図書館の幽霊
ちょっとしたトラブルはありましたが、異世界トリップ初日に魔法書を手に入れることができたのは幸先がよいかもしれません。
どうやら魔法には魔術みたいに正確な魔方陣を描く方法とイメージで魔法を使う方法とがあるようです。
魔方陣はあらかじめ用意しておかなければなりませんし、正確に描かれていないと失敗してしまいます。
けれど色々なものに魔方陣をかき込むことで、誰でも使えるので便利です。
ランプの灯りや調理用具、トイレなどにも魔方陣が刻まれていました。
こういう魔方陣を刻んだり、開発したり、魔術を使って魔法を使う人のことを魔術師と言います。
細かい作業ですし、新たな術式を作り出すことから理系タイプの人が多そうですね。
魔法使いが感性で使う魔法を誰でも使える術式に変換する訳ですから、頭がよくて研究熱心なイメージがあります。
一方魔法というのは誰でも体内に持っているマナを媒介にして、この世界に自然に漂っているマナを利用する方法です。
あくまでも術者の精神力とイメージ力に左右されるという欠点があります。
つまり精神が動揺していたり、とっさのことで焦っていたりしたら魔法を発動できません。
反対に魔術みたいに術式という制限がないために、魔法使いのイメージによって様々な魔法を使えるメリットがあります。
なんだかこの世界の魔術師と魔法使いとはあまり仲が良くないようですが、たぶん性格がちがいすぎるんでしょうね。
魔法使いは細かい作業や理屈を嫌い、感性で魔法をあやつるので芸術家タイプの方が多いようです。
美緒が手に入れた子供用の魔法の本にも、いくつもの魔方陣が描かれていました。
魔方陣ならばスキャナーで取り込んでプリントアウトすれば、全く同じ魔方陣が手に入ることになります。
美緒はさっそくコピーした魔方陣で実験をはじめました。
「発動せよ!ライト」
美緒が魔法書に記載されていた魔法を唱えて魔方陣に触れると、ふわふわとした明かりが浮き上がってきました。
灯りの位置ですが、自分のおきたい場所をイメージするだけで、そこに灯りが移動しました。
実験の成功に気を良くしたは美緒は大人用の魔術書で、必要な魔方陣をゲットすることにしました。
美緒が欲しいのは姿を隠す魔法と収納魔法です。
できればペンダントや指輪などに術式を刻み込んでいつでも使えるようにしたいので、魔方陣を物に刻みこむための付与の魔方陣も必要でしょう。
子供用の魔方陣の灯りはたった5分しか持ちませんでした。
しかも魔方陣の紙は発動と同時に消えてしまいましたから、プリンターのインクとコピー用紙の補充が今後の課題となりそうです。
美緒は着々と魔術の利用方法を決めていきました。
自分の生活を安全にするためには、先ずは姿隠しのマントみたいなものを作りたいものです。
もうひとつの方法、魔法はヨガとか禅の呼吸法に似ていると美緒は感じました。
丹田を意識した腹式呼吸で心を落ち着けて自分のオーラを意識して、それを手の上にまとめるイメージ。
スゥー、ハァー。
こういった呼吸法は美緒としては得意分野なので、あっという間にさっきよりずっと明るい光が出来上がりました。
しかし魔法は使っている人のマナを消費するので、継続して利用するのには向かないと書いてあります
マナが枯渇してして魔力切れをおこすと酷い時には、もう魔法は使えなくなったり命に係わることもあるそうです。
ですから魔法使いでも、ライトなんかは普通に魔術が付与されたものを使っています。
じゃぁ魔法使いって何をするのかといえば……
戦闘とか治癒などは魔術よりも魔法使いが重宝されていました。
治療行為などは人によって必要な術式も違ってきますから、細かな対応をするには魔法の方が便利なんです。
魔法使いは近接戦が苦手なので、後方支援が中心になりますけれど。
命の危険のある場所で、精神を安定させるのは難しいでしょうからね。
でも中には魔法使いでありながら、どんどん戦闘の最前線にでる人たちもいます。
こういう一流の魔法使いになると、息をするように魔法がつかえるので魔法使いの弱点なんてないも同然です。
必要な魔術を選んだので美緒はさっそく魔法書の確認のために、図書館に向かうことにしました。
図書館は広くて上から見る限り最下層あたりは人がたくさんいますけど、上になるにしたがって閑散としています。
たぶん上は一般公開されていないか、もしくは専門書のような一般的でない本をおいているんでしょう。
とりあえず魔法書のある場所を確認しておいて、魔法書は夜に誰もいなくなってから取りいくことにします。
美緒がそろそろと下に降りていくとすぐに人がやってきました。
図書館の良い所は書棚が多くて、隠れやすいことかもしれません。
素早く棚の隙間に隠れると、警備兵らしい男たちがやってきました。
「こんなところに入り込むかよ!」
「そういうなよ。伯爵夫人の大事な飼い猫らしいぞ。ふわふわした白い巻き毛と金色の瞳、首にルビーのペンダントを付けているってことだ。」
「王都で馬車から飛び出したんだろう?宝石なんて付けてたんなら今頃は誰かが奪ってるさ。猫なんて高級ペットなら闇で高く売れるしなぁ。」
「同感だが正式に図書館警備隊にも、踏査依頼が来たんだ。形式だけでも捜査して報告書をあげるしかないだろう。まさか報告書をでっち上げる訳にもいくまい。」
