花火少女
「……いよいよだな」
波の音が聞こえる砂浜で僕、船見卓はチャッカマンを片手に花火の前に構えた。ここまで僕が身構えているのは訳がある。それは、この花火が普通の花火ではないことが原因だ。この花火は僕の身長と同じくらいの大きさで、打ち上げ式の花火となっている。これに火をつけることで、普通の花火のように音とともにきれいに光ることで僕たちを楽しませてくれる。だが、その後にこの花火にはもう一度楽しむことができる要素を兼ね備えているのだ。
「よし」
僕はチャッカマンを使い、花火に火をつける。直後、ジジジジジジという音とともに導火線につけた火が近づく。そして、数秒の沈黙の後、
(パン!)
ヒュルルルルと光が飛び出し、色とりどりの閃光を僕に見せた後、それは空中に霧散していった。光が消えていったのを見届けた僕は燃えカスとなったはずの花火の方に視線を移す。動くはずのないその花火の残骸は、僕が触れているわけでもないのにカタカタとラップ音を立てていた。
「せ、成功した、のか……?」
僕は固唾を飲んでその様子を見守る。そのまま1分ほどの時が過ぎた。
「……何だ、何も起こらないじゃないか」
僕は心の底からがっかりする。どうやらただのガセネタだったらしい。
「さて、じゃあ片付けるかな」
僕はそのまま後ろを振り返ろうとする。その時、背後でザッという静かな音とともに、何かが落ちてきた。
「うわぁ!」
僕は驚いて腰を抜かしそうになる。そこには目をつぶった状態の女の子のような鉄の塊がパラシュート付きで仁王立ちしていたのだった。
今回僕が買ったこの商品の名前は花火少女。最近ある花火メーカーによって開発された新型の花火である。と言っても花火が打ちあがるところまでは普通の花火と何ら変わりがない。この花火の真価は打ち上げた後にある。この花火を打ち上げると、その後この花火から女の子が出てくるらしいのだ。だが、そもそもこの花火の作り方自体が企業秘密であるためか、この花火の存在も含めてネットでもごく一部の人間にしか知られていない。花火自体には何の説明も書いていなかったことを考えると、このメーカーはあまりこの花火の存在を公にはしたくないのだろう。
そもそもなぜ僕がこの花火を買ったのかといえば、それはある目的のためなのだが。まさか興味本位で聞いたネットの噂を辿っていたらそれが事実だった時の僕の驚きようと言ったら、それはもう瓢箪から駒なんてレベルの話ではなかった。
「……で、これどうすればいいんだ?」
さて、ここで場面は先ほどに戻る。等身大の女性の形をした鉄人形を見つけた僕は、まず彼女の背中についていたパラシュートを外した。その後、どうしていいのか分からなくなったので、少し悩んでからその女性を観察してみることにした。まず彼女は肌色の肌に栗色のロングヘアー、そして白いワンピースを着ていた。少し気になったのは頭に何やら髪の毛とは違う紐のようなものが一本生えていたことだが、これについては現時点で何も分かることがないので今は放っておこう。
「……あれ?」
彼女の手に何かが握られている。僕はその指をゆっくりと外すと、それを取った。
「紙? 説明書?」
僕はその説明書をゆっくり広げる。それは僕の思った通り説明書だった。
(この花火少女は③ 山谷美景です)
この説明書によるとこの花火少女は3番らしい。ということは少なくともあと2種類花火少女は存在することになる。
「とりあえず続きを読んでみるか」
僕はそのまま説明書に視線を戻した。
(花火少女は花火の打ち上げが終わった後、あなたの目の前に現れるいわば花火の第2の人生のようなものです。あなたの覚悟ができましたら、彼女の頭の上の導火線に命の火をお灯しください)
「お灯しくださいったって、ここに火をつけたんじゃ何かの拍子に全部燃えちゃうんじゃ……」
言いかけた僕は、そこにさらに続きがあることに気付く。
(なお、この導火線につけた火は周りに燃え移らない特別な仕様となっていますので、火事になるようなことはありません。もし万が一のことがあった場合、お客様の損失を全額負担いたします)
どうやらメーカー側はこの製品に絶対の自信を持っているらしい。ならばここではあえて安全面には目を瞑るとして、その先を読むことにしよう。
(この製品は火をつけてから丸2日間、本物の人間としての命を得ます。あなたがこの人形に与えたい役目、それを思い浮かべながら彼女たちに命を与えてください。彼女たちはその通りの役目を全うしてくれることでしょう。ただし、その役目を終えた彼女たちは冷たい鉄の塊となってしまいますので、処分の際はどうかお気をつけください)
