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天空のマーギアー  作者: 才原たつき
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火の竜と魔術書

 真っ暗闇の中、懐中電灯の光が部分的に闇を照らしていく。無機質な光が浮かび上がらせるのは、平坦に続いていく大理石のタイルだ。無音の中、あくびの声が微かに響いた。

「……深夜に図書館の見回りなんざ、面倒だなあ」

 誰にともなく、男は呟いた。男はダークブルーの制服を身に纏っており、闇の中を見つめる瞳は眠そうに細められている。

 ステイラ第一図書館には、二万を超える蔵書がある。その中の半数は魔術書であり、中には古来より危険とされている魔術書――「禁書」と呼ばれるものもあった。この男はその禁書の見回りをする警備員だ。

 連続して出てこようとするあくびを噛み殺しながら、男は進んでいく。そもそも魔術の知識がない彼にとって、禁書にどのような意味があるのかはさっぱりだった。盗まれると危険、ということまではわかるが、どう危険なのかは皆目検討もつかない。それ故緊張感が出ず、いつも深夜見回りは気が抜けてしまう。幸い今までは何もなかったため、見落としをしたこともなかったのだが。

 噛み殺しそこねた三回目のあくびが、口から漏れる。目を細めて、光で照らされた地面から目を逸らした瞬間、彼の革靴の先が何かを蹴り飛ばした。

 からん。

 やや重い金属音が響く。男は吐き出していた息を飲み込んで、音が消えた方向に目を向けた。

 闇の中、窓からこぼれる僅かな光を反射して、何かが小さく光っている。右手に持った懐中電灯をそれに向けると、そこには。

「……鍵?」

 やや錆びついた、金色の錠前が転がっていた。

 錠前には番号が刻まれており、部屋番号を示している。その錠前に刻まれた数字は、十三――――禁書が眠っている、第十三書庫の錠前だ。

 男は一瞬きょとんとしてから、身体の血の気が一気に引いていくのを感じた。

 十三書庫の錠前がこんなところに転がっている。そのことが示す意味は、男の頭でも容易に理解することができた。

 男は咄嗟に走り出すと、十三書庫の扉を見た。案の定、扉の錠前は外れている。

 魔術で守っているんじゃなかったのか。そう思いながら、男は扉をしばらく見つめる。そして、意を決したように、扉を開け放った。

「誰かいるのか!!」

 やや上ずった声が、暗闇の中に響いていく。

 部屋の中は大きな本棚がいっぱいに詰め込まれており、整然と並べられている。男はあたりを懐中電灯で照らしながら、部屋の中に踏み込んだ。

「誰かいるんだろう!!」

 心臓の音が、やけに煩く高鳴っている。相変わらず闇の中から返事はなく、静寂のみが耳に届いていた。

 革靴が床を打つ。固い足音が数度響いて、止まった。

 懐中電灯が、その惨状を照らしだす。そこには。

 無残にも、床に散らばった本。

 時折光り輝いているのは、魔術が無理矢理解かれた痕だろうか。

 その光景に、男は今度こそ弾かれたように走り出したのだった。






 涼やかに鳴り響くのは、ドアに取り付けられたベル。

 チョコレート色のドアから現れたのは、漆黒のコートに身を包んだ男……ジェイクだ。ジェイクは迷いなく店内を進んでいくと、いつもの場所……店の一番奥のテーブル席に座った。

「おかえり、ジェイク」

 ジェイクに気付いたのは、翠のリボンで髪をくくった青年、フレットだった。やや癖の強い髪が、ふわりと揺れる。ジェイクはフレットを見ると、返事の代わりに左手を軽く振った。

「どこに行ってたの?」

「少し」

 フレットの言葉に、短く返す。フレットは苦笑すると、ジェイクの銀髪をそっと指で摘んだ。

「髪の毛、ちょっと焦げてるよ?」

「……」

 ジェイクは決まりが悪そうに、フレットから顔を逸らす。フレットはジェイクの隣に腰を落ち着けると、焦げた銀髪をそっと指の腹でなでた。

「せっかく綺麗な髪なのに」

「そこまで執着心はない。女じゃあるまいし」

「……それ、皮肉?」

 引きつった笑みで聞くフレットに、「勝手にそう思ってろ」と素っ気無く返す。フレットは自分の髪を指で梳くと、

「どうせ、俺の髪はくるんくるんだよ」

 と唇を尖らせた。

 フレットの髪は星屑のような銀髪だが、ジェイクの髪と違ってやや色が濃く、髪の癖も強い。跳ねる髪をごまかすようにリボンでポニーテールにくくっており、フレットは不機嫌そうな面持ちでくくった髪を掴んだ。

 一方、ジェイクの髪は冴えた月のような銀髪で、どちらかと言えば白髪に近い。流れるような髪はどこまでも真っ直ぐで、僅かな風でさらさらと揺れた。指でそっと触れると、清流を指で掬ったような、心地良い感触を指に伝えてくる。フレットが望んでやまない、さらさらの髪。

「いいよなあ、ジェイクは。こんなさらさらで」

 呟きながら、フレットはジェイクの髪で遊んでいる。三つ編みに編んでも、編んだそばからほどけていくのだ。女性なら刺し殺したくなるほどだろう。

 ジェイクは溜息を吐きながらその様子を片目で見ている。が、すぐにフレットから目を離すと、

「……どうした」

 彼の目の前には、栗色の髪をおさげに結った少女――――エレナがいた。エレナはジェイクを見上げると、真剣な面持ちを見せる。キャラメルブラウンの瞳が、ジェイクを見つめていた。

「ジェイクさん、フレットさん。あのね」

 どこか緊張しているような面持ちだ。そう、フレットは思う。ジェイクもそう感じ取ったのか、エレナに椅子を引いて座ることを促した。だが、エレナは座ろうとはしない。

「……あたし」

 意を決したように、エレナは口を開く。桃色の小さな唇が、言葉を紡いだ。

「カワセミ団に入りたい」

 ジェイクの瞳が僅かに見開かれたのを、フレットは見逃さなかった。



 現在、エレナの父親であるロイドはカワセミ団に復帰し、クエストをこなしに外に出ている。

 ギルドのメンバーは度々入ってくる依頼、「クエスト」をこなし、報酬金や報酬品を得て生活をしている。ロイドもまた、そうやって生計を立てていた。

 ロイドは「エレナに心配をかけたくない」と危険なクエストを避けて、魔術具の素材集めや下級魔獣の討伐などの比較的簡単なクエストを選んでいる。当然報酬金は下がるが、生活していけないほどではない。だがそれでも、決して裕福ではない。

「お父さんの力に、少しでもなりたくて……」

 そう、エレナは語る。

 エレナの母親はほんの二ヶ月前に亡くなった。心ないギルド、「ワーウルフ」の襲撃によって。

 小さな少女の心の中に生まれた傷は計り知れない。それでも乗り越え笑っているエレナに安心感を覚えていたが、今度の気掛かりはたった一人の家族であるロイドだったようだ。

 簡単と言っても、やはりクエストに危険はつきものだ。再び家族が失われるようなことがあったとき、何もできないのは嫌だ。ならばせめて、ギルドにだけは入りたい。

 小さな少女の震える声が、ジェイクの耳を打った。

「……エレナちゃん」

「ダメだ」

 優しく声をかけようとしたフレットを、ジェイクが鋭く遮った。傷ついたような瞳が、ジェイクを見上げている。ジェイクはため息を吐く。こういうのは性に合わない。そう言いたげに。

「でも」

「お前はギルドに入って、何かできるか」

 ジェイクの言葉に、エレナは俯いた。

 魔術の一つも扱えないのだろうと、ジェイクは思う。今までの立ち振舞からしてそうだ。それは下級のクエストすらまともにこなせない。

「……まずは魔術を覚えるところから始めろ。話はそれからだろう」

 先程までの声よりも、柔らかくなった声で、ジェイクは言う。戸惑ったように見上げるエレナに、フレットがジェイクの代わりに言った。

「教えてくれるんだって。魔術」

 優しい笑みに、エレナはきょとんと瞳を開く。ジェイクはもう一度ため息を吐くと、

「俺よりかは、ラークに教えを請う方がいいと思うんだが……今はあいつもいないからな」

 店内に、ラークの姿はない。ロイドと共にクエストに出ている。

「あの二人はいつも一緒だね」

 そうフレットは笑うと、ジェイクが引いた椅子に座るようエレナをもう一度促した。エレナはようやく椅子に座ると、何かを伺うようにジェイクを見た。

「……魔術を教えるとなると、まずは本か」

 呟いて、カウンターにいる男……ディールに目配せする。ディールはジェイクの視線に気づくと、何かを察したようにカウンターの奥に引っ込んだ。

「本?」

 そう聞き返したのはエレナではなく、フレットだった。

 フレットには、魔術の知識は囓った程度しかない。魔術の素質はあるものの、今まで習ったことはなかった。

 カウンターから出てきたディールが、ジェイクたちに近づいてくる。その手には一冊の本が抱えられていた。

 やや薄い本の表紙には、可愛らしい絵が描かれている。どうやら絵本のようだ。首を傾げるエレナに、ジェイクはその本を開いてみせた。

「これも魔術書の一種だ」

「え」

 思わずエレナは本を覗きこむ。本のページには文字は書かれておらず、可愛らしいうさぎや猫などの絵があるだけだった。

 これが魔術書? そう聞きたげに、エレナはジェイクを見上げる。ジェイクは本のページに触れると、目をやや細めた。

 ふわりと、風が吹いたように、ジェイクの髪が揺れる。その瞬間、本のページに描かれていたうさぎが、動き出した。

「わっ」

 フレットが思わず声を上げた。うさぎはページから飛び出すと、机の上でぴょんぴょんと跳ねだしたのだ。

「魔術書というのは、本に魔術を組み込んだものを指す。これは予め魔術式を組み込み、魔力を送り込むことによって発動する仕組みだ。魔力を送り込むだけでいいが、魔術を使ったことのない人間にとっては、魔術をコントロールすること自体が難しい。よって、こうやって絵本にして、コントロールすることに慣れさせる」

