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天空のマーギアー  作者: 才原たつき
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現代魔術と魔術兵器 上


 一言。エレナはそっと銃に触れると、傷つけてしまわぬよう慎重に見回した。

「そいつは魔力を送り込んで、圧縮し、弾丸と変化させて撃ちだす銃だ。従来の銃に比べて、魔力があればそれだけ撃てる銃だから、リロードの手間が省かれた。それに、上手く使えば本人の意思で威力も変えられる」

「威力も?」

 そう聞き返したのはフレットだ。ジェイクは頷くと、エレナの手から銃を受け取り、

「もちろん強くもできるが、弱くもできる。こんな風に……」

 ジェイクは銃に魔力を込めると、どこかに銃口を向ける。銃が淡く光り輝いた。ジェイクはしっかりと狙いを定めると――――撃った。

 ぱこん。

 軽い音が響く。弾丸は見事……ロイドの頭を直撃し、カウンターでリカードと話しながら紅茶を飲んでいたロイドは思わず頭を押さえ、

「痛い!!」

 と、大きな声で言った。

「あんな風に頭に当たっても痛いで済むくらいの威力に変えることもできる。今のはエアガンくらいの威力だな」

「へえー」

 エレナとフレットが声を合わせて言う。ロイドは「なんだよぅ、なんだよぅ」と拗ねたように繰り返し、カウンターの奥ではリカードは腹を抱えて笑っていた。

「現代魔術なら、俺も使えるか?」

 フレットの言葉に、ジェイクは頷いた。

「さっきも言ったように、現代魔術はここ最近作られた魔術だ。たしか……十年前だったな。まだ若い研究者が、魔術が誰でも使えるようにと開発したのが始まりだったと思う。お前でも使えると思うぞ」

 フレットがへえと声を上げて、ジェイクの持つ銃を見つめた。その様子に、ジェイクは少しだけ納得する。なるほど、こいつは「これ」が使いたいらしい。

「開発した研究者って、誰?」

 エレナがふと、小さく聞く。ジェイクは少しだけ考えてから、

「それがどの資料や本にも載っていなくてな。不明とされている」

「不明? こんなに普及してるのに?」

 ジェイクは頷く。

「おそらく……時期も時期だろうな。十年前といえば」

「……ああ」

 ジェイクの言葉に、フレットも納得したように頷いた。エレナだけが、首をかしげている。

「十年前、イスギートと隣国のカルマ帝国は戦争を繰り広げていたんだ」

 エレナははっとして、ジェイクとフレットを見る。ジェイクは溜息をついた。

「一般に降りてくる技術なんて、大概が軍事で、戦争に使われていた技術の応用だ。現代魔術も、おそらくそうだったというだけの話だろう」

 エレナは黙ってしまい、どこかしゅんとした顔をしている。ジェイクはそっとその髪を撫でると、

「知ることが必要なんだ。いいか、二度と魔術で悲劇を生まないためにも、俺達は無知でいてはならない。無知は罪だ」

 お前は物覚えがいいから、平気だろう。言って、エレナの頭を撫でる。エレナは顔を上げると、大きく頷いた。

「なら、一つ魔術を教えてやろう。ここでは狭いから、下の森に行くぞ」

 ぱっと、エレナの顔が輝く。ジェイクは気にしないふりをしながら、

「ロイドに買ってもらったんだろう? ハシバミの杖」

 再び、エレナは大きく頷く。ジェイクは一瞬だけ、その口元を笑みの形に歪めた。

「なら、それを使うことをしよう。……基本の魔術から教えてやる」

 ジェイクが椅子から立ち上がる。エレナもぴょんと飛び降りるようにして、その後ろを追った。



 エレナはしっかり覚えた言葉を言い切って、杖の先で何かを描く。古代文字、レグノス文字だ。光り輝く杖の先の軌跡が残り、空気に混じって消えていく。エレナはそれを見届けてから、

