今日は楽しい修学旅行
今回が最終話です。よろしくお願いいたします。
「ちょっと! 本当に怒るわよ! 早く出て来なさい!」
母親の声がドアの前から聞こえる。それに気付いた賽子はパンツ一枚で部屋の中に立っていた。
「異世界に呼ばれる前に戻った……いや、時が進んでいないのか?」
しかし、呼ばれる前の正確な時刻を覚えていなかったので、深く考えることもなく、急いで制服に着替えた。
部屋を出る直前に、パソコンデスクを見ると、見るも無残に壊れたマウスと、真っ二つに折れているキーボードがあった。
「あっちにポイ捨てしてきたはずだぞ? クッソ、買い替えなきゃ駄目だな……どうやってお金を貰おうか……つーか、マジで学校行きたくねぇな~」
ぶつぶつと呟きながらも部屋を出て、朝食を食べ、親が準備していた荷物を受け取る。
そのまま学校まで車で送られた。
担任の安藤とやらに話しかけて座席を確認し、バスに乗り込むまでの時間を過ごす。
スマホを持っていなければ、本を持っているわけでもなく、携帯ゲーム機を持っているわけでもなかったので、休み時間にすることがない。故に自然と寝られる姿勢を取った。
脳裏に浮かび上がってくることと言えば、剣客召喚のことではなく、その前の、ゲーム仲間とのオフ会のこと。
最初こそ無言だったものの、次第にエキサイトして口論になった連中を全員、鞄に入っていたキーボードで黙らせた。店を出禁になったものの、超金持ちのやつのおかげで警察沙汰にはならずに、逆に何故か全員の絆が深まったという思い出深い一件だ。
あの時に使った技が、まさか異世界で魔王にまで効くとは思わなかったな、と剣客召喚のことをサラッと振り返る。
そう言えば、オフ会の時も出来るだけ学校に行くと宣言したが、結局行けていなかったが、今日はついに学校に来てしまったな、と賽子が一人で反省していると、誰かが話しかけてきた。
「ねぇ、君」
剣客として呼ばれていた頃のようにはいかないが、教室程度の小規模な範囲なら大体会話を聞くことが出来る。早速「誰あいつ」「ほら、不登校のニートじゃね?」的なこと言われちゃっているよ。
「ねぇ、香戸君……だっけ?」
最初から完全に俺に声を掛けてきていることは知っていたが、無視していたら名前まで呼ばれた。
これでは対応せざるを得ない。だが、今の賽子の手元にはキーボードがない。賽子を二度に渡って、いや、数年間賽子の日常を支え続けたキーボードが。長年連れ添ってきたキーボードは、賽子にとってなくてはならないものであり、キーボードが無いだけで不安感を抑えられない。
ただそれだけのことで少しの恐怖が生まれて来る。上手く呼吸が出来ない。
このまま無視し続ければ、きっと勝手に離れていくだろう……そう思っていたが、ゲーム仲間の顔が、共に戦った剣客たちの顔が、そして、メアリの顔が思い浮かんだ。
クランリーダーから授かり、メアリに告げた言葉も。
誇りを持て。たとえニートであろうとも。
数回自分の中で繰り返し唱えると、なんとか身体の隅々まで力が行きわたったような感覚がした。震えが止まり、呼吸も自然なものになった。
ゆったりと身体を起こし、相手の顔を見て笑みを浮かべる。
「俺が、半分ニートの香戸賽子だ。何か用か?」
賽子に声を掛けた少年は苦笑した。今までほとんど学校に来たことが無い人間を相手にしているのだから無理もない。
「あはは……君、変わってるね。僕は学級委員の塚原貴志だよ。安藤先生から修学旅行中の君のサポートを言い渡されていてね、よろしく」
差し出された右手を握り返そうと思ったが、後方の囁き声に気付いて身を捻った。
賽子の背後から飛んできた紙飛行機を貴志が掴む。眼鏡を直しながら、
「香戸君、よくこんなの避けられたね」
