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 サイカが目を覚ますと、視界に入ったのは、今まで見たことがないような豪奢な天井だった。


「……どこ、ここ」


 ぽつりと、口から飛び出した声色は思いの外、まぬけだった。サイカは目を白黒とさせながらも周囲の様子を伺おうと上体を起こしたところで、近くで水差しを手にした状態で固まったままだった……メイドの格好をした少女と視線が合い、お互いに固まった。


「えっ……と、すみません。ここ、どこ……」

「サイカ様!!」

「さ、様!?」


 様付けなど、普通の現代日本で女子高生をやっていたサイカにはどうも違和感のありすぎる呼び方である。思わず目を見張るのだが、しかしサイカが何かを口にするよりも前にメイドの格好をした少女は脱兎が如く背を向け、逃げ出して行った。伸ばしかけていた右手の行き場をなくしたため、ゆっくりと下ろした。若干寝ぼけていた思考がゆっくりと覚めていくにつれ、サイカは自分に置かれている状況の不可解さに耐え切れず大量の冷や汗を流した。


「……」


 自分が寝かされていた寝台が、サイカの自室のベッドの数倍の大きさであることや、おそらくお高いのではと一眼で分かるような上質な寝具、また見渡した部屋もまた自分の自室の何倍もの広さであること……明らかに場違いすぎる。一体ここはどこで、どうなっているというのか! 謎の落下のあと、謎の男に槍を向けられ、そして抱きしめてくれたはじめの温もり。……いくら考えても答えなど出るはずもない。何一つ、分かるはずがない。サイカは混乱すると沈黙してしまう性格である。ぐるぐると渦を巻く思考に飲み込まれながら、意味の分からない状況に叫んだり喚いたりはできそうになかった。眉間にしわを寄せながら、ひたすらに幼い頃から頼りにしていた幼馴染の名前を心の中で呼び続けていた。


「……はじめちゃん……」


 サイカがはじめの名を一度縋るように呟いた瞬間、先ほどメイドの少女が出て行った扉が、バンッ! と大きく音を立てながら突然に開いたため、サイカはびくりと肩を揺らしながら目を見張った。


「サイカ……!!」

「……はっ、はじめちゃん……!!」


 が、瞬時に蘇った不安や恐怖は一瞬にして消え去った。やって来た人物が、自分の半身とも言える大事な幼馴染であったから。部屋に入って来るや否や、一目散にサイカのもとに駆けつけたはじめは、そのまま勢いよくサイカのことをぎゅーぎゅーに抱きしめた。


「よかった! 目が覚めたんだね……!!」

「ちょ、はじめちゃ……痛いっ!」

「よかった、サイカ。サイカ……僕のサイカ!」

「ちょっと、はじめちゃん!!」


 あまりにも加減なしに、まるでその存在を確認するかのように強く抱きしめ、はじめは繰り返しサイカの名前を呼んだ。はじめのスキンシップが過剰なのは今に始まったことではないが、それにしてもいつにもまして強引で情熱的な抱擁に、サイカは狼狽えながらも、はじめの背中をばんばんと叩くことで抗議した。いつもは……加減してくれるくせに。サイカは眉間にしわを寄せながら内心、口を尖らせた。


「ごめん、サイカ。ほっとしてしまって。ところで……どこか、痛いところはない? 頬は?」

「あ……れ? そういえば」


 ようやく、はじめが解放してくれたかと思えば、今度は至近距離で顔を覗き込まれて、そして心配げな視線で見つめられ、そこでようやくサイカは先ほどおもいっきり頬を叩かれたことを思い出した。それなりに熱を持っていたし、もちろん痛かった。しかし、はじめに言われるまで、サイカは全く気づかなかった。はじめには「サイカは鈍感すぎるし、色々と無頓着すぎる!」と危機管理能力のなさにおいて、よく叱られてしまうのだが、サイカからすればそれはほとんどはじめのせいだと思っている。いつでも傍にいて、ずいぶんと過保護すぎるほどに取り扱ってくれるのだから。


「全く痛く、ない……?」


 はじめが、ずいぶんとやさしい手つきでサイカの頬を撫でるが、あんなにも痛かったのに、どいうわけか今は全く痛みがなかった。


「そう、よかった。ちゃんと治療しておいたからね。もう痛くないなら、よかった」

「え……う、うん?」


 はじめが、ほっとしたような顔で微笑する。が、当然ながらサイカはどうも納得いかない。治療にしたって、こんな何事もなかったかのようになり得るものだろうか。


「……はじめちゃん、あのさぁ」

「サイカの言いたいことは、全部分かってるつもりだよ」

「……じゃあ、全部答えてくれるよね」

「もちろん」


 他の女生徒が見たなら赤面したまま卒倒してしまいそうな、きらきらとした満面の笑みで、はじめが笑うのでサイカは思わず眉を寄せた。……はじめが、こんな顔をしたときはあまりいい予感はしない。サイカは基本的にはじめに対し全幅の信頼を寄せているし、そのせいで色々と平和ボケしてなくもないが、けれどもはじめを盲信しているというわけではない。サイカにとってはすっかり見慣れている、はじめの美しすぎる顔を胡散臭げに眺めながら、サイカははじめの次の言葉を待った。


「……えっと、まずここがどこかってことだけど」

「うん」

「……異世界、なんだよね」

「はあ?」


……異世界?


