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龍姉虎妹演義 ProtoType 第三篇 その壱

 人違いだ。

 机や椅子、割れた皿の破片や撒き散らされた食材が散乱する飯屋の中で、虎碧こへきは辟易しながら、黄衣の男の剣をかわす。龍玉りゅうぎょくはというと、もう一人の黄衣の男を蹴倒し、さらにその背中を踏みつける。

 ぐえ、と言う、踏み潰された蛙のような声を出し、男は足から加わる圧力に悶絶して気を失った。

 その隙にさっと離れて、虎碧と背中を合わせて、黄衣の男たちの包囲に備える。やつらの数は十人。さっきひとり気絶させたから、九人に取り囲まれている。

 龍玉、虎碧のふたりは成り行きで知り合って、東西南北江湖を旅する女剣士の義姉妹。龍玉は年上なので姉になり、若い虎碧は妹となる。

 ここは蒼州の州都・蒼龍府から北に遠く離れた地方都市、蒼天。その街でひと休みに、街の飯屋で食事をしているところ、突然黄衣の男たちに、

「姫、こんなところにおられましたか」

 と声をかけられた。

「えっ!?」

 姫!? それは自分のことなのか? と虎碧が驚くと同時に、その黄衣の男たちは腰に帯びた剣をしゃっと抜き、ふたりに襲い掛かって来て。

 すわっ、斬り合いか! と飯屋は大混乱。机に椅子に食器に食材が飛び交い、散乱してとてもひどい混乱振りの中、他の客や店の者たちはほうほうの体で外に逃げ出した。

 しかし虎碧と龍玉は男たちに囲まれ攻め立てられて、外へ逃げることかなわず、やむなく応戦しているという次第。

 虎碧は碧い目をきらりと光らせ、男たちを見据え、龍玉と背中合わせに剣を構える。

「人違いではないですか。わたしは劉晶りゅうしょう様という姫ではありません」

「おたわむれを。どのようにして目の色を変えられたか存じませぬが、われらの目はごまかせませぬぞ」

「だから、違うって言ってるのに」

「問答無用!」

 明らかに人違いだ。男たちは虎碧を姫、劉晶様と呼び、襲い掛かってくる。無論彼女の碧い目は、異民族との混血による本物の碧眼である。

 男たちはそれを何かで変えたと思って、なかなか虎碧の「人違いです」という話を受け入れない。

 それほどまでに、虎碧と姫はかなり似ているということか。いやそれ以前に、劉晶という姫は何者であろうか。

 ここ蒼州の州王にも娘はいるが、州王は劉姓ではないのでまずその王族ではない。しかし男たちの行為とうらはらな丁重な言葉遣いからして、身分卑しからぬひとではあるようだが、それが男たちにどのような恨みを買ったのか。

 まったくとんだ迷惑だ。

「もう、なんでこうなるの!」

 腹立ちついでに、龍玉は蹴りをまた男に見舞い、気絶させる。

「聞き分けのない男は嫌いだよ!」

 さらに剣柄の柄頭をもう一人の男のおでこに見舞う。

 ごん!

 という鈍い音とともに、男のおでこは真っ赤になって血がにじみ。かなり痛いのかそのままうずくまる。それを合図に、

「好、好(ハオ、ハオ)!」

 と、機嫌よさそうな声がして、一時休戦状態となった。

「お見事! いつ知り合われたのか知りませぬが、なかなかの腕前と、美しさをお持ち合わせじゃ」

 男たちのカシラらしき白髪白髭の老剣士が、龍玉の戦いぶりに喝采と拍手を送る。しかし龍玉はちぇっと舌打ちして、老剣士を睨みつける。

「ふん、ちっとも嬉しくないね。あたしがつまんないお世辞で喜ぶような軽い女だと思ったら、大間違いだよ」

「いやいや、これは世辞ではなくまこと本心からでござる」

 丸く黒い瞳のおさまる切れ長の目が、光を帯びる。老剣士の言葉が本当か嘘かはわからないが、自分たちを害そうというのは確かだ。

「あら、そう。じゃあさ、さっきから人違いだって言ってるのがわかんないの? あんた年取りすぎて耄碌もうろくしちゃいないだろうね」

「心配には及ばぬ。まだまだ青年の心意気じゃ」

「結構。ならさっさと消えな!」

「そうはいかん。劉晶お姫さまに大事な用があるのじゃ」

 びくっと虎碧が身を固くする。大事な用、つまりそれは、死んでもらう、ということか。

 江湖を渡り歩いて、人違いで襲われるなど初めての経験だ。しかし、人違いで相手をしとめる、あるいはしとめられる、ということは江湖ではよく聞く話だ。

 さては自分もその仲間入りを果たしてしまうか……。

「これが最後です。よくお聞き下さい。わたしは虎碧と言って、劉晶お姫さまではありません。人違いです。目でわかってもらえぬのなら、さっき手合わせして、剣筋でわかるのではないですか。わたしとお姫さまは、同じ剣技を使ってますか?」