「To sesna!」

 最後の言葉を言い終える。植木鉢の下に魔術陣が浮かび上がった。植木鉢の中に詰められた土がふわりと盛り上がると、その中から顔を出したのは、小さな芽。

 エレナの顔が明るく輝く。緑色の芽はそのまますくすくと伸びると、最後に膨らむ蕾を付け、黄色の花を咲かせた。小さなひまわりの花だ。

 エレナは笑顔でジェイクを振り返る。近くの木に背中を預けて見守っていたジェイクは、背中を木から離すと、

「合格だな、魔力の無駄もない。……お前、案外素質だけならディールよりもあるぞ」

 嬉しそうに、エレナが笑う。その笑みを見つめて、ふと、ジェイクはポケットから銀色の懐中時計を取り出した。腕時計が苦手なジェイクは、いつも懐中時計を持ち歩いている。

「……悪いな、そろそろ俺が時間だ。帰ろう」

 ジェイクの言葉に、エレナが小さく首をかしげる。ジェイクは木々の隙間から覗く青い空を見上げて、一言。

「……待ってる奴が、いるんでな」

 風が通り抜ける。夏の近づいた初夏の風が、二人の足元をくぐり抜け、木々を揺らした。どこか湿った風の匂いがする。夏の香りだ。

「……行こう」

 ジェイクがやや声を落として言った。エレナはただ、黙って頷く。植木鉢を抱えると、エレナはジェイクの背中を追いかけるようにして走った。



 涼やかなベルの音が、来客を告げる。やや乱暴に開かれたドアに、一斉に視線が集中した。

「邪魔すんぞ」

「お邪魔します」

 ドアの前に立っていたのは、人相の悪い大柄な男と、柔和な笑みを浮かべる青年。リカードは笑顔を浮かべると、

「ロベルトくんとミロくん。いらっしゃい」

 ロベルトは何も言わずにカウンターに座る。ミロは苦笑してお辞儀すると、ロベルトに続くようにしてカウンターに座った。

「あれ、ロベルトじゃん」

 そう声を上げたのは、店の奥からやってきたロイドだ。ロイドの姿に、ロベルトは心底嫌そうな顔をした。

「あれ……知り合いですか?」

 フレットが二人を見比べる。

 よく見れば、二人はよく似た顔つきをしていた。深海のような瑠璃色の瞳に、やや白髪の混じった髪。ロベルトの方が目付きが悪いが、やや似ている。

「二人は親戚同士なんだよ。ロベルトくんが、ロイドの弟分かな?」

 その言葉に、ロベルトは小さく舌打ちをする。リカードは苦笑すると、追い打ちをかけるように。

「仲良しなんだよ」

 ロベルトがリカードを睨みつける。リカードは気にしていない様子で、「二人ともコーヒーでいいかな」と声をかけた。ミロが頷く。

「今日はどうしたの?」

 リカードが聞く。ミロは資料を取り出して話をしようとして、その前にロベルトが口を開いた。

「お前等、魔術書に関わっただろ」

 リカードが目を見開く。フレットが驚いたように、「どうしてそれを」と呟いた。

 魔術書――――おそらく先日の、メラゾーゼフの魔獣図鑑だ。しかしその件は政府軍とカワセミ団しか知らない情報のはずだった。

「こっちには、有能な情報屋がついてるんでな」

 運ばれてきたコーヒーカップを手に取りながら、ロベルトは言う。湯気の立つコーヒーを一口嚥下し、カップを置いた。

「そのメラゾーマだかいうやつの魔術書だが」

「メラゾーゼフです、ロベルトさん」

 ロベルトの言い間違いに、ミロが素早くつっこむ。遠くの方で誰かが「それロイドさんも同じ間違いしましたよね」と言うと、ロベルトの眉間の皺が深くなった。ミロが苦笑する。

「……その魔術書だが、お前等とんでもねえもんに巻き込まれたと思っていい」

 リカードが「どういう意味かな」と聞き返す。ミロは資料を手繰り寄せながら、

「メラゾーゼフの魔獣図鑑。その魔術書と、対になる魔術書が存在するんです」

 資料をカウンターに置く。リカードはその資料を一目見て、目を見開いた。

「存在自体は何の関係もない魔術書です。ですが、二つ合わせると……魔術兵器を起動させる鍵となる」

 資料に書かれた魔術書に、リカードは見覚えがあった。ほぼ毎日見ていると言っても過言ではない。

 よく使い込まれ、分厚く大きな魔術書。古びて茶けた装丁。それでもボロボロにはならず、丁寧に使われていた。

「ソーエスティアの『契約の魔術書』……契約することで、魔術媒介になる魔術書」

 リカードは、小さく呟いた。

「……ジェイクくんの、魔術書だ」

 それはジェイクの持つ魔術書だった。ロイドが目を見開く。ロベルトはあたりを見回すと、

「……ジェイクはどこだ」

 店内に、ジェイクの姿はない。フレットが口を開こうとした時、再びドアのベルが鳴り響いた。全員の視線がそちらに集まる。そこには、エレナの姿。

「エレナちゃん、ジェイクは?」

 フレットが聞いた。エレナの側にジェイクはいない。エレナは「えっと」と口を開くと、

「ジェイクさん、病院に行くって」

「病院?」

 フレットが聞き返す。その奥で「ああ」と声を上げたのは、カイルだった。カウンターの奥では、ディールが瞳を伏せている。

「そっか、もうそんな時期なんだね」

 店内に飾られたカレンダーを見て、カイルが言う。フレットが問う前に、カイルは苦笑って、

「お見舞いじゃないかな。……彼の、弟の」

 いつも笑顔を浮かべているカイルの表情が、やや曇る。カイルは笑顔を表情から消して、窓の外を見た。

 暑くなり始めた初夏の中、カイルは思い出していた。冷たく寒い、青い氷を。



 真っ白な壁に囲まれた場所を、ジェイクは早足で進んでいく。横を通りすぎるのはパジャマ姿の人々と、真っ白な白衣に身を包んだ人物。

 ステイラ第二病院。そこに、ジェイクはいた。左手には青色のラッピングがされた、小さな花束が握られている。三階の一番奥に存在する病室に足を踏み入れると、その枕元に置いてある花瓶を手に取った。

