春の目覚め 4
「も、申し訳ありません、姫様……せめて、せめてお加減をお診せください、どうか」
三跪九叩するリッテリットを黙殺して、私は枕に顔をうずめ、レシャン水鳥のダウンの柔らかさを堪能していた。リッテリットの鬼畜な所業にふて腐れたわけではないが、というと真っ赤な嘘で、意図の半分方はリッテリットへの無言の非難ではあったが、残りの半分はひどい虚脱感が理由であった。要するに、リッテリットに嫐られつづけたお尻があんまりに痛くて、とても大音声で責めたてるような気分になれなかったのだ。こうしてじっとしていてさえ、みみずばれはずきずきと発熱し、うなるような疼痛が私を苦しめているのである。まして歩こうなどと試みれば、つま先が床にちょんとふれただけで、腰を砕くぐらいの衝撃が小さな身体中を暴れまわる。直視するのが怖くて確認していないが、白桃みたいに白くてつるつるしていた私のお尻は、旱魃の荒れ地のようにひび割れてしまったことだろう。
もともと鞭や笞は武器に類するものではないので、その殺傷力というのもそんなに高くはない。もちろん重量のある一本鞭を達人がふるえば肉を割き骨が見えるほどの傷をも与えることができるし、猫鞭のような先進的な拷問具であれば人体を破壊することにも長けるが、だからといって弓の一射や槍の一突きに勝るものでもないのだ。しかも、リッテリットはおおむね深窓の令嬢で、腕力はからっきしだし、別段笞打ちの手利きというわけでもない。つい先ほどだって、本職がそうするようにカンバの笞を塩水につけたりといった工夫はしなかったし、悪い意味で力任せのやり方だったから、おそらく後半はもう腕が疲れてしまってろくな威力も出ていなかったと思う。
ただ、私をいたぶることへの、もはや執念を通り越して妄念の域に達していたような執拗さだけは玄人はだしだったと認めていい。数時間に渡って何百というオーダーの打擲にさらされた結果、私の幼い身体と脆弱な精神はもはや悲鳴もあげられないほどに衰弱してしまったのだ。
「あの……姫様、姫様。そろそろ夕のお食事のお時間に……」
「いらない」
「えっ……姫様?」
「いらないったらいらない。食べられない」
枕から顔をあげ、枯れかけたのどを精一杯酷使して怒鳴ったつもりが、自分の耳に届いた声すらかぼそいささやきにしかならなかったことに愕然とする。もうしょうがないので、私は感情の乗らない小声で遺憾の意を示すことにした。
「はやく不参を伝えてきて。今なら私だってひとりで出歩いたりしない、んだから」
皮肉たっぷりにリッテリットを揶揄する。そんな仕打ちをうけたのが悔しいのか、リッテリットははしたなくも歯がみして目線をそらし、わなわなとふるえていた。リッテリットは結局私の方を向きもせず、足早に青女宮を出ていった。
私は勝った、と思った。あるいは、それはこうまでリッテリットの逆鱗にふれた私自身へとかえってくるブーメランかもしれないが、ちょっとだけ胸がすく気分だ。あまりほめられた趣味でないのは理解しているが、逆に言うと私にできる意趣返しなどは言葉責めがいいところなのでなかなか改められもしない。まあ先月からは押しも押されもせぬ雪華北嶺の王太子様なので、準勅令で片っ端から磔台送り、なんていう暴挙もできなくはないのだが。
しかし、ただでさえ味方のいない私がリッテリットを切って捨てたら、次に処刑台が吸う血が私のものになるだろうことは私の知る歴史が証明している。山岳のロべ公しかり、チョビ髭伍長閣下しかり、あるいは北の大地つながりのフデ髭書記長しかり、身内を大事にしない独裁者が畳の上で死ねた試しはないのだ。雪華北嶺は小さいなりに王権の強い国だが、貴族連でも手を出せないような絶対性はない。いくら他に王族も賜姓家もないからといって、むしろ下手に運べば王政ごと潰されかねない怖さがある。
