に殿方に色目を使うなど貴婦人として、はしたないふるまいです。わかりましたか。」


「はい。ミス・ブルックナー」


 ロッテが返事をすると、納得したのかミス・ブルックナーは、よろしいとだけおっしゃいました。


 今度はセディも何もいいませんでした。

 もしもセディが口を挟んだら、私を打つと、ミス・ブルックナーが全身で語っていましたから。


 この世界ではまだ体罰が主流のようです。

 いつか絶対にこの野蛮な風習は根絶しなければ……

 ロッテはそう思いましたがミス・ブルックナーはロッテに考える暇なんて与えてはくれません。


 どうしてこうなったんでしょうか。


 今ロッテは壁を背にして、真っすぐに立たされています。

 お決まりの本を頭の上に置いて……。


 ロッテの脆弱な腹筋と背筋がさっきから悲鳴をあげています。

 苦しくて身じろぎをすると、ポトリと本が落ちてしまいました。


「シャルロットさま。本を拾い上げてください。」


 ロッテがなにげなく、そのまま本を拾い上げると、ミス・ブルックナーがやってきました。


「手をお出しなさい。」


 今度は何をしたというのでしょう?


 ビシリと打たれた手の平は、真っ赤になってズキズキと痛みだしました。


「よろしいですが。レディたるもの物を拾い上げるのに立ったままとはどういうことですか。きちんと腰を真っすぐに落として、拾い上げるのです。人前でお尻を突き出すなど平民の娘でも致しません。」


 ぐすん。

 知っていましたとも。

 けれどロッテの腹筋も背筋も悲鳴をあげていて、屈むのが苦しかったんです。


「シャルロットさま。」


 ロッテはびくりとして、ミス・ブルックナーを見つめました。


「人から見て美しい姿は、その姿勢を保つ本人は苦しいものなのです。その苦しみをみせずに優雅に振る舞うからこそ貴婦人と貴ばれるのです。」


「安きに流れてはなりません。厳しく自分を律するのですよ。」


「しかしシャルロットさまの体力は確かに、かなり低いようですわね。では今度は座わる練習を致しましょう。」


 椅子に座ることを許されたロッテは、今度は慎重にも慎重を重ねました。

 背もたれに身体を預けることなく、背中をまっすぐに伸ばします。

 膝がしらとくるぶしをしっかり付けて、足を少し斜めにおきました。


 手はおへそあたりに組んでおき、ゆったりと見えるように肩の力を抜きます。

 太ももの筋肉と背筋、腹筋が存在を主張し始めました。


 「よろしいですか、シャルロットさま。いかなる時も貴婦人たるもの表情をコントロールしなければなりません。今からその姿勢を崩すことなく、柔らかな微笑みをたたえて、私の話をお聞きください。」


 嘘でしょう。

 背中・お腹・肩・膝・足首から爪先の角度。

 これをキープしたまま微笑むようにと、ミス・ブルックナーはおっしゃるのです。


 

 微笑み・微笑み。

 必死で表情に気を配っているロッテに、ミス・ブルックナーが当たり前のように話を振ってきます。


「ええ、ミス・ブルックナー。」


「それはおかしなことですわね。ミス・ブルックナー。」


「いいえ。ミス・ブルックナー。」


 いったいこの苦行はどれほど続くのでしょう。

 うっかりロッテが素の顔になると、ミス・ブルックナーから叱責がとびます。


「お顔!」


「肩!」


 もう必死です。


「私がまいりましてから、ちょうど1時間でございます。シャルロット嬢。今日のおさらいをしておいてください。姿勢や表情に気をくばることは、私がいなくても出来ますからね。」


 ミス・ブルックナーはそう言いおいてかえっていきました。


 ただ立つと座るだけで、こんなに大変だったのです。

 これからの貴婦人教育を思って、ロッテはへなへなと座り込んでしまいました。

 


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