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魔女マサエジーナ ― 教会の女牧師は絶世の美人で人の肝を好む

私は昔から宗教施設に強い関心を抱いてきました。寺院や教会を訪れると、そこに漂う静けさや荘厳さに心を奪われます。子供の頃、階段の踊り場に立つマリア像を見て、言葉にできない恐怖を覚えたことがあります。けれど、いつしかその像に手を合わせるようになり、畏れと祈りが同居する不思議な感覚を知りました。

キリスト教徒になりたいと願いながらも、まだ自分に合う教会を見つけられてはいません。それでも、教会という舞台は私にとって物語を紡ぐ格好の場です。荘厳さと人間の欲望、神聖さと恐怖が交錯する空間だからこそ、物語は深みを増すのだと思います。

今回の作品を書くにあたり、ある美しい女性の面影を心に浮かべながら筆を進めました。人の美しさと魔性の境界を描くために、その記憶が私の想像力を支えてくれたのです。

序章 ― 麻布の寺に住む女

東京・麻布の臨済宗寺院「湯川寺」。ここに住むのは二十二歳の若き女性、伊田裕美いだ ひろみ。怪奇・超常現象専門誌『あなたの見えない世界』の記者として働きながら、日々、霊障事件の解決に奔走している。

裕美の武器は伝説の三種の神器――「たむならの剣」「たむならの鏡」「たむならの勾玉」。

• たむならの剣:司馬徽水鏡先生より授かった霊剣。邪悪を討つ使命を帯びる。

• たむならの鏡:湯川寺に安置され、危機の際には住職・村田蔵六和尚に念を送る媒介となる。

• たむならの勾玉:魔除けの力を持ち、裕美の両耳にピアスとして輝く。

戦闘時には梵字が刻まれた黒い法衣「黒梵衣」を身にまとう。これは邪霊を寄せ付けぬ衣であり、初めて禿鬼と対峙した際に村田蔵六和尚から授けられたものだ。

裕美の日常は質素だ。麻布の「ビッグA」で半額弁当を買い、「半額弁当の間」で食べるのが日課。ひれかつ弁当がお気に入りである。飲み物は一年を通して熱いラテ。冷たいものは好まず、夏でも熱いチャーシュウメンを食べる。身体を冷やすと邪霊に付け込まれるという信念を持っている。

彼女を支える人々は三人。

• 村田蔵六:五十代の陰陽師で湯川寺の住職。父のように裕美を見守る。

• 田野倉伝兵衛:雑誌編集長。裕美の取材に依存している。

• 高橋霊光:自称・怪奇現象解決人。だが役立たずで今回は登場しない。


第一章:学習院下の教会


東京・学習院下。裕福な家々が並ぶ街並みに、ひときわ目を引くプロテスタントの教会があった。近年建てられたその教会の主は女牧師、マサエジーナ。

黒髪の長い髪を背に流し、身長は一七〇センチ。三十代の美貌の持ち主である。普通、人の顔は左右非対称だが、彼女は奇妙なほど完璧な左右対称を誇っていた。見た目は東欧人そのもの。本人は「ロシア人の父と日本人の母の混血児」と語っている。

休日になると多くの信者が彼女に会いに来る。教会に姿を現すと人々は熱狂し、

「女牧師様! マサエジーナ様!」

と声を上げる。まるでアイドルのような人気であった。

「平安あらんことを」

その一言に信者たちはざわめき、涙を流す者さえいた。

マサエジーナはSNSで神の教えを広め、数多のフォロワーを抱えている。金曜の夜には教会で炊き出しを行い、貧困層に粗末ながら栄養満点の食事を振る舞う。結婚していないことも人気の理由の一つで、彼女は「現代の女神」と呼ばれていた。

ある午後。教会のマリア像の前でひざまずく一人の女がいた。中肉中背、デニム姿のカジュアルな女性。名は清家瞳。

扉の音もなく、マサエジーナが現れる。彼女は瞳に近づき、優しい声で言った。

「若いのに立派ですね」

「ああ、女牧師様……」

「平安たらんことを。神はいつもあなたと共にあります」

その言葉に瞳は突如泣き出した。マサエジーナは眉を上げ、静かに問う。

「どうなさいました」

「じつは……」

瞳は苦しい胸の内を吐露した。会社の同僚、鈴木雄奴吉すずき おぬきちと不倫関係に陥ってしまったのだ。一度は別れようとしたが、体がそれを許さず、鈴木は毎日のように逢瀬を求めてくる。拒むことなく続けてしまっている。

