霊障事件解決人・伊田裕美 飢えに苦しむ民衆の霊
私がいつも足を運ぶスーパーの片隅に、ひっそりと彰義隊の慰霊碑が置かれています。買い物客の多くは気づかずに通り過ぎていきますが、時折その前に花が手向けられているのを見かけます。小さな石碑の前に咲く花は、まるで過去の戦いを静かに語りかけるようで、私は立ち止まり、自然と手を合わせてしまうのです。
この地で、多くの彰義隊士が官軍と戦い、命を落としました。石碑はその記憶を今もなお抱え、街の喧騒の中で静かに佇んでいます。友人からは「あなたは信心深いね」と笑われたこともありますが、私にとってはただの習慣ではなく、亡き人々への敬意を込めた祈りでした。
その姿を見たとき、ふと物語の種が心に芽生えました。名も知れぬ石であっても、人の思いが宿れば不思議な力を持つ――そんな想いが、この作品の始まりとなったのです。
序章 ― 麻布の寺に住む女
東京・麻布。臨済宗の古刹「湯川寺」。
ここに住むのは二十二歳の若き女性、伊田裕美。怪奇・超常現象専門誌『あなたの見えない世界』の記者として働きながら、日々、霊障事件の解決に奔走している。
彼女の武器は伝説の三種の神器――「たむならの剣」「たむならの鏡」「たむならの勾玉」。
• たむならの剣:司馬徽・水鏡先生より授かった霊剣。邪悪を討つ使命を帯びる。
• たむならの鏡:湯川寺に安置され、危機の際には住職・村田蔵六和尚に念を送る媒介となる。
• たむならの勾玉:魔除けの力を持ち、裕美の両耳にピアスとして輝く。
戦闘時には梵字が刻まれた黒い法衣「黒梵衣」をまとう。これは邪霊を寄せ付けぬ衣であり、初めて禿鬼と対峙した際に村田蔵六和尚から授けられたものだ。
裕美の日常は質素である。麻布の「ビッグA」で半額弁当を買い、「半額弁当の間」で食べるのが日課。お気に入りはひれかつ弁当。飲み物は一年を通して熱いラテ。冷たいものは好まず、夏でも熱いチャーシュウメンを食べる。身体を冷やすと邪霊に付け込まれる――それが彼女の信念だった。
彼女を支える人々は三人。
• 村田蔵六:五十代の陰陽師で湯川寺の住職。父のように裕美を見守る。
• 田野倉伝兵衛:雑誌編集長。裕美の取材に依存している。
• 高橋霊光:自称・怪奇現象解決人。だが役立たずで、浮気調査が主な稼ぎ。今回は登場しない。
第一章:伊藤司之進為三郎(いとう つかさのしん ためさぶろう)という男
江戸後期。
伊藤司之進為三郎は武士ではなかったが、苗字帯刀を許され、村人からは「小さな守り神」のように信頼されていた。身長は百五十センチほど、痩せた体躯に一重の目、耳たぶのない顔立ちは威厳とは程遠い。しかしその小柄な姿に、村人は逆に親しみを覚えた。彼は自分たちと同じ「飢えに耐える者」であり、権力に抗う勇気を持つ者だったからだ。
村の暮らしは厳しかった。米は年貢に吸い取られ、子どもたちは粟や稗をすすり、老人は冬の寒さに震えながら命を落とす。伊藤はその惨状を見て、代官所に直訴した。だが返答は冷たく、役人たちは笑いながら彼を追い返した。村人の嘆きは届かず、飢えは続いた。
やがて伊藤は決起を決意する。農民たちが集まり、鍬や鎌を武器にした「伊藤軍」が結成された。夜の闇に灯る松明の炎は、飢えと怒りの象徴だった。だが隣村の百姓が裏切り、代官所の手勢が押し寄せる。伊藤は捕らえられ、絞首刑の後に斬首され晒された。五人の百姓も磔にされ、村は血と恐怖に沈んだ。