一体どういう仕組みになっているのかは相変わらずさっぱりだったが、とりあえずこの花火少女が2日間の命であることだけは理解できた。そして、説明書はここで終わっていた。これ以上の説明は不要、ということだろう。あとは受け取った消費者にすべて任せるということになる。
「確かにこんなもの、使い方は人それぞれだよな」
例えばAVを見飽きた男性が自分の自慰行為に使うかもしれないし、彼女のいる男性が背徳感を味わうためにこの商品を購入する可能性だってある。女性が購入して友情をはぐくむかもしれないし、はたまた禁断の恋に走ることだってあるかもしれない。僕は再び動かない女性に視線を戻した。僕はこの女性を利用していったい何がしたいのか。それを改めて考えるために。
自慢ではないが、人生だけなら僕のこれまでは割と充実していた方に入る。好きなことはしてきたし、友人もそれなりにいた。スポーツを楽しむ一方で、文学的な趣味である読書も欠かさなかったし、時折イラストを描くこともあった。現在僕は大学生だが、決して学業を疎かにするようなこともせず、きちんと単位は取ってきた。
だが、そんな僕にもまだできたことがないものがあった。それは、自分を大切に思ってくれる人の存在、つまりは恋人である。僕だって男だ。これまで生きてきた中で好きな人の一人や二人はいた。もちろん告白などもできずに今に至るわけであり、それが前述の彼女いない歴=年齢につながっているわけなのだが。ならば、僕の願う望みはただ一つだ。
(僕の恋人、清楚でおとなしい女の子をお願いします)
口に出さないままそんな祈りを願い、僕はチャッカマンに指をかけた。頭の導火線に火がつく。その瞬間、彼女は目をゆっくりと開けた。
「……す、ぐる?」
「は、はい!」
いきなり話しかけられて僕は戸惑ってしまった。まさか、ここまで澄んだ声の女の子に出会えるとはさすがに想像していなかったのである。そもそも名前を呼びかけられたことも想定外だったので僕の声は上ずってしまっていた。
「花火、誘ってくれてありがとう。楽しかったよ」
どうやら彼女の記憶は僕が一人で花火を付けたあたりからのようだ。僕が一緒に花火をしようと誘ったことになっているらしい。
「ね、卓。いつもみたいに名前呼んで」
「えっ……」
「呼んでほしくなったの。ね、お願い。ダメ?」
上目使いの彼女の視線にドキドキする僕。えっと、彼女の名前は確か、と必死にさっき見た名前を思い出す。
「美景。愛してるよ」
結果、僕の脳内の貧弱な語彙からひねり出された言葉はこれだった。我ながらこんな歯の浮くようなシンプルで分かりやすい言葉をよくも吐いたものだと心から思う。が、もうこの子は僕の恋人なのだ。下手に取り繕うとしても仕方ない。今こそ約20年の妄想を爆発させる時が来たのだ。
「嬉しい。ありがとう卓」
彼女はそう言って僕の唇に自らの唇を重ねてきた。これが僕のファーストキスであったことはもはや言うまでもない。
花火を片付けた僕は彼女と帰宅の途についた。僕の家はマンションの一室にあるので、お世辞にも広いとは言えないのだが、それでも二人が入るには十分な広さを持っていた。
「そういえばご飯食べた?」
「いや、まだ食べてないけど……」
「じゃあ作ってあげるね。ちょっと待ってて」
彼女はそう言うと、僕の部屋の片付けていないキッチンから乱雑に積まれた料理用具を取り出すと、鼻唄を歌いながら晩御飯を作り始めた。
「お、おいしい……」
僕は素直にその味に感動したことを表現した。こんなにおいしいご飯を食べたことがあっただろうか。自宅の貧相な材料だけでよくこれほどの素晴らしい料理を作ったものである。
「そっか、良かった。卓に喜んでもらえて私もうれしい」
彼女は照れ臭そうにはにかんだ。その笑顔は僕を彼女の虜にさせるには十分すぎるものだった。
「ね、ちょっと早いけど、一緒に寝たいからお布団行こ?」
彼女は僕の半袖の先っぽを引っ張ってこう言う。僕は彼女に促されるまま、彼女と布団に入った。その後どうなったのかはご想像にお任せするとしよう。
次の日の午前中、僕と彼女は再び昨日の海岸に来ていた。彼女は服の下に白いビキニを着ている。どうやって調達したのかは知らないが、僕の海に行こうという提案を受け入れた彼女は僕の部屋で素早く着替えると、僕の腕に絡めるように自分の腕を絡ませてきたのだった。
「今日は楽しみだね、卓!」
「そうだね、美景」
僕は笑顔で彼女にこう返すが、気になることが1つあった。
(頭の導火線、昨日より短くなってる)
彼女の頭についていた導火線が昨日より明らかに短くなっているのだ。昨日は髪の毛の下のほうにまで伸びていた導火線が今日はすでに彼女の肩のあたりまでになっていた。おそらくこれが彼女の寿命を示しているのだろう。
「……どうしたの?」
「えっ、いや、何でもないよ」
