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カンナガラ  作者: 醒
冬空に飛ぶ
2/11

冬空に飛ぶ:壱

「なー、こんなところにマジでレアいるの?」

「兄ちゃんがいるって言ってたもん」

「てゆうか、入って大丈夫? 怒られない?」

「へーきへーき。おれ、初詣で来たし」

「でも、夜になるとここ、幽霊出るって聞いたよ」

「……幽霊なんか、いるわけねーじゃん」

「あっ、いた!」

「えっ!?」

「いたよ、レアモンスター!」


 小さな虫が鼻先で羽ばたいたような気配を感じて、曲直瀬(まなせ)燐太郎(りんたろう)は瞼を開けた。

 目に入ってきたのは見慣れた社務所の畳と、素っ気ない鈍色の事務机と、その上に投げ出した自分の腕。

 机に突っ伏して居眠りしていたらしい。

 和室用の低い事務机の上で、スリープ状態のノートパソコンが埃の付着した黒い液晶画面を晒している。パソコンの隣に置いた青硝子の灰皿に、吸殻が三本溜まっていた。

「……しまった」

 つぶやいて小さく首を振る。一応、仕事中である。平日に彼の職場に用事がある人など、極めて稀だが。

 寝起き特有の仄かな温かさを感じたが、すぐに身体の表面がだいぶ冷えていることに気づいて、燐太郎は白い着物一枚に包まれた肩をさする。

 ふと、背後に気配があった。

 振り向けば細く開けた襖から、黒と茶の斑のある長い尻尾が覗いている。

「ウズメさん?」

 尻尾はするりと襖の陰へ吸い込まれた。先ほど燐太郎の顔をかすめていったのは、三毛猫のウズメさんであったのだろう。

 そのとき、甲高い子供の声が耳に飛び込んできた。

「ばっかユーキ、逃がしたじゃん。へったくそ!」

「っせーな、今のはデカすぎたんだって。次はぜってー倒してやる!」

 燐太郎は伸びすぎの前髪をかきあげつつ、伸び上がって衝立の上から外を覗き込む。お守りやお札が並んだ先の硝子窓越しに見える境内が、冬の夕陽で茜色に染まっていた。

(おや、珍しい)

 小学校三、四年くらいの子供が三人、拝殿前の短い石段に座り込んでいる。男の子がふたり、女の子がひとり。めいめいがスマートフォンを手にし、互いの画面を覗いては笑い合う。

(ふむ。ご老人がた以外が訪れるのは結構なことだが)

 燐太郎は大あくびをひとつすると、重い腰を上げた。

「やっりぃ! 三匹め倒した!」

「マジかよ。ここすげーな」

「ねー、今図鑑どんだけ埋まってる? 見してよ」

 石段ではしゃぐ子供たちの上に、長い影が落ちる。

「――あー。お楽しみのところを申し訳ないが」

「ひえっ!?」

 アプリゲームに夢中になっていた三人の小学生は、突然降ってきた低い男の声に一斉に飛び上がった。

「そこはお参りする人の通り道だ。いや、見ての通りの閑古鳥神社なわけだが、これでも参拝客はゼロじゃあないのでね。遊ぶなら向こうのベンチでお願いしたいところ……」

 首の後ろを揉みほぐしながら言った燐太郎は、そこでようやく自分を見上げる三人の怯えた目に気づき、口をつぐんで首をかしげた。

「どうかしたかね?」

 燐太郎に視線を向けられた男の子が後ずさりかけ、石段に背をぶつける。

「ゆ、幽霊!?」

「うそっ、ほんとにいたの!?」

「……」

 燐太郎は首をこきりと鳴らした。

(確かに、いまどき見慣れん格好かもしれんが)

 子供たちの反応は、燐太郎の服装に由来していると思われる。

 白衣(はくえ)に、浅葱色の袴。白衣はハクイではなくハクエと読み、白一色の単を指す。和服の中でも特殊だが、燐太郎の職業においては由緒正しい服装である。幽霊扱いとは心外な言われようだ。