 へえー。そう、エレナとフレットは二人で本を覗きこんだ。

「魔術学校でも、一番最初はこれから始めるんですよ。簡単にできちゃう人もいれば、難しい人もいて」

 笑って、ディールは言う。

「ディールさんは、魔術学校に通ってたの?」

「はい。ジェイクさんもですよ」

 ディールとエレナは、二人でジェイクを見つめた。ジェイクは溜息を吐いて、

「今の御時世、そう珍しくもないだろう」

 そう、目をそらした。

「同じ学校?」

「はい。ジェイクさんは僕の一個上なので、先輩です」

「へえー」

 エレナは二人を見比べて、声を上げる。ジェイクは絵本を閉じると、エレナに押し付けるようにして渡した。

「まずは、これで魔力のコントロールを練習してみろ。あまり根を詰めすぎると疲れるから、ほどほどにな」

 エレナは絵本を大事そうに抱えると、ぱたぱたと何処かへ走って行く。おそらく、エレナの定位置。カウンター席の、リカードの目の前だろう。フレットはその様子を微笑ましそうに見送ると、ふと、気になったことを口にした。

「そういえば、絵本なんてよくあったな」

 ジェイクはその言葉に、溜息を吐く。

「あれ、僕が作ったんですよ」

「えっ」

 微笑むディールを、フレットが意外そうに見つめる。ディールは照れたように笑うと、

「子供をなだめるのに重宝するもので。喜んでくれるんですよね」

 そうなんだ。そう呟きながら、フレットはちらりとジェイクを見る。

「……」

「……なんだ」

 視線に気付いたジェイクが、フレットを見る。フレットは少し恥ずかしそうに、

「……俺もできるかな?」

 カワセミ団リーダー代理、フレット・ヒューズ。

 彼がこよなく愛するものが、甘いスイーツと幼い子供、そしてかわいいぬいぐるみであることを知っている人物は、数少ない。








 再び、ドアに取り付けられたベルが涼やかに鳴り響いた。自然と、フレットとジェイクはそちらに視線を向ける。

 ドアに前にいたのは金髪の男性と、やや白髪の混じった黒髪の男性。ラークとロイドだ。

「お父さん!」

 ロイドに気付いたエレナが、椅子から飛び降りて駆け寄る。そのままロイドに飛び込むと、「おかえりお父さん!」と笑顔で言った。

「おう、ただいま」

「ラークさんもおかえりなさい。クエストどうでした?」

 カウンターにいたリカードが、ラークに声をかける。ラークは扉に一番近い席――ラークの定位置だ――に脱いだジャケットをかけると、

「無事に終わらせてきたよ。……終わらせてきたんだがな」

 言って、苦笑する。リカードが僅かに首をかしげた瞬間。

「おっじゃましまーす」

「どうも」

 ドアから入ってきたのは、ダークグレーの軍服に身を包んだ男性二人。

 政府軍の人間。ハミルトン・ローズと、サイラス・アンダーウッドだった。



 度々カワセミ団には、政府軍からも依頼が来る。

 他国にも名を轟かせるカワセミ団だからこそなのだが、喜んでばかりもいられない。政府軍から来る依頼は大抵、「他のギルドでは難しい」もの。そのため、危険な依頼ばかりだ。

「お二人とも、依頼ですか?」

「はい。……あ、この前はご協力ありがとうございました」

 ハミルトンは思い出したように頭を下げる。

 この前、というのは、スピーリョの街を襲ったワーウルフの件だろう。リカードは「当然のことをしたまでですから」と笑うと、二人にカウンターに座るように促した。

 二人はカウンター席に座ると、ハミルトンは紅茶を、サイラスはコーヒーをそれぞれ頼む。ディールがカウンターの奥に引っ込んでから、

「それで、依頼とは?」

と、リカードが聞いた。

「……実はですね」

 ハミルトンが、口を開いた。



「先日、ステイラ第一図書館に何者かが侵入しまして」

 いつの間にか静まり返った店内。もうお決まりの光景だ。店の奥では、ジェイクがコーヒーのカップを傾けながら話を聞いている。

「警備員が気付いた時には、第十三書庫……禁書を保管している部屋は荒らされていました。その後の調べで、禁書が一つ盗まれたことがわかりまして」

「禁書が?」

 紅茶とコーヒーを持ってきたディールが、カウンターに置きながらそう聞き返す。ハミルトンは、「はい」と頷いた。

「盗まれた禁書は」

 店の奥から、ジェイクが言う。ジェイクは立ち上がると、カウンターの前まで歩み寄った。

「盗まれた禁書は……きっと、魔術書に詳しいジェイクくんなら知ってるかな」

 言って、ハミルトンはゆっくりとその名を告げる。

「メラゾーゼフの、『魔獣図鑑』です」

 今度こそ、ジェイクの瞳が見開かれた。

「なんじゃそりゃ」

 近くに座っていたロイドが声を上げる。ハミルトンはジェイクとラークを交互に見つめると、「魔術書の一種ですね」と小さく言った。

「……魔術書は、魔術が組み込まれた本のことだ。だがその種類にも、いろいろあってな」

 そう語り出すのは、金髪金目の男性。ラークだ。

「エレナが持っているそれも魔術書だろう。魔力を送ると絵が動く」

「ああ。ディールのお手製だ」

 言うと、ディールは照れくさそうに笑う。「へえー」と、ロイドが声を上げた。

「絵本のタイプはほとんど、魔術式と呼ばれるものを組み込んだものだ。稀に魔術陣を組み込んでいるものもあるな。魔力を送り込めば、自動的に発動する」

「さっきジェイクさんに教えてもらったよ」

 エレナが得意気に言うと、「そうなのかー」とロイドがまた声を上げた。

「じゃあ、その……メラゾーマの魔獣図鑑は」

「メラゾーゼフだ」

 ロイドの言葉にジェイクが訂正した。

「メラゾーゼフの魔獣図鑑は、本の中に魔獣を封印している」

 ロイドがきょとんと首をかしげる。同じように、エレナも首をかしげた。

「本の中に?」

「ああ。メラゾーゼフは変わった魔術師だったらしくてな。強弱大小様々な魔獣を捕まえては本の中に封印し、コレクションする趣味を持っていたらしい」

ラークの言葉に、「悪趣味ぃ」とロイドが呟く。ラークは苦笑すると、

「依頼は、本を取り戻すことか?」

 ラークが言うと、ハミルトンは「いえ」と首を振った。

「違うのか」

 そう返すラークに、ハミルトンは苦笑する。そして「サイラスさん」と隣を見ると、サイラスは持っていた鞄の中から、一冊の本を取り出した。

「……本は、もうすでに取り戻しました。犯人も見つけて、現在留置所にいます」

 これがその本です。そう、カウンターに置かれた本を見る。ラークとジェイクは素早くカウンターに近付き本を覗きこんだ。

 ジェイクの持つ魔術書よりも古びて、やや禍々しい気を放っているように思える。おそらくそれは気のせいではなく、本の中に封印されている魔獣が放つ魔力なのだろう。

 ハミルトンはジェイクとラーク、そしてカウンターの中に立っているリカードを見ると、そっと、手袋をした手で本を開く。本のページには色鮮やかな魔獣の絵が描かれており、その下には説明文のように古代語が綴られていた。

 何度かページを捲る。そして開かれた一枚のページに、ジェイクとラークは動きを止めた。

「……本は取り戻しました。ですが、本を確認したところ……欠落が見つかりまして」

 四人が見つめるページには、絵が描かれてはいなかった。あったのであろう部分には何もなく、ぽっかりとそこだけ穴が空いているようだ。

 ページの上部には、そこに描かれていたのであろう魔獣の名が書かれている。「Sar ama mder」……現代語で――――サラマンダー。火の竜だ。

「サラマンダーの封印が解かれ、表に出てしまったようなんです」

 一同が、言葉をなくす。

 魔術に詳しくないものでも、サラマンダーの名くらいは知っている。火を纏う、トカゲのような姿をした竜――――魔獣討伐のクエストのランク基準で言うならば、AからSに該当する。