でも、子供のいたずらで済ますならいいかなとよこしまな考えが頭をよぎる。もちろん冗談で、だが、私に死罪を宣告されたらリッテリットはどんな顔をするだろう。嗚咽、慟哭、吃驚、愁傷、悲嘆、逆上、そのどれでもたまらなく狂おしい。もしかして笑ってくれたら、もうそれだけで絶頂ものだ。けれども、私は生涯その感動を得ることはないと、私の中の冷静な部分が警鐘を鳴らす。きっと私は、そんなに破滅的にも享楽的にも生きられなくて、だからこそ輝いて見える天上の星に手を伸ばすことにさえ怖気づいてしまう小心者だ。
まあ、もっとも、そんな余禄を手にする機会がそもそも私にあるかどうかがまず疑わしい。氷渓関が抜かれ、白雪城が落ち、白銀八重の城壁がみな破られてこの青女宮まで土足で踏み込まれたあかつきには、私にもリッテリットにも過酷な運命が待っているだろう。亡国の民の末路などおよそ相場が決まっていて、男や老人は皆殺し、女子供はやはり殺されるか奴隷にされるのが常だ。私は女の子供だが、おそらく殺されるだろう。なぜというのも、私は王族であって、次代の正統を孕める唯一の女だから、生かしておけば十分な火種になる。エト=エルゼの皇族にとりこむのもひとつの手だが、そのつもりがあるなら使者を拒絶するような真似はするまい。助かる可能性があるのはむしろリッテリットの方で、運がよければ奴隷にはなれるだろうし、上手く立ち回れば貴族の囲われぐらい目指せるかもしれない。もっとも、それが殺されるよりましな行路という保証はないのだが。
極力死人が出ないように暗黙の約定を交わし、やあやあ我こそはと一騎打ちに興じ、身代金の取り合いで決着するようなおままごとの戦争とは違う。似たような文化の近しい民族同士だからそんななれ合いも成り立つのであって、あまりに違いすぎる雪華北嶺とエト=エルゼでは、きっとお互いを同じ人間だとさえ思っていない。だから連中は私の死体を前衛芸術に仕立てあげて辱めてもなんら恥じることとは思わないし、奴隷にしたリッテリットをかわらけのように使い捨てても惜しいとは感じないだろう。そしてそれはこちらにとっても同じことで、この純白の国土を10万のエト=エルゼ人の血で深紅に染めあげても、雪華北嶺の誰の心も痛めることはない。
果たして私もそう思えるようになれるだろうか。今はいい。矢面に立つのも、指揮を執るのも、戦略を見定めるのも、責任をとることさえ、今はまだ他の誰かがやってくれる。しかし、その責を負わねばならないときが必ずくる。それは私は雪華北嶺の王太子となった以上、逃れられぬ運命だ。そのとき私は言えるだろうか。居並ぶ将兵たちに、鏖殺しろと、殲滅しろと、そのためにお前は死ねと、躊躇なく悔恨なく、感傷すら覚えることなく、私は命ずることができるだろうか。
どうあっても出来ねばならない。そうでなければ、鏖殺されるのは私だ。殲滅されるのは私たちだ。エト=エルゼの人柱の上に建つのは雪華北嶺の人骨の城だ。それが許せないならば、我慢ならないならば、チェスでも指すように味方の命を捨て、敵の命を刎ねなければならない。私は雪華北嶺の王になる女だ。
「強くなければ、生きてはいけない。優しくては、生きる資格がない。難儀なものよね……」
こんなふうにひとりで臥せっていると、どうしても考えがネガティブな方向に沈んでいくのを止められない。まだじくじく痛む身体が、私の脳を蝕み膿ませているに違いない。ついさっき追い払うように放り出したリッテリットのことが、今はもう恋しくてたまらなくなってしまった。まだまだ起き上がれそうにもないので、手慰みに枕元の呼び鈴を取ってみる。真鍮製のそのベルはモミの木をかたどった作りで、もうずいぶんと傾いた陽光にかざしてみると、金よりも深く光をのみ込んで鈍く輝いていた。細い指先でつまんで軽く鳴らせば、寝所に備えつけのものであるからか、ちりちりと存外響きの悪い、しかし落ち着いて耳に障らない鈴音が聞こえてくる。
リッテリットはいつだって、私がこの鈴を鳴らすとすぐに駆けつけてきてくれた。夜半すぎでも、吹雪の吹き荒れる極夜の朝でも、雪国造りの厚い壁一枚隔てたらもう聞こえなくなってしまうようなかすかな音に気づけばすぐさま。けれど今、リッテリットは帰ってこない。私がこんなにも求めているときに、私自身のわがままのせいで、リッテリットはそばにいない。さみしくて切なくて、私は嘆くようにぐずりながら名前を呼んでしまった。