 別の男の子が上ずった声を上げる。

「ば、ばか、昼に幽霊が出るわけねーじゃん」

「ふむ。日のあるうちに出現する怪異は意外といるんだ。特にこのくらいの黄昏どきには、いろいろと出る」

 燐太郎が声をひそめると、男の子ふたりは身を寄せ合うようにして息を呑む。しかし残る女の子が、胡乱げに尋ねてきた。

「おじさん、幽霊なの?」

「おじさん……?」

 幽霊よりはるかに深刻な問題が立ち現れて、燐太郎は頬をひきつらせる。

 燐太郎は当年とって二十五歳で、少なくとも顔立ちは年齢相応であるはずだ。天井の低い日本家屋で育ったせいで長身をかがめる癖がつき猫背気味だが、おおむね健康。体力もあるほうで、そこまで年寄りくさい外見ではないと思う。

(いやいや、ひとまわり以上も違えばおじさん扱いもやむを得ん。たぶん、きっと)

 深く考えないことにした。

「ご期待に沿えず申し訳ないが、幽霊じゃあない。足もあるぞ」

 足袋に雪駄履きの足をぶらぶらさせてみせたが、子供たちは不思議そうな顔をしている。足の有無で幽霊を判別する時代ではないらしい。

 ともあれ生きた人間であることは伝わったらしく、安心したような、少し落胆したような空気が三人の間に広がった。

「ここ、人いたんだ?」

「この通り、いる。出稼ぎせにゃならん身分なんで不在のことも多いがね。普段はあの中」

 親指で社務所を指すと、女の子が大人びた顔をして胸を張る。

「わたし知ってる! 住職さんでしょ!」

「残念ながら不正解。住職ってのは坊主だ。神社にいるのは神職。職階でいえば俺はこの水秦神社の宮司だが、一般的には神主と呼ばれるな」

 へー、と三人三様にもらした子供たちを見渡した燐太郎は、唇の端に笑みを浮かべながら問うた。

「で、諸君は何をして遊んでたのかね?」


     ◆


 十二月の日暮れは早い。太陽は西にそびえる池袋のビル群の根元にわずかな橙色を残すのみで、気温が急速に下がり始めている。

 幸先町(さいさきちょう)商店街は、東京都内でも有数の賑わいをみせる商店街である。こと夕方ともなれば、帰宅する学生や会社員と買い物客でごった返す。

 その人混みをすり抜けて、辻杏子(つじきょうこ)は、後頭部で結い上げた髪を揺らし道を急いだ。

 二十五年と少しの間住んでいる町だ。実家がこの商店街で店を営んでいる彼女には、顔見知りが多い。しかし今日は、知人と顔を合わせたい気分ではなかった。

 商店街は山手線の駅から二キロほど続き、都電の停留所にぶつかって終わる。

 その停留所のすぐ近く、商店街と住宅地の境目の角。街中に忽然と現れた緑の丘を、杏子は見上げた。

 決して高い丘ではない。麓からてっぺんまで垂直距離は二十メートルもないのだが、都心に見合わぬ樹齢の森に覆われた姿は、なかなかの威容だ。

 丘の麓には質素な鳥居があり、脇に『水秦神社(みなはたじんじゃ)』と彫り込まれた石碑があった。

 水秦神社は、龍神を祀る。

 幸先町の護り神といわれ、造営以来八百年ほどもこの場所にあるのだというが、地元の人が正式名で呼ぶことは少ない。

 鎮守の森が鬱蒼と茂る様子は夜ともなれば不気味で、子供たちは幽霊が出るなどと噂している。普通の大人は笑うところだろうが、幸先町の古い住人ならば違う感想を持つかもしれない。

 ――雨降りさまなら、そういうこともあるかもねぇ、と。

 杏子は鳥居の前でフライトジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。画面を確認し、苛立ったようにポケットにしまい直す。