 萎れた花を取って、今持ってきた花束を新しく花瓶に行ける。それはトゲの綺麗にとられた、真っ白な薔薇の花だった。

 古い花を適当にゴミ箱に捨てて、ジェイクはベッドに横たわるその姿を見下ろす。白いシーツに溶けこんでしまいそうなほど、病的に白い肌。枕に広がる髪は、ジェイクと同じ冴えた月の銀。

 ジェイクはベッドの側に置いてある椅子に腰掛けて、ベッドの中のその人物の頬に触れた。生きていることを疑いたくなるほどの冷たさを、指先に伝えてくる。

 ベッドの中に横たわるその人物は、ジェイクと同じ顔をしていた。整った顔、それを縁取る銀色の髪。切れ長の瞳は固く閉じられ、形の良い唇は引き結ばれている。

 布団の中から出た腕は細く、ベッドの中で過ごしている期間が長いことを物語っている。ジェイクはその腕を指でなぞり、手を握った。

 病室の外に掲げられたプレートには、名前が刻まれている。

『ジーク・アークライト』

 ジェイクの双子の弟、ジーク。

 彼は十年前の『あの日』から、一度も目を覚ましたことがない。



「ジェイクさんには、双子の弟がいまして。ジークさんって言うんですけど……」

 ディールは苦笑いながら、磨いたグラスをカウンターに置く。澄んだ透明な光が、木目の美しいカウンターに散らばった。

「一度に大量の魔力を失ったことによるショックで、今も眠りについていて……意識が戻るかどうかも、今はわからないそうです」

 カイルが目を伏せながら笑った。その表情に、フレットが気づく。

「そういえば……ディールとカイルは、ジェイクと同じ魔術学校の出身だったっけ」

 フレットの言葉に、ディールとカイルが頷く。イスギートの山奥にある「オスフィル魔術学院」に通っていた三人は殆ど幼馴染のようなもので、昔から仲が良かった。ギルドに入ってきた頃から。

