美緒。侯爵令嬢になる
ゆっくりとお茶をしながら仕事の話をしていると、なんだか外が騒がしいようです。
やがて激しいノックの音がして警備兵が顔を出しました。
「セドリックさま。宰相閣下と奥方さまがお見えになりました」
その口上が終わるか終わらないかのうちに如何にも切れ者と言う感じの紳士と、かなり気がきつそうな美女が入ってきました。
「兄上。いったどうしてこんなところまでおいでになったのですか? 御用があるなら私の方から参上しましたのに」
これは面倒なことになりそうだと思ったらしいパドスは、美緒にねだってマンションの鍵を手にすると、さっさと異世界のお宝が詰まった部屋に行ってしまいます。
美緒は自分の部屋に他人がずかずかと入り込むと思うと気もそぞろですが、セディの家族が来たというなら抜け出すわけにはいきません。
「パドスさん。靴を脱いでから部屋に入ってくださいね」
そう言い含めて鍵を手渡してやりました。
パドスはにやりと笑うとそそくさと部屋をでていきます。
「ミオは悪女じゃない! ミオは異界渡りの姫なんだ。召喚が成功したんだ!私はミオと結婚する!」
セディの叫び声が聞こえてきましたから、きっと宰相閣下がおっとり刀でかけつけたのは大事な弟のセドリックが図書館に女を囲ったとでも聞かされたのでしょう。
美緒は手早く身仕舞いをしました。
まったくこういう時に限ってベッキーがいないなんて困ってしまいます。
幸いにも今日のドレスは濃紺に白いレースといういかにも清楚な印象のワンピースです。
黒髪もハーフアップに結い上げて貰っていますからなんとかみられるはずです。
ミオはセディの後ろから宰相閣下夫妻を観察してみました。
そこには、セディとよく似た顔立ちの、セディよりはずっと腹黒そうな青年と、プラチナブロンドの髪に青い目のまるでフランス人形のような貴婦人がいます。
美緒は直接貴人を見ないように、瞳を伏せてつつましくセディの紹介を待ちました。
セディはミオの姿を認めるとすぐさま紹介をはじめました。
「ミオ、ここにいるのが兄のエルロイ・セントメディア侯爵とフランチェスカ・セントメディア侯爵夫人だ。」
「兄上、姉上。僕が召喚した異界からの姫君を紹介します。ミオ・ワカツキ嬢です。」
「なるほどな。確かに黒髪のようだが。顔をあげろ。瞳の色が見たい。」
美緒そろりと顔をあげると、視線を侯爵の胸元に置きました。
先に口を開いたのはセディの義姉君のフランチェスカです。
「あら、本当に瞳も黒いのね。しかも肌が抜けるように白いわ。まるで本当の伝説の姫のようだわね。それであなたはどこからきたの?今、正直に話せば罪には問わずに王都追放だけで許してあげる。本来ならば公爵家の人間を騙すなど、絞首刑でもおかしくはないのよ。」
なんと! セディは公爵家の人間だったようです。
お兄様は嫡子として公爵が持つ爵位を使用しているのでしょう。
いづれはこのエルロイという青年が公爵になるのですね。
「待ちなさいフラン。どうやら偽物という訳でもなさそうなのだよ。さてミオとやら。自分が異界から来たと証明できるかね。」
さすがに宰相閣下です。
セディがどうやら異界渡りの姫君召喚に成功したらしいというところまで把握しているようです。
ミオは任せたとばかりに黙ってセディを見ました。
セディは頷くと説明をかってでてくれます。
この世界のしきたりにうとい美緒としては、下手に喋りたくはないのです。
「兄上、それではこの上にある部屋に行ってミーナの召喚と一緒に落ちて来た物をご覧ください。間違いなくこの世界の物ではないことが証明できます。姉上もいらっしゃいますか?」
「いいえ、セディ。あなたがそうまで自信満々なところを見れば、この娘が異界から来たのは間違いないでしょう。エルもそう思っているようだしね。それならば、私はここでミオとお喋りでもしながら待つことにするわ」
美緒は困りました。
頼りの綱であるセディと引き離されてしまったのです。
