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処決屋ユキの出入帳  作者: 揚旗 二箱
ガンショップの明日はどっちだ
5/81

恐怖を押し付ける道具

「……ぶっはあ!ふぅ、どう!?ちょこっと細工したくらいじゃ、避けられない、大規模攻撃!これで、倒れてくれたかしらね。もしも、そうなら、返事をして、欲しいんだけど!?」


 自分以外のすべてが焼け焦げて石材さえも表面が融解し、熱をもった風がそよぐ赤い余韻の世界へと、リリィは自信ありげに語りかける。そして瓦礫の陰からふらふらと立ち上がる姿を認め、残念そうな表情に喜びを同居させた。


「ちぇっ、生きてたんだ。でも、その服も身体もボロボロな感じだと、だいぶ、効いた、ようね」


 息が切れ、リリィは深呼吸する。火傷するような熱風が肺に雪崩れ込むが、関係の無いことだった。リリィはその気になれば溶鉱炉の真上でだって暮らせる自信がある。


「……呼吸が困難になることを見越して、息を止めておくという知性が、あなたにあったことがとても、残念です」

「ふん。あんたこそ呼吸ができていることに感謝しなさいよね。私が能力を使ってわざわざ外から風を運び込んであげてるんだ。そうじゃなかったらあんた、窒息して死んじゃうんだから。つまらない死にかたよね、窒息って」

「……」


 灰色の髪は焼け焦げ、鱗に覆われた右腕も煤だらけ。それだけボロボロになった敵の目から、しかし敵意が消滅しないのがリリィには新鮮だった。今までのやつらよりは強い敵であることは間違いないようだが、もう倒せるだろう。これはいい経験値になる。


「何よ、無言で睨みつけちゃって。もしかしてこの空気を吸い込むのが嫌なのかしら。確かにフツーの人が呼吸するには少し熱いかもだけど、あんたと私は能力者(スケイルド)なのよ?少しは気合いをみせなさいよ」


 アッシュはリリィの言うことを無視し、瓦礫を浮かび上がらせる。

 あれほどの炎を見れば、ユキ店長は危機を察知してすぐに行動を起こすはず。リリィを倒すつもりはなく、それを期待しての時間稼ぎ。


「それっ……」

 瓦礫がリリィへと向かって飛ぶ。しかし最初ほどの速度はなく、明らかに攻撃力が落ちていた。

「無駄っ」


 リリィは余裕の表情でその瓦礫を爆発させるも、粉々になり、小さくなってしまった石がリリィへと次々にぶつかった。


「痛たたっ!?なによあんた、掴んでいる瓦礫を爆発させてもお構い無しってわけ?」

「そうですね、あなたの予想は、半分点ですから……」

「うわわわっ!?ちょっと、やめ、やめろ!」


 あの火炎竜巻をまともに受けてしまった以上、作戦の完遂を目指すことは不可能であり、出来る限り生き残らなくてはならない。弱った能力でも届く範囲の瓦礫を手当たり次第にリリィへと飛ばす。その度に瓦礫は爆破され、破片がただ投げた石ころのようにリリィへとぶつかっていく。


「痛たた、身体中アザだらけになっちゃう。地味に嫌な攻撃してくれるじゃない」

「いくつかの破片は、あなたが爆発させたせいで、加速したものですよ……」

「うるせえな黙ってろっ!!」


 ボンッ、と小規模な爆発がアッシュの真横で発生した。完全に空中で、撒き散らしたのは音と小規模な爆風のみ。


「そんなにボロボロでも、やっぱり爆発は避けられるんだ」


 リリィが確認したように嘆息する。

 アッシュから見て、そんなリリィはかなり不安定な人物だった。今のように突然キレたり、冷静を装ったり。前触れなく興奮のボルテージが上がって大技を出すこともあれば、自業自得に逆ギレして八つ当たり的に小さな能力を使うこともある。

 まさに力だけがあり余るワガママ娘。

 本来ならこんなにダメージを受ける予定はなかったのにとんでもない能力者と敵対してしまったな、と今更ながらに少し後悔がこみ上げてくるほどに、アッシュの限界は近づいていた。


