救済と希望の変態
白煙が周囲に立ち込めている。
僕は……倒れていた。
ヘリの外に吹っ飛ばされたのだ。
ヘリが落ちた衝撃のせいで。
体が重く、思うように動かせない。
頭が痛い。
ウ◯コは奇跡的に漏らしていない。
衝撃で奥に引っ込んだのだろうか?
今は腸の痛みより、全身の痛みの方が勝っていた。
僕は考える。
ウ◯コをしたいだけなのに、なんでこんな苦痛に苛まれなければいけないのだろうか?
どうして?
人は等しくみんなウ◯コをする。
どんなイケメン俳優も、どんな美人女優も。
ウ◯コをしない奴なんていない。
何故なら、それは人間にとって、自然の営みだからだ。
古代から現代にかけて、ウ◯コは命と共にあった。
ある時は、畑の肥料として使われ、どれほどの作物を育てたのだろう。
またある時は、病院の検便を通して、どれほどの感染症や食中毒の原因菌を見つけ出したのだろう。
またまたある時は、漢方薬として使われ、どれほどの心優しき民を癒したのだろう。
ウ◯コの有用性は無限大だ。
ウ◯コは僕らのパートナーなのだ。
ベストフレンドと呼んでもいい。
だからこそ、ウ◯コは無下に扱ってはいけない。
ウ◯コを実用的に使わないのなら、トイレで処理するのが礼儀だ。
衛生害虫を増やして、ウ◯コや周囲の人間を苦しませないため。
それがウ◯コのためであり、自分のためでもある。
漏らすわけにはいかない。
僕は体の蛇口をキュッとしめる。
全身の力は入らないが、せめてそこだけはと肛門括約筋に残る力を全て集約させる。
暴れ狂う濁流が少しだけ遠のいた気がした。
でも、そこまでだ。
あとはどうすることも出来ない。
ウ◯コと変態2人に翻弄された僕の運命に身を委ねるだけ。
「助けて……」
僕は掠れ声で言う。
声が出ない。
誰かいないのか?
僕のそばにいるのはウ◯コだけなのか?
人は1人で生まれて1人で死ぬ。
結局は孤独だ。
でも、道の途中で誰かと会えるかもしれない。
寂しさを紛らわせてくれるかもしれない。
だから手を伸ばした。
でも・・・その手はガッと蹴り飛ばされた。
手の痛みに顔が少しだけ歪んだ。
「容疑者1名確認。武装はしていません。3人組の1人です。はい……はい、ただちに拘束して連行します」
その言葉の後、ピッと機械音が聞こえた。
「ったく、いつからこの国ではテロが起こるようになったんだ?」
「海外から評価されてる同じ日本人だと思いたくないな。しかも身元確認ではまだ高校生らしいし。更生の余地があるなんて理由で、大した罪にもならないとは」
誰かが話しているのが聞こえた。
足音は多分5人以上。
僕のそばで話しているみたいだ。
ふいに、ガッと髪の毛を掴まれて頭を上にあげられた。
声の主達が顔を覗かせる。
武装した警察官達だった。
「社会の歯車になるのが嫌で、反抗期になったんかね? 親御さんが悲しむわ」
「こういう子供を育てるのだって税金がかかってたわけだろ? 国民の血税でゴミを買ったようなものだよ。親の顔が見てみたいもんだ」
「しかも成人した他の男2名が少女誘拐犯だろ?」
「社会の底辺組が、勘違いした正義感で犯罪を起こすなんてよくあることさ」
警察官達の顔が僕を見下しているのが分かった。
正直、イラつく。
この人達が世の中の正しいことをしているのは解る。
けど、これは……
「まあこれで、日本も少し平和になったな」
「日本社会を不安にさせたこういう凶悪犯罪者は、終身刑でいいと思うんだが、まだ少年だしなぁ……」
「人生に失敗したようなもんさ。少年院から出たとしても、まともな仕事はもらえないだろ」
「せいぜい出来るのは一生アルバイトか日雇いか? 俺だったら自殺してるわ」
「あるいはホームレスか?」
「きもいな。浮浪者とか本気で終わってる」
分かったことがある。
こいつら、社会を盾にした正義感を持ってる、歪んだ人間だ。
犯罪はいくらでも馬鹿にしたり、憐れんだり、嘲笑してもいいと思ってる連中だ。
僕の表情が不満に歪んだのが分かったんだろう。
警察官達が表情を変えた。
子供に接する大人の顔。
……偽りの顔。
「君、意識あるね」
「……」
「別にいいよ、黙っていても。法律では黙秘権というものがあるからね。でも、君が犯罪を犯したのは周知の事実だから、逃げられるとは思わないように」
髪を掴んだ手を素早く離し、頭部を横たえさせる。
そして事務的な言葉が僕の耳に届く。
「君がやったことの重大性は分かるね? 警察官への暴行、少女誘拐、公共物破損、その他色々。一応確認するけど、全部君がやったことで間違いないね?」
「……違う」
僕がそう言うと、警察官達は少しニヤッとした気がした。
「違う? 多くの目撃証人がいるのにかい? 責任逃れをするのは良くないことなんだよ?」
「……」
何も言えない。
どんな言葉を言えば、警察官達は僕の言うことを信じてくれる?