公爵家の跡継ぎと結婚するなんて、フランチェスカも相当の家柄の娘でしょう。
うっかり失礼なことをしたら、それこそ無礼討ちになりそうですけれど……。
「ねぇ、あなたの化粧とても綺麗だわ。それも異世界から持ってきたの?」
美緒はそれを聞くとちょうどパドスと化粧品を広げていたテーブルを指し示しました。
「先ほどパドスという錬金術師が、この化粧品と同じものを作りだすつもりで調べていたものです。私が使っている化粧品はこれで全部ですわ。よろしければお座りになりませんか。お茶でもお入れいたします」
「いいえ、お茶は結構よ。少し女同士でお話をしたいからあなたも座ってくださいな」
確かに立ち話で済むことではなさそうです。
美緒は軽く目礼して、侯爵夫人の斜め向かいの席に座りました。
「なんで、その位置なのよ」
「しっかりとお話したいのだから、もっと近くにいらっしゃい!」
美緒がなるべくフランチェスカから離れて座ろうとすると、侯爵夫人は凄い目で睨みながら隣の席を指さしています。
美緒はしおしおとその席に腰をおろしました。
「あなたねぇ。逃げられるとでも思っているの? 甘い! 甘すぎるわよ!」
のっけから侯爵夫人は友達とでも話すように気さくに話しかけてきました。
「侯爵夫人。 それは一体どういう意味でしょう?」
ビシリ! 侯爵夫人は扇子を美緒の顔に突き付けてました。
「いいこと! 私のことはお姉さまとおっしゃい!」
「イエス!マム。」
美緒は反射的にそう答えてしまいました。
ギロリと侯爵夫人はの瞳がひかります。
美緒はフランチェスカの迫力にすっかり気おされてしまいました。
「二度は言いません。お・ね・え・さ・ま・です」
美緒はごくりと唾をのみ込むと恐る恐る反論を試みましたが、そんなことを言うべきではありませんでした。
「お姉さま。おっしゃる意味が分かりませんが……」
お姉さまは何かのスイッチが入ってしまったらしく滔々とお話をはじめたのです。
「いいですか? あのセディって男は異界の姫ぎみに魅せられて、人生の全てをそれにささげてきたんですのよ! ようやく手に入れた姫を手放すなんてことは、ぜーったいにありえません」
「でも、それって異界から来た女なら誰でもいいってことですよね」
美緒は、お姉さまの威圧に耐えながらもそれだけは言い返しました。
これだけは言っておきたかったんです。
「ふふん。」
お姉さまは勝ち誇ったように鼻で笑いました。
なんだってそんなに自慢ありげなんでしょうか。
「あんな大規模な召喚術を使えるのは、1度きりです。あなただって考えればわかるでしょう。異世界との扉を開くなんて、下手したら世界を崩壊させかねませんわよ。」
ええ、それはもっともだと思います。
安定している筈の世界を揺るがしてしまうでしょうね。
「あの、セディが生涯をかけて異世界から女を呼び寄せるのですよ。当然魂の片割れを呼ぶに決まっているじゃぁありませんか!」
魂の片割れ? 運命の人みたいなイメージなんでしょうか?
「あなた! 番って言葉を聞いたことはありまして?」
「えっと、運命の相手みたいなもんですか?」
「甘い! 甘すぎますわ! そもそも番とはその相手以外に結婚することができないのです。しかも永遠に熱愛するのですわ。」
「侯爵夫人。 番の意味はわかります。けれどもそれって竜とか獣人の特性ですわよね。人間が番を求めるというお話なんて聞いたことがないんですけれど。」
バシュ!
侯爵夫人は扇で美緒の顎を持ち上げました。
「これが最後のチャンスですわよ。その空っぽの頭にたたき込みなさい。お姉さまです。」
そしてそのままひとり語りを再開しました。
「よい質問ですわね。さすがはセディの番です。セディは召喚相手を自分の番に固定したのですよ。なんという勇気!なんという気高さ! もしも番がいなければ、最初で最後の召喚術が無駄になるというのに……」
お姉さまは本当にセディと血が繋がっていないのでしょうか?
