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龍姉虎妹演義 ProtoType 第三篇 その参

 虎碧と龍玉は見てしまった。

 劉晶の右の足首に、まるで輪を掛けられているようにして描かれているどす黒い蛇の刺青を。

黒蛇姫こくじゃき……」

 ぽそっとつぶやく龍玉。虎碧はその言葉の意味がわからず、姉の方を向いてぽかんとしている。無論劉晶の足首にあらぬものがあることにも十分驚いている。

「ほう、よくご存知だな。その通り、この女は黒蛇姫とあだ名される使い手なのだ」

 龍玉の脳裏に、江湖でその名をとどろかせた恐るべき女暗殺者、黒蛇姫のことが頭をよぎる。

「黒蛇姫って?」

 江湖を渡り歩きながらもまだまだ世間知らずな虎碧は思わず、黒蛇姫について龍玉にたずねた。が、龍玉は顔を青くして、じっと劉晶の足を見据えて動かなかったが、ややあってようやく口を開いた。

「黒蛇姫はたいそうな美女だけど、足首に輪のように黒蛇の刺青を入れていて、相手が女子供でも容赦しないという冷酷非情な殺し屋さ。今まで何人もその黒蛇姫によって殺されたもんだよ」

「ええ……」

 息を呑み、虎碧は劉晶をこわごわ見つめる。それも辛いか、劉晶はうつむいて身体をぶるぶる震わせながら、うつむいたままだ。

 会ったことはないが、もっとも会った、即、死なので、会っていればもうとっくに死んでいるが、龍玉も噂を耳にするたびに、背筋を冷たいものが駆けたような思いにさせられたものだった。

 その黒蛇姫が、まさか今目の前にいる劉晶だったとは。なるほど噂にたがわぬ強さであった。そしてその黒蛇姫は、迦楼羅かるら幇という、金で暗殺を請け負う秘密結社に属する殺し屋であるという。

(まさかこんな形で迦楼羅幇と関わってしまうなんて、えらいことになっちまったね)

 一筋の冷や汗が龍玉のこめかみから溢れ、頬をつたいそののどもとにまで流れ落ちる。

 虎碧は黙りこんだ龍玉を不思議そうに見ている。いつの間にか、劉晶の刺青があらわにされたのを合図に、一時休戦状態になっていた。そんな中で、ふと浮かぶ疑問。

(でも、それにしても若い。もっと昔から黒蛇姫のことは伝わっていたのに。なぜ?)

 それを察したか、裾を手放し、剣を劉晶に突きつけながら、道士はいやらしい目つきで龍玉をねめまわしながら、とつとつと語った。

「江湖で噂される黒蛇姫はそいつの母親だ。この娘は二代目だ」

「二代目?」

「そうだ、黒蛇姫を知っているなら迦楼羅幇も知っていよう。そいつの母親は何を思ったのか、我が幇を裏切り、子も子分どもも連れて逃げ出したのだ。そんな女、もう黒蛇姫ではない、ただの蛇女だ」

 毒を吐くような思い道士の言葉。聞いていると心が毒に犯されそうなほどの憎悪が感じられてならず、虎碧と龍玉は思わず顔を背けた。

「迦楼羅幇……」

 ぽそっとつぶやく虎碧。あまりにも突然のことが起きたり知らない言葉を聞いたり、頭が混乱しそうなのをようやくこらえている。龍玉は今度は虎碧のつぶやきに応えず、さあどうしたものかと、黙り込んだままだと思ったら。

「迦楼羅幇の道士、そうか、お前は無間道士!」

 とおもむろに言えば。道士はふんっ、鼻息も荒く傲然と笑いながら応える。

「その通り、人を絶え間無い苦しみの待ち受ける無間地獄むげんじごくに堕とす無間道士とは、おれのことよ」

「無間地獄は仏の教えだろう、それを陰陽の太極図をかかげる道士が平気で口にするなんて、そのごちゃ混ぜっぷりは、不戒真人さまどころか無法真人さまってところだね」

「ふん、何とでも言え」

 開き直り傲然と言い放つ無間道士。それを見て虎碧は、

(それ以前に迦楼羅自体も仏の教えに出る天龍八部のうちだから、幇自体がごちゃ混ぜじゃない)

 と内心突っ込みを入れる。

 道士の着る道士服が風にあおられ、服にあしらわれる陰陽の太極図が、道士の嘲笑にあわせるようにゆらゆらとゆれる。じっとみているとぐるぐる目を回しそうで、まるでそこが無間地獄への入り口であるかのように感じられた。