「皆さんにお願いしたいのは……サラマンダーの再封印です。街での目撃情報はないので、おそらく下の森にいると思われますが……ステイラの住民に、被害が及ばないとは言い切れません」

 ハミルトンはずり落ちた眼鏡を中指の腹で直すと、

「お願いしても、よろしいでしょうか」

 数秒の沈黙。

 たった数秒だったはずだが、それがどこか永遠のようにも感じた。

「……引き受けます」

 そう言葉を発したのは、フレットだった。

「フレット」

「たしかに危険だけど……下の森には、子供だって行くんだろ? 魔術の練習をしに」

 ステイラの下には、広大な森が広がっている。妖精が住むとされる森だが、時折魔術学校に通う生徒が魔術の練習をしに森の中へ入ることがあった。そんな森に危険な竜が野放しになっているとしたら。

 ジェイクはフレットの瞳を見つめる。翡翠石のような瞳が、まっすぐにジェイクを見つめていた。

「……わかった、付き合う」

 溜息とともに、言葉を吐き出す。フレットは安心したように、表情を緩めた。

「ありがとうございます。……お願いできるのは、ここくらいしかなくて」

「だろうな」

 ハミルトンの言葉に、ラークが苦笑する。サイラスはカップの中のコーヒーを飲み干すと、

「ラークなら受けてくれると思ってたぜ?」

「買いかぶりすぎだ」

 笑うサイラスに、ラークは溜息とともに言う。サイラスはにっと笑みを深めて椅子から降りると、

「俺らは仕事があるから、これで失礼するわ。……注意喚起は俺らの仕事ですしぃ」

 ハミルトンも、椅子から降りて立ち上がる。深く腰を折って一礼すると、一足早く扉へと向かっていたサイラスを追いかけた。

「んじゃ、たのんまーす!」

 言って、サイラスはドアから出て行く。その様子を苦笑して見送ると、ラークは再び自分の定位置に腰を下ろした。

「……今度もまた、厄介な依頼が来たものだ」

 溜息を吐いて、ラークは言う。ややうんざりしたような色があるものの、嫌そうではない。

「サラマンダーの居場所って、どうやって探すんだ? まさか、下の森をしらみつぶし?」

 ロイドの言葉に、ラークは苦笑した。

「そんな効率の悪いことはしないさ。幸い、サラマンダーは火の竜だ。高濃度の魔力を探して当たれば、割り出しは可能だろう」

「なら、久しぶりに彼女の出番だね」

 リカードは言うと、店内にいる女性に目配せする。テーブル席に座っていた女性は立ち上がると、まっすぐにカウンター席に歩み寄った。

「ララ、頼めるか」

 ラークが言うと、ララと呼ばれた女性はにっこりと笑った。

「久しぶりの出番ですから。張り切りますよ」

 言って、彼女はカウンターに丸めた紙を広げた。どうやら羊皮紙らしいそれには、何も書かれてはいない。彼女は紙に片手を置くと、もう片方の手で紙の上に手をかざした。

 羊皮紙に、模様が浮かび上がってくる。ほとんど曲線で構成されたそれは、地図のように見えた。下の森の地図だ。

「これは」

 ロイドが口を開く。ロイドが何を言いたいのか察したラークは、

「探知魔術と呼ばれるものだ。主に、魔獣や人のいる場所を探すときに使う。魔力を持つ道具を見つけるときにも使えるな」

 羊皮紙の上に浮かび上がった地図。その地図に、光り輝く模様がいくつも浮かび上がってくる。おそらく、魔力を感知した場所だろう。

「もう少し絞り込めるか」

「やってみます」

 ジェイクの言葉に、ララは短くそう言う。徐々に光の数は減っていき、その代わり、一つの場所の光が少しずつ大きくなっていった。

「……なるほど、ここか」

 ジェイクが呟く。

 そこは、下の森の中に存在する洞窟だった。森の奥の方に存在し、人は滅多に立ち入らない。

「ここにいるなら、今のうちに行った方が」

「ああ」

 フレットの言葉に、ジェイクは頷く。そして、店内をぐるりと見回した。

「竜を相手するなら、もう一人ずつくらい魔術師と剣士がほしいな」

 竜との戦闘があると想定される。そんな場所に二人で行くような真似はさすがにジェイクはしない。

 魔術師は後衛、剣士は前衛の立ち位置になる。もう一人ずつくらいは、前衛と後衛が欲しい。ジェイクはそう考えて店内を見渡すが。

「……なら、俺が行こう」

 ラークは言って、椅子にかけてあるスーツジャケットを着た。ララが写し出した地図を見て、場所を確認する。ラークがジェイクを見ると、ジェイクは小さく頷いた。

「なら、あと一人は……」

「俺、行っていい?」

 ロイドがジェイクの顔を伺いながら言った。ずっと黙っていたエレナが、驚いたような顔でロイドを見る。

「……いいのか」

「うん。……子供に被害とか聞いて、じっとしてらんねえし」

 立ち上がって、ロイドは傍らの刀を腰にさした。かちゃりと、鍔鳴りが聞こえる。

「お父さん」

 不安そうに、エレナがロイドを見る。ロイドはにっと笑うと、エレナの頭を撫でた。

「大丈夫だって。ちゃんと帰ってくるから」

 ロイドはそう言うも、エレナの表情からは不安げな色は消えない。ジェイクはカウンターに置かれた絵本を手に取ると、エレナの腕の中に押し付けた。

「俺が帰ってくるまでの課題にしておく。しっかり練習しておけ」

 言って、ジェイクは踵を返す。俯くエレナに、ラークは笑って声をかけた。

「安心してくれ。俺達だっているんだ。一人じゃ無い」

 ラークの表情を、エレナは見つめる。ラークはにこりと微笑むと、そのままジェイクの後を追うようにしてドアをくぐった。

「じゃあ、いってきます」

「気をつけてね」

 フレットの言葉に、リカードが返す。

 涼やかなベルの音が、響いた。





 下の森はステイラに隠れているはずだが、森の中は光に溢れている。木々の緑が鮮やかに映し出され、足元ははっきりとしていた。光っているのは魔力だ。森の中に充満した魔力が、明るく光り輝く。故に、この森は夜でも明るい。

 湿った苔を踏みつけて、一行は地図に示されていた場所――洞窟を目指して歩いていた。森の中は明るいとはいえ、人が滅多に入らないため道は悪い。ほとんどないような道を、一行は進んでいく。

「どのへんだっけ、洞窟って」

 道を塞ぐ蔦を右手に持った大振りのカトラスで切り裂きながら、フレットは言う。同じように、ナイフで枝を切っていたジェイクが、

「ここからもう少しだな。だが」

 ジェイクは先程見た地図の様子を思い出す。

 目的地を一つに絞り込む前、地図上には幾つもの魔力の反応が出ていた。サラマンダーほどではないが、大きな反応。おそらく魔物の反応だ。

「それが、この近くなのか」

「ああ」

 ロイドの問いに、ジェイクが頷く。ラークはそばにある木に手をついて、遠くを見回した。緑色の木々たちが、ざわざわと揺れる。

「……たしかに、微かに残留魔力を感じるな」

「通ったということか」

 ジェイクの問いに、ラークは「おそらく」と言って頷いた。

フレットは足元を見渡して、そして今切った蔦を見つめる。通ったにしては、道に足あとはない。通った跡も見つけられない。

「……足あと、ないな」

「いや……そうでもないぞ」

先に進んでいたラークが、ぽつりと言う。ジェイクは近場の木の太い枝を見つけると、地を蹴りその枝に飛び移った。そして、その瞳にそれを映す。

「来てみろ」

 下にいるフレットを見て、ジェイクが言う。フレットはジェイクを見上げると、同じように地を蹴って枝に飛び移り……そして、見た。

 自分たちの位置からは、覆い茂った緑が邪魔して見えなかったのだ。今いる場所からほんの数メートルの位置。そこに、それはあった。

 何かが通った跡だ。しかも、足あとなんて生ぬるいものではない。何かが這いずったような跡。草花は押しつぶされ、しかもそこの植物だけが見事に枯れ腐っていた。

「……なんだ、これ」

 フレットは思わず呟く。

 ラークはその跡に踏み入ると、腐り落ちた植物を一欠片、指でつまみ上げた。だがその瞬間、欠片はほろりと潰れて風に舞い、手からは跡形もなく消え去ってしまう。

「……毒だ」

 ラークは小さく呟く。

 植物を腐らせたのは、おそらく毒。毒を持った魔獣がこのあたりにいるということなのだろう。そして、このあたりに残っている残留魔力からして、これは――――。

「……食人植物の類だ」

 食人植物。植物でありながら、人を喰らう植物のことだ。しかも、根が発達しまるで脚のように動かすこともできる。……速度は遅いが、移動もできる。

「……やっかいなのが、毒か」

 木の枝から飛び降りて、ジェイクはラークに近づく。ラークは頷くと、

「こうなるんだったら、湊に解毒剤を頼むんだったな」

 まったくだ。そう、ジェイクも繰り返す。

 ギルドのメンバーである、葛城湊。彼は魔術師ではあるが、魔術を扱うことを得意としない。どちらかと言えば、彼は魔術薬などといった薬を作ることに長けていた。故に、彼には解毒薬などの薬の調合を頼むことが多かった。