 彼女は『雨降りさま』の通称を持つ水秦神社の、一の鳥居をくぐる。

 そして、これまで何百回となく上った石段に足をかけた。


「……何やってんの、あいつ」

 石段を上りきった杏子は、目に入ってきた光景に思わず眉をひそめた。

「わ、すっごい! また倒した!」

「まかせたまえ。伊達に駅前のゲーセンを出入り禁止になっとらん」

「すげーすげー! マジそんけー! おっさん超うまいな!」

「ははは、次おっさんと呼んだら神罰をお祈りしようかな」

 すでに日はほとんど暮れている。宵闇を押し退ける境内の街燈の下、ベンチに腰かけて子供たちがはしゃいでいた。神社の静謐な雰囲気には場違いこの上ない。

 杏子の目的の人物は、その中心にいた。

 参道の石畳を踏んで近づいた杏子に最初に気づいたのは、スマートフォンを手にした少女だった。

「あ、お花屋さん!」

 杏子の実家は幸先小学校の向かいの生花店で、彼女も昨年から店を手伝っている。杏子は店に立つときと同じ笑みをつくった。

「そう、花屋です。憶えててくれて嬉しいな。こんばんは」

 子供たちが口々に元気よく「こんばんは」と返し、最後に白衣と浅葱袴の神職が、やや目尻が下がった眠そうな目を上げた。杏子を見てへにゃりと笑った顔は若く、人懐っこい印象を与える。

「アンズじゃあないか」

 曲直瀬燐太郎は杏子のことをアンズと呼ぶ。彼だけでなく、小学校からの友人は皆そうだ。

「珍しいな。来るならメッセージ入れといてくれたら」

 杏子は燐太郎に苦々しい一瞥をくれた。

「送ったわよ、返信なかったけど。どうせ燐太郎のことだから、携帯放り出して居眠りでもしてたんでしょ。ぐうたら神主」

 うぐ、と呻いた燐太郎をよそに、彼女はベンチの子供たちに視線を合わせ、柔らかい声を出す。

「みんな楽しそうだね。でも、もう暗いよ。おうちの人が心配するから、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないかな?」

 ええーっという不満そうな声が聞こえる。燐太郎までが「え」と声をもらしたのには呆れたが、周囲を見渡して状況に気づいたらしい。

 二の鳥居越しの空は濃紺で、住宅の上に突き出したビルに無数の灯りが点っていた。

「あー、うん、そうだな。この時期は日が短い。夜は冷えるし」

 彼はゆるいクセのある髪をひとつかきまわしてから、持っていたスマートフォンを男の子のひとりに返した。子供たちの背を軽く押して立たせる。

「気をつけて帰んなさい」

 子供たちは戸惑ったように互いに顔を見合わせている。燐太郎は、目尻をいっそう下げて微笑んだ。

「また、いつでもおいで。神社は町のみんなのものだからね」

 杏子はそっと唇を噛む。

(――また、あの顔)

