炎熱の正義
「うわぁ、こりゃひどいですねー」
カーマイン氏の指定した古い街の廃墟、その広場にやって来たユキとアッシュが見たのは、言ってしまえば惨状だった。
倒れている人は見えている限りで二人だけ。しかし広場を囲んでいたと思われる建物は半数ほどが瓦礫の山と化しており、至る所に焦げ跡が刻まれている。炎上する屑鉄でしかない車を唖然として眺めたユキは、道路舗装の表面にキラキラと光るものが冷えた金属のしずくであると気が付くのに少々時間を要した。
「これ、もしかしてカーマイン氏の娘さんが?」
「そうですね、そうとしか考えられません。彼女の能力は炎を操る力だと聞いていますし」
舗装上の星から目を離し、ユキは再び車だったものへ視線を移す。
「炎程度でこの車がこんなになるはずはないんだけどなぁ……」
「おや、この燃え盛る廃車に見覚えがあるんですか?」
「うん。というかアッシュ、君だって覚えがないと困るよ。これはうちの商品、だったものだ」
「へえ。こんな大きいものを売っていたんですか」
「これの料金はまだ回収していなかったのに……」
ふぅ。と思わずため息をつくユキ。
アッシュは幸せが逃げるぞと茶化そうと考えたが、よく考えてみるとこの哀れな男の幸せなどはるか昔に底をついているだろうな、と思いとどまった。その代わりに、遠い目をして目の前ではないどこかを眺めるユキをそっと抱き寄せる。
「……なにしてるの?」
「かわいそうな文無し男に幸せを分けてあげているんです。どうです、幸せですか?」
「君は今僕に押し付けているこの胸をお金に換える気はないのかい、僕のために」
わざとむにむにと押し付けられる二つの塊。需要は十分だろう。
「やだなぁ、私の胸は幸せと同じでプライスレスですよ。せっかく自前の財産なんですから。そんな場当たり的に売ったりはできません」
「じゃあ今の僕はあまり幸せではないかも」
「そうですか、モノの価値が理解できない人ですねユキ店長は。だから店が窮地に陥るんですよ」
ユキはアッシュの胸に魅力を感じていないわけではなかったが、それだけで幸せを感じるほど虜でもなかった。やっぱり幸せの前にまずお金がないと。その次はご飯、そしてふともも。
「おや?ねえユキ店長。あの子が目標じゃないですかね」
ユキの頭を片手で抱えたままのアッシュが指さす先に立っているのは遠目で見ても赤いという強い印象を受ける身なりの人物。体格や金髪、帽子などもカーマイン氏から聞いていた情報と一致している。ユキが見る限り、どうやらかろうじて残っていた壁を使って逃げ遅れた誰かに質問をしているようだ。
「ありゃ質問というよりは拷問に近そうですね」
「なぜ僕の考えていることが分かる」
「なんとなくですよ。ただあの人が死ぬといけないのでホラ、さっさと行きますよユキ店長」
アッシュはユキを先導するようにして目標の人物に近づく。徐々に見えてきた少女の一挙手一投足はアッシュの予想をほぼ外れないものだった。腰を抜かして壁際でガタガタ震える男性の輪郭をなぞるように壁が焦げている。さらに少女は右のてのひらに炎を浮かべていて、時折その炎が勢いよく燃え盛る。
アッシュがある程度の距離に近づくと少女は気配に気が付いたように振り向いた。しかしその顔に浮かぶ表情は初めてアッシュたちを認識したという風ではなく、むしろ近づいてくるのを待っていたかのようだ。
「えっと、あなたがリリィ・カーマインさんですか?」
アッシュにそう呼びかけられ、少女は体ごとアッシュへと向き直った。その隙に尋問されていた金髪の男が転がるように逃げ出すが、リリィは逃がしてやることにした。もとより脅しの力加減はあまり得意な方ではない。
「そうよ。あなたももしかしてゴミ共の仲間?私と勝負する気?」
「あなたがこのままおとなしくなれば勝負しませんけどね」
「……もしかしてお父さんに言われてきた人かしら?」
リリィには当然心当たりがあったが、だからと言って言うことを聞くつもりもない。
「申し遅れました、アッシュと申します。あなたがいろいろ無茶をやらかしそうだから止めてくれと言われてここにきました」
「嫌よ、家に帰るなんて。私は正義活動をしているの。こんなところに犯罪者がたまっていたら絶対に悪いことが起きるのよ。本当は警察の人たちのお仕事だけど、警察の人たちの手が回らないなら私がやってあげなきゃ」
「じゃあもしかしてあなた、これだけ暴れておいてまだ何かする気なんですかね」