「さらに詳細に言うなら、北大陸最西に位置するアーレント国、首都エーデルのレートレーテ城の一室」

「……はじめちゃん」

「うん? なに、サイカ」

「……ちょっと一発殴っても大丈夫?」

「いいけど、別に」


 どうぞとばかりに頭を差し出されたので、サイカがはじめの頭頂部をぺしりと一回叩くと、何故か満面の笑みを浮かべて、はじめはまたさらに続けた。


「あとね、ずっと黙っていたけど、実はここ、僕の本当の実家なんだよね」

「……ちょっともう一回叩かせて」

「はい、どうぞ」


 そしてまた、目を怒らせているサイカに、はじめは自ら頭を下げ、頭頂部を差し出した。ばしりっ! と先ほどよりも強い音がした。





 3歳頃から、およそ13年間。はじめと、まるできょうだいのように育ってきたサイカでも知らなかったことであるが、日本で名乗っていた北浦一という名は本当の名前ではない。確かにどう見ても日本人どころか東洋人的な顔立ちではないし、また並外れた美貌をしていたので、外を歩けば必ずはじめは人々から注目を浴び、とにかく目立っていた。名前は純日本的なものを名乗ってはいたが、しかし言ってみればはじめはとにかく異質な存在だったとも言える。


 13年間、サイカは全く知らなかったことであるが、はじめの本当の名は、ヘイゼル・エル・アーレントといった。生まれは日本ではなく、このアーレント国であった。そして、はじめはこのアーレント国の第一王子でもあった。さらに言うなれば、立太子式をまだ済ませていないので正式にではないが、今のところ事実上の王太子でもある。


「……ヘイゼル様、それで? サイカ様は如何でした?」

「めちゃくちゃ怒ってた」

「まあ、そりゃあそうでしょうねぇ」

「他人事だと思って面白がってるな、トリス」

「他人事ですからね」


 ヘイゼル王子の従者、トリス――もとい、トリスタン・フェルステルは苦笑した。


「それよりも、私は今までサイカ様に黙っていたことが驚きですよ。ニホンとこちらの二重生活。よく隠していましたね」

「そのあたりは、魔力の安定によるところが大きいねぇ……うまく時間操作していたから」

「……それならば、もっとお早い帰還も可能だったのでは?」


 トリスタンの当然すぎる質問に、今度はヘイゼルが苦笑する番だった。


「そうだねぇ……」


 勿論、帰りたくなかったわけではない。そうは言っても、やはりアーレントは大事な故郷であるし、自分がいずれ治めるべき国だ。自分の立場も、よく理解している。だからこそ3歳を数えた頃に、全く縁もゆかりも無い異世界とやらに飛ばされなくてはならなかったときは、この世の終わりのように絶望した。あの頃のことは、まるで記憶に付箋を張ったように、本当によく覚えている。……こちらに、付箋などという物は存在しないが。


「……大事なものが、できてしまったから。何よりも、誰よりも、大切な」


 ヘイゼル……はじめにとって、たったひとつの宝物のようなものだ。何にも代え難い、この世でたったひとつの。


――はじめちゃんっ、だいすきよ!!


 今まで、ヘイゼルはただの一度とて、わがままを言ったことはない。生まれた瞬間から、ヘイゼルは王子で、いずれ王になることが約束されていたからだ。それは、輝かしい栄誉なのかもしれない。けれど、そのことは、あまりにも聡すぎるヘイゼルにとってはずっと重荷だったし、それを拒むという選択肢はどこにも存在しないことを知っていた。だから、色んなことを我慢し、受け入れてきた。次期王になるための厳格な教育も、重すぎるほどの重圧も、たった3歳で家族と故郷から離され、異世界に飛ばされたときも、いつだって。弱音を吐くことも、わがままを口にすることも、許されなかったのだ。


――ぼく、サイカちゃんがそばにいくれるなら……っ!


 もう、何も要らない、と。ただひとつの、幼くとも切実な願いだった。

 サイカには、伝えなくてはならないことが、まだまだたくさんある。ヘイゼルは、誰にも邪魔されることなくただふたり、ずっといっしょにいられた過去の思い出に思いを馳せながら、そっと目を閉じた。




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