 地図は頭の中に入っている。洞窟はここから近い。おそらく歩いてそう時間はかからないだろう。問題はない、はずだが。

「……方向が」

 ジェイクはぽつりと呟く。

 食人植物と自分たちの向かっている方向が、同じなのだ。

「……つまり、それって」

 ロイドがやや青ざめた顔で言う。ジェイクとラークは頷くと、

「鉢合わせ、するかもなあ……」

「……やっぱり、湊に言えばよかったな」

 ラークの苦笑に、フレットも引きつった顔で呟く。だが、ここまで来てしまったらもう遅い。

「いざとなれば魔術でなんとかする。……精度は悪いが」

 ジェイクは言って、腰に吊った魔術書に触れる。ロイドはその魔術書を見ると、

「そういえば、それも魔術書なんだよな? それはどういうやつなんだ?」

 思いついたように言われた言葉に、ジェイクは小さくロイドを振り返る。魔術書を腰に吊る専用の留め金を軽く指で叩きながら、

「これは、どちらかというと魔術媒介に近い」

「魔術媒介?」

 ジェイクの言葉をロイドが繰り返す。ジェイクは「ああ」と頷いて、留め金から指を離した。

「一種の魔法の杖みたいなものだな」

 ラークは言う。ロイドは「へえー」と頷くと、

「そういや、杖使ってる魔術師って少ないよな」

 ロイドは思い出しながら言った。

 近くにいる魔術師は、ほとんど杖を使っていないように思える。ジェイクは魔術書を使っているみたいだし、ラークだって杖を使わない。魔術を使っているところをほとんど見ないが、湊もそうだ。

「ラークさんって、そういえば何を使ってるんですか? 魔術を使うときに」

 ラークは「俺か?」とフレットを振り返ると、自身の指にはまっている金色の指輪を外して見せた。

「これだ」

「指輪?」

 フレットが首をかしげる。ラークは微笑んで、その指輪にそっと息を吹きかけた。

 指輪の形が、ふわりと崩れる。まるで煙のように宙に漂ったかと思うと、指輪は細く長い剣……ロングソードの形を成し、ラークの手に握られていた。

「俺の吐息に反応して形を変える魔術器だ。ミスリルでできているから、魔力の通りも良いしな」

 妖精や精霊にしか扱えないという特殊な金属、ミスリル。金属の中でも強度は最高峰といわれ、ラークの言ったとおり魔力の通しも良い。魔術を扱う際、ミスリルで出来たものを媒介として扱う魔術師は少なくないが。

「問題はまあ、希少性だろうな」

 なんせ妖精などの少数種族にしか扱えない金属だ。量産はできないから、当然のように数は少なくなってくる。最近では人工的にミスリルを作る研究もされ作れるようにはなったのだが、天然物のミスリルに比べたらやはり精度は劣る。

「ラークはなんでも知ってるよなー」

 ロイドは思わずそう言った。ラークは苦笑して、「そうでもないぞ」と返す。だがジェイクは、

「こいつは魔術師と言うより、賢者に近いからな」

 物知りという枠を超えてる。そう言って、ちらりとラークを見る。ラークはジェイクを見て、苦笑をさらに深めた。

 さくり。

革靴の底が枯れ落ちた植物を踏む。生ぬるい風の中に、何かが腐ったような臭いが混じっているのを、四人はたしかに感じ取っていた。

「……近いな」

「……おそらく」

 ジェイクの呟きに、ラークが頷く。

 思わず、フレットは腰に下げたカトラスに手をかけた。ロイドも、刀の鞘に手を置く。

 風の中に混じる臭いが、徐々に濃くなっていく。ラークはロングソードを横向きにして構えると、口の中で小さく詠唱する。直後、広がった風のようなものに身体が包まれた。

「気配を最小限に抑える魔術だ。……あちらに気付かれにくいというだけで、見えないわけじゃないからな」

 気付かれたら終わりだ。そう脅すように言う。脅すなよ、とロイドが引きつった笑みを浮かべながら言った。

 ゆっくりと、四人は腐り落ちた植物の道を進んでいく。どこまでも不快な茶色を踏みつけて、木々の隙間を超えた瞬間、四人は見た。

 枯れた木が折れ曲がり幾重にも重なった、球体のような姿。朽ちてささくれ立った根が何本も地面を捉えており、それらを動かして進んでいる。

 そこにいたのは、予想通りの姿――――食人植物、「ラアル」だった。





 栗色の髪が風に吹かれたようにふわりと揺れる。細く小さな手は本のページに置かれて、どこか力のこもっているように白い。

 二つに結ばれた髪が肩に落ちる。依然ページに刻まれたままのうさぎに、エレナは瞳を伏せた。

 さっきから何度もやっているのに、できない。うさぎはページから出ることなく、そこに居座ったままだ。先程ジェイクがやったように、うまくできない。

 不機嫌そうな表情をするエレナの目の前に、誰かがグラスを置いた。氷とオレンジジュースの入った、透明なグラス。エレナはきょとんをそれを見る。その時、誰かが隣に座った。

「お隣、失礼するね」

 隣に座ったのは、やや癖のある黒髪の男性だった。濃いグレーのジャケットに、タイトなスラックスという格好。胸元にはシルバーアクセサリーが光っていた。

「えっと……」

「カイル。カイル・レーガンだよ」

 エレナが戸惑っていると、カイルがにこやかに名乗る。彼はカウンターの向こうにいるリカードにウイスキーを頼むと、エレナをもう一度見た。

「練習、順調?」

 カイルが問うと、エレナは再び俯いてしまった。カイルがリカードを見ると、リカードは苦笑だけをカイルに返す。ことん。カウンターに透明なグラスが、透明な光を散りばめた。

「……どうしたら、うまくできるんだろう」

 悲しげな声で、エレナは呟く。カイルは人差し指を軽く折り曲げて唇に当てると、「そうだねえ」と小さく呟いた。

「……魔術において、魔力のコントロールは基礎中の基礎だ。だけど、その基礎が案外難しい」

 言って、カイルは本の上に指を置く。ふわりとカイルの髪が舞い上がったかと思うと、うさぎがぴょこりと動き出した。

「……僕の場合、針に糸を通す感覚でやってるよ。毛羽立ってほつれかかった糸を丁寧に撚り合わせて、小さな針の穴に通すんだ。そーっと、そっとね」

 本の上から指を離す。魔力の供給を絶たれた本のうさぎはぱっと消え、本のページに戻った。

「ジェイク、コントロールの仕方について詳しく教えなかったでしょ?」

 エレナに問うと、エレナは正直にこくりと頷いた。その様子に、カイルは苦笑する。

「あいつね、昔から天才型なんだ。コントロールどころか、基礎の魔術なら学校に入る前からすでにできた。あんまり上手いから、どうやってるんだって聞いたらさ。そしたらなんて言ったと思う?」

 エレナは少し考えて、わからないと言う風に首を振る。カイルはちょっとすましたような顔をして、

「こんなの普通だ。息をするのと同じ」

 物真似をして見せたカイルを、ぽかんとエレナは見る。カイルは溜息を吐いて、やれやれと肩を竦めた。

「あいつたぶん、教えるのに向かないと思うよ。なんせ、天才様だからねえ」

 カウンターに肘をついて、カイルは笑った。エレナはその言葉に、少し落ち込んだように俯く。そして、カウンターの上のオレンジジュースに手を伸ばした。

「……あたし、魔術使えないのかな」

 オレンジ色の液体に目を落として、落ち込んだように言う。

「素質はあるって、そうジェイクは言ってたんでしょ?」

「そうだけど」

 さっきから何回やってもできないのだ。何度も何度も、繰り返し。それでもうさぎは動かない。魔術の基礎すら。自分はできない。

「お母さんは、上手かったのにな」

 呟くように言った言葉に、カイルは何も言えなくなった。

 彼女の母、マリア・ストックリーは名の知れた魔女だったと聞いた。魔術の扱いも、もちろん魔力の扱いも上手かったのだろう。魔女と呼ばれるくらいには。

「……きっと、コツを掴めていないんだよ。もう一度やってごらん?」

 エレナの悲しげな顔を覗きこんで、カイルは言う。エレナはオレンジジュースを一口だけ口に含むと、グラスをカウンターにおいて、その手を本の上に置いた。

 もう一度、エレナは本に魔力を送り込もうと意識を集中させる。栗色の髪が舞い上がって、ふわふわと揺れた。キャラメルブラウンの瞳が、真剣そうに細まる。

 だが風ははやりそのまま収まり、あとにはびくともしないうさぎだけが残る。しゅんと、エレナの瞳がふせられた。

「……ごめん、もう一回、いいかな?」

 カイルが、そう言った。

 何か違和感を感じたような気がした。今まで感じたことのない何かだ。違和感だと思いつつも、それが何かわからない。

 エレナはきょとんとしながらも、もう一度本に魔力を送り込もうとした。栗色の髪が再び舞い上がる。だが、それだけ。――――それだけだ。

 カイルは何かに気付いたように目を見開いた。漆黒の瞳がエレナを映す。カイルはポケットの中から何やら取り出すと、それを右の腕と人差し指にはめた。金色の指輪と腕輪がチェーンで繋がれたようなアクセサリー。リングブレスレットだ。

