幽霊の間に仕掛けられた罠
美緒は幽霊の間が出来ると聞いてから、楽し気に6階に出入りする人々を眺めていました。
何しろ自分の為の部屋ですからね。
美緒のいるすぐ下、ちょうどいらなくなった本を置いていた場所が幽霊の間として整えられていきます。
多くの品物が次々と運びだされたり、運びこまれたりしていますし、商人らしい人がお伴を引き連れて部屋に入ってきたかと思ったら、侍女らしいお仕着せをした人も出入りしています。
そうやって昼間は騒々しいくらいだったのに、閉館のチャイムが鳴り、勤務していた人々が帰ってしまうと、図書館には静けさが帰ってきました。
ワクワクして待ち構えていた美緒は、さっそく準備されている部屋を覗いてみようとそろそろと階段を下りていきます。
夜に備えてしっかりライトの魔法を練習していたので、足先に光度をなるべく絞った灯りを浮かべて、誰にも見つからないように工夫をこらしました。
これならよほど近づかない限りみつからないでしょう。
6階の人々が出入りしていた部屋の前には、立て札が置かれています。
『幽霊の間につき立ち入り禁止』
これなら安心して出入りできそうです。
美緒が重厚な扉を押してみると、思いがけないくらいスムーズに開きました。
「まぁ!」
そう言ったまま、美緒は立ち尽くしてしまいました。
どうせ小さな物置場所みたいなところに、貢ぎものをおく台座でもこしらえたんだろうと思っていた美緒でしたが入ってみれば、まるでおとぎ話のお姫さまのお部屋のように豪華だったのです。
部屋の中は灯りがともされているので、豪華な部屋の隅々まで見渡せました。
これだと多分150㎡ぐらいありそうです。
入口が二手に分かれていて片方は台所や風呂、トイレなどの水回りのスペースに繋がっています。
そしてメインとなるスペースにはなんとマントルピースまで設置されているではありませんか。
美緒は暖炉の火を見つめながらお茶を飲むなんて生活に憧れていましたけれど、本物の暖炉は初めてみました。
ゆっくりと部屋の中ほどに進んでいくと、そこには落ち着いた両袖机があって、机の上にはペンやインクそれに紙類が置かれていて、すぐにも書きものができそうです。
机はマントルピースとは反対側になります。
マントルピースの横は書棚になっていて、ぎっしりと本も詰められているのです。
程よくソファーや肘掛け椅子なども配置されており、ゆっくりと寛げそうな優しいお部屋でした。
そしてこの部屋の突き当りには美しい彫り物を施された扉があり、中に入ってみると天蓋つきのベッドまでおかれているではありませんか!
ベッドルームにも扉があったので開けてみるとそこは広々としたウォーキングクローゼットでした。
美緒はウォーキングクローゼットの中をじっくりと見て廻りました。
大人用のワンピースタイプのドレスが大量に用意されています。
大鏡があったので、その中の1つを手にとって身体にあててみますと、さらに驚くべきことにどうやら美緒のサイズにピッタリみたいです。
これは奇妙なことでした。
夜にぼんやりと見ただけの女のサイズにピッタリの服が並んでいるなんてことは……
けれど美緒は大抵の女性がそうであるように、新しい洋服が大好きなのです。
これが試着しないでいられるでしょうか?
美緒が選んだドレスは、ごく薄いモスグリーンのドレスで袖はパブスリーブの長袖、襟部分には白いレースの縁取りがあり、腰の後ろに大き目のリボンが結ばれています。
そんなワンピースを着込んだ美緒はしとやかな落ち着いた印象になりました。
とうとう美緒は靴も履き替えると、嬉し気に大鏡のまえで様々なポーズをとっています。
やがって気がすんだらしい美緒がもう一度マントルピースのある場所に戻ってみると、マントルピースの上にはいくつものプレゼントが置かれています。
どうやら最初に入って来た時には気が付かなかったのでしょう。
『シャルロットの命の恩人さまへ』
そう書かれたカードには、お礼の言葉が丁寧に書かれています。
プレゼントを開いてみると、あの猫のシャルロットの首にかかっていたのとお揃いのルビーのペンダントが入っていました。
「ほんとうにシャルロットちゃんが好きなんだなぁ。それにしても綺麗なペンダント。」
美緒はそれを首にかけてみました。
モスグリーンの飾りけのないドレスにその赤い瞬きが彩を添えて美しく輝いています。
「ありがとうございます。伯爵夫人。大切にしますね。」
美緒がそうつぶやいた時、いきな後ろから声がしました。
「お前はそんな飾り気のない服が好みなのか?髪色も瞳も黒とはずいぶんかわった色を持つものだなぁ。」
驚いて振り返った美緒の前には、銀色の髪に菫色の瞳の貴公子がたっています。
銀色の髪は幾分青みを帯びていますから、美緒にも彼が誰だかすぐにわかりました。
何度も梁の上から見ていた人です。
部屋の内装を指揮していましたから、まさしくこの部屋はセドリックの好みなのでしょう。
「魔術師のセドリックさま!」
思わずそう叫んで逃げ出そうとした美緒の手をセドリックがしっかりと捉えました。
セディにしてみれば25年間も想い焦がれた異界渡りの姫君なのですから逃がす訳がありません。
「おやおや、せっかく部屋まで用意して待っていたというのに、かわいい幽霊さんは挨拶もなしに逃げ出すというのかい?」