そんな魔法のような言葉は、存在しない。
結局、世間様は僕がやらかしたことだと思い込んでいるからだ。
何を言っても、彼らは正義で、僕は悪だ。
いつだって人間社会は、思い込みの正義を狂ったように信仰しているのだから。
特に日本人は、冷静に狂っている。
狂っているということすら自覚しない。
「社会は個人が責任を持つことでうまく回っている。それを乱すのはいつだって社会から逃避して、責任を持たない者なんだよ。君は、その人達と同じことをした。それは許されないことだ」
「僕を……どうしようっていうんですか」
「少年院に行くだろうね。そこで反省して、更生したら、社会に貢献しなさい」
社会のゴミではなく、社会の餌になりなさい。
そう聞こえた気がした。
「貴方達のようになれと?」
「ふむ、警察ではなくてもいいよ。なんでもいい。アルバイトからでも始めればいい。それでも立派な社会貢献だ」
「さっき、逆のことを言ってたくせに」
僕は卑しい声でそう言った。
「私達が、何を言ったって?」
「一生アルバイトか日雇いか。俺だったら自殺してる」
僕は確かにそう聞いた。
だから言った。
けど、それを聞いても警察官達は、余裕の笑顔だった。
「そうかぁ、君はそういう風に私達のことを思い込んでいるんだね」
「え……」
「私は悲しいな。子供がこんなに歪んでしまうなんて」
僕は唖然とした。
大人の醜さを知った気がした。
「私達にも子供がいるから分かる。今まで辛かっただろう。今まで不満があったんだろ? だからこんなことをしたんだろ?」
「……違う」
「認めたくないのは私も理解出来る。けど、それじゃあ大人になった時に苦労するよ」
「嫌なことでも認められるようになれってか」
自然と僕の口調が乱暴になっていた。
こいつらに敬語を使う必要はない。
そう心から思ったからだろう。
「みんな不満を少なからず持って生きている。目の前のことが嫌になったから、自分を守るために逃げた。こんなんじゃあ話にならないんだよ? これじゃあただの現実逃避だ。自分に甘いだけだ。ワガママなんだよ」
自分の言っていることは、社会の言うことだ。
そう確信を得ているような、自信を通り越して、もはや常識と思っているような声だった。
酷く、中身が薄っぺらい。
「あんた達の言ってることは、ただ妥協してるだけだ。諦めて、それを正しいと思い込んでるだけだ。それを他の人に押し付けて、自分は間違ってないって思いたいんだろ」
「ん〜、それはそのまま君に返すよ。まだ大人になりきれてない人の、言い訳だよ、それは」
もう、何を言っても無駄だと思った。
人は人の目線で考えることは決して出来ない。
どうしても自分の主観が入るからだ。
人と人は分かり合えない。
だから本質的には孤独だ。
ゆえに、人間関係は歪だ。
それが社会規模にもなってみろ。
どうなるか分かりきっている。
ただでさえ人は他者を理解出来ない。
社会の邪魔者であれば、排除か隔離されることは必至だ。
それが人という生き物なのだ。
そこに気が付かない奴は幸運だ。
雛壇の最上段で呑気に暮らしていける。
けど、僕は違ったようだ。
これから、僕は少年院暮らしが待っている。
更生施設とは名ばかりの、社会道徳洗脳施設。
僕は社会に埋もれることが正しいと思わない。
でも、ただの犯罪者が正しいとも思えない。
人間はどうあるべきなのだろうか?
……分からない。
僕には分からないよ。
僕は泣いた。
こんな奴らに連れて行かれることが悔しくて。
ちくしょうと叫びたい。
けど、それすら出来ない。
「……泣くな。全部君のやったことだ。これでどれだけの人達が迷惑したと思うんだ。泣いたって、許されることじゃないんだよ」
僕は乱雑に瓦礫から引き抜かれる。
全身が痛い。
けど、警察官は気を使ってはくれない。
もし死んでも、なんの不都合もないからだろう。
僕は犯罪者。
有益をもたらさない害悪。
そんなものはいらない。
逆に僕は、そんな考えが嫌いで。
何が人間だ。
どうだって良くなってきた。
なんでこんな場所でみんな生きていられるんだよ。
狭く苦しい、こんな社会に。
さっきまで、僕は人に迷惑をかけてはいけないと思っていた。
それは洗脳なのではないか?