 こんなことでやられたらたまらない、あるいは無駄な殺生はしたくない、と虎碧はひたすら人違いであることを訴えるものの、男たちは聞く耳もたず。挙句の果てに、

「おたわむれが過ぎまする。お見苦しいですぞ」

 とまで言うではないか。もうここまで来たら、話し合いでは解決できそうにない。やむを得ず、実力行使でこの場をしのぐしかない。

「じゃ仕方ないね。死んでも恨みっこなしだよ、悪いのはあんたたちだからね」

 いよいよ我慢ならぬと、龍玉は今にも飛び掛りそうで。虎碧もまた同じく、全身に気を張り巡らせ隙をうかがう。

 殺気があたりをつつみ、緊張の糸も張り巡らされる。その時。

「お待ちなさい」

 という声がしたかと思うと、皆一斉にその声の方向へと顔を向けた。飯屋の入り口のところに、ひとりの少女がいるのだが。何者であろうと、皆その少女を見据える。その少女は薄黄色の衣をまとった、端正な顔立ちの、可憐な美少女だが……。

「あ、……っ!」

 と虎碧と龍玉は口を開きかけた状態で身を固め、黄衣の男たちはそこに幽鬼でもいるかのように顔を青くしている。

「こ、虎碧?」

 思わずうわずった声が出る龍玉。それも無理はないことで、視線の先には、確かに虎碧がいる。しかしよく見れば、瞳は黒い。

 虎碧も虎碧で、自分と瓜二つな少女が目の前に現れて、唖然としている。

(え、どうして、どういうこと?)

 剣を持つ手も振るえ、わけがわからず、混乱寸前だ。無理もあるまい、突然人違いで襲われたと思ったら、今度は自分と瓜二つな少女が現れて。

「まあ」

 少女も虎碧を見止めると、小さく叫んで驚きの表情を隠さない。同じように驚き戸惑っているようだ。いや皆同じく驚き戸惑っている。

 ここまで似ている者同士があるのか、と。

 ややあって、少女は気を取り直してあたりを見回し、ことに黄衣の男たちを厳然と睨みつけたかと思うと、

「爺」

 と老剣士に言った。その声は少女らしく鈴の音のように耳に心地よいが、どこか重みがあって、相手をおのずと従える威厳を持っていた。まさしくお姫さまの威厳である。

 呼ばれた老剣士は慌てて身をかがめ平伏する。すると続いて男たちも同じように平伏するではないか。これは一体どういうことだ。

 この男たちは、劉晶お姫さまに大事な用があると言ったが、その大事なようとは何なのか。

 あまりにも奇奇怪怪なことが続き、龍玉と虎碧は剣を構えてぽかんとする以外のことが出来ない。少女はそんな虎碧をすこし眺め、老剣士に言った。

「驚きましたね。わたしと瓜二つなひとがいるとは。よもや人違いをしたのではありますまいな?」

「いやまさに仰せの通り、そこな娘をお姫さまと人違いしてしまいました」

「無理もありません。ここまで似ていれば、父上や母上ですらお間違いになるでしょう。武者修行の旅路に、お前たちが鍛錬のために襲い掛かってくるはずなのに、いつまで待っても待ち合わせた場所に来ず、どうしたのだろうと思って探しておりましたら、何かの騒ぎ、見てみれば……」

「いやはや、まこと面目もないことでございます」

「もうよい。さあ、ゆこう。わたしがどれほど腕を上げたか、是非見てもらわねば」

「ははっ! その寛大なお心には感服いたします」

 老剣士と男たちがさらに平伏し、頭を地面にこつんこつんと当てて叩頭の礼をとると、劉晶お姫さまうなずいて、回れ右をして、野次馬をかきわけ歩き出し。男たちもそれに続こうとする。

 なんだかよくわからないが、この劉晶お姫さまと黄衣の男たちは主従の間柄で、襲い掛かったのもそのお姫さまの鍛錬のためらしい。大事な用とはそれだったのか。なるほどだから虎碧が人違いだと言うと、見苦しいと言ったわけだ。

 その劉家はそうとうな武家で、武術のこととなれば主従の間柄を超えてともに研鑽し合っているのかもしれない。

 が、そんなことはどうでもいい。

「待ちな!」

 龍玉が叫ぶ。隣で虎碧も目をいからせ、劉晶お姫さまを睨んでいる。そこには自分と瓜二つという驚きはなく、かんかんに怒っていることだけがあった。

「人違いをして、詫びの言葉もないのですか。お姫さま」

 と虎碧。

 劉晶お姫さまはふたりの声を聞き、歩みを止めて、振り向く。お姫さまなだけに少しは高い目線から見下ろす雰囲気を持っているが、ふたりに敵意は持っていないようだ。しかし興味もなさそうで、どこか淡白な印象である。

