001 猫人族のお友達
吾輩は猫人族である。二つ名はまだない。
にゃーんて。
この世におぎゃあと生を受けて四半世紀強弱、よもやこのような名文句を改変出来る機会が来ようとは夢にも思いませんでした。漱石先生は偉大ですね。まともに著書を読んだことはありませんが。かろうじて小学生の頃、元ネタの分厚さと文字の小ささに辟易した記憶しかありません。とりあえずオチは知ってます。まったく浅学でお恥ずかしい限り。
ともあれ、私のCNは円東あきば。
ネトゲをやっていたら異世界に吸い込まれた、なんていう至極稀でアレな事情により、猫人間と化してしまった現代日本の平均的な女性です。
…
男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり。
なんて宣った紀貫之は、冷静に考えると日本最古のネカマですよね。
そんなジョークもインターネットでは既に使い古されていて、ああ色々と恋しいなあと思うことしきり。ともあれ日記です。これは日記なのです。当世風にブログと言ってもいいでしょう。
何せこの異世界生活、娯楽に乏しいですから。このくらいやっていかないと、情報化社会に慣れきった現代日本人としては暇を持て余します。
「娯楽であるゲームの中で、娯楽に飢える。字面だけ見ると壮大な自己矛盾だね」
そんな風にしれっと揚げ足を取ってくるのは月宮さんです。
月宮さんは今日もぱりっとしたスーツ(のような意匠の魔法のローブだとか)を着込み、実に紳士ライクなファッションです。しかしてその顔は猫のそれであり、つまり私と同じ猫人族なのでありました。いかにもなステッキとハンチング帽、確か猫の貴族が出てくる映画ってありましたよね。
「これはリアルということを受け止める、ゲーム気分はやめましょう、というのが円卓の方針じゃありませんか?」
「分かってる。ただの言葉遊びだよ」
気取った言い回しでアップルティーなどを啜るその姿は実にエレガント。月宮さんはいわゆる徹底したロールプレイヤーであり、そのサブ職は〈探偵〉という割とレアなものでした。要するに小説の探偵気取りというわけです。
曰く、元々ネトゲには興味がなかった、むしろ偏見を持っていた。しかし大好きなミステリ漫画とのコラボにうっかり釣られてこのザマだ、とのこと。要するにドツボにハマったというわけですね。
「しかしあきば、確かに娯楽の問題は興味があるな。僕らはウキウキでクエストに出かけるからいいけれど、君は基本的に受付嬢だろう? オフタイムは何してるんだ?」
「乙女の秘密です」
「そういうのはいいから」
まあ、こんな風にケーキに舌鼓を打ったり、ガールズトークに花を咲かせたり?
ここはアキバの街が誇るスイーツギルド、〈ダンステリア〉のカフェテラス。マスターの加奈子さんお手製のミルクレープなど楽しみつつ、月宮さんとのんびりしているアフターファイブ。猫のお茶会、なんて書くとちょっとお洒落かしらん。
私、円東あきばは〈アキバ冒険斡旋所〉なる施設で常勤の受付嬢などやっております。大地人や冒険者の依頼を、他の冒険者に仲介するお仕事です。アキバの冒険者の戸籍受付なんかも兼任していますので、おのずとデスクワーク中心になってきます。
円卓会議結成時に、ギルマスのカラシンさんから推薦されてこんな立ち位置です。まあ元々〈第8商店街〉でだらだら駄弁っていただけのチャッターだったので、切った張ったよりは向いています。やりがいのある仕事です――なんて文句は色々邪推してしまいますね。そんなことはありませんよ、と弁明しておきます。一応は。
「美味しいご飯に舌鼓を打って、あとはお宿で眠るだけですよ。日が沈んだら、あとはもうベッドにダイブです」
実のところ、念話で駄弁っていたら日付が変わっていることも珍しくないのですが。チャッターの習性、というより電話で長話するおばちゃんでしょうかコレは。長話の難点は気づいたら腕が痛くなっていること。耳に手を当てた姿勢で固定されますからね。
まあ、アキバは割と不夜城めいた街でもあります。元々宵っ張りには定評のあるゲーマーの集まり、人によっては夜から店を出したりすることも珍しくありません。大地人さんも最近それに引っ張られてきているような気がします。
「はは、実に健康的だ。まったくネトゲ廃人の集まりとは思えない」