人は人に迷惑をかけるのが、結局のところ本質なのではないか?
この汚い人間に触れて、そう感じた。
……あの変態2人はどうなのだろう?
ふいに、聞いてみたくなった。
どうして常軌を逸した言動や行為を取るようになったのか。
あれはある意味、自分に思い込みや偽りを持っていない姿なのかもしれない。
素直に自分を表現しているだけ。
何が正しいのか。
そんなものは、どこにも存在しないのかもしれない。
ああ……
でも、もう終わりだ。
僕はもう抵抗する力を持っていないのだ。
助けてほしい。
純粋にそう思った。
警察からも、社会からも。
思えば、僕は不安だったんだ。
どう生きたら良いのか。
自分の生き方を誤魔化したくはない。
正直に生きたい。
この警察官達のようになりたくない。
僕は……
僕は……!!!
「うおおおおおおおおお!!!!」
それは断末魔のような声だった。
僕は怒りに任せて立ち上がる。
全身から活力を絞り出す。
僕の意志が細胞に賦活しているようでもある。
これで、立ち上がれる。
僕は立ち上がって、逃げた。
「こっこら!! 待て!!!」
走る。
走る走る走る。
警察官の叫びなど気にしない。
僕が武装していないと無線か何かで外部に伝えたからだろう。
執行実包は使用してこなかった。
無抵抗への発砲は罪だ。
まあ、自分が罪を被りたくないだけなのだろう。
周囲を見ると、ここは空港内部のようだった。
でっかいロビー。
人は全くいなかった。
ヘリが墜落したからだろうか?
どっちにしろ、都合が良い。
外に出る場所は複数。
奥へ続く道も複数。
どっちへ行く?
外へ逃げたとして、どうなるのだろう?
逃走手段が何もない。
きっと、すぐに捕まる。
僕は籠城することにした。
すぐ近くにあったエレベーターに乗って駆け上がる。
警察官達が追いかけてくるが、複数人で追ってきているため少し無駄がある。
多分、この空港は愛咲空港だ。
地元唯一の小規模な空港。
ヘリで飛んでた時間はそんなにない。
そして、学校から1番近い空港はここだ。
この空港には僕も何回か来ている。
だから迷わない。
僕は自分の記憶に従って、通路を進む。
体が苦痛で満ちる。
だが、痛みの先にしか希望がない。
精神的な死を理解しない肉体の本能は、動く体を止めようと脳にシグナルを送る。
動くのを止めろ、と。
けど、従えない。
僕は確かめたいことがある。
あの2人に。
今まで僕は2人を忌避していた。
しかし、今は違う。
認識がリライトされていた。
あの2人は、今まで周囲の人達からどう呼ばれていたのだろう?
どんな気持ちで世の中を生きてきたのだろう?
ただ、自分の快楽のため?
それとも……自分の意志を貫くため?
聞きたい。
ただそれだけの欲求のために走る。
警察官達が後ろから何かを言っているが、どうでもいい。
リスクなど糞食らえ。
目の前のリターンにしか興味が持てない。
人間は保険をかけたがるものだ。
金銭に、生活に、時間に、命に。
僕はそんなものはいらないと思った。
僕は……異常だった。
通路の奥にあった扉を開け放つ。
空は紺色の夜空が広がっている。
……外だった。
2階のラウンジ。
出口はない。
もう、ここで行き止まり。
僕は奥まで歩くと、静かに座った。
数秒後、警察官達が息を切らしてここまでやってきた。
「もう、逃げてくれるなよ。あまり大人をなめないほうがいい」
「……走りたくても走れねぇよ」
僕はぶっきらぼうにそう言った。
「君はまだ20歳未満だろう? 少年院に入ったとしても、高校卒業資格と同等のものを得ることは出来る。社会進出もそんなに難しくない。希望はまだたくさん残っているんだ。だから、ここで大人しく捕まった方がいい」
「嘘吐きめ」
「嘘じゃない。本当のことだ」
「少年院に行ってたという事実は、個人の履歴として雇用者に情報を開示しなければならない」
「それがどうしたんだ?」
「前科とは言えないが、過去に犯罪を犯した奴を、気前よく雇う企業は存在しないだろ。ただでさえ優秀で新品な人間が振るい落とされる時代だ。ケチのついた元犯罪者を喜んで雇う奴なんかいない」
僕は呪詛を吐く。
真実はいつだって呪いの側面を持っている。
優しさはいつだって虚構の側面を持っている。
警察官達の優しさは、残酷さを内に秘めていた。
犯罪歴のない警察官なんかに、犯罪を犯した者の行く末を理解出来るはずがない。
知ってはいるだろう。
だけど、理解しない。
「……気持ち悪いんだよ。偽善野郎」
僕はそう言い捨てた。
その言葉にカチンときたのだろう。
警察官達の怒りが伝わってくる。
「世の中を知らない子供が何を言ってるんだ。いい加減にしなさい!」
詰め寄られて、頬を張られる。
肌がジンジンと痺れる。
けど、逆に僕は意志を固くする。
「子供は大人の言うことを大人しく聞いていればいいんだ! 黙って聞けばベラベラと! すこしは恥を知りなさい!」
「……!!」
僕は腕を掴まれ、後ろに組まされる。
警察官はジャラジャラと音を出す手錠を手にしていた。
僕は必死に抵抗する。
だが、他の警察官が無理矢理僕を押さえる。
「抵抗するな!!」
僕は地面に倒される。
もうダメだった。
おおよそ正義の味方がすることとは思えない。
悪人の前では、正義も悪になる。
そうさ。
彼らは警察である前に、1人の人間なのだ。
ただ、それだけだった。
「僕は……僕は……!!!」
必死に体を暴れさせる。
人生最大の抵抗だ。
もう、人に抑えられるのは嫌なんだ!!
