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 物心ついたときには、いつも一緒だった。いつでも、隣にいた。だからずっと、何よりも大切だったし、誰よりも大好きだった。傍にいるのが当然のことであったし、傍にいないというだけでひどく不安になってしまうほどに、それは自分の人生の中で必要不可欠のものになっていた。離れることも、誰かにとられてしまうことも怖くて仕方がなかった。願わくは、一生、ずっとずっと傍にいてほしいと心から祈っていた。いつか手放さなくてはいけないと、心のどこかで分かっていながら。





「サイカ」


 とてもやさしい声で、自分の名を呼ばれ、津田彩花(つださいか)は声の主の方へと振り返った。そこには、これ以上ないほどに穏やかな顔で微笑む、幼馴染の北浦一(きたうらはじめ)の姿があった。


「はじめちゃん」


 その顔があんまりやさしかったので、なんだかやっぱり照れ臭くて堪らず、胸の奥がむずむずするような錯覚に陥ったサイカははにかみながらも、幼馴染であるはじめに対してなんとか笑みを返したのだった。


「おはよう。じゃあ行こうか」


 幼い頃から、全く変わらない笑みでにっこりと微笑むはじめの笑顔に、サイカはほんの少し困ったような視線を投げた。しかし、おそらくサイカの視線の意図することに、聡いはじめが気づいていないはずもないというのに、それでも全て分かっていて、敢えて不変を貫き、困惑するサイカの手を今日も自ら取るのだった。




 津田彩花と北浦一は幼馴染であった。性別は男女で、それぞれ違っていたが、同い年であり、またなおかつ超がつくほどの大の仲良しだった。サイカの両親や、二人をよく知る友人、幼稚園、学校先生には呆れられてしまうほどに、二人は本当にお互いが大好きで仕方がなく、とても仲が良かったのだ。


 二人が出会ったのは、二人が幼稚園に入る前の頃だった。津田家のお隣に、北浦家が引っ越してきたことで、二人は引き合わされた。サイカもはじめも共に一人っ子であったので、二人はまるできょうだいのように育ったのである。


 というのも、サイカの両親は父親が勤め人で、母親が専業主婦だった。一方で、はじめの両親は父親しかおらず、母親は初めからいなかった。北浦家は所謂シングルファーザーであった。はじめの父親はとある会社の社長であり、きわめて多忙であったためにほとんど不在だった。北浦家は経済的には非常に潤ってはいたので、津田家のお隣に越して来るまではベビーシッターや家政婦を雇うことで、家の中の雑事やはじめの育児はなされていたらしい。が、しかしはじめが三つの年の頃を数えた頃、父子は津田家の隣家に引っ越して来た。そしてそこで、はじめは生涯心から、何よりも大事に想うサイカと出会うことになった。その出来事をきっかけに北浦家と津田家の生活は様変わりしたと言える。


 初めから、サイカとはじめの二人は仲が良かった訳ではない。その頃のはじめは人見知りが激しく、情緒不安定であったので、津田の両親、またサイカにも例外なく初対面では拒絶反応を見せた。が、その日サイカと関わったことで、はじめはどういうわけかサイカに強い執着を見せるようになり、誰かがはじめからサイカを引き離そうとする度、泣き叫び、全身で離れたくないと示すようになったのだ。


 はじめがサイカと出会った初日、はじめのベビーシッターが北浦家にはじめを連れ戻そうとすると、はじめは泣いて嫌がり、サイカと離れることをひどく怖がった。そしてその日以降、はじめは津田家へ何度も訪れるようになり、はじめだけでなくサイカもまた、一途に自分を慕ってくれるはじめがかわいくて、そしてうれしくて堪らなくて、二人はいつでも一緒に遊び、いつでも一緒にいたがるようになった。サイカも、津田の両親もそんなはじめを拒否しなかったため、はじめは次第に津田家に居つくようになった。サイカと一緒に遊び、同じものを食べ、一緒にお風呂に入り、また一緒に眠る日々も少なくなかった。


 はじめはもちろんのこと、サイカもはじめの存在が大好きだったし、津田の両親も、ことサイカに対して強い執着を見せ、ほんの少し人見知りがある以外は賢く利口であったはじめのことを拒否することなく、実の子であるサイカと分け隔てなく接していた。そのおかげか、はじめの情緒不安定は嘘のようになりを潜めていたし、サイカ自身もはじめが「サイカちゃん、サイカちゃん」と一途に慕ってくれることがうれしくて、まるでお姉さんにでもなった気分でとてもいい子にしていたこともあり、北浦家にとっても津田家にとって二人が一緒にいることに大いに肯定的だった。自身の仕事柄、あまりはじめとの時間を取れずにいるはじめの父親が、持て余し気味だったはじめのことをとても良い方向に導いてくれたサイカと津田の両親に、心から感謝していることは言うまでもないことだった。