セディに負けず劣らず危ない人にしかみえませんが……
「フラン、あまり最初から飛ばすな! 可哀そうに可愛い妹がおびえてしまっているじゃぁないか。」
侯爵とセディが戻ってくれたようです。
セディは私を膝にのせると、よしよしと頭を撫でながらいいました。
「お姉さまは、ご自分がどれほど迫力があるか自覚してください。こんなに可憐でおとなしい娘には刺激が強すぎます。」
それを聞くと、お姉さまはちらりと美緒を眺めました。
そんなに大人しいばかりの娘でもあるまい! とその表情だけで伝えてきます。
そしてお兄さまはとっておきの秘密でも打ち明けるようにもったいぶってセディにいいました。
「セディ。我らが母上を見損なってはいないかね。お前が本気で異界の姫を召喚するつもりだと思った時から既に準備は進めている。なぁフラン。」
「ええ。セディのご両親から私の生家であるシンクレイヤ侯爵家に内密の頼まれごとがありましたの。セディは25年前、私の母が体調を崩して保養地で出産をしたことは覚えていらっしゃるかしら?」
セディはぽかんとしていますから、きっと何も覚えていないのでしょう。
「25年前といえば兄上と姉上が正式に婚約をされた年ですね。たしか私はその時は6歳でした。」
「そうだ!おまえが6歳の時、既に母上はこの時がくるのを見越して、お前の婚約者を産んでくれるようにフランの母上に頼んでいたのだ。そのためにシンクレイヤ侯爵夫人は、ひっそりと保養地で娘を出産している。」
「兄上、私の婚約者はここにいるミオだけです!」
お兄さまは、出来の悪い子でもみるような目でセディを見ています。
違いますわよセディ。美緒は心の中で突っ込みを入れました。
これってつまり。
つまり戸籍が用意されているって意味ですわ。
「ほう、さすがに異界の姫だ。もう理解したか。」
お兄さまは面白そうに美緒を見ています。
その様子をみて、ようやくセディにも合点がいったらしい。
「では、私の婚約者はフランの妹姫なのですか?」
「そうなりますわね」
お姉さまはようやく理解できましたか? と言わんばかりの顔をしました。
「という訳でそこの妹の名前はシャルロット・シンクレイヤ侯爵令嬢ということになる。シャルロットは生まれつき身体が弱く、保養地で育てられているのだがな。」
「兄上、姉上、ありがとうございます。」
セディが深々と頭を下げました。
「その礼は先見の明があった、父上や母上に言うんだな。協力してくれたシンクレイヤ侯爵ご夫妻にもな。」
セディは感極まったように頭を下げ続けています。
それはそうだろう。
子供のたわごとと切って捨てずに、万全の準備を整えていたのだから。
「あの、セディのご両親というのは……?」
「おや、聞いていないのかい? 現王の弟のクレメンタイン公爵が私たちの父親になる。」
美緒は真っ青になってしまいました。
こんな詐欺行為がまかり通ってよいものでしょうか?
「ロッテ、そんなにびくつくことはない。このことは王家も承知のことだ。異界渡りの姫が落ちたのは600年ぶりだが、異界渡りの姫が落ちた国は繁栄が約束されている。先ほどあの部屋に行ってきたが、どれも宝の山だ。国にとっても良い事ばかりなのだよ」
お兄さまは優しい瞳で美緒を見ました。
「これからは国家事業としてクレメンタイン公爵家・シンクレイヤ侯爵家が共同して、異世界の商品を管理することになる。ロッテには事業の一端を担ってもらわなければならなくなる。いいね。」
しっかり宰相閣下から命令されてしまいました。
どうやら美緒はたった今からシャルロット嬢、ロッテとなって新事業のお手伝いをすることに決まったようです。。
「それでロッテはこれからどうすれば?」
セディがこれからの予定を聞いてくれます。
「しばらくはあの部屋がロッテの仕事場になるから、申訳ないがこのままここに住んでもらえるかな?その代わりこの狭さじゃ困るだろう。ワンフロアを改装しよう。」
「いえ、結構です。十分ですから。」
美緒が慌てて断ると、皆が困ったような顔をしました。
そこにセディが割って入ってくれます。
「事業が軌道に乗ればすぐにロッテはここを出るのですから、そこまでしなくてもよろしいでしょう」
「でもねセディ。ロッテの教育は重要ですよ。お仕事は午前中のみ。午後からは信頼のおける教師を派遣しましょう。特にマナーはみっちりと学んでいただかないと、私の名前にも傷がつきますからね。」
もしかしてこの一族で一番恐ろしいのは、このお姉さまかも知れません。
美緒はもう、わけもわからぬままこくこくと頷きましたが、それを見てお姉さまがまた頭を抱えてしまいました。
どうやら貴婦人として相応しくない態度だったようです。
これからが思いやられる美緒なのでした。