マサエジーナは瞳の肩に手を置き、囁いた。

「よく話してくれましたね。神はあなたを救うのに躊躇はありません。今日でも明日でもいい。夜、私の教会に来なさい。誰にも見られない時間がいいわね」

そう言って瞳を立たせ、ポケットからハンカチを取り出し涙を拭ってやった。

「必ず来るんですよ」

彼女は門まで瞳を送り出した。荒川線の駅へ向かう途中、瞳は励ましを受けてもなお不安を抱えていた。しかし人に話したことで一時的に心は軽くなった。

その背を見送るマサエジーナの口元――右の口角だけが、不気味に大きく上へと歪んだ。


第二章:女牧師の真の顔


目白台の夜十時。近くは池袋の喧騒があるものの、この雑司ヶ谷の一帯は静まり返り、人影もまばらだ。ところによっては街灯すらなく、足元は闇に溶けて危うい。

清家瞳は迷いながら歩いていた。鈴木に誘われたが、今日は断った。どうしても外せない用事があると告げると、鈴木は意外にも物わかりよく引き下がった。だが瞳の胸には重い不安が残っていた。

やがて教会の前に立つ。夜十時、扉の向こうから現れたのは女牧師マサエジーナ。微笑みを浮かべ、静かに言う。

「ここではなんだから、こちらへどうぞ」

彼女が開いた扉の奥には、薄暗い階段が口を開けていた。

「足を踏み外さないでね」

その声に導かれ、瞳は足を進める。灯りはわずかで、輪郭しか見えない。

階段を降り終えると、長い回廊が続いていた。闇は濃く、瞳一人では到底歩けない。だがマサエジーナが手を握ってくれている。その温もりだけが頼りだった。

やっと辿り着いたのは大広間。まるで地下壕のような空間だ。中央に階段があり、両脇に灯が揺らめいている。階段を登り切ると、そこには槍を持った悪魔像が立っていた。頭は山羊の骨、体は漆黒。西洋の悪魔そのものの姿である。

「瞳さん、ありがとう。ここまで来てくれて」

マサエジーナの声は甘やかだが、次の瞬間、その顔がみるみる裂けていった。

目は釣り上がり、束ねていた黒髪が逆立ち、爪は異様に伸びる。頬が裂け、そこから覗いたのは日本の妖怪を思わせる長い牙。

恐怖におののいた瞳の声は、怒鳴り声に近かった。

「な、何なの……!」

マサエジーナは嗤い、牙を剥き出しにして告げた。

「あたしはね、魔女マサエジーナよ。ポーランドよりやってきた。人の肝を食らうと永遠にこのままの若さを保てるの。あなたの命も、あたしのシワを一つくらい消せるわね。お役になってよ」

瞳は背を向け、必死に逃げようとする。しかし足は鉛のように重く、動かない。恐怖に縛られた身体は言うことをきかない。

マサエジーナは壁に立て掛けられていた大鎌を取り上げた。刃が闇に光り、次の瞬間、瞳の首を一閃で刎ねた。

大量の血が階段を伝い、赤黒い流れとなって大広間の床へと広がっていく。灯火がその血を妖しく照らし、地下壕は静かに、しかし確実に地獄へと変貌していった。


第三章:霊障事件解決人の印


清家瞳はあの日以来、戻ることはなかった。だが世間は何一つ騒がなかった。新聞にも載らず、テレビも沈黙し、SNSの片隅でさえ話題にならない。事件はただの「行方不明」として片付けられた。

不倫相手の鈴木雄奴吉だけが騒いでいた。だがその心は複雑だった。瞳の失踪に内心ほっとする部分もありながら、体はまだ彼女を求めていた。警察に毎日のように通ったが、返ってくるのは冷たい言葉ばかり。

「殺人でない限り捜査はしない」

それが警察の答えだった。SNSで拡散しても誰も相手にせず、炎上すら起きない。鈴木は孤立していた。

夜、公園のベンチに座り込む。街灯の下でスマホを眺めていると、ふと目に留まった記事があった。

「禿鬼、能面知事事件――パキスタンの悪魔マンヒル」

その見出しに鈴木は吸い寄せられるように画面を開いた。記事の発行元は東京・西日暮里にある出版社「光明社」。そこには怪奇・超常現象専門誌『あなたの見えない世界』の名があった。鈴木はなぜか心を突き動かされ、翌日その出版社を訪ねる決意をした。