「投げる前に対象を指定する間抜けが相手なら当然の結果だ」
そして振り返って、
「次からは無言で投げろよ。まあ、その都度運営に……あ、運営いないのか。教員だか何だかに淡々と通報し続けるからよろしく」
と、アドバイスしたが、主犯格と思しき少年たちは呆然としていた。
そして、思い出したように貴志の手を握り返す。
「ええと、修学旅行のことなんだけど……」
塚原が話題を戻し、賽子が修学旅行についての知識を全く持っていないことに驚きながらも説明を続けた。
飛行機で沖縄に行き、適当に観光して、ホテルでニュース番組を見ていると、大人気アニメ《魔法少女プリティ☆ナイン》のライブイベントの話が出ていた。現地には、大勢のファンが詰めかけ、中にはハイクオリティなコスプレをしてきている人もいるようだ。
「あっ……」
復活した魔王を追い詰めていた時に見たような金髪キャラのコスプレイヤーが大写しになった。周りのコスプレイヤーとは一線を画すハイクオリティぶり。左手首は飾りで隠されているものの、恐らく黒菱なのだろうと察してしまった。
同室のオタク集団が、「あのディアナのコスしてる人、有名コスプレイヤーのオナツさんじゃね? 会場来ているんだ。本物のファンなんだな」「やっぱクオリティ高いし、エロいよね」と会話をしていたので見間違いではなかったのだろう。
そして、一般の人のインタビュー映像が流れる。
「やはり、《プリナイ》の魅力、そして声優陣の魅力というのはですね……全てが魅力というか……」
熱く語りすぎて話の途中で映像を切られていたオタクは、太田にしか見えなかった。
同じ部屋にいたオタク集団が《プリナイ》のことについて語り出したかと思えば、その中の一人がスマホを眺めながら、
「やっぱ《いんゆめ》シリーズの動画面白いよな。OG、イズ、ゴッド」
と言い始めた。他のオタクたちが「そうだよ」と便乗したり「当たり前だよなぁ」等と言葉を返したりしている。
その画面を覗き込むと、少し若いが、男木のような人物が映っていた。もしかして、これはあいつの若い頃の映像なのか?
世間の狭さに頭を抱えながら部屋を出る。ロビーの隅の方で休憩していると、担任の安藤が反対側の隅で電話している声が聞こえて来た。
「見鶴? もう晩御飯食べた? ……えっ、引きこもりの子が来たか、ですって? 見鶴の予想通り来てたわよ。不思議なものね……」
一番不思議に感じているのは俺だ、と思いながら部屋に引き返す。どこに行っても逃げ場がない。
色んな人と少しずつ会話をすることも出来た修学旅行最終日、土産物屋で隣に立っていた貴志が、
「家族の分は確保したけど、部活の後輩の分はどうしようかな……。剣道部の方は決まったけど、兼部している文芸部の方は……変なもの選んでも無難なもの選んでも、向日葵ちゃんたち手厳しいからなぁ」
と呟いていた。
ああ、まさか、と思い、真実を確かめるために問いかける。
「その向日葵とかいう後輩、厨二病末期患者じゃないだろうな……? いや、同じ名前の厨二病と出会ったことがあるだけなのだが……」
不意の言葉に驚いた貴志が眼鏡を直しつつ
「驚いた。そう、いわゆる厨二病の人だよ。彼女の影響を受けた人も少なくなくてね……」
まだ何か個性的な後輩の話を続けている貴志に、近くにあったものを手渡す。
「じゃあ、こいつをくれてやれ。奴にだけは深遠なメッセージが伝わるはずだ」
「えっ、これって……」
ドン引きしながら貴志が結局レジに持って行ったお菓子の箱には、「ちんこすこう」と書かれてあった。
再び飛行機に乗り、バスが学校に着くと、多くの保護者が迎えに来ていた。
その中には賽子の親もいた。同じクラスの男子と並んで歩いている様子を見ただけで感激の表情を見せている。