その辺の事情を分かった上でそんなことを宣う月宮さんは、筋金入りのロールプレイヤーと言えましょう。シニカルに笑う様は実にカッコいいハードボイルドな猫探偵。素でやってたらちょっとどうかと思います。
ウェイトレスさんを呼び止めて、紅茶のおかわりなどを頼む私達。気分を変えて、フレーバーはココニアにしてみましょう。
「いやしかし、その辺の問題は一考の余地ありだな……。うちも正直行き詰まりを感じているし、いっそ生産系に乗り換えるか……」
「探偵業、ダメなんですか?」
「うん、ダメ。そもそもギルメンがそっちに興味がないし、この世界じゃ冒険者のトラブルは自己解決するかクエスト形式だし……大地人もこういう職業には理解がないんだよなあ」
うあー、と空を仰いで伸びをする月宮さん。
こうして仲良くお話などしていますが、月宮さんは〈第8商店街〉の人ではないのです。つまりゲーム時代からのお友達ではありません。チャッターだった頃は余所のギルドの人と接点なんて持とうとも思わなかったわけで、そういう出会いが増えるという観点では、この世界はまさにリアルと言えましょう。
月宮さんは〈三毛猫ホームズ〉なるギルドのギルマスをやっています。〈変人窟〉と呼ばれる職人ギルドの集まりに居を構え、探偵事務所をやっているのです。
こう書けば月宮さんのビジュアルは三毛猫だろうとお思いでしょうが、しかし月宮さんは青い毛並みの持ち主なのでした。実家のブリティッシュブルー(血統書付きだとか。もしかしてセレブ?)を参考にしたとかなんとかで、つまりとんだ詐欺ということです。
まあ、猫の探偵といえば赤川次郎ですからね。分かりやすさで言えばダントツです。曰く月宮さんはもっと小洒落た名前を付けたかったそうなんですが、ギルメンの猛プッシュというか反発によって今の形に落ち着いたとか。
「ゲームとしてもフレーバー職だし、〈大災害〉を経てもあんまり意味がないし……流石にちょっと凹む」
月宮さんのサブ職〈探偵〉は、コラボ限定のレア職なんだそうです。ゲーム的にはまあ、〈追跡者〉とか〈密偵〉とかを足して割った感じの、ぶっちゃけロールプレイ用。
〈大災害〉を経て評価が変わったサブ職業はいくつもありますが、今の月宮さんの話を聞く限り、〈探偵〉はそれほど活躍の場所がなさそうです。まあ確かに、困り事はクエストとして投げ込んだ方が確実ですからね。わざわざ探偵を頼る意味がないというか……あれ、もしかして私、商売敵ですか?
「殺人事件も起こりようがないですしねえ。生き返りますし、冒険者」
「まあ、起こってもらっても困るんだけど。流石の僕もそこまで不謹慎じゃない」
アップルパイに舌鼓を打ちながら、そんな話で盛り上がる私達。
まさかこれが年末への遠大なフラグになるだなんてこの時は思いませんでしたとも、ええ。
…
「ところであきば、ユニコーンは元気かい?」
〈ダンステリア〉を後にしての帰り道、アキバの街をそぞろ歩く夕暮れ。今日の雑談テーマはそんな感じでした。
「元気は元気ですよ。今のお仕事に就いた後はめっきり外出しなくなりましたから、若干運動不足気味かもですが」
「君もたまにはクエストを受ける側に回ればいいのに。いっそ〈黒剣〉に混じってシュトコウを走って来たらどうだい」
「そんなヤンキー趣味はありません」
私と月宮さんが仲良くなったきっかけに、親近感というものがあります。
私は〈召喚術師〉で、月宮さんも同様。さらにビルドもユニコーンをメインとしたビーストテイマー型。そしてお互い猫人族、カラーリングも青が基調とだだ被りだったりします。
え、白い毛並みのこともあったろう? そういう事情は置いておきましょう。あくまでアニメ版準拠です。あるいは外観再決定ポーションということでも可。真実は毒ガス装置の箱の中です。
ともあれ召喚獣も含めてのお付き合いとなりまして、たまにお互いのユニコーン同士で遊ばせたりもします。もっとも最近の月宮さんはせっせとクエストに出かけてはモンスターを蹴散らして帰ってくるので、日に日にうちの子が見劣りしている気がしなくもありません。
まあ、召喚生物をメイドさんやペットとして暮らしている〈召喚術師〉も少なくないですから、別にいいかななんて思うわけですが。
「しかし何だね、あきばはどうしてユニコーン型にしたんだい?」
藪から棒にそんなお話。そういえばお互いに聞いたことがなかった気がします。
「うーん。なんとなく、ですね」
「そうか。僕もなんとなくだ」