密告者・田茂作は森林の権利を得て長者となった。だがその富は呪われていた。ある豪雨の日、田茂作は狂気に駆られ、日本刀を振り回し近隣の百姓を次々と斬殺した。雨に濡れた泥道を血が流れ、村人の悲鳴が夜空に消えた。最後に彼は自らの喉を突き、泥に倒れた。殺されたのは、伊藤の一揆で一時的に裕福になった者ばかりだった。
時代は移り、明治、大正、昭和、そして令和。豊島区大塚の片隅に、伊藤と処刑された百姓たちを祀る小さな慰霊碑が建てられた。高さ二十センチほどの粗末な石碑だが、今も花束を捧げる者がいる。スーパーへ買い物に行く途中、あるいは帰り道に立ち寄り、手を合わせる人々。彼らは知らず知らずのうちに、飢えに苦しんだ民衆の霊に祈りを捧げていた。
だがその慰霊碑は、正直屋のオーナー伊藤万五郎にとって邪魔な存在だった。万五郎は薄い髪に眼鏡、出っ歯、肥満体――典型的な中年親父。利益しか見えず、霊の存在など信じない。店の改修を機に慰霊碑を粗大ごみ置き場へ放置した。
その日を境に、恐怖は始まった。
リニューアルした正直屋の目玉は激安弁当。ひれかつ弁当が二百円。半額弁当より安く、飛ぶように売れた。だが店長は赤字を恐れ、万五郎に諫言するも聞き入れられなかった。
近所に住む女・瀬戸茜はその弁当に魅了された。黒眼鏡に肥満体、運動もせず食べることだけを楽しむ女。毎晩三個の弁当を平らげ、「これは茜弁当ね」と笑いながら眠りについた。彼女の部屋には油の匂いが染みつき、弁当の容器が積み上げられていた。
一週間後の深夜。
茜は物音に目を覚ました。窓の外に見えたのは半透明の行列――先頭は武士姿の伊藤司之進、その後ろに百姓たちが続いていた。時代劇のような衣装をまとい、静かに進む霊の群れ。彼らの顔は飢えに苦しみ、眼窩は落ち窪み、口は乾いた呻き声を漏らしていた。
「何なのよ、やめて!」
叫んだ瞬間、百姓の一人が放った矢が茜の胸を貫いた。血の気が引き、青白い肉体となった彼女は、抵抗もできず霊の行列の後尾に加わり、飢えに苦しむ民衆の霊とともに歩み始めた。
第二章:幽霊行列と失踪者
その後、被害者は毎晩のように増えていった。豊島区大塚の「正直屋」前では、深夜になると必ず幽霊の行列が現れ、翌朝にはその行列に加わった者の姿が消えていた。行列は決まって、かつて慰霊碑が置かれていた場所から始まる。
やがてその光景は、偶然通りかかった人々のスマートフォンによって撮影され、SNSに拡散された。動画は瞬く間に炎上し、コメント欄は恐怖と嘲笑と憤怒で埋め尽くされた。
SNS炎上の声
1. 「これガチ?大塚の正直屋前で幽霊行列とか、時代劇の撮影じゃないの?」
2. 「慰霊碑を撤去した罰だろ。文化を軽んじるからこうなるんだ」
3. 「弁当食べたら呪われるってマジ?俺昨日食ったんだけど…」
4. 「被害者、みんな太ってるって聞いた。食欲の亡者が幽霊に連れてかれるんだな」
5. 「正直屋の弁当は安いけど、命まで安売りするのかよ」
恐怖と好奇心が入り混じり、動画は拡散され続けた。だが現実はもっと冷酷だった。行列に加わった者は翌朝には忽然と姿を消し、家族のもとへ戻ることはなかった。
西日暮里。光明社。
雑誌『あなたの見えない世界』の企画部では、編集長・田野倉伝兵衛が机を叩きながら声を上げた。
「裕美ちゃん、これをやろうよ。豊島区大塚で起こる幽霊行列と失踪者事件。世間は大騒ぎだ。うちが取り上げなきゃ意味がない」
その言葉を聞いた瞬間、伊田裕美の背中に疼きが走った。首から下、左右のちょうど真ん中に刻まれた梵字――観音の痣が熱を帯びる。これは彼女にとって「観音からのお知らせ」であり、危険な霊障が近づいている証だった。
「わかりました」
