冬空に飛ぶ:序
子供のころ、俺は夕暮れが怖かった。
夕暮れは「逢魔が時」ともいわれる。魔物に遭遇する時間、ということだ。
江戸時代の妖怪画で有名な鳥山石燕の画集や、日本各地の伝承を蒐集した民俗学者の柳田國男の著作に見られる語である。
一日の営みが終わって次第に光が闇に駆逐され、人やものの輪郭がぼやけていく様子に、昔の人は魔を感じたのだろう。ちなみに現代では、夕暮れは交通事故がもっとも発生しやすい時間帯らしい。
と、今ならそんな薀蓄を並べて自他を煙に巻くこともできるのだが、十歳やそこらのころは、忍び寄る夜の気配にただ怯えていた。
「どうしたの?」
黄昏のオレンジ色に染まる公園。ビルの谷間の住宅地につくられた公園は都心にしては広く、ブランコやジャングルジムが据えられ、近所の小学生たちが走り回ったり、隅で携帯ゲーム機を囲んだりしている。
その一角、鉄棒の前。
不意に黙り込んだ少年に、一緒に遊んでいた別の子が尋ねる。
少年は答えない。見開いた目には茜色から紫、灰、そして群青色へと変化する空が映っていたが、彼はそれを認識してはいなかった。
かさかさ……かさかさ……
少し離れた幹線道路を通る車のエンジン音とも、友人の声とも異なる音に、少年は身をすくめる。
(また、あの音)
この時間帯には、あらぬものが現れる。その訪れは、音でわかる。
かさかさ……かさかさ……
何かが囁く。言葉としては聞き取れないのに、確かな意思を感じる囁きが、耳の奥に聴こえる。
彼は物心ついて以来、しばしばそれを聴き取った。他の同級生の誰にも聞こえていないことを知ったのは、いつのことだったか。
たとえ慣れていても、その音は彼を畏れさせる。
それは、物陰の暗がりに潜むものが、昼と夜が交錯する不安定な空気の中で目覚める気配だ。
けれど、一番怖いのは――
「なんだよ、へんなやつ」
友人はひとつ首をかしげると、少年に背を向け、他の子供たちが歓声を上げて遊んでいるほうへ駆け去ってゆく。
子供は元気だ。多少暗くなろうと、親たちが心配しようと、目の前の遊びに夢中になる。
そして、輪の中にいないもののことを、すぐに忘れる。
「……」
少年は友人の背に声をかけようとして口を開いたが、結局何も言えず俯いた。
夕暮れは怖い。広がってゆく闇の領域が、自分と他人との距離を思い知らせてくるようで。
民家を隔てた向こう側で、ちん、ちんと、都電の発車ベルが鳴った。
(おれは、みんなとは、ちがう)
いつの間にか、街燈に灯りが点っていた。完全に暗くなれば頼もしく感じる街燈は、薄暮の中ではひどく薄っぺらく、曖昧なものに思える。
睨んだ自分のつま先。長く伸びる影の中で、何かが蠢いた。