「……エレナちゃん、ごめんね。もう一度」

 カイルは椅子から立ち上がると、エレナの後ろに立った。エレナの瞳が戸惑いに揺れる。「もう一度」と重ねられた声に、エレナは再び集中した。

 カイルは軽く指を曲げて人差し指をピンと立てると、指先に魔力を集中させる。ぼうっと光った指先で、エレナの頭上に何やら描いた。光る指先の軌跡が微かに残り、空中に溶けて消えていく。

「To eria……Lasc」

 小さく呟かれるのは、古代レグノス語。魔術の言葉を古代語で縮めた、簡易詠唱だ。

人差し指でエレナの頭上に円を描くと、そこに魔術陣が現れた。光り輝く魔術陣はエレナをその中にくぐらせるように下へと降りて行き、エレナの足元でぼんやりと光る。

 エレナはその様子を戸惑ったように見て、そして、ポケットの中で何かが動いたのを感じた。次の瞬間それは熱を持ち、燃えたように熱くなる。

「……っ、きゃ」

 エレナの声が小さく響いた。悲鳴のような声に、カウンターの奥でリカードが焦ったような顔をした。

「カイルくん、何をっ」

 リカードの言葉を遮るようにカイルは左手を振る。そして右手でエレナの服のポケットを探ると、その中から何かを取り出してテーブルに置いた。

「できないわけだよ……そりゃ」

 テーブルの上に置かれたそれは、小さなペンダントだった。虹色に光る石が、徐々に輝きを失っていく。ぽかんと、エレナはそれを見つめた。

「エレナちゃんから、魔力を感じなかったんだ。いや、正確には、魔力を感じるけど……抑えられているような気がした。おかしいと思ったら、やっぱりこれだ」

 テーブルの上のそれを、カイルはつつく。頭の上に疑問符を浮かべているエレナに、カイルは苦笑しながら。

「魔力制御装置だよ。君の魔力を抑えていたんだ。……君のお母さんは、さぞ力のある魔女だったんだね」

 カウンターの上に転がったペンダントを見つめる。カイルは優しい声で、エレナに言った。

「たぶんこれでできるはずだ。もう一回やってごらん」

 カイルを見上げる。カイルはその瞳に、笑顔を映した。

 エレナはそっと小さな掌を本の上に置いた。





ロイドは目の前のそれに、思わず息を飲んだ。

ラアルは、木の裂け目――口だろうか――から毒々しい紫色の霧を吐き出している。わかりやすい、と誰かが呟いた。

それは、ラアル特有の毒霧だった。霧に触れた瞬間、緑色の木々や植物が腐っていく。ラアルの通り道には、茶色に腐った草木の残骸しか残ってはいない。

「こんなのがいるのかよ……」

 ロイドが思わず呟く。ジェイクは「奥、だからな」とその呟きに返した。

「入り口の方にはこのレベルの魔物は少ない。奥に行けば行くほど、こういうのが多くなる」

「魔力の密度が濃くなるからな」

 ジェイクの解説にラークが補足をつける。ラークはロングソードを構えながら、ラアルの姿から目を離さないようにして進んでいた。

「……幸い、あちらはこちらに気づいていない。今のうちに通り抜けるぞ」

ラークの言葉に全員が頷く。

 ラアルは動きも鈍ければ反応も遅い。厄介なのは毒霧だ。進路を塞がれてしまえば逃げ道はない。

 気付かれぬよう、一行はそっと足を踏み出す。ジェイクに至っては「サイレント」の魔術――足音を消す魔術だ――を使っているようだ。ロイドは緊張の面持ちで、足を踏み出した。

 足音はなかった。無いに等しかった。微かに葉を踏む音、そのくらいしかなかった。

 だがその時。

 近くにいた鳥達が一気に飛び立った。羽音が、葉のこすれる音が、響く。

 その場の空気と時が一瞬止まった。永劫にも思えるその一瞬の後。

 ラアルが、ゆっくりとこちらを「見た」

 目のようなものはなかった。そう感じられるものも。だがそれは、はっきりとこちらを見ていたのだ。じっと、四人を見下ろして。

 ジェイクは舌打ちすると、コートの中から銀色に光る拳銃を取り出した。オートマチック銃よりもやや大きめの銃だ。

 フレットはカトラスを握る。ロイドは右足を前に踏み出すように構えると、腰の刀を抜いた。

「っ、わりい!」

「気にするな!」

 ロイドの言葉に、ラークはロングソードを構えながら言った。誰もあの場所に鳥がいるとは思いもしなかった。ロイドの責任ではない。

 だが、ラアルに気付かれてしまったのは事実だ。ラアルはゆっくりと、触手のような樹の幹をこちらに伸ばしてくる。朽ちかけた木のようなそれを、ラークは身をひねって避けた。

 どすん。

 重い音が響く。木に止まっていたのだろう鳥達が一斉に逃げ惑った。その中に光り輝く存在も見受けられる。おそらく、妖精たちだ。

「一気にたたむぞ、こいつは動きが遅い!」

 言って、ジェイクは拳銃を両手で構えた。乾いた音があたりに響く。銃から放たれた弾丸は風を巻きながらラアルの胴体をとらえた。

 その瞬間、弾丸が穿たれた場所を中心にして火柱が立った。風の唸りのような呻きが、ラアルの口から漏れている。紫色の毒霧が、風に紛れた。

 ジェイクの左手に握られている銃は、「魔導式拳銃」と呼ばれる物だ。機器類を媒介として扱う、現代魔術と呼ばれる魔術。弾丸の代わりに自らの魔力を込め、圧縮し、撃ち出す。そのためその魔力に火炎魔術を込めれば、着弾と同時に炎を上げることも可能だ。

 ラークはロングソードの刀身を指でなぞっていく。呟くのは古代の言葉、魔術の詠唱だ。

「Ri ret seu……Ma ragi!」

 短く詠唱を終えた後、ラークの持つロングソードの刀身が燃え上がった。魔術を刀身に纏わせる、「魔術剣」だ。

 ラークはロングソードを構えると、そのまま跳躍した。脚に魔力を送り込み、本来ならば人間には到底不可能な技を可能にしている。ラアルの側に生えている木の幹に一度足を起き、それと経過点として再び跳躍。そして、ラアルの触手のように伸びる根を分断した。

 切断面から炎が上がる。揺らぐ炎はぱちぱちと音を立てながら、朽ちたラアルの身体を貪り食っていた。低い唸りが聞こえる。ラアルの呻きだ。

 フレットはカトラスを片手に、木の太い枝に飛び移る。ラアルを見下ろせるほどの高みから、フレットは飛び降りようと足を踏みだそうとして……止めた。

 ラアルの口が――――閉じている。先ほどまで開きっぱなしで、常に毒霧を吐いていた、ラアルの口が。

 ロイドは伸びてきた触手を断ち切りながら、同じくそれに気付いていた。ラアルは口を閉じて、何かを溜めているように見える。おそらく、それは……。

「ラーク、ジェイク!!」

「ラアルが……っ」

 フレットが、ロイドの言葉に続けて何かを言おうとする。だがその前に、ラアルの口が。

 開いた。

 ぐおおおおおお

 低く、低く。胸に響くような低音の響きが、耳を劈いた。どこまでも不快な低音だ。

 同時に、あたりを紫色の霧が覆い尽くした。咄嗟にジェイクは魔力の力を借り樹の枝へと飛び移る。低い場所に留まるそれは、触れた植物を一瞬のうちに枯れさせた。毒の霧だ。

「っ、ラークさんとロイドさんは!!」

 遠くから、同じく樹の枝で霧を免れたフレットが、叫ぶ。ジェイクは魔術書を留め金から外しながら、

「下だ!!」

 フレットの顔が青ざめるのが、遠くからでもよくわかった。引きつった表情から目を離し、ジェイクは小さく詠唱を始める。魔術書が光り輝いたかと思うと、ジェイクは下に向けて片手を開いた。

