第3話:再会、あるいは継承される太陽
第3話:再会、あるいは継承される太陽
1. 閉ざされた門の向こう側
世界がようやく、長い「灰色の冬」から目覚めようとしていた。
大気汚染による封鎖が解除され、かつて地獄のようなスモッグに覆われていた都市にも、数十年ぶりに本来の青空が戻りつつあった。
ハルカ――かつてこの庭でひまわりの種を蒔いた少女は、今や三十代半ばの女性となり、環境再生のエンジニアとして働いていた。彼女の仕事は、死んだ大地に再び緑を戻すことだ。しかし、彼女がどれほど広大な森を再生させようとも、心の奥底には常に、埋まらない空白があった。
「ここが……おじいちゃんの庭園」
ハルカは、ひび割れたアスファルトの先に立つ、重厚な鉄の門を見上げた。
蔓草に覆われ、錆びついて沈黙する門。かつて幼かった彼女が、銀色の大きな手――エムの指を引いてくぐったあの場所だ。
同行した調査チームの男が、電動カッターで鎖を焼き切る。火花が散り、重い音が響いて門が開いた。
「ハルカさん、無理はしないでください。ここはもう、ただの廃墟ですから。建物も崩落の危険がありますし、何より、生命反応のデータは何も上がっていません」
「わかっているわ。でも、行かなければならないの。約束したから」
ハルカは防護マスクを外し、一歩、足を踏み入れた。
そこには、彼女の記憶にある「楽園」の姿は微塵もなかった。
アーチは崩れ、噴水は乾いた泥に埋まっている。目に付くのは立ち枯れた樹木の黒い残骸ばかりだ。静寂は重く、風さえも死んでいるかのように感じられた。
だが、庭の中央、かつてアーサー博士がお気に入りだったベンチがあった場所へ近づくにつれ、ハルカは奇妙な違和感を覚えた。
そこだけ、空気が「震えて」いた。
2. 鋼鉄の残骸と、一輪の黄金
「……嘘でしょ」
ハルカの足が止まった。背後にいた調査員たちも、息を呑んで立ち尽くしている。
廃墟の真ん中に、それはあった。
かつて銀色に輝いていた守護者、エム。
今の彼は、もはやロボットというよりは、古びた、歪な鉄の彫刻のようだった。右腕はなく、外装は剥がれ落ち、内部のギアや配線が剥き出しになっている。彼は、何かを大切に抱きしめるような、丸まった姿勢で完全に静止していた。
そして、その「鋼鉄の腕」の間から、天を突くように一本の植物が伸びていた。
それは、ひまわりだった。
この汚染された土地で、日光さえ満足に届かないはずの廃墟で、そのひまわりは、信じられないほど鮮やかな黄金色の花を咲かせていた。茎はエムの腕を支えにするように太く育ち、大輪の花は、今まさに真上から差し込む一筋の陽光を一身に浴びていた。
「どうして……どうしてこんな場所で、ひまわりが?」
調査員の一人が、端末を操作しながら叫んだ。
「異常だ。この周囲だけ、地中の温度が一定に保たれている。それに、このひまわりの根元……何だこれ、強力なエネルギー源が直結されているぞ!」
ハルカは、震える足でエムへと歩み寄った。
彼の胸部、大きくこじ開けられたその隙間に、彼女は見た。
鈍い光を放つ、銀色の心臓を。
エム自身のすべての動力を、、いや、彼の「命」そのものを司っていたはずのハイブリッド心臓が、ひまわりの根を温めるためのヒーターとして、その最期の熱を捧げ続けていたのだ。
3. 回路に遺された「声」
ハルカは膝をつき、錆びついたエムの頭部にそっと触れた。
金属は冷たかった。だが、その冷たさの奥に、かつて幼い自分の手を握ってくれた、あの巨大なぬくもりの記憶が蘇る。
「エム……あなた、ずっと守っていたのね」
その時、ハルカの指先が、エムの側頭部にある古いデータポートに触れた。
「ハルカさん、危ない!」という制止の声も聞こえなかった。彼女は、持ち歩いていたメンテナンス用のタブレットを、吸い寄せられるようにそのポートへ接続した。
一瞬、バチリと青い火花が散った。
タブレットの画面に、ノイズ混じりの古いデータが次々と展開されていく。
それは、エムが停止する直前まで、数十年間にわたって記録し続けてきた、このひまわりの「成長記録」だった。
画面に映し出されるのは、暗い雨の中で自分の身体を傘にして芽を守るエムの視界。
自分のパーツを一つずつ引き抜き、それを肥料や装置へと作り変えていくプロセス。
視界が少しずつ欠け、解像度が落ち、それでもただ一点――足元で育つ緑の葉だけを見つめ続ける、孤独な守護者の執念。
そして、最後のログ。
そこには、合成音声ではない、かつての主・アーサー博士の声が録音されていた。
『エム、よく聞いてくれ。……もし、いつかハルカがここに来たら、伝えてほしい。ひまわりは、太陽に向かって咲くのではない。愛された記憶に向かって咲くのだと』
その後に続いたのは、エム自身の、掠れきった最期の言葉だった。
『ハルカ様……種は、咲きました。約束、完了……スリープ……』
4. 継承される太陽
ハルカの目から、大粒の涙が溢れ出し、エムの錆びた膝の上に落ちた。
鉄の匂いと、ひまわりの青々とした匂いが混ざり合い、彼女を包み込む。
「……ごめんね、エム。こんなに長く、一人にさせて。ごめんね……」
彼女は気づいた。
このひまわりがこれほどまでに大きく、美しく咲いているのは、土の栄養のおかげではない。この鋼鉄の庭師が、自らの身体を削り、意識を削り、文字通り「骨の髄まで」捧げ尽くして、一輪の花に自分のすべてを転送したからなのだ。
このひまわりは、もはや単なる植物ではなかった。
エムの「心」そのものが、黄金色の花弁へと形を変えた姿だった。
「ハルカさん……これを見てください」
調査員が指差したのは、ひまわりの花びらから零れ落ちた、新しい種だった。
エムの熱によって、汚染に耐性を持ち、過酷な環境でも自ら発芽できるほどに強化された、次世代の種子。
エムは、一輪の花を守ったのではない。
彼は、死にゆく世界に「未来」という名の種を遺すための、一万時間を超える壮大な実験を、たった一体で完遂したのだ。