「リッテリットぉ……はやく帰ってきて」
あたかもその声に応えたかのように、重い二重扉がすっと開く。
「姫様、ただいま戻りました……って姫様、呼び鈴は遊ぶものではありませんよ。いちど鳴らすだけでよいのです」
「遊んでないもん。リッテリットが早く戻ってくるようにお願いしてただけだもん」
リッテリットの姿を見ると、私はもうすっかり安心してしまって、途端に憎まれ口を叩いてしまう。私はそのとき、リッテリットに甘える可愛い私という仮面を被ったつもりだったけれど、本当のところはどうだかわかったものではない。私になる前の私は、この白い童女の皮を剥いでみたら、その中にまだ消えずに残っているのだろうか。もう何百と繰り返したかわからない自問は、今日もまだ未解決問題のまま、プラス一回の棚上げを経験することになりそうだった。
「ええ、リッテリットはただいま帰りましたよ」
「じゃあこっちに来て。まだあんまり声が出ないの」
「では失礼いたします、姫様」
私がぽんぽんと手でベッドを叩いて呼ぶと、リッテリットはベッドわきにひざ立ちでかしずいた。私は首から上だけを横向きに倒し、リッテリットの細い顔を見つめた。リッテリットの琥珀色の瞳は、すこし驚いたように丸く開いていて、その虹彩に映る私の表情が苦痛や鬱屈から解放されているのが嬉しそうだった。紆余曲折あったが、これは当初の予定通り。私は頑張って、可愛らしいわがままをリッテリットに押しつけることにした。
「リッテリット、おかし」
「姫様、お腹がお空きでいらっしゃるなら、夕餉を運ばせますが」
「おかし食べたいの。持ってきて」
「……では居室にお持ちいたしますので」
そんなに力は込めずに、再度ベッドを叩いて不満の意を表する。ベッドの上でお菓子をだらだらつまむとか、そういう自堕落さを私は求めているのだ。
「やだ。立てないもん。ここに持ってきて、食べさせて」
言外に誰のせいかと問責しながらも、ベッドを叩く手は休めない。まるでメトロノームのように等間隔に鳴らされる、綿が空気を吐き出す音は、私の催促のいらだちをよくよく表現してくれる。徐々に困り顔に染まっていたリッテリットは、ついに答えに窮して私から目をそらした。
「それは……その……」
「リッテリット」
ダメ押しの呼びかけを試みた。私はどこにそんな余力が残っていたのか、今日一日で一番甘い声をお腹から絞り出し、まだ幼児性の強い大きな紅翠二色の瞳を、流し気味の上目づかいにする。
「は、はい。姫様、ただいまお持ちいたしますので少々お待ちを」
「うん」
リッテリットの陥落は早かった。渋っていたはずなのにどことなく愉快そうな足取りで、リッテリットがドローイングに消える。あの様子なら、お菓子の用意をしながら鼻歌のひとつも奏でていそうなぐらいの雰囲気だ。もちろん行儀作法をきっちり修めた彼女のこと、それをはしたないと自重するだけの分別は持ち合わせているが、私としては別にそんなことに構う気はないので、一度ぐらいは聞いてみたいものだと思っている。もっと小さな頃など、子守歌の類はよく歌って聞かせてくれたが、この国の楽しげな歌というのは実はあまり聞いたことがない。
「お待たせしました、姫様」
言われたとおりにしばらく待つと、平たい文机のような足つきのお盆をささげ持ったリッテリットがドローイングから姿を見せた。お盆の上には平皿に盛られたあめ色の丸いお菓子と、これまた見事な磁器のティーセットが並べられている。期待に目を輝かせて見上げる私を横目に、リッテリットはサイドチェストにお盆を載せると、袖をまくって中腰になった。卵型の磁器のてっぺんはカップになっていて、リッテリットはそれを外すと、壺状のポットの本体を覗き込み、ゆっくりと回しはじめる。