 そんなふうに、二人はまさしくきょうだいのように育ち、ずっと変わることなく一緒だった。それは、二人が高校生になった今でも全く変わっていなかった。はじめは相変わらずサイカだけを望んでいたし、サイカもそんなはじめに戸惑いつつも変わらずに好いていた。けれど、あの頃とはいくらか状況は変わっていた。だからこそ、サイカはどこかで不安を感じていた。はじめは、一体いつまで自分のことを望んでくれるのだろうか。ただ、そのことだけがサイカはずっと不安で、怖くて仕方がない。





「おはよう、サイカ」


 サイカが自分の教室に入ると、既に友人の田口倫子は登校して来ており、サイカの前の席に座っていた。


「おはよう、倫子」

「今日も、王子と登校?」

「……うん」

「今日も変わらず、か」

「……そうだねぇ」


 倫子がにやりと意地悪く笑うので、耐え切れず苦笑しながらサイカは自分の席に着席し、高校生になってずいぶんと増えてしまった教科書たちを机の中にしまった。


 王子とは、サイカの幼馴染である北浦一のことを指す。はじめは名前こそ純和風であるが、しかしはじめの容貌はどこからどう見ても純日本人であるとは言い難いものだった。上質な金糸のような光り輝くプラチナブロンドの髪、まるで薄氷のような繊細さを宿した薄青の瞳。すらりと伸びた手足に、処女雪のように一点の曇りなく美しい白い肌、すっと通った鼻梁、そして濡れたように瑞々しい妖艶な唇から零れる声はまるで歌うように美しく響く……と筆舌に尽くし難いほどに、とにかく美しく容貌をしており、どこからどう見てもまるで絵本の中の王子のように完璧な佇まいなのである。


 一方で、ただ見た目だけではないのが、はじめの恐ろしいところであった。まるで当然のように、はじめはとにかく何にもできた。学業、スポーツはもちろんのこと、音楽や美術などの芸術分野ですらも秀でていた。完璧を絵に描いたようでありながら嫉妬する者さえも意外に少なく、はじめには不思議と人望があったし、また統率力においては右に出る者はいなかった。ついでに言えば家柄もいいとか、実家はお金持ちだとか、そんなところまでいい。天は二物を与えず、などは嘘だ。二物どころか、あらゆるものをはじめは恣にしているといっても過言ではない。……というのが、はじめの一般的な評判だった。


「何で、はじめちゃんは未だに目が覚めないんだろう」

「恋は盲目ってやつじゃない?」

「でも、私じゃどう考えても釣り合わない」

「むしろ私としては、あの腹黒にサイカは勿体ないと思うけど。というか、単に条件という意味においてなら、あいつと釣り合うやつなんて、この世界に存在しうるのかどうか疑問だけどね」

「そうだよねぇ」


 本当に、どうしたことなのだろう。倫子の言葉にサイカはため息を吐かずにはいられない。幼い頃からはじめを知っているサイカにして見れば、確かに昔からまるで絶世の美少女がごとく、とても整った、美しい顔立ちをしていたが、しかし一方ではじめは人見知りで、泣き虫で、怖がりで、そして何よりとにかく寂しがりやな男の子だった。今でこそ、完璧が服を着ているようなはじめは、己の容貌と才覚から『王子』などという大層な呼び名がつけられているが、幼い頃のはじめは決して今のような完璧な男の子ではなかったし、むしろ長い間はじめと共にいたサイカは、はじめが血の滲むような努力によって、今のような『完璧』さを手に入れたのだということもよく知っている。……泣き虫だったはじめは、いつからかサイカに甘えることをしなくなった。それまで、はじめの『おねえちゃん』気分だったサイカは、そのとき強いショックを受けたことを覚えている。


――……サイカちゃん!ぼく、つよくなるっ!だれよりもつよくて、りっぱな大人になる!だから、だから……っ!!


 泣ながらも強い眼差しで、サイカの手を強く握りながら、はじめがそう宣言した日のことを、サイカは今でもよく覚えていた。あの日から、はじめは泣かなくなった。無条件にサイカを頼ることをやめた。


「……いつかきっと、はじめちゃんに置いていかれるんだろうなぁ」


 あの日、強いショックと共に感じたことを口にすれば、目の前の倫子が怪訝な顔でサイカのことを見た。湧き上がる寂しさと焦燥感を堪えながら、サイカは倫子に別の話題を提供することで、話を逸らすことにした。



――いつか、幼い頃何度も握っていたこの手を、はじめが離してしまうことは明らかで、だからこそサイカは怖くて堪らなかった。いつまではじめの特別でいられるのか、いつまではじめが変わらぬやさしい笑顔を向けてくれるのか。サイカは、はじめに失望されてしまう日を恐れながらも、幼い頃から誰よりも大好きなはじめから今日もまた離れられずにいたのだった。




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