「……実のところ、よく分からないで見た目で決めました」
「……そうかい。いや、実は僕もそうだったりする。格好いいからね」
あらま、そんなところまで被ってましたか。
最初期、なんとなーく〈召喚術師〉を選んで、最初に契約出来る子を選べるよ! となった際、本当になんとなーくでユニコーンに決めました。ほら、馬って可愛いじゃないですか。女子としてカーバンクルとの二者択一は悩みましたが、そこはそれ、神様の言う通りというやつです。
そして私はあまりゲームの攻略をする気が無かったので、効率的なビルドとか考えないで適当にプレイした結果、今に至ります。別に後悔とかはありません。だらだら喋るのって楽しいですよ。
「ところでユニコーンが処女厨だという論調は如何お思いで?」
「ファッキン。エルダー・テイルがそこの設定を拾ってなくて良かったよ」
「本当ですねえ」
少々お下品な話題ですが、ユニコーン使いとしてはここ結構譲れないラインだったりしますよ、割と本気で。
うちの子が可愛いのは当たり前じゃないですか。レッテル貼りは激おこですよ。ぷんぷん。
…
〈アキバ冒険斡旋所〉は朝から忙しいです。
というのも、初級から中級者用のクエストは、その気になれば一日で終わらせることの出来る物が多いですからね。たとえ片道が半日かかる場所であろうとも、帰りは帰還呪文で一発ですから。朝一で出発して夜に精算、というのは実にスマートな一日の使い方と言えましょう。
逆に昼過ぎにはそれなりに余裕も出来ます。じっくり腰を据えて攻略する上級者向けの受注や、依頼の持ち込みなどがメインになるからです。書類仕事がメインになるということでもありますが、〈筆写師〉のレベルがゴリゴリ上がった今では、まるで最新型パソコンを使っているノリで事務処理が出来て気分がいいです。
そういう事情を分かっているためか、この日、月宮さんは三時頃にやってきました。手には菓子折という気の利きっぷり。丁度おやつ時、マジ紳士ですね。
「あきば、〈三毛猫ホームズ〉のギルマスとして、依頼の発注をしたいんだけど」
「あら珍しい。探偵事務所からの依頼ですか」
私の言葉に、月宮さんはふるふると首を振りました。
「いや、そっちはしばらく廃業。せっかく〈変人窟〉に構えているんだから、生産系にシフトすることにしたよ。ほら、この紙に書いてあるものを取ってきて欲しいんだ」
書類を受け取ると、そこには紙やインクの材料を揃えて欲しいという依頼内容が書かれていました。石や骨なんかもありますね。
「前に娯楽の話が出ただろう。うちは元々非電源系ゲーム愛好家の集まりだったからね。手始めにトランプやら将棋やらから量産していこうと思うんだ」
「ははあ、なるほどなるほど」
そういえばそんなことも言っていましたね。元々は人狼ゲームとかTRPGとかで出来た知り合いの集まりでしたっけ。
そしてなるほど、卓上ゲームなら電気要りませんね。冒険者はゲーマーの集まりですから、こういうのには飛びついてくるんじゃないでしょうか。
「ある程度完成したら〈第8商店街〉にプロモーションしに行くよ。カラシンさんによろしく言っておいてくれ」
「はあい、承りました。ギルマスにはしっかり伝えておきますね。月宮さんが一発逆転を狙っていると……あ」
あ、しまった。ついうっかり口を滑らせた。
月宮さんが目を細めて、じとーっと私の方を見る。
「……あきば。確かに、先に口を滑らせたのは僕だよ」
「あははー……」
「確かにここは異世界という現実で、ゲームの中じゃない。でもさ、名前に関してはゲームで設定したものがあるんだ。そしてそれがここでの名前なんだ。そういうのやめてほしい」
すいません。いやほら、相手が探偵ですから、ちょっとそういうのやってみたくなったんですよね。これ日記ですから。文章媒体ですから。それに折角のロールプレイを尊重したいというのもありましたし。
「僕の名前はエリー、猫人族のエリーだ。リアルの名前はここでは御法度。そうだろう?」
月宮さん、本名は月宮英理さん。そしてCNはエリーさん。
私と同じ猫人族で〈召喚術師〉でユニコーン使いな、女の子です。
「まさかとは思うけど、性別の叙述トリックなんてやろうとしたんじゃなかろうね?」
「いやいやそんな、まさかまさか」
そしてしっかり見抜いてくるし。どんな洞察力ですか。案外、ガチで探偵向きなのかもしれませんね。
そんな感じで、今日の日記はひとまずここまで。