「さすが次期隊長候補殿、真面目なこって!」
「いい加減に減らず口を閉じないと、相手になるぞ!」
「おっと、冗談だろうが、本気にとるなよ。短気な奴は早死にするぜ。」
「お前が言うな!」
猫を探していたみたいです。
美緒も猫は大好きですけれど、美緒のマンションはペット禁止でした。
それに犬は良くても、でも猫はダメって大家さんもけっこういるようなんです。
猫は爪を研ぐからって理由みたいですけど、ちゃんと躾してこまめに爪を切ればそれほどの被害にはならないのですが……
美緒がそんなことを考えているうちに魔術の専門書コーナーが見つかりました。
、美緒のいる梁から2つ下におりたところにありました。
この階すべてが魔方陣の保管庫になっているらしく、きちんと探せば美緒の欲しい魔方陣もみつかりそうです。
魔方陣の目途がたったので探索はここまでにして美緒が帰宅すると、なんとそこには白い巻き毛に金の瞳、ルビーのペンダントの猫がチョコンと座っていました。
玄関の扉は締めていたのですが、どうやら梁を伝ってベランダ側から入り込んだみたいです。
ベランダ側はごく狭い梁があるだけで、到底人が入り込める場所ではなかったので、うっかり戸締りしていなかったようです。
くだんの猫はお腹が空いていたらしくテーブルのおいてあったビスケットの箱を食い破って、中身をゲットしたのでしょう。
ビスケットの欠片がそこいらじゅうに飛び散っています。
美緒はためいきをつきながら、猫のために新鮮な水をいれてやりました。
咽喉もかわいていたらしく熱心に飲んでいます。
ミルクもあるんですけど、お腹を壊したらかわいそうですからね。
「発動せよ。クリーン。」
子供用魔方陣をコピーしたクリーンの魔術で、あっという間に部屋が綺麗になりました。
お掃除しなくてもこんなにピッカピカになるんだったら、クリーンの魔法はちゃんと覚えようと美緒は固く決意しました。
家事ってお掃除派とお料理派に分かれると思うんですけど、美緒は断然お料理派で、料理ならわりにこまめに保存食も作り置きするタイプです。
米麹で味噌も漬け込みますし、梅干しだって梅酒だって作ります。
大根がおそろしく安かったときは、見様見真似で切干大根を作ったりもしました。
その分お掃除は苦手な美緒にはクリーンの魔法は、それこそ奇跡みたいに思えてしまいます。
つまようじみたいなので、どんな細かいところもピカピカにしている人をテレビでみるたびに、尊敬のまなざしとともに、家に来てくれないかなぁと思っていた美緒なのです。
猫はいつの間にか美緒の膝によじ登ってゴロゴロと甘えた声を出しています。
美緒はよしよしと猫を撫でてなりながら、幸せそうな顔になっていきました。
やはりひとりっきりの異世界トリップは知らないうちに大きなストレスを感じていたのでしょう。
「どうちたんでちゅか?さびしかったんでちゅね。だいじょうぶでしゅよ。よるになったら、おねえちゃんがおうちにかえちてあげまちゅからね。」
美緒は思わず赤ちゃん言葉になってしまいましたが、こればかりは仕方ないでしょう。
大の男だって子猫や子犬を見れば猫なで声を出したりしますもの。
それでもずっと一緒に過ごす訳にはいきません。
飼い主さんが探しているのですから。
首輪とかはないので、かわいそうですが、胴回りと首まわりに苦しくないように余裕をもって紐を巻いて、バスケットの中にバスタオルを敷いたものを用意しました。
1階のカウンターに置いておけば、明日になったら誰かが発見してくれる筈です。
美緒は図書館に誰もいなくなっても念のために真夜中まで待ちました。
猫を抱えていては、上手く隠れられないかもしれませんから。
ライトの魔法は5分しか持たないので、登山でつかうヘッドライトを頭に装着しました。
これで明かりも準備できました。
ありがたいことに猫はバスケットの中で静かにしてくれています。
奈緒がそろそろと階段を下りていきますが、真夜中の異世界図書館は真っ暗でライトの明かりだけがたよりです。
美緒は都会っ子で、このような暗闇は全くの未経験なのでとっても怖い思いをしています。
微かな風の音でも、幽霊じゃないかとびくついてしまいました。
ようやく美緒は1階にたどりつくことが出来ました。
なんとこの建物6階建てでした。
しかも1フロアが高いので、相当長い間階段を降りましたから帰りが憂鬱です。
猫バスケットをフロントにおいてしっかり紐も括り付け、今夜は魔法書は諦めてかえろうとしたところで絶叫が響きわたりました。
「うわぁ!幽霊だぁー!」
「誰か来てくれ!幽霊がいるぞ!」
その叫び越えに美緒も思わず悲鳴をあげて逃げていきました。
「ギャー。ゆうれいだぁー。ギャー。助けてぇー。怖いよー」
美緒が恐怖のあまり大声で悲鳴をあげたのですが、その悲鳴はもはや人間に声とは思えないほどでした。
まぁ、美緒は必至で声を枯らして叫んだから、もはや死を招くバンシーの叫び声みたいだったのです。
美緒はあまりに大声で叫んだので、声がすっかり掠れてヒューヒューと言っています。
必死で階段を駆け上がたので、心臓はバクバクして今にも倒れそうです。
「なんてことなの。この図書館て幽霊がいるんだわ。どうしよう怖いよー」
美緒は布団にもぐりこんで朝までまんじりともしないで過ごすことになってしまいました。