裕美は静かに答えた。観音の痣が疼く以上、これは彼女が向き合うべき事件だ。
裕美の調査は丹念に始まった。被害者の家族を訪ね、生活の断片を拾い集める。だが取材は容易ではない。
「人の不幸でお金儲けをするなんて!」
ある家族は激昂し、裕美を追い返そうとした。だが彼女は冷静に頭を下げ、言葉を尽くして事情を聞き出した。
瀬戸茜の母親は語った。
「茜はコンビニで働いていました。朝六時には出勤するから、時間いっぱいまで寝ていて、パンをかじりながら店に向かう生活でした。最近は正直屋の激安弁当に夢中で、一日に何個も食べていたんです。あの子は太っていて…でも、まさかこんなことになるなんて」
裕美は手帳に調査結果をまとめた。
1. 被害者は正直屋の激安弁当を食べている。
2. 被害者の八割は女性、残りは男性。
3. 男女ともに共通点は肥満――食欲に支配された生活を送っていた。
裕美は正直屋の前に立った。夜の街灯に照らされた店先は妙に冷たく、かつて慰霊碑があった場所は空虚な闇を抱えていた。
「ここに慰霊碑があったのよね」
通りすがりの女性が呟いた。
「いやね。正直屋も日本の文化を大切にしないのね。仏罰があたるわ」
裕美はその女性に尋ねた。慰霊碑に花を手向けていたというが、詳しい由来は知らない。ただ「来ると自然に手を合わせてしまう場所だった」と語った。
「これは調べてみる価値がありそうね。その前に激安弁当を買っていきましょう。大塚名物だからね」
店内の陳列棚には、整然と並ぶ激安弁当。裕美は村田蔵六和尚の分も含めて四個を購入し、湯川寺へ戻った。
湯川寺。
「蔵六さん、いいものを買ってきたわ」
「ビッグAの半額弁当がさらに五十円引きかい?」
「違うわよ。正直屋の激安弁当よ」
「今話題のかい。それはいいね、早速いただこうよ」
蔵六は箸を進め、裕美はインスタント味噌汁を用意した。
「いただきます」
ひれかつ弁当を一口口にした瞬間、裕美は異様な感覚に襲われた。何かが体内に入り込むような、冷たい影が背筋を這うような感覚。蔵六は「うまい、うまい」と絶賛している。
「裕美?どうした?毒なんか入っていないよ」
「ええ…」
気が進まなかったが、裕美は二口、三口と食べ進め、とうとう弁当を食べ終えた。
その夜、彼女は寝付けなかった。珍しくうなされ、寝汗をかきながら夢の中で何度も呻いた。窓ガラスには伊藤司之進の霊が映り込み、何も言わずにただ彼女を見つめていた。
裕美は目を覚ました。背中の痣が熱を帯び、観音の声なき警告が彼女の心を震わせていた。
第三章:霊障探偵
裕美は「正直屋の前にあった慰霊碑」についての調査を始めた。小さな石碑だと噂されていたが、SNSをいくら探しても資料は見つからない。ネットの海は騒ぎ立てるばかりで、肝心な事実はどこにも載っていなかった。
「刑事と同じね。足で稼ぐしかないわ」
裕美はそう呟き、豊島区の郷土資料館や図書館を歩き回った。古い地図や地域誌をめくり、職員に尋ね、古老の話を聞こうとした。しかし、どこにも慰霊碑の記録は残されていなかった。まるで意図的に消されたかのように、空白だけが広がっていた。
だが、偶然の糸口は思わぬところから訪れた。大塚公園。冬枯れの木々の間に、ひっそりと佇む石碑があった。近づいてみると、それは真っ二つに割れていた。昭和十九年、東京大空襲の炎に晒され、爆風で裂けたのだという。地元の人々はそれを捨てることなく、割れたまま放置し続けてきた。