 燐太郎の微笑は、まるで人生を何十年も経験してきたようだ。耐えがたい喪失に耐えているうちにすべての感情が漂白されてしまったような、抜け殻みたいな表情。

 彼女は彼の、その笑い方が嫌いだった。


     ◆


「ずいぶん人気者じゃない」

「さてね。賑わうのはありがたいことだ」

 後ろからついてくる杏子の声は、どこか不機嫌そうだった。怒らせるようなことをしただろうかと我が身を省みつつ、燐太郎は龍の像が水を吐く手水舎を回り込む。

 手水舎の裏手には、双子のように軒を寄せ合う古びた二軒の建物がある。参道に面した右手の建物が社務所だ。

 燐太郎はふたつ並んだ玄関の、右の引き戸に手をかけた。

「そっちがいいんだけど」

 杏子は『曲直瀬』と表札が出た左側の玄関を指す。

「しかし、家のほうは散らかってるぞ」

「いいから。あんまり表で話すようなことじゃないの」

 強く断る理由はない。燐太郎は左手の自宅の扉を開けた。

 日没後の古い日本家屋には、冷気がたちこめている。軋む廊下を通って茶の間へ入ると、どこへ行っていたものか、よく肥えた三毛猫が滑り込んできた。

「あ、ウズメさんだ。元気ですかー?」

 へたれた座布団に座った杏子は、飛びついてきた猫を抱き上げて頬を寄せた。

 フライトジャケットを脱いだ彼女は縦にリブの入ったロングセーターとスキニージーンズで、身体の曲線がくっきりと出ている。セーターを押し上げる豊かな膨らみに包まれ、ウズメさんがゴロゴロと喉を鳴らす。

(ちゃっかりしたもんだ)

 急須にポットの湯を入れながら、燐太郎は内心でこぼした。

 別に猫に嫉妬したわけではない。そもそも杏子に対して特別な何かがあるでもない。ただ、一応の飼い主である燐太郎が呼んでも返事もしないくせに、客には愛想をふりまく態度に呆れただけである。

(……男の家に上がるのに、その服はどうかと思わんでもないが)

 要は男と思われていないのであろう。杏子とのつきあいは小学校以来だ。しかも燐太郎の職業は禁欲を連想させ、彼のそういう面を人目から覆い隠す。

 くだらない思考を切って、番茶の湯呑を差し出した。

「ありがと。……あったかい。ほっとする」

「急に冷えるようになったからな」

「燐太郎、着物一枚で外歩き回って寒くない?」

「長年爺さんに付き合わされて朝五時からこの格好で活動してれば、慣れる」

 若干の見栄も含んだ返答だったが、杏子は「ふうん」とだけ言って、ウズメさんのぴくぴく動く耳に視線を落とした。心ここにあらずといった様子である。

 わずかな沈黙をとらえ、燐太郎は卓上の灰皿を引き寄せた。杏子の目が鋭くなる。

「まだやめてないわけ」

「俺は禁煙するなんて言ったことは一度もないぞ」

「不良神主。せめてその服のときに吸うのやめなよ、みっともない」

「どんな格好で吸おうと俺の勝手だろう。神職は煙草も酒も妻帯も禁止されとらんからな」

 さらに切り返しがあるかと思ったのだが、杏子は開きかけた口をふっと閉ざして逡巡するような素振りをみせた。

 その隙に、燐太郎は煙草に火をつける。

「……さっき、あの子たちと何してたの」

 黒ずんだ天井を背景に、紫煙がゆっくりのぼっていく。

「ゲームだよ。位置情報をもとにして、街中に出るモンスターを倒すんだ。現実の映像の中にモンスターのグラフィックが出現する拡張現実(AR)の表現がよくできてて、大人にも結構流行ってるぞ」

「燐太郎はそういうの得意だもんね。点取りすぎてゲームワンを出入り禁止になったんだっけ」

「あれはガンシューだからだいぶ種類が違うがな」

 杏子は総じてインドアなものに興味がない。彼女は友達と外で遊ぶのが好きな子供で、中学では女子サッカー部だった。今も本当にゲームのことが知りたかったのではなく、本題に入る前の間繋ぎとして口に出しただけなのだろう。

(やれやれ)

 たぶん、積極的に聞きたい話ではない。けれど、ここまで来て何も喋らせずに帰すのも人道に悖る気がする。

「アンズ」

 燐太郎は、圧迫を感じさせない程度に興味の量を調整した視線を、杏子に向けた。

 杏子は切れ長の目を何度か瞬かせる。それから、膝の上のウズメさんを畳に下ろした。

 ウズメさんは不満そうだったが、やがて諦めたように座卓の下へもぐりこんだ。

「……燐太郎の意見が、聞きたいの」

 杏子は少し冷めた番茶で喉を潤す。

「小学一年生の子が二週間眠ったままって、どういうことだと思う?」

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