「Li are moluk eu!」

 その瞬間、遥か足元に風が吹いた。強い風は、濃い毒の霧を吹流して行く。晴れた霧の中から現れたのは、変わらずその場にいるラアルと……その目の前に倒れる、ロイドとラークの姿。

「っ、ロイドさん!! ラークさん!!」

 フレットが叫ぶ。ラークはかろうじて起き上がると、フレットに向けて無理矢理笑みを作った。大事ない。そう言いたげだが、その様は今にも倒れそうなほど危うい。

 ロイドは刀を地面に突き刺し、杖のようにして体重を預けながら立ち上がった。表情は青く、眉間には深く皺が刻まれている。相当霧を吸ったのだろう。ラークはおそらく霧を警戒していたのだ。吸っている量が、おそらく違う。

 ジェイクは再び詠唱を始めた。今度は詠唱を短くまとめた簡易詠唱でも比較的長く、歌のように高く低く響いていく。それに呼応するように、魔術書が光輝き始めた。

 ふわりと、ジェイクの周りに風が吹く。冷たい風ではない。優しく、どこかあたたかい風だ。それはフレットのいる場所にも届き、星屑の髪をふわりと揺らした。

「To……Rula!」

 青い風が、あたりをそよぐ。風はロイドとラーク、そしてジェイクとフレットを包むと、その内側へと入り込んでいった。医療魔術。その中でも、毒を直す解毒魔術だ。

「……こういった部類の魔術は苦手なんだがな」

 そう呟きながら、ジェイクは魔術書を閉じて再び銃を握る。

「動けるか!!」

 下に向かって叫ぶと、ロングソードを構えたラークが手を振った。問題ない。そう言いたげに。

「全然大丈夫!! ありがとな!!」

 刀を地面から抜き、ロイドが叫ぶ。ロイドは刀を正面に構えると、

「……お礼はたっぷりしねえとな」

 ロイドの表情から、笑みが消える。ロイドは刀を自らの横に構えると、そのまま地を蹴り走りだした刀の刀身が淡い光に輝く。それはまるで、水面に浮かぶ月のような、美しい紫。

 フレットとジェイクは、その場に月を視た。淡い月、大きな満月だ。その下を駆けるのは、一匹の狼。狼は跳躍すると、ラアルの触手を切り裂き、その胴体に爪を穿った。

 うおおおおおおおん

 高い遠吠えが、耳に届く。

「……月狼、夜影……」

 ジェイクは、思わず呟いた。その名は、東の果てにあるとされる島国で作られた、一振りの刀の名前。ロイドが持つ刀――――妖刀の名。

「月の下を駆けるは狼、夜に映る影は月影……」

 ラークは小さくそう呟きながら、ロングソードを指輪に戻した。

「終わりだ」

 ラークが呟く。

 ロイドはその刃を閃かせると、胴体を深く、刃で切り裂いた。

「フレット!」

 ジェイクが叫ぶ。フレットは頷くと、先程しようとしたように枝から足を踏み出した。

 風が身体を巻いていく。カトラスを下に向けて持ち、重力と体重の二つの力をかけて、カトラスをラアルの身体に突き刺した。

 森を揺るがすほどの、低い低い唸りが響く。フレットは突き刺したカトラスを抜くと、そのまま跳躍し地面へと降り立った。

 ラアルの身体が、ゆっくりと横倒しになる。地震のように地面を揺らしながらそれは倒れ、動かなくなった。

 ただでさえ朽ちかけていた身体が、更に朽ち枯れていく。絡み合うように構成されていた身体はゆっくりとほどけていき、あとに残るのは朽ちた木の残骸に他ならなかった。

「……なんとか」

「……倒した、な」

 ジェイクとラークは呟いて、大きく息を吐く。フレットは安堵したように笑い、ロイドはにっと笑った。

「先に進もう。目的地が近い」

 ジェイクの言葉に、三人は頷いた。





 水が滴り落ちる音がする。ゆっくりと足を踏み入れると、地面はしっとりと濡れ、滑りやすい。

「ここか」

「ああ。ここだな」

 ラークの言葉に、ジェイクが頷く。

 そこは森の中にぽっかりと開いた洞窟だった。中は暗く、先が見えない。ジェイクは小さく何かを呟くと、掌にふわりと輝く火の玉を作り上げた。松明代わりの灯りだ。

 同じように、ラークも掌に火の玉を作り出す。ロイドはその様子を見て、「便利だな魔術」と呟いた。

「懐中電灯いらねえもんな」

「覚えようと思えば、この程度なら誰でもできると思うが」

 ジェイクの言葉に、ロイドの表情がぱっと明るくなる。ラークは苦笑すると、

「やめとけやめとけ。こいつに魔術は無理だから」

 断言されて、ロイドの表情が一気に変わる。しょんぼりとした表情をしたかと思えば、拗ねたように唇を尖らせ、

「いいもーん。使えなくても生きていけるしー」

 と、まるで子供のように言った。その様子に、ラークは苦笑を深める。

「馬鹿言ってないで行こう。近い」

 掌から離れ、火の玉がジェイクの肩辺りにふわりと浮かぶ。ジェイクの瞳は遥か闇の彼方を見ており、フレットは咄嗟に悟った。ジェイクはこの先に、何かを感じているのだ。おそらくそれは、この奥にいる魔獣――――サラマンダーの魔力。

 ロイドとラークの表情が引き締まった。フレットもまた、笑みを消して闇の中を見つめる。フレットはジェイクを見ると、その表情を伺う。ジェイクはその意図を正確に汲み取って、頷いた。

 フレットは頷き返すと、洞窟の中へと一歩足を踏み出す。ジェイクの肩に浮いていた火の玉が、フレットの側へと移動した。フレットはそのまま、先陣を切って前を進んだ。

 洞窟の中は暗く、湿っている。地面も壁も岩肌で、足を滑らせてしまいそうだ。

「と、っと」

 滑る足元に、フレットがバランスを崩す。思わず壁に手をついて身体を支えたフレットに、ジェイクは「大丈夫か」と声をかけた。

「大丈夫。でも、すごい滑るな」

「ちょっと待ってろ」

 ジェイクはそう言うと、フレットの肩に手を置く。何やら短く詠唱すると、

「……滑らないように魔術をかけた。おそらくこれで平気だ」

「ありがとう、ジェイク」

 笑顔を浮かべてフレットは言う。ジェイクは「先頭に転ばれると迷惑なんだ」と言い訳のように言って、さっさと進めと促した。

「すべらない魔術かあ……ラークも使えんの?」

「今自分に使ってる」

 ロイドの問いに、ラークが短く言う。ロイドはじっとラークを見ると、その瞳に、露骨なまでに言葉を乗せた。それに気づきながら、ラークは、

「まあ、これも簡単な魔術だからなあ」

「……」

 ロイドの瞳の輝きが強くなっていく。内心ラークは呟いた。こいつは子供か。

「……」

「……わかった、わかったから。かけてやるからそんなに見つめるな穴が空く」

 ぱっと、ロイドが笑顔になった。ラークは溜息を吐きながら、その肩に手を置く。そして、先ほどのジェイクと同じように短く詠唱を唱えた。

ロイドは確かめるように地面に足をつけ、歩いてみる。そして、さらに笑顔を深めた。

「うわ、ほんとに滑んない!! すげえ!」

 無邪気なその姿に、ラークは溜息を吐く。ジェイクは「煩い」と言いたげにちらりとロイドを振り返ると、

「このおっさんはどうにかならないのか」

 フレットにだけ聞こえるように言う。フレットは苦笑すると、「これがロイドさんだから」と小さく言った。

 洞窟は暗く深く、だが道幅は広い。サラマンダーが入れるほどの洞窟となれば、やはり広さもあった。

「戦闘になっても、案外大丈夫そうだな」

「そうだな」

 フレットの言葉に、ジェイクが言う。小さな炎は足元とあたりを淡く輝かせて、蟠った闇を遠ざけていた。その火の玉が映しだしたのは、洞窟の終着点。

「ここから、開けてるのか」

 ラークが言う。

 目の前に、さらに広い広場のようになっている場所が見えていた。その向こうは、洞窟だというのに幽かに明るい。ラークは指輪を外すと、息を吹きかけた。指輪から姿を変えたロングソードを、しっかりと構える。