「よし、決めた。やっぱり直接掴んで爆破してやる。もうさすがに避けられないでしょ」


 宣言し、敵へと歩いていくリリィ。


「近寄らないで、くださいっ!!」


 アッシュは瓦礫を投げてこれを迎撃しようとし、違和感に気がつく。


「気がついたかな?その辺の瓦礫はさっき細かくしちゃった。ほら、投げてきなさいよ」

「くっ……」


 敵が明らかに表情を曇らせたのを見て、リリィは残っていた不安が消えていくのを感じた。やっぱりもう敵は限界まで来ているんだと、そう確信してからは身体にビシバシ当たる小石の痛みにも余裕で耐えることができる。


「最後まで抵抗するなんて、なかなか根性があっていいことね」


 リリィは敵の首を両手で掴み、渾身の力で持ち上げた。掴んだ皮膚が焼けて煙をあげる。


「でも、もう終わり。このまま首をしめ続けてもいいかなって思えてきちゃったけど、めんどくさいからやっぱり爆破。指定するのは空間じゃなくて、私の手と密着している部分そのもの。もう座標ずらしは通用しないわ」

「あっ、がぇっ……」


 アッシュはリリィを蹴りつけて抵抗するが、力が入らない。冷静になろうとするがもとのダメージに加えて酸欠、死への恐怖が思考を奪っていく。


「んじゃ、カウントダウンね!三、二、一……」


 ゼロ!と言おうとしたリリィの腹部に衝撃が走った。思わず声が出なくなると同時に、敵を放してしまう。カウントダウン終了直前に緩んだ握力の隙をついて、アッシュが膝で蹴りあげたのだ。

 解放されたアッシュは首や足のやけども気にせずに思い切り息を吸い込んだ。肺の中を熱せられた空気が蹂躙するも辛うじて呼吸することが叶い、咳き込む。

 だが結果として、この行動はリリィを怒らせただけであった。


「ったくムカつくムカつくムカつくムカつくっ!」


 うずくまった敵をリリィはひたすらに蹴る。爆発も炎もなく、高温以外に工夫をせずに怒りをぶつける。単なる暴力。


「悪人のくせに、犯罪者の味方のくせに、生意気にあがくなんて許せない!死ねばいいのよ悪者め、いっつもいっつもいっつもいっつも人を困らせやがって!」


 蹴りは熱の力で徐々に加速し、敵の身体を破壊するために最適化されていく。


「あんたらみたいなのがいるから世の中が腐る!役立たずで、足を引っ張ることしか能がなくて、金を持ってる訳でもないのに権利ばかり叫ぶ!私は、そいつらを、倒して、あげてんのよっ。より良い社会の為の、正義、なんだから!」


 建前をならべ、しかしその内側に彼女の本音はない。

 理由がない。

 結局、置き場の無い自身の存在を『揺るがぬ正義』に縫い留めておきたいだけなのだ。巨大な看板の裏に隠れたリリィはただの臆病者。


 アッシュはぼんやりとそれに感づいていた。

 同じ病気(たちば)にあるがゆえに、苦しさにも同情できる。

 とはいえ、ここまできて仕事を放棄するわけにはいかない。あと数分だけ持ちこたえれば十分だ。


「……御大層な意志ですね。あなたの自己確立のための生け贄になれ、ということですか」

「はぁ?そんなことは一言も、言っていないでしょうが!」


 怒りに顔を歪ませるリリィとは対照的に、アッシュの表情は冷めたものだった。


「ではあなたは一体何者ですか?能力を手にいれわがまま放題を尽くして、愛想を尽かされて強がって。挙げ句親から討伐依頼が出される始末。もうとっくにお分かりだったのでしょう?今のこの世に、化物が身を置く場所なんてありえないってことを」

「……何、意味わかんないことを」


 すべてを見透かした正論だった。それを肯定しても否定しても何も生まれない、無意味な現実の再確認だ。


「教えてあげましょうか?」

「いや、喋らなくていい。聞きたくないから」


 分かりたくない。真実など無くていい。知る前に変えてやる。

 だから、死ね。

 孤独な化物(スケイルド)は眼下の敵に手を伸ばす。跡形もなく、全て消し去ってしまうための能力。正義に反する人間を、こうやって一人一人消していけばいつかは。


 夢想するリリィの意識に割って入ったのは敵の断末魔ではなく、乱入者の足音だった。

 リリィは手を止め、現れた新しい熱源の方を向く。その人影には見覚えがある。闘い始める前には居たが、ずっとどこかに姿をくらましたままだった二人目の敵。


「ごめんねアッシュ、待ったかい?」

「……遅すぎですよ。もう少しで泣くところでした」


 ユキはとりあえずアッシュに声をかけた。相変わらず減らず口を叩けるところを見ると今すぐ死にそうというわけではなさそうだ。しかしやられっぷりを見るに、もしかしたら減らず口ではなくて本音かもしれない。