 龍玉は馬鹿馬鹿しい、と舌打ちし、隙を見せないようにじっと構える。

 減らず口をたたいたとはいえ、江湖を長く渡り歩いてきた龍玉には、いや、龍玉のみならず江湖者たちにとって迦楼羅幇や黒蛇姫、無間道士は恐怖の代名詞ともいえた。使い手たちはみな手練れぞろい。金さえもらえば親をも殺す非情の暗殺集団。その顧客は主に権力争いに明け暮れる王侯貴族から、単純な個人的怨恨

を晴らしたいという少しばかり余裕のある民衆までと、幅広い層に渡っている。

 それだけ人の世というものは、人の心というものは、物騒なものとも言えた。

 しかし、そうでない者もいるのも確かなこと。

「もういや、人を殺すのは……」

 痛切な劉晶の声。黄衣の男たちも同様に、

「オレたちも、馬鹿なことで人を殺すなんて、もういやだ!」

 と次々に叫んだ。それを嘲笑う道士の非情な声。

「ふん、まったく呆れたものだ。黒蛇姫ともあろうものが、迂闊に仏心など出しおってからに。子も子分も、説得するどころか一緒になってなまっちょろい仏心など出しよる。おかげで我が幇は大損じゃわい」

「母をそんなあだ名で呼ばないで下さい。母には劉蓮りゅうれんという立派な名があります」

 母を侮辱されて、劉晶は一転きっと道士を睨みつける。もう羞恥心に構っていられず、今にも飛び掛りそうである。

「蓮? ふん、なら蓮根のように穴だらけにしてやろうか!」

 もう終いにしてやるとばかりに、さっと劉晶に刺突が飛んでくる。そのとき、

「やめろ!」

 と飛び出す影。劉晶の前に立ちはだかり、かわりに剣を胸に受けてしまった。

「亜父!」

 悲痛な叫びがこだまする。剣を受けたのは老剣士だった。口から地を吹き出し白髭を真っ赤にそめつつ、胸に突き刺さった剣を鷲掴みにして離さない。

「この、死にぞこないめ!」

 邪魔された無間道士はかっとなって老剣士を剣で刺したまま左手で掌を繰り出しその肩に撃ちつければ、鈍い音ともに肩が砕かれ老剣士は崩れ地に膝をつく。

 しかしそれでも剣は離さない。

「おのれ!」

 黄衣の男たち、劉晶もここぞとばかりに無間道士に攻めかかった。しかし、無間道士はとっさに手を剣から離し、無手ながら拳法で応戦する。老剣士はばたりと倒れ、ぴくりとも動かなくなった。

「あたしたちもいくよ!」

 この機に乗じ、龍玉も無間道士を攻め立て、虎碧もはっとして剣を繰り出す。

 数本の剣と劉晶の掌が束になってかかってくる、しかし相手はたくみに身をかわし、指一本触れることも出来ない。それどころか、ひとり黄衣の男がひとり拳で激しく顔面を撃たれ、鼻穴と口から激しく血を吹き出しそのまま息絶える。

 なんということか、剣がなくとも無限道士の強さは変わらなかった。伊達に黒蛇姫と並んで称せられる使い手ではなかったということか。

「お前たちごときに倒されるおれか!」

 またひとり拳でしとめ、大喝しざま、龍玉の剣をかわしそのまま胸倉をむんずとつかみ、そのまま服を引き裂こうとする。

 させるか、と龍玉は目をいからせ、とっさに後ろへ引かず引かれるまま前に歩み寄りつつ膝蹴りを見舞う。しかし無間道士もさるもの、すかさず掌で膝蹴りを受け、力任せに龍玉を押しのける。そこへ虎碧の剣と劉晶の掌が左右から迫る。

 無間道士は慌てず、虎碧の剣をかわし、次いで劉晶の掌を同じく掌で受け、そのまま腕をむんずと掴むと、今度は袖をもう片方の腕で掴んで、引き裂こうとする。

「この破廉恥道士、そんなに女の服を破りたいのかい!」

 さっき自分の服が破られそうになった龍玉は怒り心頭、顔を真っ赤にして剣を繰り出す。すると無間道士はしっかりと劉晶を捕まえて離さず、盾にして龍玉の剣の前に差し出した。