リリィが信念を話し、アッシュが説得を試みる。
そんな平行線の会話からあぶれてしまったユキは辺りを見渡す。これだけの破壊を行うなんて能力以前に頭がぶっ壊れているんじゃなかろうか、という疑問が沸くが、今は口に出さない方がよさそうだ。
「当り前よ。そうだ、せっかく隠しアジトを聞き出すつもりだったのに。あなたが来るタイミングが悪かったせいで逃しちゃったじゃない。まあでも、あのバカからはあまり有用な情報が得られるとは思えなかったからそこに関しては許してあげるわ」
「なるほど、あくまでもこちらの言うことを聞く気はゼロ、ですか」
「勝負しなさいよ」
アッシュの確認を体現するかのように割り込みながらリリィは言った。
「私が勝ったら私の自由にさせてもらうわ。もし私が負けたらあなたの言うことを聞いてあげる」
「ですって。ユキ店長、聞いていましたか」
「え、あ、うん。勝負することになったんでしょ」
「ん?そっちの小さいのもあなたと一緒に戦うわけ?てっきり荷物運びか何かかと思っていたわ」
最初から眼中になどなかったとでも言いたげな、実際にそういう意味を込めてリリィが放った言葉は、ユキに解釈される際にある部分が強調されてしまった。伝達の意図が歪み、その歪みに気が付かないまま、ユキの心に淡い感情が湧き上がる。
「やあ、リリィだっけ。そうだよ、この小さい僕が、小さいながらに小さい銃屋を経営している背の低い男、ユキだ」
「ふうん。じゃあ、あのゴミ共が持っていた役立たずのおもちゃはあなたのトコで売っていたものなの?アレを私相手に使うんだったら改良した方がいいと思うけど。全然役に立っていなかったし」
長年の孤立状態で他人とのコミュニケーション能力に欠けるこの超能力者が放った言葉をユキがどういう気持ちで聞いたのかアッシュには分からなかったが、代わりにユキがどう受け取ったかだけは理解した。
「ま、そういうことで。ユキ店長、ある程度は自由にしてもいいですが、あんまり最初に立てた作戦の本筋からそれるようなことはしないでくださいよ」
「……分かっている」
「じゃあ決まりね」
リリィは広場の中央へと歩みだす。アッシュもリリィがどうしたいかを察し、同じように移動する。先の戦闘でさらに崩れ、至るところが焼け焦げた協会の残骸の前に向かい合わせに立った。
「私が十数えるから、数え終わったところでスタートね」
「分かりました。そうしてもらえると私たちとしてもやりやすいですし」
「……」
「じゃあ始めるけど、そこの小さいやつは大丈夫?さっきから黙っているのはわざと?」
リリィはユキの雰囲気が変わったことにようやく気づいたようだ。
「あー、まあ気にしないでください。別に不調だったりはしません。作戦通りです」
「ふうん?ならいいけど」
アッシュはカーマイン氏から聞いていた娘の性格に気遣いしつつそう言うが、本心としてはむしろ今の状態のユキが手加減してくれることを祈っていた。
「十、九、八、七……」
リリィが宣言通りながらも突然にカウントを開始する。アッシュはユキと目配せし、ユキはそのまま広場を囲む瓦礫を抜けてどこかへと消えていく。作戦はアッシュが目標と戦闘し、時間を稼いで場を整えたところでユキが奇襲を仕掛けるということになっている。
が、懸念すべきはそのユキだ。分かりづらいが、彼は目標に対して怒っている。もしかするとユキ店長は奇襲の勢いで目標にとてつもないダメージを与えてしまうかもしれない。一応やむを得ない場合は殺しても構わないとのことだが、依頼者は父親だ。状態が良いことに越したことはないだろう。
そう考えてみたものの、結局は状況次第。どうにかしてユキがやり過ぎないような状況に持っていこうとアッシュは決意する。
「ゼロ……!へぇ、どうやらルールは守ってくれたようね」
カウントを終えたリリィが目を開け、その場から動いていないアッシュを視認する。
「ユキ店長はもう行動を始めてしまいましたが、ルールの範疇でしたか」
「えっ?ああ、本当だ。まあいいわよ。私にルールを破って直接攻撃を仕掛けない限りは目くじらを立てるつもりはないし」
「それはよかった。では、戦闘開始ですね」
「手加減は無用って言ってたっけ。その言葉、後悔させてやるわ!」
リリィがそう言い放った直後。ガッ!と暴力的な閃光と爆轟音が発生し、協会の残骸が下部分をえぐられて傾ぐ。さらに続けて二発、三発と爆発が連続する。
