セディ美緒を捉える
セドリックは実は困惑していたのです。
ずっと異世界から自分の番を召喚することを夢みてきました。
そうして実に25年もの歳月をかけて召喚に成功して見れば、自分の番は自分を番と認識しないどころか、恐ろしく警戒しているのです。
セドリックは魔術においては比類のない天才でしたが、その為に逆に人とのコミュニケーションは苦手でした。
幸いにもプリンスプリンスの称号を持つセドリックは、クレメンタイン公爵家の次男坊として、特に人間関係に苦労することなく31年間生きてきたのです。
絵本の異界渡りの姫と王子は出会うなり恋に落ちて、めでたしめでたしだったので、セドリックも番さえ召喚すれば万事うまくいくと思い込んでいたのです。
けれども番の娘はどうやらかなり怒っていますし、これで自分が召喚したと白状したらもはや口すらきいてくれなくなるかもしれません。
セドリックは自分のしでかしたことを告白しないことに決めましたが、そうなると番だという話も出来ないことになってしまいます。
ままよ。
セドリックはとうとう成り行きに任せることにして、とりあえず図書館に灯りをともしました。
「閣下、これでは警邏が不信がって飛んできてしまいますわ!」
すぐさま美緒はクレームをつけました。
「大丈夫ですよレディ。今夜は私が図書館を借り切っています。兵たちも休んでいますからね。」
セドリックはそう言うと恭しく美緒をエスコートして、幽霊の間の椅子におちつかせました。
「セドリックさま、私は貴族の生まれではございません。どうかレディとよぶのはおやめください。」
真っ先に美緒は呼称に対して訂正を求めます。
どうしてもセドリックに気を許す気がないようです。
「そうなの? ならなんと呼べばいいのかな?」
「お前とでも、幽霊とでもどうぞご随意に。」
なんともそっけない返事をする美緒でしたが、セドリックはにこにことして受け流してしまいました。
「好きに呼んで構わないなら、子猫ちゃんと呼ぼうかな。それとも小鳥ちゃん。マイハニーとでも呼ぼうか?」
「御冗談がお好きですのね。閣下。私の名前は若槻美緒と申します。こちらで言えばミオ・ワカツキとなります。ワカツキとお呼び下さいませ。」
「珍しい名前だね。ミオ。私の名前はセディと呼んでくれるかな?」
「かしこまりました。それでお話とは?」
どこまでも美緒はビジネスライクにことを進める決意です。
魔術師なんていう得体のしれない男を初見で信用するなんて馬鹿げています。
それにセディはいきなりキスをしたという前科まであるのですから。
「ミオはどうやら何処かから部屋ごとここに飛ばされたみたいだね。これからどうやって生きていくつもりなのかな?よければ先ほどの無礼のお詫びに力になるよ。」
セドリックは白々しくそんなことをいいましたが、美緒はそんなセディの様子を信頼できると感じたようで、いさかか態度が和らぎました。
「ええ、ここは私のいた世界ではないようなので、正直戸惑っているところです。出来れば書写などをしてその見返りとして必要な食糧などをいただければと考えています。なにしろ私の部屋はこの図書館の梁にありますので。」
そう言って美緒は作ってあった術式のコピーをセドリックに差し出しました。
「これは凄い。寸分の狂いもなく書写できているね。これなら僕が雇いたいぐらいだよ。」
セディは本当に驚いてしまいました。
自分で召喚したのですからミオは間違いなく異世界からここに来たはずです。
なのに熟練の魔術師以上に正確な魔方陣を描いているのですから。
「いいえ、それは私の世界のスキャナーというもので画像を取り込んで、コピーという道具で書写したものです。人間が書いたものではないので、制作は私の部屋でしかできません。」
「ミオの世界には随分便利なものがあるんですね。それでは僕が術式を渡したら同じものが何枚でも作れると考えていいのですか?」
「さようでございます。ただし困った事が2点あります。それは紙とインクの問題です。そのコピーという機械には専用の紙とインクが必要なのですが、当然のことながら私が持っている紙とインクにも限りがございますので。」
「なるほどね、ミオ。それじゃぁその問題は僕が解決しよう。後で紙とインクのサンプルを渡してください。ミオは僕が書写係として雇用する。それでいいね。」
美緒にとってもこれは願ってもいない好条件です。
スキャナーとコピー機があれば書写なんてすぐに出来るし、懸案のインクと紙はセドリックが用意してくれるのです。
異世界でこんなに良い条件の働き口が、こうもすんなりと見つかるなんてついています。
「ありがとうございます。」
美緒が嬉し気に承諾するとさっそくセディは条件を出しました。
セディとしては可愛いミオと一日も早く恋人になりたくてたまらないのです。
「それじゃぁミオは今からここで暮らしてもらうよ。そのコピーとやらが必要な時には君の仕事部屋に行ってもよいけれどね。この世界では使用人は館に住み込みで働くのが普通なんだよ」