不思議そうに聞いてきた彼女に、僕はあわてて首を振る。いけない、せっかく彼女と一緒にいられる時間だというのに、これでは彼女を心配させてしまうだけだ。
「じゃあ、行こ?」
彼女のその微笑みを見て、僕は自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じた。
そのまま海で一日遊び通した僕たちは、手をつないで自宅へと帰り着いた。家について彼女の作る食事を取った僕は、彼女に促されるようにまた彼女と布団に入った。
(いよいよ、あと1日か)
彼女といろいろなことをした布団の中で、僕は彼女が眠りについたのを確認してからそんなことを考える。もう、本当に時間はない。ふと彼女の姿を見ると、帰宅途中にも揺れていた導火線は見ていたが、今の彼女の導火線の長さはすでに彼女の鼻の位置にまで迫っていた。
(明日どうするかはよく考えないとな)
僕は彼女のかわいい寝顔を見ながら眠りについた。
二日目、僕は彼女をある場所に連れ出した。
「ここは?」
「僕の一番好きな場所だよ。美景と一緒に行きたくてさ」
そこは僕の一番好きな場所であり、同時に一番大事な人を連れて行こうと心に決めていた場所だった。
「えっ、でもここって」
彼女は位置で言うとおでこのあたりまでせりあがってきている導火線を後頭部から垂らしながら首を傾げる。その理由は簡単だ。ここがおおよそ世間一般で言うところの恋人と一緒に行きたい場所とはかけ離れていたからである。
「そうさ。ここはカラオケだよ」
「何でカラオケ?」
「それは……」
素直に言うのもはばかられたが、彼女は僕の恋人なのだ。別に隠したって仕方ない。なので、
「美景の歌が聞きたくてさ。歌うの嫌いだっけ?」
それっぽい理由をこじつけ、彼女に聞いてみる。
「そっか。それなら行こ!」
途端に彼女の顔がほころび、僕の腕をぐいぐいと引っ張る。僕はその勢いに任せたまま彼女とカラオケの入り口に入った。
彼女は歌も上手だったようで、僕の歌声なんて非じゃないくらいだった。しかもバラードにロックなど、幅広いジャンルの曲をきれいに歌いこなすほどの歌唱力で、僕はただただその歌声に聞き惚れてしまった。だが、そんな楽しい時間も長くは続かないもので、もう時間は夜となってしまった。最後に僕は彼女と出会った海にもう一度彼女を連れてきた。
「美景……」
僕は彼女の顔を見て、そう呟く。彼女も目に涙をためていた。
「もう、お別れの時間みたい。最後に1つ、卓にお願いしていい?」
「何? 僕にできることなら何でもいいよ?」
彼女のおねだり声に僕はつい反射的に反応してしまっていた。
「じゃあ……、キス、して?」
彼女はそう言って目を瞑る。僕は彼女の体をそっと抱き寄せると、彼女の唇にそっと口づけをした。彼女の目から雫のようなものが零れ落ちる。
「あ、り……が、と……」
そこまで言い終えるか言い終えないかくらいの頃だった。彼女の体が急激に重くなる。比喩表現などではなく、本当にである。時間が来たのだ。どういう原理かは分からないが、彼女の体は鉄の塊となり、流していたはずの涙はそこで冷え切った何かとなって固まってしまっていた。
(……終わったんだな、僕の初恋)
僕は何か大事なものを失ったような空っぽな心を持ったまま、山谷美景だったものを抱えて帰宅することにした。もう、家に帰っても彼女はいない。その事実を受け止めきれるかどうかは分からない。だが、もう僕の恋は終わったのだ。いい経験だったと思って、また明日から頑張って日々を過ごして行こう。僕はそう決心した。
その1週間後、
「遅い! あたしを待たせるなんてどういう神経してんのアンタ!」
「ご、ごめん陽菜」
また僕は女性と一緒にデートしていた。この茶色のショートヘアでTシャツにショートパンツの女の子は樋本陽菜という。とても気の強い性格の女の子だが、僕のことを好きな女の子である。ただ他の人と違うのは、彼女の頭からは長い導火線が垂れていることだ。
結局僕は1度彼女がいたという満足感から孤独に耐えることができずに、再びあの花火少女をネットで注文した。そして同様の手順を繰り返すことで再び別の彼女を手に入れたのである。だが、以前と同じ性格ではつまらないと思ったので、別の性格を設定したのだ。幸い僕の頭の中にはまだいろいろな性格が思い浮かべられる。僕が孤独に泣くことは今後一切ないだろう。僕の周りにいた友人は減ったが、今の人生に特に後悔はしていない。恋人がいない人生なんて僕の中では負け組同然の人生だったし、それに比べれば今はとても幸せだ。やはり自分の思い通りに性格を設定できる時点で、世の中の女性よりもこの花火少女ははるかに優れている。
「ほら、早く行くわよ」
「あっ、ま、待ってよ!」
さっさと歩いて行ってしまう彼女、陽菜を僕は慌てて追いかけた。