「少しだけしか話せなかったけど、意外と面白い人だね、香戸君」
「一度しかない中学校の修学旅行で不登校ニートの世話をしてもらって申し訳ない。感謝する」
「そんな頭下げなくてもいいって。また気が向いたら学校に来なよ。……今日は両親が忙しいから、祖父が迎えに来てくれているんだ。優しいけど、厳しい人だから、早く行かないと。じゃあまたね」
大きな荷物を抱えて貴志が走っていく。その先に、見知った老人の姿を見て、賽子の動きが止まった。
かつて命のやり取りをした二人の視線が交錯して、塚原が一つ頷いた。賽子が黙って頷き返し、自分の親の方に歩いて行く。
言葉など、必要なかった。ただそれだけで十分だった。
数日間の休みが続いて、旅行の疲れと、その他の様々な疲れが身体から引いていく頃、普通の授業日がやって来た。
授業日の朝だというのに、賽子はいつも通りゲームをやっていた。
「俺、今日学校行ってくるわ」
「おう。修学旅行も楽しめたみたいで何よりだ。行ってこい」
「ところでダイス、俺たちにお土産は?」
剣客召喚に巻き込まれた時と同じメンツの声に、女性の声が混じる。
「殊勝な心掛けね。うちは廃人向けじゃない緩いクランだから好きにしなさい」
「いや、俺ら、ゲーム内で好き勝手やりすぎてネットの一部で暴言クラン呼ばわりされてますけどね。……ま、そういうの嫌いじゃないですけど」
「その前にクラン名どうにかした方が良いんじゃないっすか、リーダー。……《P&V》の正式名称が《ペニス&ヴァギナ》って気付く部外者は居ないと思うんすけど、オフ会の最初に公共の場で一部のメンバーが叫んだ時、部外者を演じようかと思いましたね」
「そういうくだらない事を主目的とするクランだから似合っているでしょ?」
賽子が男木との戦いの時のやり取りを思い出して、
「あっ、それな。ペニスってチンコの意味だったんだな。この前初めて知った。もう一個のやつはどんな意味だ?」
「ほら、やっぱりダイスは知らなかったでしょ? もう一人致命的に英語出来ないやついるけど……とにかく、恥かきたくなけりゃ学校行け!」
「どっちの単語も、学校じゃ絶対教えないんだよなぁ……オブラートに言うと、ヴァギナはラテン語で鞘って意味を持っているぞ」
「チンコと鞘ぁ? 中々に無関係なものを並べたな……ネーミングセンスが壊滅的に無さ過ぎるんじゃねぇの?」
そう言いながらも賽子の脳裏に男木の謎の剣術解説が蘇る。居合いのように抜く時にも力を発揮するが、真骨頂は鞘に収める時だという説明。
「やっぱり何か関係あるんすかねぇ……」
その思考を中断させるように、ヘッドセットから手を叩く音が聞こえて来た。
「とにかく、ダイス! さっさと学校に行きなさい! 学校では……社会では色んなことがあるわ。でも、誇りを無くしちゃ駄目だよ」
「はいはい。つーか、リーダーも学校でしょ? んじゃ、行ってくるわ」
ゲームを終了させて、学校まで自転車で向かう。
指定されていた場所にチャリを止め、深く深呼吸して校門をくぐった。
鞄には、今まで賽子を支えたキーボードはない。だが、大丈夫。
「誇りを持て」
何度も教わり、一度だけ他人に教えた言葉を胸の中で反芻する。
その日は、雨とか雪とかが降っていなくて、風が穏やかで、気温が高過ぎず低すぎず、ゲームのイベントや誘いが無くて、遅刻しない時間に起きれて、やる気に満ち溢れている、絶好の登校日和だった。
最後までお付き合いいただいて誠にありがとうございました。
続き的なものも書けなくはないけど、今回はここまで。
新作の『金貨5000兆枚と異世界転生チートライフ、選ぶなら勿論……?』もよろしくお願いいたします。