VS 法則の掌握者
「ではヒントその二、私の能力では今の攻撃を無効化することはできません。逸らすことは可能ですがっ」
だんだんと調子が上がって来たアッシュは瓦礫を迂回して自身の背中へと手を伸ばす炎から逃れつつ、煽るように微笑む。
「こうしてあなたが直にコントロールしている炎を避け続けるのは困難でしょう」
「ふうん、よくわからないけれど、有効な手段だと分かった以上ガンガン使わせてもらうから!消し炭になれ!」
宣言しつつ、手元、足元から紅の蛇を次々熱風に乗せて放つリリィ。その全てでアッシュを追うことはせず、いくつかの炎を陽動にしつつ本命を混ぜ込んでいく。が、本命はアッシュに触れそうなギリギリで逸れて不必要に街の廃墟を焼き焦がすのみ。
「ちっ、どうして当たらないの!」
「ヒントその三。これからは今までよりも私の動きを観ておくことが大切ですから、心してください」
火炎と舞踏するがごとき足取りで攻撃をかわし続ける敵へ露骨に苛立つリリィを更に嘲笑うかのように、アッシュは一方的にヒントを与える。その頬は頻繁に接近する炎の熱に炙られて赤い。
「つまり、私の番です」
アッシュは微笑み、何かを取り出して宙に放った。キラキラと光る数十のソレは一つ一つが鉄球だ。そしてそれらが攻撃手段として登場したのだとリリィが理解する頃にはすでにアッシュの攻撃が始まっている。片足を軸にくるくると舞うように回るアッシュの周囲を、全ての鉄球が引きずられるように周回転しつつその角速度を爆発的に増していく。
「それっ」
すたっ、と足を下ろし回転をやめたアッシュに合わせて鉄球達が一斉にリリィへと襲いかかる。その速度は被弾した瓦礫が砕ける程だが、しかし、リリィはまるで気に留めず全弾を受けた。赤い制服の表面で液鉄がぴちゃ、ぴちゃとはねる。
「へぇ、何をするのかって少し焦ったけど、結局あんたもこういうので攻撃してくるんだ。でも残念ね、見ての通り私には全然効かない」
攻撃の手さえも緩めてせせら笑うリリィ。こうしてお互いになかなか攻撃が通せないことが分かってきた。能力の詳細は何となく掴めてきたが、これは予想以上に長い戦いになると考え、リリィは敵を打ち倒す策を探す。
が、一方のアッシュはそうは考えていなかった。
「全然効かない、ですか。これでもそう言っていられますか?」
「何が、って……え?」
アッシュは更なる鉄球を取り出し周回させる。その数、数百。アッシュの周囲に浮かぶ鉄のドームは飛行する鉄球の群れによってできている。リリィが次の句を紡ぐよりも早く、鋼鉄の大群は標的へ向けて押し寄せる。
「うわっぷ!?ちょ、ちょっと!」
鉄球、いや、この規模だともはや鉄の嵐だ。けたたましい金属音の重複と火花をまき散らす暴風鉄はリリィが生み出す高温に熱せられて溶け、ビチャビチャビチャ!とリリィを全身びしょ濡れにしていく。
「どうです?まあ要は水の代わりですよ。あなたの高温が鉄から硬さを奪うことがあっても、鉄を瞬時に蒸発させる程のことをしているわけじゃありませんからね。それは目潰しだとか、足止めだとかに使わせていただきます」
即ち、今からが本命ですよ。そう宣言したアッシュは、浮かび上がった残りの鉄球と比較的小さいいくつかの瓦礫を身に纏う。
「例えばそうですね、鉄の方が確かに硬いのですけれど、耐熱性で言えば石材の方が強いですよね」
「ッ!!」
アッシュの声を聞き、咄嗟に身をよじったリリィの真横を加速された石材の一つが通過し、背後で砕け散った。残りの石材も間隔を空けて次々に飛来するが、鉄球の雨も依然として健在、リリィとその周辺を鈍い金属光沢で乱暴に塗り替えていく。
このままではいつか回避行動の瞬間、致命的に体勢を崩すことになりかねない。そう判断したリリィは眼前の敵から一度距離をとることにした。
「おやおや、逃げてもらっちゃ困りますよ目標さん」
「逃げてなんかない。あんたを確実に倒すための作戦だ!」
先刻のアッシュがそうしたように、近くの瓦礫に身を隠したリリィはプライドに任せてそう叫ぶ。敵がリリィを見つけられない壁の向こうからでも、リリィは熱源探知で敵を見つけることが出来る。精度が悪くとも隠れたまま移動して十分距離をとってから、慎重に狙いを定めることは容易だ。
「ふむう、そんな作戦がうまくいっては困りますね……出てきてもらいましょう」
敵の独り言が聞こえたが、構わず進もうとした次の瞬間だった。
脇腹に激痛、そして宙を舞う身体。
「がっ!?」
未知の感覚がリリィを襲う。
一抱えもある瓦礫が衝突したのだという結果はわかってもその理屈が理解できない。
何が起きた?
