第一話「彼」
女の子って何で出来てるの?
綺麗なアクセサリー、飴の香りがする香水、流行りものの洋服。
そんな素敵なものを纏って、煌びやかに笑っているの。
素敵な私はあなたの瞳にどう映っているの?
今朝も何時ものように「素敵」を纏って彼女は歩く。すれ違う男の視線を感じて颯爽と歩く。そう、私は美しい。私に似合うレースのスカート、ふわりとなびく長い髪。
いつも通う大学の校舎。私の周りは人で溢れる。
「ねぇ真由!今日の髪型超可愛いじゃん!」
「真由~!今日帰りどっか寄ってこ!」
そうやってブサイクな女の子達に囲まれた私を、男達は飛びきり美しいものを見る目で私を遠巻きに眺める。
「あ、の…」
ふと一人になった瞬間に、地味なネルシャツに身を包んだ、お世辞にも美男とは言えない男性に声をかけられた。
「なぁに?どうしたの?」
真由はにこりと微笑んで応えるも、内心
(うわっキモ…こんなのに話しかけられるなんて、最悪。)
男はそのまま、人目を憚る事無く続けた。
「僕っ、真由さんの事、ずっと見てて、その…す、好きですっ!」
真由の取り巻き達が騒ぎを聞きつけ遠目から「うわー無いわー」「身の程知れば?」などというどよめきを発していた。当の真由も
(最っ悪。あんたに私が似合う訳無いでしょ?!)
と、好意を示した男性に心中から罵声を浴びせた。だけど「私」はこんな事、言わないの。
嫌悪感など微塵も感じさせないように、真由はこう言った。
「──ご、ごめんなさい。私─その─今は誰かと恋人になるとか、考えてなくて…」
真由の心の内を知るとなんとも白々しい台詞だと思うが、周囲には覿面だった。
そこに追い立てるように周りの野次が飛んだ。
「ハーイキモオタは二次元に帰ってくださーい」
「いやいや彼も鏡見たらイケメンに見えちゃう病かもだし?」
それに同調してあちこちから嘲笑が沸き起こる。
男は耳まで真っ赤にして、ネルシャツの裾を掴んで震えていた。
それを見た真由が「今だ」とでも言うように「素敵な私」を演出した。
「皆…駄目だよ!一生懸命言ってくれて、私が悪いんだから!」
───決まった。誰もが真由の外側と内側が合致していると確信する。
男は震えたまま周囲に溶け込むように真由の視線から外れていった。
そうよ。それでいいの。あんたが私に好意があるってだけでも気持ち悪いのに、面子保ってやっただけでも有り難く思いなさいよ。
その後は、また「何時もの」日常だった。
自宅に着き、何か面白い番組でもやってないものかと思いテレビを点けた。すると夜の報道番組が映った。
──なんだ。つまんない。
そう感じたが眠りにつくまでの暇つぶし程度の感覚でその番組を眺めた。
『──では次のニュースです。──東京都○○区で二十代前後の女性が遺体で発見されました。──警察は同一犯による殺人事件ではないかと───』
──寝つきの悪くなりそうなニュース。でも──あれ?
偶々見ていたニュースをよく見るために身を乗り出す。
…なんか、私の家の近くじゃない?
こういったニュースは初めてではない。最近、身体を引きちぎったような遺体が発見されるという話題がやたら多い。警察は猟奇殺人の愉快犯ではないかと言っているらしい。
何…?こんなやつさっさと捕まって死刑にしなさいよ。
気分を害したが、それを紛らわして眠りについた。
翌朝。
雨が窓にぱちぱち当たる音で目が覚める。──こんな日は学校になんて行きたくない。講義休みたい…
それでもなんとなくベッドから出て朝食でもと思ってリビングへ。すると窓から
『ドンドンドン!!』
真由はびくりと身を竦ませた。風で何かが飛んできた音ではない。不意に昨夜のニュースを思い出す。─え?え?
一気に血の気が引く。
ペン立てに置いてあったカッターを手に恐る恐る窓に近付き、勢いよくカーテンを開けた。
するとそこには傘もささず、風でボサボサのアッシュブロンドの髪、びしょ濡れのアンティークみたいなスーツを着ている巨躯だが細身の男が
「すみませーん!開けてください!開け…わっ!」
窓の外の男の顔面に飛んできたビニール袋がべしゃりと引っ付いた。
幸い男は凶器らしきものは持っておらず、窓を破って入ろうとする気配はなかった。
「何!?何なの!?」
真由は半狂乱になりつつ言った。すると男は顔のビニール袋を剥ぎ取りながら
「あのっ、僕は人口…ちょっ、中に入れてください…!」
窓の外の男は段々強まる風と雨足に飛ばされてくる木の葉やら塵やらでへこたれた様に言うが、当の家人である真由はもはやパニックである。
「やっ─!こっ、来ないで!!人殺し!!!」
絶叫する真由の様子に男は
「わっ!違います!!違っ…まっ、また来ます!!」
そう言って慌てふためき、ベランダの植木を倒して逃げて行った。
──助かった……?