「そういえば俺……ジェイクがなんでここに来たのかも、まだ聞いてない」

 小さく呟く。

 ジェイクは過去を語りたがらなかった。その過去に何か暗いものを背負っているようだったが、フレットは何も知らない。フレットは一人、表情を曇らせた。

「……まあいい。ラークもいねえのか」

 カウンターで、ロベルトが言った。

 店内には、ラークの姿もなかった。リカードが首をかしげながら、「たしかにそうですね」と呟く。

「そういえば、朝から姿を見てない気がする」

「そうですね……ラークさん、いつもこの位の時間にはいるのに」

 壁にかけられた時計を見て、ディールが言う。ロベルトは舌打ちすると、

「魔術に詳しい奴、ほかにいねえのか」

「僕も魔術師だけど?」

 カイルが言うと、ロベルトが心底嫌そうな顔をした。

「……ねえ、なんでみんなそんな顔するの?」

 カイルが少ししょんぼりしたような顔で言う。フレットが冷徹に「カイルだからだろ」と言い放った。真顔で。

 ロベルトは溜息を吐くと、コートのポケットから煙草のパッケージを取り出した。シガレットを口に咥え、ジッポーライターで火をつける。リカードがその側に灰皿を置いた。

「……で、その契約の魔術書と魔獣図鑑。接点はなんだい?」

 カウンターに座りなおしてカイルが言う。ロベルトは露骨にそれを避けながらミロを見た。ミロは資料を見ると、

「……特別なつながりはないようです。ただ、二つの魔術書の魔術式が似ているようなんです」

 へえ。カイルが瞳に鋭い光を宿らせながら声を漏らした。

 カイルは普段浮ついているように見えるが、これでもオスフィル魔術学院をトップクラスの成績で卒業している魔術師だ。魔術の腕と知識は高い。

「そういえば、メラゾーゼフとソーエスティアは友人同士だったっけ。魔術式が似ていても、不思議ではないね」

「はい。……そうなんですけど」

 資料を見つめて、ミロはどう言うべきか迷うように口を紡ぐ。カイルは少し首をかしげた。

「……契約の魔術書の魔術式も不完全で、魔獣図鑑の魔術式も不完全なんです。そして、二つを合わせると完璧に完成する。……それを、鍵に使ったようなんです」

「二つ合わせると、別の魔術が完成するってこと?」

 ミロは頷く。カイルは口元に指を当てると、何かを考えるように瞳を伏せた。



 エレベーターが、幽かな音を立てながら下へ下へと降りていく。その階数はすでに、地下五十階を超えていた。

 エレベーターに乗っているのは二人。一人はダークグレーの軍服に身を包んだ軍人……サイラスだ。もう一人はベージュ色のスーツジャケットを羽織った金髪金目の男、ラーク。

「今更こんな場所に呼び出して、何の用だ?」

 ラークは溜息混じりにサイラスに言う。サイラスは笑いながら「そんなこと言うなよ」と小さく言った。

「俺とお前の仲じゃんかよぉ」

「……そうだがな」

 ラークは居心地の悪そうにエレベータの階数表示を見る。

 現在二人がいるのは、ステイラの地下中心部。クリスタルにほど近い場所だ。エレベーターは地下五十六階を示してようやく止まり、その扉を開いた。

「ちょっとお前にしか頼めないことがあるんだよ。機密事項中の機密事項だから、こないだみたいにギルドに頼みにも行けねえし」

 エレベーターを出て、サイラスは先導するように前を歩く。だがラークにとって、道案内は不要だった。

 向かっているのは、五十六階の中心部にあるエリアだ。サイラスはある部屋の前で止まり、扉の横にあるパネルを開いた。そこには数字の並べられたパネルがあり、それを押そうとして、サイラスは手を止めた。

「あれ……なんだっけ、パス」

「0619」

 後ろから、ラークが言う。「ああ、それだ!」とサイラスが思い出すように言ってパネルに数字を入力していった。パネルはパスコードを認識し、扉のロックを外す。

「まだ覚えてんだ」

「……まあな」

 目を逸らしながら、ラークは言う。サイラスが扉の中に入ると、ラークはややためらいながら同じように扉の中へと足を踏み入れた。

 そこには、大きな機械が置いてあった。金属のパイプやゴムでできた管が幾重にも重なりあい、複雑な形をしている。本来隠されるべき機械の中心部が、隠されずにそのまま晒されているようだ。

 ラークはその機械を何処か懐かしそうに見てから……瞳を見開いた。

「待て……何故、こいつは」

 サイラスは溜息を吐いた。

「ああ。……起動されかけてるんだよ、こいつ」

 何故。小さく、ラークが呟く。そして、はっとしたように言った。

「こないだの、魔術書か……っ」

 サイラスは頷くと、その機械に近寄った。天井にまで届くその機械を見上げて、瞳をしかめる。

「こいつを……止めなきゃいけねえと思ってるよ。だから、お前の力が必要なんだ」

 ラークをまっすぐに見つめる。ラークはその視線を受け止めながら、苦々しい表情をした。

「ステイラ魔術研究局2代目局長。……ラーク・セスターさんよ」

 ラークはしばらく苦々しい表情を保ったあと、切なげに笑った。因果か。そう、小さく呟いて。



「……ロベルトさんは、何故このギルドにその話を持ちかけたんですか」

 傍で聞いていたフレットが、ふと口を開いた。フレットの真剣な瞳がロベルトを見据える。ロベルトはその翡翠色の瞳を見上げると、睨みつけるように瞳を細めた。

「……ほかに頼める話でもねえ。だからと言ってうちのギルドの手に負える話でもねえ。だがほっとけば……」

 やや強く、コーヒーの入ったカップを置く。かしゃん。静かに、音が響いた。

「ステイラが落ちる」

 沈黙が降りた。

 ステイラが落ちる。それはおそらくそのままだろう。空中都市であるステイラが、落ちる――――。

「……誰かは知らねえ。だが誰かが魔術兵器を動かそうとしてんのは事実だ。間違いねえ。そして、魔術兵器には大量の魔力が使われる。その魔力は……ステイラ地下のクリスタルから引く仕組みになってるらしい」

 今度こそ、全員が言葉を無くした。

 フレットが引きつった表情をする。ロベルトは紫煙を吐き出すと、灰を灰皿の上に落とし、

「正義のヒーローを気取るつもりはねえ。そんなことしたくはねえしな。だが……この街が落ちたら、こっちも迷惑だ」

 フレットはディールを見る。ディールが顔を上げると、

「この街の人口……どのくらいあったっけ」

 ディールは少し考えると、

「……たしか、四十万」

 誰かが「四十万……」と繰り返すように言った。

 四十万の人口を乗せたステイラが落ちたら、イスギートは……いや、世界が混乱に陥るだろう。だが、その前に。

「その誰かは、何故魔術兵器を?」

 ロベルトは「知るかんなこと」と一蹴する。苛立ったようにカウンターに肘をつくと、シガレットを口に咥えた。

「だが、ジェイクには気をつけるように言っとけ。次狙われるとしたら、あいつの――――」

 ロベルトが言い終わらないうちに、ドアのベルが鳴り響いた。乱暴に開け放たれたドアが揺れる。ベルが、狂ったように鳴り響いていた。

 ロベルトは、いや、店の中にいた全員がその様に目を奪われていた。フレットが、焦ったようにドアに駆け寄る。

「ジェイク!!」

 そこには、ジェイクがいた。漆黒のコートは破れ、その下の白いシャツにはべっとりと赤い血糊が付いている。口の端から、赤い血が滴っていた。

 ジェイクはフレットを見ると、その膝を力なく折った。フレットが慌ててその細い体を抱きとめる。いったい何が。そう呟きながら、フレットはジェイクの姿を見て――――絶句した。