顔の半分が呪われた鱗に覆われた化物は目の前に立っていた敵を生かしておこうとは考えておらず、かといって殺そうとも考えていない。ただ一つ目指すものは勝利のみ、自らが抱える正義の絶対的な勝利。敵の生死はその過程で生じる誤差に過ぎないのだ。
「先手必勝!どう、これには耐えられないでしょう?私の能力は炎の能力って聞いていたんじゃない?少し違うのよ、これが。私は『炎熱の超能力者』。高熱を操ってできることなら爆発も炎上もお手の物ってワケよ!今の空間連続爆発は初めてやったんだけど、結構うまくいったわね」
爆風に金髪をなびかせながら眼前の敵を討ち倒したと小躍りするリリィ。
しかし爆発による視界不良が考えられない速度で終息していくこと、そして敵の体温がわずかながら煙の中に感知されたことで考えを改め、再び戦闘態勢に戻る。
「いやぁ、派手な攻撃ですねえ。あなたの能力を一部なら私の能力で無効化できるかなと考えていましたが、さすがに出力がケタ違いです。ノーダメージとはいきませんでした」
煙が晴れ現れたアッシュには右肩より手首までを覆う鱗が出現していた。
「……なるほど。あんたも超能力者だったということね」
「もちろん。でないとこんな仕事やってられませんって。どんな能力か、当ててみますか?」
アッシュは瓦礫の破片がかすって出来た頬の切り傷を軽くぬぐう。冷静なその表情には余裕さえ読み取れる、少なくともリリィはそう読み取った。リリィの内部にある種の焦りと怒りがせりあがる。
「じゃあ当てさせてもらうわよ!」
轟音、轟音、轟音。虚空から現れた爆炎がアッシュの周囲を二次元的に囲い込む。上からフタをしなかったのはリリィなりの実験だった。アッシュが有しているのは衝撃の方向を変える能力なのではないかと予想したうえで、爆発の重圧を空にしか逃がせないようにすればそれは真上に放たれる熱風として確認できる。通常目に見えないものでも高温であればリリィにはたやすく感じ取ることができた。
しかし、リリィが期待していたことは起こらない。
「爆発での囲い込みが甘かった……いや、各爆発が起こった位置が想定よりずれている!?」
派手に瓦礫のホコリが舞い上がって再び視界が悪くなる。そして空気に乗ったホコリの流れや熱風を追ったリリィは爆発が互いに干渉してほとんどの衝撃が逃げてしまっていることを確認した。
「分かりましたか?ヒントその一、私にその爆発攻撃は効きません」
「あっそ。じゃあ……」
煙の向こうからアッシュの声が挑発する。リリィは冷静でいようとするも怒りと焦燥感に圧迫され、深く考えずに次なる攻撃に打って出る。
全身に宿る炎熱の力が彼女の手に爆発を宿し、足を少しだけ宙に浮かばせ、背に推進力を与える。そして自身が玩具と揶揄した弾丸の如き速度で、煙中に浮かぶおぼろげな熱源へと突撃。
「この手で直接葬ってあげるわ!」
質量と速度を利用した単純な突進は高速に任せて威力を増大させる。当たれば人どころか並大抵の標的は耐えられない。
しかし、結果的にこの攻撃もアッシュに通用しなかった。
「ほい、掴んで放り出すっと」
「なっ!?」
直線的に飛行していたはずが射線はいつの間にか歪み、リリィはアッシュの真横を通過後、まるで見えない力に掴まれたがごとく円を描いて元いた場所へと投げ返された。加速した自身を止められずにそのまま広場を囲む瓦礫へと突撃したリリィだったが壁に叩き潰される寸前に爆風を発生させて勢いを殺し、舗装に身を転がす。
「あんた、一体何を……」
「次のヒントが必要ですか?高等学校に通っていればすぐにピンと来るはずですが、さては成績はあまりよくなかったのですね。あるいは科学に全く興味がなかったのでしょうか」
速やかに晴れた土煙の奥から姿を現したアッシュは汚れこそすれ目立った外傷無く元の位置に立っている。その涼しげな表情にリリィの感情は昂っていく。
「う、うるさいっ!一応私はこれで高等学校卒業の認定は受けているのよ。バカにされる覚えは―――」
ゆらゆらと空気が歪み、リリィの周囲に炎が渦巻く。一般に知られる現象としての発火の特性を無視して現れた炎は生き物のように空間を這いずり回り、あっという間にその規模を増していく。
「ないっ!」
リリィはとぐろを巻いた炎を高温の空気とともに解き放ち、本質不明の敵へと差し向ける。それを見たアッシュは瓦礫の陰へと滑り込み、熱風を回避した。瓦礫の外側を焦がした熱風が頬をかすめて切り傷を乾かしていく。