握る手は汗でびしょびしょだった。でも
「また───来る──?」
それと同時にとんでもない事に気がつき、今度は一気に身の毛がよだつ。
ここはマンションの五階だ。近隣の住民がベランダ伝いに来ようにもこの雨風である。第一このマンションに住み始めて二年になるというのに、あんな特徴のある男に会った事も無かった。しかもあの男、真由が叫び声を上げたら躊躇うことなくベランダから飛び降りた。
真由の声を聞きつけ、隣家の住民が玄関前に駆け付けたようだった。
寝間着姿のままベランダに飛び出すと、隣にも下にも、人影などなかった。
隣家の住民に大騒ぎで「今っ!!ここに人っ…窓の外に…!!」と必死に訴えるものの、マンションの五階のベランダに人など現れる訳などないと逆に怒られる羽目になった。それでも納得がいかず大家に聞いてみたが、そんな風貌の住民など居ないとの事だった。
──なんだったのだろうか───まさか幽霊でも視たとでも?
結局その日は怖くて大学の講義を欠席して部屋に閉じこもっていた。
翌朝、窓の外を見ると、嵐が来ていた。ベランダの植木は倒れたまま。
誰かにこの話を聞いて欲しくて、いてもたっても居られなくなり真由は嵐の中大学へと向かう最寄り駅に走った。
──駅に着くと
『───○時○○分発△△線は──強風の為運行を─見合わせて──』
構内アナウンスを聞き、真由は自分の焦りぶりに辟易した。
──そうよね─この嵐で電車なんて走る訳ないわ──
しょうがない。家から友達に連絡しよう─
こんな天気にお洒落なんてして来るんじゃなかった。雨に濡れたスカートを見てとぼとぼ歩く。するとただでさえ黒い雲がかかっていた空が一層暗くなる。
タクシーに乗ればよかった──そう思っていると、雷の音がして空を見上げた──すると真由は再び絶叫する。
真っ黒な靄に目口が付いている。しかもその靄に付いている幾つもの目が全て真由を睨み付けていた。
「───あ──ああぁ…─」
恐怖のあまり言葉を失う。すると靄から黒い四肢の様なものが生え、ずるずるとこちらに近付いてくる。
靄が唸り声を上げる。雷の音じゃない─『これ』の声─…?
靄が真由を捉えようとした、その時。
不意に自分が先程までの場所に居ない事に気付く─いや、それより─
「─あぁ、間に合った!ご無事で何よりです。」
真由の目の前の、見覚えのあるスーツ姿にどう見ても日本人離れした体格と髪の色の男。
「どうも、またお会い出来て良かった。栗流真由さん。」
「昨日の幽霊!?」
思わず真由は世間体など弁えずに声を張り上げた。すると男は
「ゆっ…」
───どうやらショックを受けたようだ。だがすぐに自分わ立て直し
「貴女がドゥアトの標的にされたので注意喚起しようとしたのに…殺人犯扱いしたり幽霊扱いしたり……」
──やっぱり立て直していなかったようだ。
「ドゥアト…?標的…?何よ……私がっ、何したって言うのよ!?」
すると男はあの不気味な靄を指差し
「それは彼に聞いてみては?」と言った。
真由は靄に目をやる。すると靄の中に何か─『何か』がいた。真由はハッとする。
あの時の──先日自分に告白してきた男が、黒い鉱石のようなものになって、先程の雷鳴のような咆哮を上げていた。
真由の前に立つ幽霊男が
「彼はドゥアトにより『自殺』しました。そして原因を作った貴女を殺しに来たのですよ。」
真由はいよいよもって訳が分からなくなっていた。
「死んだ…?私が原因で?わた、私が何したっていうの?」
すると男は
「心当たりは本当にありませんか?」と、こんな状況にも関わらずゆったりと喋る。
「私が、あいつを振ったから?!なんでよ!私にだって選ぶ権利があるでしょ!?」
「それですね。──真由さん、人とは貴女が思ってる以上に聡いものです。もちろん貴女が誰を選ぼうが自由です。ですが本当に誠実なものかどうかは、本気で向き合えば自ずと解ってしまうものです。」
続けて男は語り出す。
「貴女という寄り処を無くした彼が貴女を──そして次は貴女の周りの方々を──いずれ全てを滅ぼす『死』になるんです──よっ!」
話し終わる前に『ドゥアト』が恐ろしい呻きをあげ、その四肢を振るう。男は細身の身体に似つかわしくない力で、真由を片腕で抱えそれから避ける。
「あんた…何なの?」
震えながら問う真由に男はにっこり微笑んでこう言った。
「ご挨拶が遅れました。僕は人口管理局特務課特区、ニコラス=フーリエといいます。」
「ニコ──ラス─」
真由は初めて男の目を見た。テレビでしか見た事のない外国の海──
いや、もっと深い、吸い込まれそうな青だった。
「一応聞きましょうか、真由さん、貴女は生きたいですか?それとも『ドゥアト』の一部になりますか?」
「─い、生きたい!やだ、死にたくない!」
「それは彼もそうでしょうね。」
不意にニコラスの声にひやりとした感覚を覚える。
「彼だって幸せな未来を描いていたでしょう。それを挫かれた痛みがその未来を否定されるまでの事を、貴女達はしたんです。」
その言葉で、真由は自分の『素敵』がちっとも『素敵』じゃなかったことに気付く。
「──ごめんなさい…ごめ…」
自分の涙と雨粒の区別がつかなくなっていた。
ふらりと立ち上がり、ドゥアトになった『彼』に近付く。
「ごめんなさい…ごめんなさい…!」
ドゥアトがその黒い四肢を勢いよく真由へ向ける。
────ずっ────…
鈍い音。真由が雨と涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
──同時に悲鳴を上げる。
私が散々追いやった──殺人犯扱いまでしたニコラスが─ドゥアトと真由の間に立つ。
───その右腕は無く、切断されたと思われる箇所からは黒い靄が出ていた。
──────next──────