「なにか?」

 と一言だけ言って、応えを待つ。

「だから、人違いで迷惑をかけたのに、詫びの言葉もなしでゆくのかい? って言ってるのさ」

 顔を真っ赤にして龍玉が叫べば、虎碧も続く。

「そうですよ。こっちは問答無用で襲われたんですよ。その男のひとたちに謝らせてください」

 普段声を荒げることのない、基本的には温和な虎碧ですら、かんかんに怒って謝罪を要求してくる。人違いなのに問答無用で襲い掛かられて、無理もないことである。

小姑娘シャオクーニャン(小娘)! 黙って聞いておればいい気になりおって、口が過ぎるぞ。そっちこそ我が方の者を痛めつけたではないか。それでおあいこだ」

 老剣士である。無礼者めが! と男たちともども、こちらもかんかんに怒っているようだ。劉晶お姫さまはというと、無関心そうで淡白なものである。

「何がおあいこだよ! 先に手を出したのはそっちだろ。でなきゃ余計な怪我などせずに済んだんだ」

「お姉さんの言うとおりです。話し合いで済むものを、人の話を聞かないからこんなことになったんです」

「そうでしたか」

 おもむろに劉晶お姫さまが話に割って入る。龍玉と虎碧の言うことを聞くにつれ、確かに詫びるべきであったと今さらながら思い至った。なかなかとぼけたところがあるものである。

「あなたたちの言うとおり……」

 お詫びいたしましょう、と言おうとしたその時。

「劉家の武術なんてたいしたことないんだろうね。あたしに踏まれても、触れたやつはいるかい?」

 という小馬鹿にした龍玉の声。虎碧ははっとして相手方を見れば、お姫さまはもちろん、男たちの周囲が殺気で煮えたぎっているようだった。

 勢いあまって突き出された龍玉の言葉は、劉家の者たちの怒りの火に油を注ぐには十分すぎ。おかげで解決しそうな雰囲気もぶち壊しである。

「あっ……」

 後になって、龍玉も気付いたが時すでに遅し。数人がふたりに飛び掛った。

(もう、お姉さんの馬鹿!)

 前にも同じことでいさかいが起こしてしまったが、同じ失敗を二度繰り返すとは。しかしこうなったら後には引けない、やむを得ずふたりで迎え撃つ。

 男の剣が疾風のごとく虎碧に襲い掛かり。幾度も繰り出される突きを、ひょいひょいとかわしてゆきながら、隙を見つけるや。

「破っ!」

 と己の剣を相手ののどもとに突き出し、すんでで止める。

(なっ!)

 男はその腕前に驚き剣の冷たさをのどもとに感じて、身動きも出来ない。仲間もうかつに動けない。

 老剣士は手下が制せられたのを知ったが構わず、龍玉に攻めかかる。しかしこれもかわされ、少しも触れない。それどころか、龍玉は素早い動きで老剣士の背後に回りこみ、剣を繰り出さず空いている左手を伸ばしてその背中をむんずと掴むと、高々と旗でも掲げるようにして老剣士を持ち上げる。

 これには手下も劉晶お姫さまも驚き、「おお」と歓声が上がる。老剣士は手足をばたつかせもがくものの、逃れられない。その様が男たちの心胆を寒からしめ、身動きできなくする。

 それを見逃さず、龍玉はえいっと老剣士をその方向へ放り投げた。

「うわあ!」

 という男たちの悲鳴と、どすん! という激しい音が響き、男たち数人が老剣士の下敷きになってのびている。

「なんだ、口ほどにもない。劉家の武術はほんとにたいしたことないんだね」

 剣の切っ先を劉晶お姫さまに向け、威勢のいい龍玉。虎碧は突きつけた剣を引くとともに、手刀で相手の後頭部を打ってを気絶させる。たしかに口ほどにもなく、歯ごたえもない。しかしだからといって、無闇に相手をなじったりせず。

「お姉さん、言いすぎよ」

 と龍玉をたしなめる。

「ほんとのことを言ったまでさ」

「だから、事がややこしくなることを言わないでってば。ああ劉のお姫さま、どうかお許しを」

 虎碧は慌てて劉晶お姫さまの方を見るが、いると思ったお姫さまがいない。

(え、どこ?)

 と思った途端、瓜二つの顔が突然眼前に現れ、その指先が鼻先に突きつけられ。

虎妹フーメイ!」

 と叫んで駆け寄る龍玉ののどもとに、同じようにお姫さまの指先が突きつけられる。

「劉家の武術、いかがですか?」

 それだけ言って、あとはそのまま沈黙。虎碧も龍玉も動けない。

 野次馬たちは、音もなくまるで流れる空気と一体となって薄黄色の衣がゆらいだと思ったら、いつの間にか虎碧と龍玉が劉晶お姫さまに動きを封じられていたのを見て、皆己の目を疑った。

 ふたりの動きを封じた劉晶お姫さまの姿勢は、まるで舞いを舞っている最中に動きを止めたかのように、しなやかでそれでいて地に足着いた落ち着きがあった。

「好、好!」

 老剣士の会心の喝采の叫び。お姫さまがふたりに一矢報いて、そうとうな喜びようである。

 龍玉は歯噛みして悔しがったが、指先からほとばしる気に突かれて動けず。じっと相手を凝視するしか術がなく。

 その相手の顔はこっちを向かずに、己と瓜二つな顔の、碧い瞳をじっと見据えていた。

 

第三篇 その弐に続く

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