「奇襲だって、言ったじゃないですか……」

「ああ、そうだったね。じゃあこれは第二案ってことにしておくよ……さて」


 このまま喋り続けているといつか本当にアッシュが力尽きてしまいそうだったので、ユキは側に立つ標的(ターゲット)の方を向いた。律儀なことに、標的はこちらの会話が済むまで待っていてくれたようだ。


「気は済んだのかしら」

「うん、作戦も調節したよ」

「で、今さら出てきてどうするつもり?あんたの相棒なら見ての通りもう虫の息よ」


 リリィは二人目の敵に警戒しつつも、もう自分の負けはないと思っていた。相手は銃屋の店主。先に攻撃してこなかったのはこちらに有効な攻撃手段を持っていなかったということだろう。この短時間で何を準備してきたのかは分からないが、私に銃弾が通用しないことを知ったら絶望するのだろう。


「ハハハハッ」


 嘲笑を贈ろうとしたリリィは、先に笑いだした敵に驚いた。なぜ笑うのだ?打つ手無しとみて諦めの笑いだろうか。


「何がおかしいのよ」

「いやね、君の考えていることがあまりにも予想通りでさ。あ、それとその言葉は負ける側が言う言葉だよ、気を付けた方がいいね」

「……そう。じゃあ、あんたの考えもその定説も覆してやるっ!!」

「待って待って待った。僕はまだ戦う準備をしていないだろう?いきなり攻撃するのは卑怯じゃないか」


 標的のこだわっている部分につけこみ、ユキは攻撃を中止させた。攻撃が不発に終わりどこか不満げだが、標的は納得してくれたようだ。


「じゃあさっさと準備しなさいよ。言っておくけど十秒しか待たないし、逃げ出した瞬間殺すから」

「ありがとう。でも十秒も要らない」


 ユキは少し大振りなナイフを取りだして構えた。


「ほら、もういいよ」

「もういいって、あんたなめてんの?」

「何が?」

「周りが見えないの。この広場を焼いたのもあんたの相棒を倒したのも私の能力なのよ?」

「知っているし、理解している。さ、始めてよ。合図は君の役目だろう」


 リリィは困惑した。ぞわりとした不安が背筋を逆撫でる。なんだこいつは、もしかして狂っているのか?鉄パイプで殴りかかってきた奴は私の能力のことを知らなかった。でもこいつはきっと、あの火炎竜巻を見ている。それなのにナイフだけ?

 隠していることがあるのか。

 暫定的に結論付け、次の行動は決定した。

 先手必勝。

 敵が何かしでかす前に先制で爆破する。効果がなければ炎の蛇を放ち、それでも無理ならもう一度竜巻で焼き払ってしまえばいい。


「分かった。もう始めてもいいのよね」

「どうぞ?」


 疑念を抱きながらも、リリィには勝ち筋がすでに見えている。

 その誤算は、敵の側にだって勝算はあるということ、最初の敵を殺していなかったことだ。


「後悔する前に消し飛ばしてやる!」


 叫び、それに先んじて新たな敵のいる地点を直接爆破。敵は木っ端微塵になった、と思われた。

 だが。


「なっ!?」


 ユキは爆破を背に吹っ飛んだ。

 もちろん標的の方向に。

 受け身をとって地面を転がり、そのままの勢いで体を起こして走り出す。アッシュが爆破地点をユキの背後にずらした、というのがカラクリだ。

 一方のリリィは想像できていなかった事態に困惑した。本当なら想定できなくはないはずの事態、しかし戦闘での疲れや不安、恐怖が思考を鈍らせていた。

 能力者といえども想定外に触れて冷静に対処するのは難しい。勝利を確信していたとなれば尚更だ。


「く、来るな来るな来るなぁっ!!」


 炎の蛇を産み出せるだけ産み出し、走り来る敵に向かってごった返しに放つリリィ。慌てながらも狙いは正確で、蛇たちはあらゆる経路を辿って敵へと迫る。


「アッシュ!」

「怪我人に無茶をさせますねっ!!」


 しかしユキは走るのをやめない。アッシュが蛇たちの狙いを少しずつ反らして、ユキはそれを被弾覚悟で身を捻って避けながら進む。服の一部に火がつこうが髪が焦げようがお構いなしだ。