「ジェイク、本が……」

 ジェイクは苦しそうな表情をしながら、頷く。

「悪い……奪われた」

 ジェイクの腰に吊られた、本を留めていた金具。

 そこにいつもある本……契約の魔術書は、どこにもなかった。





 白い壁に囲まれた廊下を、ラークは駆け抜けていた。廊下を走らないでと声をかけられても、耳に入っている様子はない。ラークは伝えられた通りの部屋のドアを開けると、

「っ、ジェイクは!?」

 病室には数人と、ベッドにジェイクが横たわっていた。病室にいるのは、フレット、ロイド、エレナ、カイル。そして、ロベルトとミロだ。

「ラークさん……」

 ベッドの側で、フレットが顔を上げる。ロイドの側ではエレナが不安そうにジェイクを見ていた。ジェイクは双眸を固く閉じ、眠っている。微かに胸が上下しているから、本当にただ眠っているだけのようだ。

「いったい、何が」

「魔術書が奪われた。契約の魔術書だ」

 ラークの問いに、ほぼ即答でロベルトが答えた。ラークがロベルトを見る。ロベルトはただ、睨むような目つきでラークを見下ろした。

「意味はわかってんだろ」

「何の、話だ」

 ロベルトはラークに近寄る。そしてその右の拳を固めると、勢い良く拳をラークに向けて振り下ろした。

 拳はラークの左頬にめり込み、ラークを壁まで吹き飛ばす。鈍い音が響き渡った。

「おい、ロベルト!!」

 ロイドが慌てたようにロベルトに駆け寄る。ロベルトはそのままラークの胸倉をつかみ上げて、怒鳴り散らした。

「てめえが全部の原因だろうが!! ステイラ魔術研究局2代目局長、ラーク・セスター!!」

 ロイドの足が止まった。

 病室内の時が一瞬だけ、止まったように思われた。ラークは困惑した表情で、ロベルトの表情を見つめる。ロベルトはラークを乱暴に離し床に叩きつけると、

「全部話せ。てめえが知ってること、全部だ!」

 床に倒れ込んだまま、ラークは少しだけ呆然とする。そしてその口元を、笑みの形に歪めた。今にも泣いてしまいそうな笑みだった。


 許してくれと、彼は呟いた。



 ラークは軍人の息子だった。

 父親は厳格な軍人で、ラークに軍に入ることを強制した。結局ラークが選んだのは魔術研究局だったが、それもステイラ政府軍の傘下に置ける組織だ。ラークの父親はそれを認め、ラークは研究局の研究者となった。二十四歳の頃だった。

「当時は、本当にただ純粋に、魔術の研究だけをしたかったんだ。それだけできていれば十分だった。その頃同じ研究局で働いていた女性と結婚したし……そのままその日々が続けばいいと思っていた」

 だが、と、ラークは言う。

 始まってしまったのだ。カルマ帝国との戦争が。

 当然魔術研究局にも命令が下った。一人でも多くの人を殺すための魔術兵器を作れ。当時戦争一色に染まっていた国の中では、従うしかなかった。

 その時、軍の上層部が見つけてしまったのは、誰かが昔研究していた魔術の一部……それが、メラゾーゼフとソーエスティアの魔術書だった。

 二つの魔術書に組み込まれた魔術式を組み合わせれば、全く別の魔術書を作るための魔術式になる。それに気付いたのは戦時中だった。その魔術書に乗せられた魔術は、破壊の魔術。魔力を圧縮し、膨大なエネルギーを生み出す魔術。当時ラークはそれを危険な魔術と判断したのだが、上層部にバレてしまった。上層部はその魔術書を基板として、魔術兵器を作れとの命令を下した。そうして出来上がったのが――――魔術兵器、『ソル』だった。

「ソルの構造は比較的簡単だ。魔術書の魔術式を組み込んで、魔力を加えてやれば起動できる。後は勝手にクリスタルの魔力を吸い込んで、圧縮し、高濃度の魔力波を撃ち出す……それだけの仕組みだ」

 だが。と、カイルは言う。

「機械に魔術を乗せる…………その方法を考えだしたのは、君だったんだね?」

 ラークはカイルを見上げると、静かに頷いた。

 現在における『現代魔術』を生み出したのは、ラークだった。魔術兵器を作るにあたり、現代魔術の開発は必須条件だった。創り出した現代魔術に、古代に作られた破壊の魔術を乗せ、魔術兵器を作り出す――――今考えれば、なんと恐ろしいことをしたのだろう。

 結果、魔術兵器はイスギートに勝利を導いた。カルマ帝国は魔術兵器『ソル』により大きな傷跡を残され、現在でもあまり復興が進んではいない。魔術兵器は、復興するための力も根刮ぎ削いでしまった。