疑問が浮かぶも地面に叩きつけられた衝撃でそれは消失、代わりに恐怖が浮かび上がる。
瓦礫の陰から放り出されたリリィの目に写ったのは、無言でこちらに向けて加速させた瓦礫を差し向ける敵の姿。激痛と恐怖が神経を刺激し、反射的に自身と床との間の空間を爆破して身を空中へと跳ね上げ、更に熱の力を駆使して崩れかけた建物の壁へと飛行、表面がボロボロに崩れた壁から飛び出た鉄筋に掴まり体を固定する。先程まで自分がいた場所に舞う砂ぼこりが見えた。
「はぁ、はぁ、はぁっ!な、なんなのよ、あんた!あんたの、ソレは、なんなのよっ!」
半ばパニック状態で絶叫するリリィ。
強い能力を持って産まれたリリィは今、人生で初めての感情と戦うはめになっていた。ここまではっきりとチカラの差を見せつけられて、殺されそうで。純粋に恐怖とは言えないその何かが理性を蝕む。
「古風な見た目をしているくせに少し崩れたら鉄筋が剥き出しだなんて、風情もなにもあったものではありませんね。というかあれ?鉄筋、溶けないんですね。なるほど、熱の出力は自分でコントロール可能というわけですか。で、まだそれができるだけの理性は残っている、と」
敵が灰色の目でこちらを見据えている。
そして、ニヤリと笑った。
「じゃ、その最後の理性を飛ばすところまでが私の役割ですね。あなたが食べ過ぎじゃないことを祈りますよ」
ぐんっ、と体が引っ張られた。
「えっ?嘘……」
壁に収めた体が剥がれる。敵の方へと傾いていく。
まるで巨大な手に掴まれたかのように。
敵へ向けて、『落ちて』いく。
「うわぁぁぁぁっ!?」
「叫んでいる暇はありませんよ。一歩間違えば穴だらけになっちゃいますから」
リリィは落下地点にいつくかの鋭利な鉄骨が浮いているのを見た。何はともあれ、まずはあれをどかさなくてはならない。頭では分かるのに、中々高温の発生ができない。あと少しで届いてしまう。
「くそっ!消えろ消えろ消えろ消えろっ!」
何も考えずにありったけの力で落下地点を爆破する。爆風が効果的な一撃となることはなかったが、鉄骨の切っ先をそらすのに十分な威力を発揮してくれた。敵の眼前にリリィは落下、右腕に受けた切り傷が熱い血を流し、鋭利な痛みがリリィの脳髄を叩く。
「うっ、うううっ……」
「どうです?降参する気になりましたか」
リリィの耳に、挑発じみた笑顔で敵が語りかけるのが聞こえる。
「そんなわけ無いじゃない……私の邪魔をするやつらに、あんたなんかに、私は負けないの」
「おや、まだやる気ですか?」
「ええ……あんたの能力も、なんとなくわかったし」
リリィは立ち上がりつつ、恐怖を押さえ込んで虚勢を張る。
ここで退いては駄目だ。敵はわざとダメージよりも恐怖の蓄積を優先して降参させようとしているんだ。殺すつもりなら、さっきの鉄骨は尖った瓦礫にすればよかった。そうしていないということは、敵と私の両方の怪我が最小限にすむようにしたいに違いない。
「では、答え合わせをしますか?」
「説明されなくたってもう分かってるのよ」
「おや?では解答をどうぞ」
わざとらしくおどけた風に言う敵を無視してリリィは言う。
「あんたの能力は遠くのものを掴む能力だな」
「……」
敵は無言だが、そんなことは今のリリィに関係ない。
「私が落っこちたのは、あんたの能力で掴まれて、引っ張られたから。鉄球も瓦礫も、私の突進も能力で掴まえて浮かべた。そして最悪なことに、空間そのものを掴めるんだ、あんたは。そりゃ一度目標の位置を決めてからそこを爆破したって、その位置をずらされちゃ当たるものも当たらない。逆に、絶えず座標が変化する炎の蛇には効果が薄い」
「おやおや、いいのですか?自分で能力発動の手順を全て説明しちゃって。ますます当たらなくなりますよ?」