「こ、この死に損ないが……まずはあんたから先に殺してやる!」


 リリィは妨害を行っているらしい瀕死の敵へとどめをさすために炎の蛇を放とうとした。


「よそ見している暇なんてないよ」


 が、間に合わない。新たな敵はもうすでに目と鼻の先の距離まで来ている。


「この野郎、死ねよっ!」


 リリィは沸き上がる焦りに蓋をしつつ、ナイフを振りかぶった敵の頭を押さえる。自分より背が低いためにこの動作は容易だった。

 あとは爆破するだけだったが、しかし能力の発動直前、眼前に迫るものを避けるために思わず体をのけぞらせてしまった。


「ちっ」


 その物体は敵の構えていたナイフだ。触れれば溶かせるはずだが、さすがに刃物を目に突っ込んでみたことは無かったために躊躇が発生する。


「それそれそれっ」


 ユキは標的が恐怖しているのを感じながら、正確に目を狙ってナイフを振る。今はのけぞって避けているが、あと数回振ればおそらくナイフを防御して反撃しようとするだろう。

 そこが、君の正義のツキだ。

 ユキの第二案は順調に行程を終了していく。


「くそっ」


 リリィは眼前を通過し続けるナイフのタイミングが掴めてきたこと、それにともない恐怖が薄れていくのを感じた。今ならこのナイフを溶かし、姿勢を崩した敵の腹に手が届く。そしたらあとは簡単なこと、おそらく少し不快な思いをすることになるが確実に倒せる。


「調子に乗るんじゃ……」


 そのはずだった。


「ないっ!!」


 リリィは横に薙がれたナイフに平手を合わせた。

 熱を集中させた手のひらに触れたナイフは。

 皮を分け、肉へ侵入し、当然のように切り裂いた。


「えっ……」


 傷はごく浅く、時にしても一瞬。

 しかしリリィは手のひらから静かに流れ出す血を心臓でも貫かれたかのように、限りなく静止した時間の中で見ていた。

 理屈は分からないが、敵は溶かせない刃物を持っている。

 自分の身体はそれでダメージを受けて、血を流す。

 そしてここは敵の間合い。

 答えは簡単。



 殺される。



「あああああああああっ!?」


 リリィは自爆も厭わずに敵のいる空間へ爆発を発生させた。だがその座標はずらされ、敵には当たらない。


「どうして、どうしてどうしてどうして!?」

「君の正義が死んだってことだよ」


 ユキは淡々と言う。顔に邪悪な笑みを貼りつけて。


「君も今から死ぬ、ということでもある」


 ユキはリリィの左肩にナイフを突き刺した。超能力者が悲鳴をあげるのもお構いなしに力を込め、その身体へと体当たりして押し倒す。


「いいいいいいいいっ!?痛い痛い痛い痛いいいいぃぃぃ!!」

「ねえねえ、これが見えるかな」


 ユキは絶叫する標的に馬乗りになり、接触部が焼けていくのを感じながらも嬉々として腰に下げていた銃を見せつける。ナイフは標的の肩に刺さったままだ。


「これね、ショットガンっていうんだよ。散弾銃って言ったら分かりやすいかなぁ。小さくしてあるんだけど、威力はそのまま。至近距離で撃てばお腹に穴が開いちゃうね」

「や、やめて、やめて!」

「まずはこれで君の脚を貰うことにしようか」

「嫌ああぁぁぁぁぁぁっ!!」


 錯乱状態に陥り、無我夢中で敵を爆散させようと試みるリリィ。だがその全ては何もない虚空を破裂させて音を響かせるだけ。

 ぐっ、と金属が太ももに押し当てられる感触がした。

 通常なら金属を押し当てられたところで溶かせるし、まして馬乗りになられることなんかあり得ない。だが理性がトんでしまっている今、正確な能力コントロールはできない。皮膚を守っていたはずの高温は劇的に弱化してしまっていた。