言葉こそ非難がましいものですが、その目は愛しさででキラキラと輝いています。
これじゃぁまるでのこのこと罠にかかりに来たようなものだ。
そう思った美緒は自分の愚かさが悔しくてなりませんでした。
幽霊と間違えられているこの図書館に住み着こうとした女が珍しいだけだ。
どうせただの退屈しのぎにすぎない。
捕まえた相手がつまらない小娘だと思えば、すぐに興味なんて失うに決まっています。
美緒はそんな風に思い込んでしまいました。
見つかった以上美緒は不法侵入者です。
「失礼いたしました閣下。」
美緒は見様見真似で礼をとり、下賤なものに相応しいように目線を床に落としました。
下手に貴族らしい男の気をひかないように、すぐさま開放されるようにと行動したわけです。
「フン。」
いかにも詰まらなそうにセディは鼻をならしました。
それはそうでしょう。
貴族はこのように畏まられるのに慣れ切っています。
今の美緒はいかにも貴族におそれおののく小娘にしか見えないはずです。
美緒は自分の作戦が成功したのを確信しました。
「つまらぬ。捉えたのはただの石ころか。せっかくの罠が無駄になったわ。」
セディはわざと美緒を挑発してみました。
自分の番が平凡でつまらない女である筈がありません。
怒らせれば本性を出すだろうと踏んだのです。
しかし美緒は何もいわずに、いかにも恐れ入ったかのように身を縮めてみせました。
これで終わりです。
興味を失った女など警邏に突き出すか、さもなければこのまま外に放りだすだけでしょう。
美緒の人を食った態度にセディの忍耐も限界になってきました。
恋焦がれた異界渡りの姫はセディの顔さえ見ようとしないのですから。
いきなり頤に手がかかり美緒は上を向かされました。
セドリックがにやにやと嫌な笑い方をしています。
「つまらぬ小娘でも、私がわざわざ出てきてやったのだ。相応の礼はしてもらおう。」
そういうなりいきなり美緒に口づけをしたのです。
「無礼者!」
美緒はそう叫ぶなり思いっきりセドリックの頬にビンタを食らわせていました。
「冗談じゃないわよ!いいこと。人を娼婦扱いしてこのぐらいですんだことに感謝するのね。この痴漢!」
美緒は怒りに燃えてセドリックを睨みつけると、ドスドスとその場を後にしました。
パチパチパチパチと拍手をする音がしますが、知ったことじゃありません。
美緒が部屋をでるのを、セドリックは今度こそ止めませんでした。
セディの瞳は喜びに輝いています。
やはりあの異界渡りの姫君は自分の番に違いありません。
あの堂々とした誇り高い態度。
セディは思わず拍手を送りましたが、美緒は振り向きもせずにさってしまいました。
「怒らしてしまったか」
セディは困り切った顔をして呟いています。
美緒は怒りで爆発しそうになりながら梁の上にある部屋に戻ってきました。
少なくともここは美緒が自分名義で借りているマンションの一室です。
ここに住む権利は美緒にある筈なんです。
まだ怒りのおさまらない美緒はプリプリとそんなことを考えていました。
まぁ、この場所は王立図書館の中にあるので、その分で言えば不法入国ってことになるのかもしれませんが、こっちは帰る方法がわからないだけですからね。
あんな風にごきぶりホイホイみたいに、幽霊ホイホイで捕まえようとするなんて失礼なのは絶対に何が何でもあの男に決まっています。
大体女性の了解もなくキスするなんて、完全に痴漢です。
痴漢は犯罪です。
私は犯罪者をぶん殴っただけです。
私は悪くないもん。
そんな風に美緒がいくら言い訳したところで、この国随一の魔術師の男をひっぱたいたのです。
しかもどう考えても相手は上位貴族です。
「はぁ~。ヤバイよねぇ。きっと死刑だよ。」
そうやって美緒が落ち込んでいると、ドンドン、ドンドン、と扉をたたく音がします。
早い!
もう兵隊が捕まえにやってきた!
どうせ扉ぐらいけ破って入ってくるでしょう。
美緒はすっかり絶望していたので、わざわざ扉を開けるために立ち上げることすらもうどうでもよくなって、ぼんやりと扉を見つめていました。
「開けて下さいレディ。さっきのは確かに私が悪かった。謝罪をさせて欲しい。どうか顔を見せてくれ。」
セドリックの声がしました。
セドリックは美緒を警邏に引き渡しだ訳ではなさそうです。
美緒はのろのろと立ち上がり扉をあけました。
セドリックの頬には真っ赤な手形が残っています。
それをみると美緒もバツが悪くなりました。
「すまない。レディの部屋に入るわけにはいかないだろう。よければ先ほどの部屋で少し話せないだろうか? 決して君には手をださないと名誉にかけて誓う。」
美緒は深々とため息をつきました。
どっちにしろこのままで済む訳はありません。
話し合う必要があるのは美緒の方も同じです。
これはチャンスでもあります。
しかも貴族の男が自分の名誉にかけた誓いを破るはずもありません。
この異世界で自分の居場所を作るために、美緒はこの男に対峙する必要がありました。
大丈夫です。
心さえ折られなければ怖いことなどなにもないはず。
シリアルキラーと相対する時には決して恐怖を見せないことだったわよね。
美緒がそんな失礼なことを考えているとは知らないセディは、美緒が承諾するとそれはそれは嬉しそうな笑顔をうかべました。
それは美緒が思わず実家で飼っていたワンコを思い起こすほど、邪気のない笑顔だったのです。