幽霊が現れた!
美緒が怖ろしさのあまり布団のもぐりこんでいても、図書館の中の騒ぎは大きくなるいっぽうです。
なにしろ音は上に伝わりやすいうえに、完全な吹き抜けの建物が声を上手く拾ってくるので、まるですぐ近くで話されているみたいにクリアに聞こえてくるのです。
美緒はそろそろと頭をもたげるとまるでミノムシみたいに毛布を体に巻き付けたまま、よく聞こえるようにベランダに身体を半分乗り出して聞き耳をたててみました。
別に毛布が幽霊から自分を守ってくれるというわけでもないし、顔だけベランダにつきだして身体を部屋に残したからといって安全になるわけでもないのに、恐怖感というのは理屈では考えられない行動をさせてしまうようです。
「どうしたんだぁ。」
「なに騒いでんだ! それでも兵士か?」
「だって幽霊ですよ! 幽霊。オレ初めて幽霊に遭遇しちゃって。」
「幽霊だぁ? 何言ってんだ。お前酒でも飲んだのか?」
「正気ですよ。明かりも普通じゃねぇ灯りだったんすよ! こう全体を照らすってよりは、真っすぐこっちに光が向かってくるような。」
「そうすよ。おれも見たんですから。しかもあれは女ですぜ。こうか黒い髪がばぁ~って広がって。」
「いや、あれは子供の幽霊ですって! ワンピースみたいなのを着てるんですが膝丈くらいなんですよ。大人なら足はださねぇからな。」
「あぁ、女の子の幽霊だった。10歳ぐらいですかね。ぼんやりと白っぽい影がこう浮かんでるんです。」
「虐待されて殺された幽霊じゃないですかね。髪が肩くらいまでしかなかったんで最初は男かと思ったんですから。」
「そうそう、俺もびっくりした。肩までの黒髪で足を丸出しにした女の子から、すっげぇ眩しい光が……。そのくせ本人の周りはぼんやりと暗いんですぜ。」
「バンシーかもしれませんぜ。だって恐ろしい金切り声をあげて叫んでましたからな」
「あぁ、恐ろしい声だったなぁ。ぶったまげたぜ」
「それが本当なら確かに幽霊かも知れねぇなぁ。そんな光なんて聞いたことないぞ!」
「天使さまじゃないんですかね。パァーと光ってたんだろ?」
「いや、お前あの恐ろしい叫び声を聞いてないから天使なんて呑気なことが言えるんだって! あれは絶対に幽霊に違いないんだ。」
ガヤガヤと警備兵たちが大騒ぎをしているところに突然場違いな声がしました。
「にぁ~。みぁ~。」
愛らしい声だというのに一瞬兵士たちは飛びあがりました。
よほど幽霊が怖ろしかったのでしょう。
「脅かしやがって! 猫ですぜ。紐でしばられてやがる。」
「おい。灯りをもっと近づけろ。こいつは例の伯爵夫人の猫じゃねえのか?」
「間違いない。白い巻き毛・金の瞳・ルビーのペンダント。これは探してた猫だぞ!」
「いったいだれがこんなところに?」
「幽霊だ! 幽霊さまが連れてきたんだ!」
「なんで幽霊がそんなことするんだよ。」
「知るか! 俺は幽霊なんて初めてなんだ。何考えてんのかわかるもんか。」
「いやいや、ラークの旦那。どう考えても幽霊の知り合いがいる奴なんておらんでしょうが。」
誰かがちゃかすと、どっと笑い声があがった。
結局のところ幽霊じゃしかたないと、猫を連れてひとまず帰ることにしたようです。
美緒はそろそろと玄関扉を開けると、帰っていく兵士たちの姿を見送りました。
あんなに怖かった幽霊の正体って、もしかして自分のことかもしれません。
もしそうならこの図書館には幽霊はいないことになるわけで……
しかしその時、美緒は誰かにを見られている気配を感じてあわてて廻りをきょろきょろと見回しました。
もちろん誰もいる様子はなかったのですがそれでも美緒は確かに面白がるような視線を感じたのです。
ともかく美緒はもう一度布団に潜り込もうとして、自分が持ち出したヘッドライトに気が付きました。
そのヘッドライトをつけたり消したりしながら、美緒は兵士の言葉を反芻してみます。
どう考えてもあの兵士がいう灯りというのは、このヘッドライトのことみたいなのです。
美緒は膝丈のワンピースを着ていますし髪は黒で、肩より少し下肩甲骨あたりまでのセミロングです。
日本人が西洋人から見ると若く見られやすいし、暗かったから少女と見間違えることだってあるでしょう。