裕美は割れた上半分を覗き込み、刻まれた文字を指でなぞった。そこには大塚の昔が記されており、伊藤司之進の一揆についても触れられていた。飢えに苦しむ民衆の声、代官に抗った小柄な男の名。石碑は静かに、しかし確かにその歴史を語っていた。
下半分は見当たらなかった。探してみると、公園の隅に段ボールで作られた小屋があり、その床に石碑の破片が敷かれていた。乞食風の男がそこに住み、割れた石を寝床代わりにしていたのだ。
裕美は正直屋に足を運び、激安弁当をいくつか買った。弁当を差し出すと、男は目を細めて受け取り、ようやく石碑の下半分を見せてくれた。そこには、伊藤司之進の霊を鎮めるために建てられた旨が刻まれていた。
「やはり…伊藤の霊が問題なのね」
裕美は低く呟いた。背中の観音の痣が熱を帯び、彼女に警告を送っていた。
「さらわれた女性を救わなくては」
夜の公園に冷たい風が吹き抜ける。割れた石碑の前に立つ裕美の姿は、まるで霊障探偵そのものだった。彼女は次に訪れる戦いを予感していた。
第四章:たむならの剣対巨大掌
裕美は、毎夜人をさらう霊と対決する決意を固めていた。
東京・麻布の湯川寺。冬の夜気は冷たく、境内には白い息が漂う。石畳は月光を浴びて青白く光り、古びた山門の影が長く伸びていた。寺の鐘楼は闇に沈み、時折吹き抜ける風が木々を揺らし、梵鐘の余韻のような低い響きを残す。
裕美は紺のスーツの下に、黒布に金の梵字が刺繍された黒梵衣を着込んでいた。それはウェットスーツのように身体にぴたりと密着し、霊との戦いに備えた護身具であった。金の文字は月光を受けて淡く輝き、まるで古代の呪文が彼女の身を守るかのように見えた。
「裕美、わしはここに残る。何かあったら、たむならの鏡で知らせてくれ」
寺の老僧が低い声で告げる。
「わかったわ」裕美は短く答え、冷たい夜気を胸に吸い込んだ。
彼女は自らハンドルを握り、豊島区大塚へと向かった。日本ではまだ珍しい電気自動車の静かな走行音が、夜の街に溶けていく。街灯の下を抜けるたび、車体の影が滑るように伸び縮みし、都会の眠りを邪魔することなく進んでいった。
深夜二時。大塚の街はほとんど眠りについていた。裕美は車内に身を潜め、霊の出現を待ち続ける。窓の外には、人気のない商店街の看板が風に揺れ、遠くで犬の吠える声が響いた。
この夜の被害者は、スーパーのオーナーである伊藤万五郎だった。
万五郎は社長室に腰掛け、豪勢な食事を貪っていた。伊勢海老の赤い殻が皿に積まれ、和牛のソテーからは脂の匂いが漂う。
「庶民には激安弁当、その金で儲かった俺は高級食材を食う。これが俺の勝ち組の証だ」
体重一五〇キロの巨体を揺らしながら、万五郎は笑った。
やがて、屋敷の隣のスーパーの灯りが消えた頃、異変が起こった。眠れぬ万五郎が窓辺に立つと、霊の行進が始まっていた。百姓の霊が放った矢が彼の胸を貫き、万五郎は呻き声を上げて頭を垂れ、行列の後尾に加わってしまった。
その瞬間、闇を裂いて伊田裕美が姿を現した。
「伊藤司之進さん、そこまでよ。今日はさらった人をすべて返してもらいます」
「誰だ、お前は」
「霊障事件解決人・伊田裕美。あなたの気持ちはわかるわ。でも、現代の人々を虜にするのは許されない」
伊藤の霊は怒りに満ちた声で応じた。
「わしは飢えに苦しむ人々を見ていられなかった。しかし、どうだ。わしは殺され、つき従った百姓も殺された。飽食を謳う連中が許せぬのだ」
裕美は静かに目を閉じ、右手を掲げた。
「どうやら話しても無駄なようね。いくわよ――たむならの剣!」
その瞬間、彼女の右手に光が宿り、古代の剣が姿を現した。