「ここは王立図書館だけれども、この6階部分は僕が買い取ってしまったんだ。まぁ国の所有だったから正確にはクレメンタイン公爵家の所有にしてもらったんだけれどね。だから6階入り口部分に公爵家の守衛をつけるから誰も6階には来ないから安心して」
「あの、でもこんな豪華なお部屋は必要ありませんわ。私の部屋で十分に暮らせますから。」
セドリックはいつの間にかミオを腕に抱え込んでいました。
そして美緒はセディが思ったよりも筋肉質で引き締まった身体であることを感じとって、頬が上気してきます。
「いいかい、僕は君の雇用主。つまりはご主人さまって訳だ。しかもミオ。君はさっきから巧みに僕の名前を呼ばずにすませようとしているね。さてこのような強情な使用人をどう躾たらいいと君は思うんだい。ミオ。」
セディの腕の中に抱え込まれ身動きできない状態で、素晴らしい低音ボイスで耳元でささやかれるという事態に、美緒はもう何も考えられなくなっていきました。
朴念仁のセドリックだって番の心をとらえるためならこのぐらいのことはできるのです。
「セディさま、どうかお離し下さい!」
美緒が悲鳴をあげるとセディはさらに拘束をつよめ、もはや耳に唇が触れるんじゃないかという距離でささやいた。
「セディだよミナ。セディって言えないならお仕置きをしてあげる。僕としてはその方が楽しそうで嬉しいんだけどね。さぁ、どうする? ミオ。」
「セディ、セディ。離して。」
「よくできました。ミオ。忘れるんじゃないぞ。次からは警告はしない。即お仕置きをすることになるよ。」
美緒は必死でこくこくと激しく頷きました。
セディは熱を帯びた目でミオを楽し気に眺めると、その指でミオの目に滲んでいた涙を掬い取ります。
「可哀そうに。少し刺激が強すぎたみたいだね。泣かせてしまったか。ごめんよ。ゆっくりならして行こうね。」
美緒は困ったことに真面目一筋の仕事人間で恋愛に慣れていません。
こんなに美しいに言い寄られてぼんやりとしてしまったのです。
まるで夢でも見ているみたいです。
美緒が気が付くといつの間にかセディはしっかりと美緒を抱きしめて、マントルピースの前の居心地の良い椅子に座って美緒の髪の香りを楽しんでいるようです。
「セドリックさま」
「気が付いたの?君の髪はどうしてこんなにいい香りがするのかな?」
「それはシャンプーやコンデショナーに香成分を含ませているからですわ。その残り香でしょう。それよりもセディ。どうか降ろしてください。」
「さっきミオはセドリックさまって言ったんだよ。約束通りお仕置きはしないとね。」
そういうなりセディは美緒の髪に口づけをすると、そのままどんどんと唇を滑らせて首筋にキスをしました。
美緒は身じろぎをして逃れようとしましたが、どうしても拘束から逃れることはできませんでした。
「まったく、どうやったらそんなに真っ赤になれるのかなぁ。うぶにもほどがあるね。けれどそんなに恥ずかしがる顔がみれたんだ。お仕置きはここまでにしてあげるよ。」
セディは美緒を自分が今まで座っていた椅子にすっぽりと座らせて魔方陣を展開します。
するといつの間にかテーブルにはおいしそうな食事が並んでいるのでした。
「これから君の食事は、3食侍女に届けさせる。それに君専用のメイドをつけることにしよう。メイドは通いになるけれど、警護をつけるから大丈夫だよね」
美緒としては言いたいことは山ほどあります。
メイドなんてなくても自分のことぐらい自分でできるとか。
あのキスに対する苦情とか。
でも美緒にはわかってしまったのです。
この男に逆らうとろくなことにならないってことを。
対面初日ですっかり調教されてしまっていることに、美緒は気づいていませんでした。
「それで? こっちで一緒に食事をする? それとも食べさせて欲しいの?」
いきなりセディは詐欺師の2択を美緒に選ばせようとしました。
本当なら食べないとか、ひとりで食べるとか選択肢はいくらでもある筈なのに、一緒に食べると言うのを前提に2択を迫るのは営業手法としてよく使われる手です。
それに気が付いていた美緒ですけれども、食べないという選択を選ぶことはできませんでした。
なにしろさっきあんなに羞恥的なお仕置きを受けたあとですからね。
美緒は黙って食卓について、この悪魔の2択を受け入れることにしたのです。
美緒が黙っているので、セディの方から聞いてきました。
「へぇ~。ミオのことだから食べないって断るかと思ったよ。」
「どの口がそれを言うんです? そうしたらきっともっと恥ずかしい思いをさせる癖に!」
美緒の返事にセディはとっても嬉しそうに笑い声をあげました。
「やっぱり私のミオは聡明だね。大抵はそれでも無駄に抗って、かえって泥沼にはまっていくっていうのにさ。」
「今のセリフはセディ。あなたが鬼畜だと自分で証明たようなものですよ」
それは美緒の勘違いだと、セディはまるで悪びれもせずに言ってのけました。
少なくとも美緒の異世界生活は退屈とは無縁になりそうです。