この図書館には幽霊はいない。
まんじりとも出来ない夜が明けるころには、美緒はそんな風に確信してようやく一安心しました。
少なくともあの兵士たちは、今まで幽霊を見たことがないって言ってましたからね。
そう決め込んだ時にはもう白々と夜が明け始めていましたが、美緒は朝がきたことで安心してぐっすりと眠り込んでしまいました。
やがてざわざわとなんだか五月蠅い騒ぎ声がしたので、美緒は眠い目をこすりながらこっそりと外にでて階下を覗き込みました。
どうやら猫の御主人の伯爵夫人がやって来たようです。
「いいですか。幽霊だろうと誰だろうと、このシャルロットちゃんを見つけて保護してくれたんですからお礼をしない訳にはいきませんのよ。」
「しかしレディ。どうやって幽霊にその品々を渡せとおっしゃるんですか?」
「そんなのはあなた方のお仕事でしょ。いいですか。必ずこのシャルロットちゃんの命の恩人に渡して下さいよ。」
いうだけ言うと伯爵夫人は颯爽と帰ってしまったみたいです。
一緒に取り巻きもぞろぞろ出ていったので図書館は少し静かになりました。
「どーすんですかラーク副長。」
「だよなぁ。」
そう言って頭をかいているのは、あの猫を探していた男のひとりでした。
次期隊長候補って言ってたのは本当みたいですね。
そこにクスクスと笑いながらやって来た人物がいます。
「これは筆頭魔術師のセドリック殿。何か妙案でもございますか?」
「いやね。妙案というほどのことでもないが……。どうだろうここの6階には空き部屋があったろう?その一室を幽霊殿の部屋にしてしまうというのは。」
「何ですって!幽霊に部屋を与えるというのですか!」
「だってどうやらここに住み着いているらしいからね。部屋がなきゃ不便だろう。あぁ費用なら私が持つから請求書は私のところに回していいよ。」
「セドリック殿、どうしてたかが幽霊にそこまでなさるんです。」
「まぁちょっと興味がわいてね。あぁ部屋ができたら幽霊の貢物はその部屋に置いとくといい。それから幽霊は小さな女の子なんだって? 脅かしちゃ可哀そうだ。その部屋は出入り禁止にしておくんだね。」
そんなことを言う男は、魔術師らしく肩にだらしなくローブをかけていましたが、服装は随分と瀟洒でかなり品質のよいものに見えました。
その筆頭魔術師という男は、どうやら自腹でわざわざ幽霊の為に部屋を用意してくれるようです。
しかもその部屋には幽霊への貢物が置かれると言うではありませんか。
もしかしたら食べ物ももらえるかもしれません。
いずれ保存食は尽きてしまうと気に病んでいた美緒にとって、図書館に幽霊の間が出来てしかも貢物まで貰えるというのは朗報でした。
なぜなら幽霊っていうのは美緒のことですし、だったら幽霊の間も美緒の部屋ってことになりますからね。
美緒はすっかり図書館の幽霊として生きていくことに決めてしまいました。
とりあえずこちらの女性は髪が長いようですから髪を伸ばして、それから足を隠すような服が必要です。
美緒は自分のワードローブの中からロングスカートを引っ張りだしました。
これから外に出る時にはこのスカートを履くことにしましょう。
さすがに子供扱いされるのは嫌な美緒なのです。
けれど社会人生活の長い美緒は、お仕事もしないで貢物だけ受け取るのは嫌でした。
今回は猫を見つけたということで正当な報酬ですけれども。
美緒は自分にできることはないかと、真剣に頭をフル回転させています。
いくら何でも図書館に忘れ物をしていく人がそれほど多いとも思えませんし、図書館の外に出ていけば見つかる危険も多くなります。
『術式の書写承ります』
幽霊の間にこんな看板をかかげたらどうでしょうか?
幽霊にお仕事を頼む人がどれほどいるかわかりませんけれども、なにしろコピーなのですから正確です。
上手くいけば必要な物を持って来てくれるかもしれません。
美緒はすっかり上機嫌になって幽霊の部屋を作るために走り回る職人さんたちの姿を眺めていました。
これで異世界で自分の居場所が確保できると思い込んだのです。
それ実はセディによる罠だともしらずに……