「いくよ」


 幾多の爆発音に紛れて銃声が響く。

 太ももに焼けつくような痛みを感じ、リリィは再び絶叫する。常に高温そのものであったはずのリリィに、弾丸が初めて焼かれるということを教えた。


「さて、どう?これが君の馬鹿にした『役立たずのおもちゃ』だよ。助言通り改良してきたんだ、君を殺せるように。ナイフもそうだし、こいつもそうだよ」


 ユキはショットガンを側におき、もうひとつの銃を取り出す。コンパクトにまとまってはいるが、それでも無慈悲な威力を誇る中型の拳銃。


「これより凄いのも昔は扱っていたんだけどね、売れないから今では倉庫の奥深くに眠ってるんだ。どうかな、結構美しい形をしていると思わない?」

「あ…………やめ…………」

「ん、まともに返事ができないなら話を聞く必要はないね。つまりその耳は要らないわけだ」

「やめっ、もうっ!や……やだぁ!やだあああ!」


 泣き叫ぶ標的。

 構うものか。

 拳銃を標的の左耳へ向けた。


「ふうん、ピアスをつけているんだね。僕、実はピアスが嫌いでさ。よく耳に針なんか突き刺せるものだよ」


 ユキは引き金を引き、そのピアスごと標的の耳たぶを消し飛ばす。


「……!」


 リリィはもう悲鳴を失っていた。

 超能力の敗北、痛みと恐怖の波状攻撃で精神に限界が来た。

 喪失。

 身体が痛みと恐怖を受容する以外の機能を失い、目の前にいる人物の顔に恐怖の体現以外の意味を見いだせない。至近距離の銃声で麻痺している聴覚も、恐怖の主たる音だけは正確に拾う。本当は見えず、聞こえていなくとも、脳がそれを補完する。


「さ、もうそろそろお別れの時間だ」


 帽子が投げ捨てられ、銃口が額に当てられる。最後の防衛本能がリリィのまぶたを閉じさせた。錯乱した脳が内側から恐怖を産み出している今、せめて外部から侵入する恐怖だけでも軽減しようとしているのだ。


「おっと」


 しかし敵はそれを許さなかった。

 片方のまぶたが強引に開かれ、銃口が瞳の前に移動する。


「そういえば君は自分の能力が目にも適用されているのか分からないみたいだね。今試してみようか?まあ溶けないけどね」

「……!……!!」

「それじゃ、さようなら」


 ユキは冷酷に告げ、引き金にかかった指に力を込めた。


「ユキ店長。少し、待ってください」


 が、割って入ったアッシュの声で射撃を中断する。


「何だい?」

「標的は、生きたまま確保した方がいいです。こちらの生命がよっぽど、脅かされない限り……そういう、依頼です」


 アッシュはユキの怒りに任せた行動に割って入る心構えをしていたもののここまで躊躇がないとは思っていなかったため、標的の殺害を一時停止できたことに胸を撫で下ろす。


「その子が素直に降参すれば、ですが」


 だが標的の生存は依頼に必須の条件ではないため、アッシュは言葉を付け足した。ユキは軽く頷く。


「だってさ。どうするの?」

「……え」

「降参すれば、僕は君を殺さない。カウントするから考えてね。三……」


 死ぬしかないような状況に突如差しのべられた救いの手。


「二……」


 リリィにとって、その手をとることは自身の正義が暴力に屈することを意味し、必ずしも事態が好転するとは限らないとしても。


「一……」


 (ヒト)は生命にすがるしかない。


「わ、わかったッ!」


 リリィは全ての大義とプライドを捨て、声を絞り出す。同時に高熱を失った皮膚から鱗が後退し、現れた素肌に温かな涙が溢れ出した。


「降参!降参しますっ!お願い殺さないでぇっ!」

「よく言えました」


 心から満足した笑顔を浮かべたユキは銃口を標的の胸へと移動し、引き金にかけた指に力を込める。


「……えっ」


 目を丸くした標的の表情をユキは見てなどいない。何を言われようが、やりたいことをやるだけだった。


 パンッ。


 火薬の乾いた破裂音が廃墟にこだました。

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