「初めの一発を撃った時、俺はとんでもないものを作ってしまったと改めて思った。今でも覚えている。燃えていく景色と、上がっていく黒煙を……」

 それは地獄絵図を見ているような気分だった。先ほどまであった街が跡形もなく消え、炎の中に沈んでいく。遠い彼方の地まで、人々の悲鳴が聞こえてくるようだった。

「……さっき、久々にソルを見てきた」

 ラークは小さく呟く。ロベルトの目が、やや見開かれた。

「魔術式の一部が、組み込まれていたよ……おそらく、メラゾーゼフの『魔獣図鑑』の魔術式だろう。起動しかかっていた」

 誰かが息を飲んだ。魔術兵器が起動しかかっている――――それに恐怖を覚えない者はいない。

「……魔術兵器は、暴走したって聞いたよ。たしか」

 カイルは小さく言う。ラークはただ、頷いた。

「魔術兵器は、不完全だったんだ。完璧に完成する前に、上層部はそれを使った。……何発も撃てば、そりゃ暴発もする。俺はその時、近くにいた」

 言って、ラークは自身の右足を強く掴んだ。くしゃりと、スラックスが歪む。

 ロベルトはラークに再び近寄ると、ラークの右足のスラックスを強引に捲し上げた。

「っ、それは」

 フレットが声を上げる。

 スラックスの下にあったのは、病室の照明を受けて照り返す金属だった。金属で出来た、足だった。

「右足は……魔術兵器の暴発でふっとばされたよ。同時に、俺の妻もふっとばされた。……跡形もなくな」

 ラークはそれきり口を閉ざした。病室に、沈黙が降りる。だがその沈黙は、長くは続かなかった。

 ゆっくりと、ラークは立ち上がった。そしてそのまま、病室を出ていこうとする。

「どこに行くんだ」

 ロイドがラークの肩を掴んだ。ラークは振り向かず、

「……アレを壊すパスコードは、俺が持っている。もう二度と、繰り返しちゃいけない……俺が、アレを壊さなきやいけないんだ」

 ラークの声は震えていた。微かに湿っぽい声。だがラークは泣いてはいなかった。泣いてはいないが、泣いていた。

「もう、あの火柱は見たくない……っ」

 悲痛な叫びが、病室内に響く。ロイドの指先から、思わず力が抜けた。ラークが扉に手をかける。だが、その時。

「……魔術兵器は、起動しない」

 掠れた声が耳に届いた。

 はっとして、ラークが振り返る。全員が声の聞こえた方向……ベッドを見ていた。

「ジェイク!」

 フレットがジェイクの顔を覗きこむ。ジェイクの瞳がゆっくりと開き、フレットを見た。

「起動しないって、どういうこと?」

 カイルが問う。ジェイクはベッドに肘をつくと、ゆっくりと起き上がった。

「ジェイク、起き上がっちゃ」

「話しづらい。少し、手を貸せ」

 フレットを見て、ジェイクは言う。フレットはやや迷った後、ジェイクの背に手を回し、起き上がるのを手助けた。

 ベッドの柵に背を預けて、ジェイクは息を付く。そして、口を開いた。

「アレは契約者以外の言うことは聞かない魔術書だ。俺はあの魔術書と契約を交わしている。だから、魔術式もそう簡単には引き出せないはずだ」

 だが、とラークは言う。

「だが、俺はたしかにあの魔術書から魔術式を引き出した」

「おそらく――――お前が使ったのは写本だったんじゃないか?」

 写本。ラークが小さく呟く。

 写本とは、魔術書の魔術式をそっくりそのまま白紙の魔術書に組み込んだものを言う。一種のレプリカのようなものだ。だが魔術書によっては、写本をすると魔術の精度が劣ってしまうものもある。契約の魔術書も、その中の一つだった。