 ジェイクは魔導式拳銃を構えた。フレットがカトラスを抜く。そして、ロイドは刀の鞘を握り、鍔に親指をかけた。

 広場へと足を踏み入れる。ほのかだった光が強くなった瞬間、頬にちりちりと熱さを感じた。

 ジェイクの創りだした火の玉が、消える。ラークの肩に浮いていた火の玉も、姿を消した。

 濃い闇の中から、それが姿を現す。炎を纏った、大きなトカゲのような姿。牙も爪も鋭く、身体を覆う鱗は固い。

「……いたぞ」

 ラークは不敵にもとれる笑みを浮かべて、言った。

「サラマンダーだ」

 その場所にいたのは、他でもない。――――正真正銘の火の竜、サラマンダーだった。





 熱気がここまで届いてくる。頬を焼くようなそれは、サラマンダーが纏う炎だ。

「これが……」

 ロイドが、呟く。ラークは頷くと、ロングソードを構えながら言った。

「これが、サラマンダーだ」

 竜と名が付きながら、サラマンダーに翼はなかった。竜と名の付くものはたいてい翼があって飛べるのだが、このサラマンダーはその中でも翼を持たず飛べない部類のもののようだ。

「こっそり封印しちゃえばいいんじゃねえか?」

「そうもいかない。……弱らせてからじゃないと、うまく魔術に乗ってくれないんだ」

 ロイドの言葉に、ラークが答える。

 ジェイクは銃を構えると、魔力を込める。そして、サラマンダーの足元を狙って撃った。

 サラマンダーの足元、地面に弾は着弾する。だが次の瞬間、そこを起点にし青色に輝く氷が伸びた。氷結魔術だ。

 氷はサラマンダーの足を絡めとり、地面へと縫い付ける。そこでようやく、サラマンダーはこちらの存在に気付いたようだ。動ける範囲でゆっくりと、こちらを見る。鋭い瞳がぎらついた。

「氷は長く持たない、一気に片付けろ!!」

 銃を向けながら、ジェイクは言う。ラークは頷くと、ロングソードの刀身を軽くなぞった。刀身が、冷気を纏う。そのまま地面を走ると、サラマンダーの胴体を切りつけた。

 切り口からサラマンダーの身体が凍っていく。サラマンダーはラークを見据えると、その口から赤々とした火を吐いた。ロングソードでその火をかき消して、もう一発入れようと足を踏み出す。

 だがサラマンダーは、唯一自由な前足の爪をラークに向けた。咄嗟に、ラークは後方へと飛ぶ。ラークの頬を、爪が掠った。

「ラークさん!」

「掠っただけだ!」

 フレットはカトラスを構え、サラマンダーへと走る。走りながら、フレットはちらりとジェイクを見た。ジェイクは片手で軽く腰に吊った魔術書に触れている。ジェイクが頷いた。フレットも同じように頷く。

 ジェイクはサラマンダーに左の掌を向ける。右手で触れている魔術書が光り輝いた。そのまま右手から左手へと青色の光が移動していき、

「To filro……!」

 短い詠唱。その後、左手から青白い光の玉が放たれた。それはサラマンダーへ向かって直進し、胴をとらえた。

 フレットはその光の玉の着弾点に向かってカトラスを振るう。カトラスに魔力が纏わりつき、更に深く、サラマンダーの身体を氷が侵食していった。

「相変わらず、いいタイミングだ」

「ジェイクの狙いがいいからだよ」

 隣へと戻ってきたフレットにジェイクは言い、フレットは笑った。その様子に、遠くで見ていたロイドも笑う。

 ロイドは抜き放った刀を下段に構えると、そのまま地を蹴り駆けた。紫色の光が、薄暗い洞窟内で輝く。白刃の切っ先はサラマンダーの固い鱗を捉えると、そのまま切り裂いていった。ロイドは舌打ちをする。浅い。

 もう一度後ろに下がって、足を踏み出す。だが、その時。

 ロイドは視界が霞むのを感じた。一瞬、黒い影が差す。一歩足を踏み出した形で一瞬止まると、ロイドは再び駈け出した。

 ラークは魔術でロイドを補助しようと、ロングソードを横に構えた。そのまま頭の奥から古代の言葉を引っ張り出し、口の中で呟く。ロングソードに、青白い光がまとわりついた。

「To filro!」

 ジェイクと同じ詠唱を最後に、ラークはその光を放つ。光はロイドの刀へとまとわりつくと、剣撃とともにサラマンダーに襲いかかった。

「ラークさんきゅ!」

「っ、ああ!」

 ロイドは一瞬ラークの表情に、影が差したような気がした。顔色が、どこか悪い気がする。だが一瞬でそれは元に戻ると、

「このままの調子で行こう!」

 いつも通りに、ラークは叫ぶ。フレットが「はい!」と返事をし、ジェイクが頷いた。

「おうよ!」

 気のせいだったか。そう思いながら、ロイドは刀を振り上げて返事をする。そして、もう一度足を踏みだそうとして。

 足から力が抜けていくのを感じた。

 ラークは同じように、身体から力が抜けていくのがわかった。同時に、頭のなかを何かが侵食していく――――。

 胃のほうから込上がってきたそれを、ロイドは吐き出した。膝を地面につき、刀を落とす。

 地面に吐き散らされたそれは――――鮮血。

 ラークもまた、口の端から赤いものを流していた。口の中に、鉄さびの味が広がっていく。間違いない、これは。

「ラークさん、ロイドさん!?」

 ジェイクは奥歯を噛むと、銃を捨て留め金から本を外した。

 ラアルの毒が残っていたのだ。解毒が、不完全だった。

ジェイクはもう一度長く詠唱をしようとする。古代の言葉を紡ぎ、歌のように空気中へと吐き出した。だが、しかし。

「ジェイク!!」

 声が聞こえた。ジェイクは声に、はっとして顔を上げる。目の前に、赤く輝く火の玉があった。

「――――っ」

 火の玉が、命中する。ジェイクはそのまま吹っ飛ぶと、洞窟の壁にぶつかって止まった。そのまま崩れ落ち、へたりこむ。剥がれ落ちた岩肌が、ジェイクの銀の髪を汚した。

「ジェイクっ」

 フレットは思わず駆け寄ろうとし――――。

 足を止めた。

 壁際で倒れるジェイク。

 後方で壁に手を付くラーク。

 前方に膝をつくロイド。

 いったい、誰を最初に助ければいい?

 いや、その前に。どうやって自分は助ければいい?

 逃げるにしても、一気に三人を担いで逃げるなんて不可能だ。だがフレットには、誰から助ければいいのか、検討もつかない。

「フレット……っ」

 か細い声が聞こえる。ラークだ。

「っ、ラークさんっ」

「お前だけでも、行け……っ」

 ラークの言葉に、フレットは目を見開いた。何を。そう、小さく呟く。

「このままじゃ全滅だ。お前だけでも外に出て、援軍を……っ」

「それじゃ、ラークさんたちはっ」

 ラークはフレットを安心させるように笑った。ロイドも、小さく振り返って笑みを作る。

 だが次の瞬間、サラマンダーの動きを封じていた氷が、無残にも砕け散った。

 一番近い場所にいたロイドが、サラマンダーの前足でふっとばされる。ほとんど壁にめり込む勢いでぶち当たると、そのまま崩れ落ち動かなくなった。

「ロイドさん!!」

 フレットが叫ぶ。

 ジェイクは無理やり立ち上がると、銃に魔力を込めた。銃は光を放ちながら姿を変え、細長い銃……ライフルになる。

 魔導式拳銃の中でも、魔力を込めることにより姿を変えるものは特別とされた。それがジェイクの持つ魔導式拳銃零型だ。

 ジェイクは再びサラマンダーの足を狙い、弾を放った。撃った瞬間、ジェイクも血の塊を吐き出す。内臓を、手酷くやられたようだ。

 弾丸は足元に穿たれるも、すぐに氷は砕かれた。ジェイクが舌打ちする。集中が、持続しない。

「フレット、頼む行け!!」

 ラークは必死に叫び、同じように氷結魔術を放った。だが、こちらも集中力が切れている。魔術が、安定していない。

 フレットは青ざめた顔で三人を見た。苦しそうな表情が瞳に映り込んでくる。フレットは一度目を閉じると、大きく息を吸い込んで――――止めた。

「フレット?」

 ジェイクが、フレットを怪訝そうに見る。フレットは一歩前に踏み出すと、その目を開けた。

 フレットの背から、光り輝く何かが出てくる。それは、どこまでも美しい銀色に輝いた……翼。

 フレットの背からは、翼が生えていた。その姿は物語に出てくるような――――正に天使。

「これは、どういう……っ」

 ロイドが驚愕に目を見開く。ラークはロイドに歩み寄りながら、ただ一言。

「鳥族だ」

「鳥族……?」

 ラークは頷く。

「その中でも、『光』の魔力のみをその体の中に受け継いだ一族……人々はその一族のみを、こう呼ぶ」


「天使、と」


 天使とは、神に仕える者たちではない。光の魔力に愛され、人を癒す力を持ち、白銀の翼を持つ。その姿がまるで天使であることからその名がついた、ただそれだけだ。だが、それでも彼らの数はごく少数だ。