伊藤の手が突如巨大化し、裕美を掴み潰そうと迫る。指は柱のように太く、闇の中で怪しく光った。裕美は剣を振りかざし、鋭い音を立てて応戦する。だが、伊藤だけではない。百姓の霊たちが槍を構え、次々と襲いかかってきた。
裕美は必死に逃れ、大塚公園へと走った。広場に立つと、胸の前で両手を交差させ、十字架を形作る。
「裕美ビーム!」
光が奔流となって放たれ、伊藤と共に処刑された五人の百姓を直撃した。霊たちは悲鳴を上げ、塵となって夜空に消えた。
「よくも仲間を!畜生!」
残るは伊藤のみ。
裕美は巨人のような指を次々と斬り落とし、最後に「飛燕回し蹴り」を首へと叩き込んだ。伊藤の霊はよろけ、剣の連撃にずたずたに切り裂かれる。
「伊藤司之進為三郎さん……ごめんね、許してね……」
裕美の声は夜風に溶け、静寂が戻った。
その瞬間、行列に加わっていた人々が次々と正気に返った。
「えっ、どうしてここに……」
彼らは互いに顔を見合わせ、困惑の声を漏らす。
伊藤の霊は霧のように消え、夜の街には再び静けさが訪れた。
エピローグ
夜明け前の麻布。まだ薄暗い空の下、墓地の片隅にはひっそりと置かれた石碑があった。伊藤司之進の慰霊碑――それは、かつて万五郎オーナーが所有していたものを、裕美が譲り受けたのだった。石碑は年月を経て苔むし、表面には風雨に削られた跡が残る。だが、その静かな佇まいは、むしろ長い時を経てなお人々の記憶を守り続けているかのように見えた。
墓地の周囲には冬の冷たい風が吹き抜け、枯れ葉が石畳を転がっていく。遠くでカラスが鳴き、朝の光がまだ届かぬ境内は、どこか異界と現世の境目のような雰囲気を漂わせていた。
裕美は慰霊碑の前に立ち、両手に白い菊を抱えていた。花の香りが冷たい空気に溶け、石碑の前にそっと置かれる。彼女は静かに膝を折り、両手を合わせた。
「伊藤さん……ここで成仏してね」
その声は小さく、しかし確かな祈りとなって墓地に響いた。
背後から蔵六の声がした。
「裕美、今日はソイラテを作って上げるよ」
裕美は振り返り、少し微笑んだ。
「おお、いいね。健康的ね」
二人は並んで立ち上がり、背を向けて本堂へと歩き出した。石畳を踏みしめる足音が、静寂の中に規則正しく響く。境内の灯籠には淡い光がともり、夜明けを待つ街の気配が少しずつ近づいてくる。
その時だった。慰霊碑の前に、淡い光が揺らめいた。やがて人影が形を成し、伊藤司之進の霊が姿を現した。彼は静かに裕美と蔵六の背中を見つめ、深々と頭を下げた。長い苦しみから解き放たれたような穏やかな表情を浮かべ、やがてその姿は霧のように薄れていった。
墓地には再び静けさが戻り、風が梵鐘の余韻のように低く響いた。裕美と蔵六はその気配を背に感じながら、本堂の扉を押し開けた。新しい朝が、彼らを迎えようとしていた。
(完)
本当は「衣服霊」や「カマキリ姫」といった構想を形にしようと思っていたのですが、今回はそこまで手が届きませんでした。この物語も、夜眠りにつく前に寝床で構成を練り、翌朝目覚めたときに不思議と頭の中に残っていた断片を、急いでPCに書き込むことで形になったものです。
夢と現実の境目で生まれた物語は、時に鮮やかで、時に曖昧です。今回の話も「面白いのだろうか」と自問しながら書き進めました。私をフォローしてくださる方々がいるのに、思うように筆が進まず、申し訳なさを覚えることもあります。
それでも、こうして物語を紡ぐことができるのは、読んでくださる方の存在があるからです。小さな石碑に花を手向けるように、私の言葉もまた誰かの心に届けば――その一念だけを胸に、次の物語へと歩みを進めたいと思います。