「そうか……だから、魔術兵器も不完全になってしまったんだ」

 カイルが言う。ジェイクは頷いた。

「というか、ジェイクいつから起きてたんだ」

「……てめえのせいだろ、の件から」

 最初からじゃないか。フレットはやや呆れたような顔をして言う。「起きれる雰囲気でもなかっただろ」と溜息をつくと、

「何をするにもまず、情報の共有を最優先にするべきだろう。落ち着けそこのおっさんども」

 ラークとロベルトを見ながら、ジェイクは言う。ラークはばつの悪そうに目を逸し、ロベルトは小さく舌打ちをした。

「まず最初に……ローボは何故、魔術兵器が起動されようとしていると知ったんだ」

 それがわからない。そう、ジェイクは言う。ロベルトがミロを見ると、ミロは頷いて語りだした。

「投書があったんです。ローボのポストに、しわくちゃの紙で」

 言って、ミロはポケットから一枚の紙を取り出した。しわくちゃな紙は、何かの切れ端のようだった。乱雑で読みづらい文字で、たしかにそれは書いてある。

『まじゅつへいきがふっかつさせられる。あぶない。とめて』

 幼い子供が書いたような簡素な文。だがそれは、はっきりとした意味を込めていた。

「調べてみたら、ステイラ第一図書館からメラゾーゼフの魔術書が盗まれたという情報が入って……そして、魔術兵器の構造についても、情報が」

「そんな情報、一体誰が」

 ラークはやや驚いた顔をしながら言う。その問いに答えたのは、ロベルトだった。

「うちで持ってる情報屋の腕が良くてな、政府軍とも内通してるらしい。そういう情報はかなり持ってる」

 性格に難有りだがな。そうロベルトは付け加える。「いやお前が言うなよ」とロイドは言いかけて、口を閉ざした。今は空気を壊すべきではない。

「ジェイク。君を襲ったのはどんなやつかわかるかい?」

 カイルが聞く。ジェイクは前髪をかきあげると、

「三人組だった。一人は腕の立つ魔術師だ。骨で出来た杖を持っていた。おそらく竜杖だろう。そしてあと二人が……十四、五歳の少年だった」

 少年? とフレットが聞き返す。ジェイクは頷いた。

「魔術師の方はフードで顔を隠していたからわからなかった。だが少年の方は黒髪黒目だったな。一人は適当に切ったようなざっくばらんな髪をしていた。もう一人は、前髪をヘアゴムであげていた」