 フレットはカトラスを構えると、翼を羽ばたかせた。羽が一枚、ラークの元に落ちてくる。それはラークの指先に触れると、同時にふわりと姿を消した。

 嘘のように、胸の中にこびりついていた不快感と頭痛が消えていく。一瞬でラークは理解した。これが天使特有の、癒しの力。

 羽はロイドとジェイクの元にも舞い降りる。ロイドの身体から毒が、そしてジェイクの傷ついた身体が癒やされていく。ジェイクは銃を抱えるようにして立ち上がると、銃身に魔力を込めた。

 光が小さくなり、二つに別れる。魔導式拳銃が二つに別れた。二丁拳銃だ。

 ラークはロングソードを構えると、刀身に光を纏わせ地を蹴った。身を低くし、サラマンダーの腹を狙う。鱗の少ない、柔らかい皮膚だ。

 ロングソードの切っ先が柔らかい腹を裂く。サラマンダーの咆哮が上がった。悲鳴に近い咆哮だ。

 ジェイクは二丁拳銃を巧みに操り、サラマンダーの身体に弾を何発も撃ちこんでいく。それが等間隔であることに、ラークのみが気付いていた。

ジェイクは拳銃を再び一つに戻すと、魔術書を開く。紡がれるのは、古代の言葉……ではない。現代の言葉だ。それが意味するのは、つまり。

魔術の始まりは古代。いわゆる古代魔術と呼ばれるものは妖精や精霊が人間に伝えたとされ、その当時は使う者を選ぶほど難しく難解だった。

それを古代語を使い詠唱と魔術式を簡易化することで普及を広めたのが、古典魔術。現在一般的に使われる魔術だ。

簡易詠唱を使わないということはすなわち――――古代魔術。

 ジェイクは口の中で小さく、魔力のこもった力ある言葉を紡いでいく。呼応するように、魔術書が光り輝いた。ジェイクの足元を起点に、魔術陣が広がっていく。

「ラークさん、ロイドさん、離れて下さい!!」

 気付いたフレットが叫ぶ。

「氷漬けになりますよ!!」

 ラークは頷いて離れ、ロイドは困惑しながらも離れた。

 ジェイクはそっと、指先をサラマンダーに向ける。ゆっくりとその指先で何かを描きながら一度口を閉じ、そして再び、開いた。

「広がるは青。閉じ込めるは青。全ての時よ永遠に――――」


「凍れ」


 一瞬にして、世界が青に包まれた。

 全てが凍っていた。岩肌も、地面も――――サラマンダーも、全て。

 それはジェイクが最も得意とする氷の魔術。名付けて、「永久の青」

「ラーク!」

 ジェイクが叫ぶ。ラークは魔術書――魔獣図鑑を取り出すと、サラマンダーのページを開いた。

 ロングソードを地面に突き刺し、ラークは唇を閉ざす。ラークの周りに現れたのは魔術陣ではなく、数字――――魔術演算だ。

「魔力値二百五……二百十……最大値二百二十固定。方位固定、十、二十、二十四、三十一……」

 ぶつぶつと、魔術式をつぶやいていく。ラークはそのまま魔術書を掲げると、

「来い!!」

 氷の中のサラマンダーが、光の塊になっていく。そのまま光は少しずつ、だが素早く本の中へと吸い込まれていった。

 風があたりに渦巻く。思わずフレットは両腕で顔を覆った。風が収まりあたりを見ると、そこには炎すらない。灯りがすっかり消えた、暗闇の世界。

 ジェイクは短く詠唱すると、火の玉を灯す。ラークも同じように、火の玉を灯した。

「……クエスト完了、だな」

 ジェイクが言う。フレットはその言葉に、弾けるような笑顔を浮かべた。

「帰ろう」

 ラークの言葉に、全員が頷いた。





「おかえりなさい!!」

 カウンターの上で本を見つめていたエレナが、鈴の音にぱっと顔を上げた。そのまま椅子からぴょんと降りて、扉から入ってきたロイドの胸に飛びつく。ロイドはやや倒れそうになりながら、エレナを抱きしめた。

「ただいま」

 言って、ロイドは微笑む。

「ずいぶんボロボロだね」

「いろいろあってな」

 リカードの言葉に、ジェイクは長めの前髪を掻き上げて言った。深く長く、溜息を吐く。

「クエストは?」

「無事完了したよ。ハミルトンに連絡してもらっていいか」

 ラークの言葉に頷いて、リカードがカウンターの中の受話器を取る。エレナはジェイクを見ると、ロイドから離れてジェイクの目の前に立った。

「あの、ジェイクさん。見てて」

 言って、エレナはカウンターに駆け寄る。カウンターに置いてあった絵本を取ると、ジェイクの目の前に再び駆け寄って。

 魔力を込める。栗色の髪が、ふんわりと風に舞った。次の瞬間。

 うさぎが、ぴょこんと跳ねた。そのまま本の上をぴょんぴょんと跳ね回り移動する。エレナはそれを見て、そして、ジェイクを見上げた。

「……驚いたな。本当に、帰ってくるまでにやってしまうとは」

 目を見開いて、ジェイクは言う。そして、エレナの頭を撫でた。

「合格だ。……次から、本格的に魔術を教えよう」

 ぱっと、エレナの表情が明るくなった。そのまま綻ぶように笑顔になる。そして、ロイドを笑顔のまま見た。

「やったじゃねえかエレナ!」

「うん!」

 ロイドは自分のことのように喜ぶと、エレナを抱きしめた。エレナも嬉しそうにロイドに抱かれる。

 ジェイクはカウンターに座っているカイルを見る。カイルは軽く手を振ると、隣へ座るように促した。ジェイクはやや嫌そうな顔をするも、大人しくカイルの隣りに座った。

「これ、彼女のポケットに入ってたんだ」

 カイルはカウンターの上に転がっているペンダントをつついた。

「これは?」

「魔力制御装置。おそらく彼女の母親が作ったんだろう。名のある魔女だと聞いたしね」

 ジェイクはそっとそのペンダントに触れて、指先でつまむように持ち上げる。どうやら魔石でできているようだった。深く美しい紫色をしているが、光の角度でその色を変える。

「彼女の魔力をちょっと演算してみたんだけどね。……魔女の娘だけあって、かなりの魔力だ。君と同等はあるかもしれない」

 気をつけたほうがいいかもよ。そう言うカイルの腕には魔術器がつけられたままだった。警戒していたのだ。制御しきれない魔力が暴走してしまわぬよう。

ジェイクは頷くと、ペンダントを見つめた。

「……しっかり見ててやりなよ。僕もう、あんなのは嫌だからね」

 カイルはやや声を潜めて言って、グラスの中のウイスキーを口に含む。ジェイクは瞳を伏せると、「わかっている」と小さく呟いた。

 あんな思いはもうしたくない。もう、経験のしたくないことだった。記憶を手繰り寄せながら、ジェイクは思う。

 凍っていく景色。触れた指先が、冷えていく感覚。何かを言いかけた唇が、凍って動かなくなる。自分と同じ顔をした「そいつ」が、動かなくなる――――。

「ジェイクさん?」

 声に、現実へと意識を連れ戻される。ジェイクは声のした方を見ると、自分を見上げているエレナに気付いた。

「……どうした?」

「あの、その……魔術の勉強は」

 ジェイクは溜息を吐くと、栗色の髪を撫でた。指先で二つに縛った髪を梳いて、

「今日はもう疲れた。……明日からにしてくれ」

 言って、カウンターに突っ伏す。電話を終えたリカードはそれを苦笑して見ると、ディールになにやら伝えた。ディールは頷いて、カウンターの奥からブランケットを持ってきた。それを、ジェイクの背中にそっとかける。

 寝付きの悪いはずのジェイクの寝息が、店内の喧騒にかき消された。






ステイラ北町。

人のいない、閑散とした場所。立ち並ぶ建物の殆どが廃墟で、ただ鳥の鳴き声のみが響いていた。

ゴーストタウンを抜けると、一件の豪邸が見えた。シンプルで装飾の少ない豪邸は、とあるギルドの本拠地だ。

青年はその豪邸の玄関から中に入ると、迷いなくその中を進んでいく。スーツジャケットから覗くパーカーのフードが、どこか印象的だ。

 豪邸の一番奥。観音開きのドアをノックして、青年……ミロは中へと身体を滑り込ませた。その手には、数枚の資料。

「ロベルトさん。カワセミ団が動いたようですよ」

 デスクに資料を置いて、ミロは言う。椅子に座っていた大柄な男……ロベルトはミロを見た。その右目には縦に大きく傷が穿たれている。髪をオールバッグに撫で付けているから、余計目立つ。

「あいつらはどうせ、依頼が入ったから動いただけだろう。何も知らねえはずだ」

 でしょうね。ミロは言って、ロベルトを伺う。ロベルトは溜息を吐くと立ち上がり、ハンガーラックにかけられたコートを取った。

「面倒だ。直接あいつらに言いに行くぞ」

 ミロはただ一言、「はい」と頷く。

 ロベルトは観音開きのドアを乱暴に蹴り開ける。そして、コートを羽織った。


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