「いい……もう分かったから」
敵がおちょくったことを言うのを無視し、恐怖ですくむ四肢を、心を奮い立たせるために、人差し指を突きつけてリリィは宣言する。
「私があんたに負けるはずがない」
虚勢を張っていると見て、アッシュは突きつけられた指に肩をすくめた。この調子ならおそらくユキ店長の到着を待たずに決着できるだろうと思った。
「ほお……ずいぶん舐められたものですね。そんなことが言える理由を、私にぜひ教えてほしいものですが」
「理由……ね」
アッシュは高をくくっていた。
突然上がり始めた気温に、揺らぎたつ陽炎に、異常を感知して思考にたどり着くまでの反応が遅れる。
「それは、私は今から本気を出すからだッ!!!」
瞬間、リリィを中心としてぐわん、と鼓膜に叩きつけるような爆発が起きた。完全には回避できず、アッシュは数十歩分の距離を飛ぶ。
「ちょっと、油断しましたかっ」
「ちょっとじゃ済まねえよ馬鹿が!!」
アッシュの着地を見計らったタイミングで爆炎の中から炎の蛇たちが次々に飛び出した。瓦礫を操作して半数ほどを潰し、残りのうち数匹を身のこなしで避けるアッシュ。避けられなかった炎の蛇が脚に、胴に絡みつきアッシュの皮膚が灼かれていく。
「ぐうぅ……」
「休憩するには早すぎるんじゃないの?」
視界を塞ぐ炎の蛇の向こう側に甲高く唸るような音が聞こえる。それは最初の突進の際に聞こえていた音と同じものだ。
「ぼーっとしてると頭がぶっ飛ぶよ、避けてみろ!」
声とその主のどちらが先に届いたか、など判断している暇はない。素早く炎を振り払い、アッシュは突っ込んできたリリィに能力を適用して軌道を曲げる。
「目隠ししたくらいでは当たりませんっ」
「はっ、『馬鹿の一つ覚え』だ!」
軌道を曲げられたリリィは回転とは逆の方向に熱エネルギーを噴射し、変えられた軌道を無理やり修正していく。
「首ィ貰った!」
スピードを増しながら迫ってくる炎熱の能力者に、アッシュはそこで初めて恐怖を覚えた。
「こっちに来ないでくださいっ!」
アッシュは能力を解除、リリィを自由にして身を屈める。髪を掴まれるも、勢い余った炎熱の能力者はそのまま頭上を通過した。あわせて距離をとるように飛び、両者の間には十分すぎる間合いができた。掴まれた髪は異臭だけを残し溶けて無くなった。
「ああ、惜しかったのに。てかあんたも飛べるのかよ、訳が分からない能力だこと」
「そう簡単に打倒されるわけにはいかないんですよ。こちらは仕事なんですから」
「仕事ねえ……」
交わしたやり取りにリリィは笑う。
勝利を目前にし、高ぶる感情が我慢できない。
「……何がおかしいんですか」
「おっと、その言葉は負ける方が言う言葉だよ?いいねいいねぇ、私の勝ちが確定していくこの手触りがたまらない」
相手が油断していると見て、アッシュはリリィの背後の瓦礫に能力を適用して奇襲を試みた。
だが、少しばかり遅かった。
先程とは比べ物にならない速度で気温が上昇。異常事態に気がついたアッシュが身を隠そうとしたと同時にリリィは宣言した。
「これで、決着だぁっ!!」
直後に現れたのは炎の奔流。その規模は凄まじく、見える範囲を明るく紅く燃やし、溶かし、吹き飛ばす。熱せられた空気が生んだ上昇気流は渦を巻き、広場とその周囲の建物を丸ごと呑み込む竜、竜巻となって吹き荒れる。火炎竜巻は夜の旧市街を煌々と照らし、新市街の方からでもその大きさが見えるほど高く、巨大な災害となって廃墟を燃やし尽くした。
炎熱の能力者、リリィ・カーマイン。
彼女が本気で敵を討ち滅ぼす為に選んだ手段、それは場所をマクロに指定して広範囲を巻き込む大味な破壊だった。
「……結構ヤバイな、あれは」
つぶやき、ユキはアッシュの元へと急ぐ。
仕事を完遂するための道具と共に。