私が痛みをこらえてそちらへずりずりと這っていくと、甜菜糖の甘い香りと、ちょっとスパイシーなリンデンの湯気が混ざりあって、折からのすきっ腹にしみた。私はリッテリットの目を盗んでその丸いお菓子を一粒つまみ、ぽいと口に放り込む。舌にふれたとたん、ざらざらした甘さが口の中で絨毯を転がしたようにひろがり、次にかりっとひと噛みすると、ベリーの甘酸っぱさが砂糖の絨毯にこぼれてにじんだ。そうして半ばが飛びたってしまったタンポポの綿毛のように欠けた玉を舌で転がすと、刺激的な酸味が純朴な甘みの中に均されて、そのお菓子の本懐であるマーブル模様な味わいがかもし出される。私は目元もほお肉もとろんと蕩けさせられて、すっかり幸せな気分になってしまった。
「ああ、もう姫様ったら勝手に」
「ねえ、このおかしはなんていうの? リッテリット」
見咎めるリッテリットの声もどこ吹く風と、私はこのお菓子を誰何した。浅く嘆息したリッテリットは、リンデンティーを淹れる手は止めずに答えた。
「クランベリーのスーファでございます。十分に熟したクランベリーの実を、半殺したざら糖で包んだお菓子ですわ」
「ふぅん」
「お気に召しましたでしょうか」
「うん、とっても。今日はじめて食べたのが悔しいぐらい」
私が簡潔に絶賛すると、リッテリットは顔をほころばせてしみじみと微笑んだ。
「それは……それはようございました」
「なんでこんな美味しいものを9年間も隠してたの?」
「それは、姫様が召し上がるにはいささか素朴すぎるものですから」
なるほど、普段王宮でいただくような、粋を凝らし巧を競わせた繊細なデザートとは、確かに趣きが違っている。そもそも、国で一、二の菓子職人の手になるそれらは、たとえシンプルな見た目であっても、精緻さをもって凡百のそれとは差別化されるものだ。たとえばこんな丸いお菓子なら、ベアリングのボールぐらい純正で、お皿を傾けたらどこまでも転がって逃げてしまいそうなつるつるの珠に仕上がることだろう。翻ってこのスーファを鑑みるに、ざら糖仕立てゆえにか表面はざらざらというよりごつごつしていて、それもほとんどが偏っていたり潰れていたりするものだから、丸いと評すると甘言になってしまうような気がする。けなすつもりは毛頭ないが、こんな飾り気のかけらもないものを王族の饗膳に供することを、彼らのプライドが許すだろうか。
「ね、じゃあこれってもしかしてリッテリットが作ったの?」
私がそう尋ねると、リッテリットはびくっと身をこわばらせ、伏し目がちに私の顔とお菓子の皿とにちらちらと視線をさまよわせた。恥ずかしがるように口元を手でおおい、蚊の鳴くような声できまりわるそうに言う。
「お、おわかりになられますか、姫様」
「まあ、これだけ毛色も違えばね」
「お恥ずかしい……リッテリットにはこの出来がやっとでございました」
「恥ずかしがらなくても。せっかくほめたのに」
「しかし、通いの下女たちでももっと綺麗に作るのです。それがリッテリットには悔しくて」
アークレーネの令嬢が庶民より大衆菓子をつくることが不得手だからといって、それはある意味当然の話で、別段恥ずかしいことでもないのだが、リッテリットにとっては大いに問題であるらしい。もっとも、白湯を沸かすのにさえ右往左往していた出仕当初からずっと一緒だった私にしてみれば、曲がりなりにも形になっているだけであたら進歩したものだという思いが強い。もっとも、リッテリットは11歳で侍女になると同時に私つきを命ぜられたので、当時まだ二つになるかならないかだった私がそんな小さなころの失敗をちゃんと覚えているなどとは思ってもいないのかもしれないが。
しかし、なるほどリッテリットのお手製だとすると、どおりでつまみ食いを咎めた剣幕が穏やかだったわけがわかった。自分の手作りの品ならば、途中で味見もしたことだろうし、特に毒見が必要ということもないはずだ。ちょっとした意地悪を思いついて、私はスーファをひとつつまみあげ、リッテリットにみえるように持ち上げた。
「ねえ、リッテリット。そういえばこれ、毒見がまだだったわよね?」