「そんな子供が、なんで」

 フレットの言葉に、ジェイクは「わからない」と言うように首を振った。

「まあ今は、犯人の動機についてはわからないね。なんせ話をしなきゃ、そんなのわからないもの」

 肩を竦めて、カイルは首を振る。「そうだな」とロイドは言って……ふと、何かを思い出したように首をかしげた。

「あれ、でも……メラゾーマ……じゃなかった。メラゾーゼフ、だっけ? の魔獣図鑑ってやつは見つかって、犯人も捕まったんじゃなかったっけか」

「それなんですけど」

 ロイドの疑問に、ミロが答えた。

「その件で捕まった犯人からは、何の供述も得られてないんです。いつの間にか本は持っていた、何も覚えていない……と」

「魔術か」

 ミロの言葉に、ジェイクが言った。「おそらく」と、ミロも頷く。

「じゃあ、なんで魔獣図鑑を返しちまったんだよ。持ってりゃいいんじゃ」

「おそらくだが……」

 ラークが口を開いた。

「魔獣図鑑にはサラマンダーがいなかった。おそらく、何らかの形で逃げ出してしまったんだと思う。それでは不完全になってしまうから……写本を作ったんだ」

 写本は本物の魔術書とリンクするようになっている。本物の魔術書にサラマンダーがいなければ、写本にもいない。だが本物の魔術書にサラマンダーが戻れば……写本にも戻る。

「つまり俺達は……」

「あんな苦労しておきながら、まんまと利用されたんだ」

 フレットの言葉に、やや苛ついたように溜息を吐いてジェイクが言う。「なんてこったい」とカイルが再び肩をすくめた。

「……それで、どうやって犯人探すんだい?」

 カイルがミロを見て言う。ミロは先ほどのしわくちゃの投書を見せて、

「これに、微かにですが魔力を感じました。おそらく、書いた人の魔力だと思います。……手がかりになるかもしれません。僕じゃ辿れないので……」

「……ララに頼むか」

 ラークの言葉に、ミロが「お願いします」とお辞儀した。ラークはその紙を受け取ると、

「……自分でやったことの後始末くらい、自分で付けないとな」

 やや影の差す笑みで、ラークは言う。そして。

「俺はギルドに戻ってこれをララに渡す。お前等はどうするんだ」

「僕もギルドに戻って、人員を集めます」

 ラークの言葉に、ミロがそう返した。ロベルトは何も言わない。ミロと一緒にギルドに戻るのだろう。

「俺も一緒に戻るよ。フレットとカイルはどうする?」

 ロイドは二人を見て言うと、

「僕はここにいるよ。契約の魔術書はジェイクの言うことしか聞かないんだろ? またジェイクが襲われてもおかしくないからね。護衛ってことで」

 ジェイクはやや嫌そうな顔をしたが、何も言わない。

「……俺は戻るよ。これでも、カワセミ団のリーダー代理だから。……みんなを纏めなきゃ」

 任せていいか。カイルを見て、フレットは言う。カイルはにっこりと笑うと、「もちろん」と右手を振った。

「エレナはどうする」

「エレナちゃんはロイドさんと一緒にいて」

 ロイドの問いに答えたのは、カイルだった。

「ここにいても、危ないことしかないからね。さすがに僕も、二人守りながら戦闘はきついかな」

 苦笑してエレナを見る。エレナは不安そうにジェイクを見てから、小さく頷いた。

「じゃあ、決まりかな。解散ってことで」

 何故かカイルが言うと、それぞれが動き出した。カイルとジェイク以外の全員が、病室を出て行く。

「エレナ」

 その中のエレナを、ジェイクが呼んだ。

「ジェイクさん?」

「悪い、少しでいい。エレナと話がしたい」

 フレットも少し残ってくれ。そう言って、ジェイクはカイルとロイドを見る。カイルは何かを察したように病室から出た。ロイドは疑問を露骨に顔に出しながら二人を見比べる。

「ロイド、君もちょっとお邪魔かも」

 カイルはロイドの腕を引いて、病室から出ることを促す。腑に落ちない顔をしながら、ロイドはカイルに連れられて病室を出た。

「……どうしたの?」

 ベッドの側で、エレナがジェイクを見上げる。ジェイクはフレットを見ると、

「俺のコートのポケットから、細長い箱のようなものと、ペンを出してくれないか。入ってるはずだ」

 フレットは壁にかけられたジェイクのコートから、言われたとおりにそれを出した。チョコレート色の細長い箱と、ジェイクがいつも使っている万年筆だ。ジェイクはそれを受け取ると、箱の留め金を外して蓋を開けた。

 その中に入っていたのは、カードの束だった。魔術陣が青いインクで刻まれている。ジェイクはフレットから受け取った万年筆をエレナに渡した。

「蓋の裏に、自分の名前を書け」

 ジェイクの言葉に、エレナがきょとんと瞳を見開く。だが言われたとおり、ジェイクの万年筆で、自分の名前を蓋の裏に刻んだ。

 エレナ・ストックリー。そう刻んだ瞬間、箱の中のカードが光り輝いた。一枚一枚が箱から飛び出し、エレナの周りを取り囲む。

「じぇ、ジェイクさんこれはっ」

「魔術が組み込まれたカードだ。……一枚一枚、違う精霊が封印されている」

 エレナは自分の周りを回っていくカードを見つめた。カードの裏側には魔術陣が、表側にはそれぞれ違う絵柄が描かれていることがわかる。

「ジェイク、お前もしかしてこれ……」

 フレットはつい先日までのことを思い出しながら、呟くように言った。

 最近ジェイクの外出が多かった。クエストをこなしているような素振りはないのに。髪が焦げていたり、服の端が凍っていたり……。

 ジェイクはこのカードを作るために、精霊のいる場所までわざわざ出向いていたのだ。そして、このカードを完成させた。

 カードはぐるぐるとエレナの周りを回ると、箱の中に自ら収まった。エレナはしばらくそれを見つめてから蓋を丁寧に閉め、留め金をかける。

「予定よりも早かったが……こういう状況になったからな。早めに渡しておく」

 ジェイクは箱にそっと手を置く。そして、そのまま箱を持つエレナの手をそっと握った。

「使い方はカードが教えてくれるはずだ。だがこれだけは覚えておけ」

 真剣に、ジェイクはエレナを見つめる。エレナはその瞳を同じように真剣に見つめ返した。

「これはお前の身を守るための道具だ。それ以上でも、それ以下でもない。だが使い方によっては危険な兵器にもなる。……よく考えて使え」

 ジェイクの言葉に、エレナはしっかりと頷いた。栗色の髪が、ふわりと揺れる。

「……それでいい。ロイドと一緒にギルドに戻れ」

 そっと手を離して、ジェイクは言う。エレナは再び頷くと、駆け足で病室を出た。

「……っ」

 ジェイクはそれを見届けてから、痛みに顔をしかめた。フレットは慌ててジェイクに駆け寄ると、背中に手を置く。

「少し……喋りすぎたか」

「無茶しすぎだ。怪我してるんだからな」

 ベッドに横になるのを手助けしながら、フレットは言う。その表情に、ジェイクは一瞬だけ口元を歪ませた。苦笑だった。

「……全部、終わったら」

「……?」

 フレットが口を開く。ジェイクは小さく首をかしげた。

「全部終わったら、聞かせてくれ。……ジェイクのこと。ジェイクが昔どんな子供だったのかとか、全部」

 フレットの瞳には、どこか悲しげな色が浮かんでいた。その瞳に、ジェイクは何も言えなくなる。ただジェイクは、小さく頷いた。

「絶対、だからな」

「ああ。……絶対だ」

 その言葉に、フレットは少し満足したような表情になる。そして無理矢理笑顔を作ると、

「行ってくるな」

 言って、フレットは踵を返して病室から出て行く。入れ替わりで入ってきたカイルが、ジェイクの側へと歩み寄った。

「……いいの? あんな約束して」

「……盗み聞きしてたのか」

 ジェイクが睨みつけると、カイルは苦笑して「やだなあ」と首を振った。

「でもまあ、フレットにそろそろ教えてやってもいいんじゃない? ……十年前に、何があったのかをさ」

 ジェイクは天井をじっと見つめて、息を吐いた。長く、そして深く。

「……そうだな」

 ジェイクはただ一言、そう言った。


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