 あっと、慌てて剣を引く龍玉。危うく劉晶を突き刺すところだった。

 劉晶はなんとか逃れようと足掻くが、まるで鉄枷をはめられたようで逃れられない。

「卑怯者! その人を放しなさい!」

 思わず虎碧は叫ぶ。しかしはいそうですかと、無間道士が言うことを聞くわけも無い。劉晶が盾にされて、誰も手が出せず、事態は膠着する。

「黙れ、おれに命令するな! ……しかし、お前はほんとうによくこの娘に似ている。まさか生き別れの姉妹ではあるまいな」

「……」

 さすがにこれには不思議そうなそぶりを見せる無間道士であるが、何も言えない虎碧。みんなの目は、一斉に虎碧に集中する。みんな同じことを考えているようだ。

(わたしは、師匠でもある母さまに育てられたけれど、父親は名前も教えてもらえず、はるか西方の人だとしか言ってもらえなかった。まさか同じ人が? でもそうなら、なぜこの人はわたしのように碧い目にならなかったのだろう)

 だが今は出生の秘密どうこうと考えるどころではない。

「知りません。つべこべ言わずに、堂々と勝負したらどうですか。女性を盾に取るなんて卑怯じゃないですか」

「そうか、何も言わぬか、それもよかろう。それと、おれに命令するなと言ったはずだ! どうしても命令をしたくば、力で聞かせることだな」

 にやりといやらしく笑う無間道士。相手が自分にかなわぬと見て、好き放題だ。みんな歯を食いしばって道士を睨むしかないのか、と思ったとき。

 きらり、と虎碧の碧い目が光った。

(なんだ?)

 と道士と劉晶が思ったとき、突然無間道士が、

「うおっ!」

 と叫んでかがみこみ、劉晶を手放す。なんと見ればさきほどしとめられたと思った老剣士が、はいずりながら道士の足にしがみつき噛み付いているではないか。みんな捕らわれの劉晶と、それと瓜二つの虎碧に気をとられて、まるで気付かなかった。

 不意をつかれ劉晶に逃げられたことに切れた無間道士は、渾身の力をこめて老剣士の顔を蹴りつけるが、老剣士は顔を血まみれにしながらも決して離さず、歯を足の肉に食い込ませ、ついにはその肉を噛み千切ろうとする。

「こ、この、離せ、離さんか!」 

 痛さでわめきながら何度も蹴りを食らわすが、まるで手ごたえは無く、まるで鋼鉄製の獣とりの罠にはまったようで、歯はますます肉に食い込み噛み千切ろうとする。そこへ、

「破っ!」

 という虎碧の掛け声と、ほとばしる一筋の光りのように突き出される剣の剣光。

 あっと思って避けようとしても、老剣士に捕まり身動きもならず、そこへ容赦なく虎碧の剣が無間道士の胸板を、心の臓を貫いた。

 あまりのことに、みんな呆然と我を忘れて、その様子を眺めている。

「お、おのれ……」

 消え入るようなかすれた声をあげるとともに剣は引き抜かれて、無間道士は支えをなくした案山子かかしのように崩れ落ちて、ぴくりとも動かなくなった。

 それに合わせるように、老剣士もぴくりとも動かない。今度こそ、ほんとうに息を引き取ったようだ。

 虎碧は血に濡れた剣をながめていると、鞘におさめ、そのままどこかへと歩き出そうとし。それを龍玉が慌てて止める。

「止めないで、お姉さん。わたし、わたし……」

 人を殺すのは、おそらくこれが初めてなのだろう。相手は悪人で、人を助けるためとはいえ、なんとも思わないわけもなかった。

「お待ちを。助けていただいて、何とお礼を言えばよいか」

 生き残った黄衣の男たちとともに、劉晶が虎碧のそばに駆け寄り、礼を述べようとするが。虎碧は碧い目を潤ませ、首を横に振るばかり。少しでも早く、ここから離れたいようだ。

 それを察した劉晶は、すこしうなずき、

「ありがとうございました」

 と抱拳礼をして、老剣士や斃された仲間たちのもとへゆき、黄衣の男たちに手厚く葬るように指示しはじめる。話したいことがあるのは山々だが、あの様子ではそれもかなうまい。

(縁があればまた出会うでしょう。なければ、それまでのこと……)

 虎碧も劉晶らに抱拳礼をして、歩き出す。後ろで龍玉が、いいのかなあときょろきょろしながら着いて来て。初めて会ったときのことを思い出していた。

 あのときも、虎碧はこんな感じだった。

 決して弱くない腕前ながら、剣で人を傷つけることに抵抗があるようだ。

 小柄な虎碧だが、その背中がどういうわけかさらに小さく見えるような気がした。彼女は、どこにゆこうとしているのだろう。

 わかるわけもないが、行く当てもないし、このまま虎碧がゆくところをこの目で見届けようかと、龍玉は後ろに従い、着いてゆく。

 ふたりの江湖行は、まだまだ始まったばかりだ。

 

終わり


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