「僕は自分らしく生きたいんだ!!!!」
空に叫んだ。
そして……
「よくぞ言ったフォイ!真の同志よ!!」
僕は目にした。
上空からヘリが飛んでくるのを。
ラウンジへ向かってくるのを。
そのヘリに乗っているのが、変態紳士2人だということを!!!
ヘリからドンッと迫力満点に着地した者1人。
「待たせたな、だお!!」
……伝説の傭兵が画面の向こうのプレイヤーに言うようなことを口にした人物。
それはマッチョだった。
装備は何もない。
上半身は裸だ。
本来なら、罵声を浴びせるところだろう。
けど、今だけはその筋肉が輝いて見えた。
「小便はすませたかお? 神様にお祈りは? 部屋の隅でガタガタふるえて命乞いする心の準備はOKだお?」
吸血鬼に仕えてる執事じゃないんだぞと、心でつっこむ。
ああ……やはり変態2人はこうでなくてはいけない。
それが彼ららしさなのだから。
「僕らの同志を傷付けたのは罪深いんだおよ」
「だ、黙れ!! 手をあげろ!!!」
警察官達がびびったように銃を手にする。
やけにその姿が小さく見えた。
「ハッ!! さっき僕の超聴力で会話を聞いてたんだおよ? 子供は大人の言うことを大人しく聞いていればいいんだおって」
いつもふざけていたマッチョの顔が、真剣だった。
真剣に怒っていた。
「そんな考えは、上等な料理にハチミツをブチまけるがごとき思想だお!!!」
マッチョが吠える。
空気がビリビリと震えた気がした。
「子供の可能性を大人の都合で踏み潰すなお!!!!」
「黙れと言っている! この社会悪め!! 抵抗するなら、発泡するぞ!!!」
「僕にも武器はあるんだおよ? おニューの武器だお」
マッチョは自分の手をパンツに突っ込み、何かを取り出した。
それは、どこで手に入れたかも分からない大型拳銃だった。
「純銀マケドニウム加工水銀弾頭、弾殻マーベルス化学薬筒NNA9、全長39cm、重量16kg、13mm炸裂徹鋼弾、ジャッカル……パーフェクトだお、ウォ◯ター」
「いやいや、実際の拳銃の弾にそんな吸血鬼専用のものは存在しないから!!」
僕はいつもの調子でツッコミを入れてしまっていた。
マッチョがニヤリと笑う。
そして・・・動いた。
「なっ!?」
マッチョが目にも留まらぬスピードでうごき、大型拳銃の引き金を引く。
パシシシと発射されたのは、BB弾だった!!
「ただのおもちゃかよ!!」
「カスタム済みのエアガンだお!!」
弾は警察官達の目に向かって発射されていた。
見事にそれらは眼球にヒットした!!
「ぐああああ!!! 目が……明日が見えない!!!」
目を押さえ、ゴロゴロ転がるポリス達。
あまりにも呆気ない。
「同志よ、さっさとシコシコ動くんだお!!」
「シコシコは余計だ!!」
体を動かす。
マッチョと会っただけなのに、体が軽くなっていた。
スクッと立ち上がると、僕は走る。
ヘリがラウンジに着地する。
後部座席に僕とマッチョは飛び乗った。
瞬間、ヘリは急上昇を始めた。
僕は膝をつく。
体力の限界だった。
「……おかえりだフォイ」
操縦席にいたデブの言葉と共に、僕達は空へと昇った。