言うなり、私は手に取ったスーファをリッテリットの桜色の唇に押し付ける。リッテリットはひどく驚いたように目を白黒させて、それでも私が指を離したスーファが落ちてしまわないようなんとか咥えこむことに成功した。困惑に揺れる瞳があんまりに可愛らしくて、私はお尻の痛みをおしてはね起きると、畳みこむようにリッテリットに口づけした。小鳥が果樹に実った果実をついばむように、体温で融けたお砂糖で甘く味付けられたリッテリットの唇を奪う。幾度も吸われて腫れぼったくなった唇が、グロスがわりの私の唾液でぬらぬらと光るのがとてもいやらしい。すっかりお砂糖の皮が剥げてしまってむき出しになったクランベリーを舌でリッテリットの口内に押しやって、それからついでとばかりにぬめる舌を絡め、内側の歯茎をじんわりとくすぐる。リッテリットの口腔をたっぷりと堪能した私がちゅぽんと舌を引き抜くと、二人の唇と唇の間に透き通った糸が一本、蜘蛛の巣の最初の橋糸のようにかかっていた。
「ひ、ひ、ひめ、さ、ま……?」
リッテリットはそれまで何をされているかもわかっていないふうに硬直していたが、私が舌なめずりしながらにっこりと笑いかけると、さながら壊れたレコードのようにとぎれとぎれの発声をはじめた。こういう反応がいちいち可愛らしいのがリッテリットのいいところだ。
雪華北嶺では家族や親友の間柄なら、女同士、男同士でもキスすることは珍しくない。しかし、そうした親愛のキスは、普通は頬やら耳たぶやら鼻先やらにするのが普通で、やはり唇と唇のキスは特別な愛情を示すものなのだ。というより、唇同士のキスは対等かつ最も近しい、つまりは恋人関係を示し、基準の中央に位置している。親しい友人関係ならばその周辺、例えば頬や鼻先へのキスということになる。額より上に口づけするのは基本的に上位者で、親が子にしたり、叙勲に伴うキスがこれにあたる。逆に下位者には身体の下方へのキスしか許されない。奴隷や外民は足や尻たぶへ口づけをして奉仕を誓い、貴族は王族の手の甲に口づけをして忠義を約するという、お決まりの構図に顕著といえるだろう。
こういう常識を踏まえると、リッテリットが機能不全に陥るほど狼狽したのも無理はない。同性愛は一律に白眼視されるものでもないが、王侯貴族の間ではしばしば避けられがちだ。子供をつくって次代へと格式を継承していくことが第一義という価値観を持つものにとっては非生産的な同性愛は忌むべきものと言っても過言ではない。18になってもまだ私にべったりで、男には影も踏ませたことがないという曰くのリッテリットは、私見では多分にリベラルな傾向があるとはいえ、さすがに一線は越えていないと思う。9歳児のやることにまともにとりあう必要もないといえばそれももっともな話だが、なんとなれば、王太子である。おふざけとわかってはいても、リッテリットからそう言いだすのははばかられるだろう。こんな具合で脳内に葛藤が渦巻き、ついには処理の限界を越えてしまったのだと私は推測した。なんとも愛らしいので、いずれ機会があったら、私がリッテリットの足にキスするのも試してみたいと思う。だが今はまず、目の前の壊れたお人形に答えをあげなくてはならない。
「リッテリット。私がどうしてほしいって言ったか、覚えてる?」
予想通り、リッテリットはふるふると首を左右にしてこの問いに答えた。私はチェストに手を伸ばし、二つぶん背が低くなったスーファの山の頂からまたひとつを手に取る。
「おかしたべさせて、って。言ったのよ」
もの覚えの悪い侍女に正答を教えてあげるのと同時に、私は手にしたスーファをその口内にねじ込んだ。そして、ひな鳥がそうするように、はしたなく大口を開けてリッテリットを見上げ、いとけなくおねだりをする。
「くちうつしで、ね」
「はい、姫様。仰せのままに」
答えを得たリッテリットはもう迷わなかった。一粒ひと粒をたっぷり時間をかけて味わい尽くし、夢中になってお互いに唇をむさぼりあう。その様子は、きっと傍からみれば許されざる淫靡な愛の交歓を交わしていたようにも見えたのだろうけれど、たった二人きりの青女宮の空気は優しすぎて、私もリッテリットも、スーファの最後の一粒がのど奥に消え失せてしまうまでは、悩みごとも憂いごとも何もかもから解き放たれた幸福感に溺れていられたのだった。