西日暮里の光明社

翌日、鈴木は西日暮里に降り立った。駅前は人の往来が絶えず、商店街の古い看板と近代的なビルが混在する街並み。雑多な匂いとざわめきの中に、光明社の入るビルはひときわ目立っていた。ガラス張りの外壁に反射する冬の陽光が冷たく硬い。

ビルの一室――「あなたの見えない世界」企画部。ドアを開けると、蛍光灯の白い光が広がり、壁際には過去の雑誌が整然と並んでいた。机には原稿用紙や資料が散らばり、電話のベルが時折鳴る。編集部特有の慌ただしさが漂っていた。

受付で鈴木は声を震わせながら言った。

「霊障事件の記事を提供したいんです」

奥から現れたのは二人の人物。

一人は五十代、黒髪はふさふさで、でっぷりとした腹を抱えた編集長・田野倉伝兵衛。椅子にふんぞり返る姿は威圧的だった。

もう一人は黒い短髪に両耳の勾玉ピアスを光らせたスーツ姿の女性――伊田裕美。瞳を射抜くような真剣な眼差しをしていた。

鈴木は簡単に挨拶を済ませ、不倫相手・清家瞳の話を始めた。最後に彼女が「教会に行く」と言い残し、姿を消したことを告げる。

伝兵衛は鼻で笑い、椅子から立ち上がった。

「なんだ、君は人探しの依頼だろ。それなら警察の仕事だよ」

そう言い残し、どこかへ行ってしまった。

その瞬間、裕美の背中に疼きが走った。首下、左右対称の真ん中に刻まれた観音の梵字の痣――それは億人に一人しか持たぬ、霊障解決人の印。

裕美は静かに言った。

「わかりました。早速調査してみます」

奥から伝兵衛の大声が響く。

「そんなもの、霊障にもならない。記事になるのか?」

だが裕美の瞳は揺るがなかった。

「大丈夫です。必ず記事にしてみます」

彼女には確信があった。この失踪の背後には必ず邪霊、悪魔、魔女の類が潜んでいる――そう直感していた。

東京麻布。江戸の昔から寺町と呼ばれるほど、寺院が多く立ち並ぶ土地である。坂道の多い街並みには古い石垣や黒塀が残り、夕暮れ時には鐘の音が遠くから響いてくる。近代的なビルや高級マンションが増えた今も、路地を一本入れば苔むした石段や古木の影があり、時代の層が重なり合うように息づいている。

その一角にある臨済宗の湯川寺。境内は広く、銀杏の葉が黄色く舞い落ちる中、静けさが漂っていた。寺の奥には「半額弁当の間」と呼ばれる小さな部屋がある。裕美と和尚・村田蔵六が日々の食事を楽しむ場所だ。

この夜も二人は並んで座り、麻布のスーパー「ビッグA」で買った半額弁当を広げていた。今日の献立はヒレカツ弁当。

「やっぱり、ヒレカツが一番うまいね」

裕美が箸を進めながら笑う。

「わしはロースのほうが好きじゃよ」

蔵六和尚は頬を膨らませるように言った。

「両方ね」

裕美が軽く返すと、和尚は目を細めて笑った。

「しかし、裕美の旦那さんになる人は可哀そうじゃな。半額弁当ばかりで、手料理を味わえなくてね」

「そのときはあたしも作るわよ」

「その前に一度わしに食べさせてな」

二人は声を上げて笑い合った。寺の静けさに響く笑い声は、どこか家族のような温かさを帯びていた。

やがて裕美は真剣な顔に戻り、箸を置いた。

「明日、行方不明事件を調査するわ」

和尚はしばし黙り、彼女の背中を見つめた。そこには観音を象徴する梵字の痣が刻まれている。億人に一人しか持たぬ霊障解決人の印。

「気をつけてな。素肌の上には必ず黒梵衣を身につけるんじゃ。梵字が刻まれたあの衣は、お前を守ってくれる」

裕美は静かにうなずいた。半額弁当の温もりを胸に抱きながら、明日の戦いに備える決意を固めていた。


第四章:魔女の宴 ― VIP会員制の罠


昼の雑司ヶ谷は、東京とは思えないほど静かだった。池袋の喧騒がすぐ近くにあるとは信じがたいほど、人通りはまばらで、風の音が耳に残る。古い墓地と寺院が点在し、空気はどこか湿っている。

裕美は、清家瞳が最後に訪れたとされる教会の前に立っていた。白い外壁にステンドグラスが輝くその建物は、評判の良い女牧師がいることで知られていた。休日には「親衛隊」と呼ばれる熱心な信者たちが集まり、礼拝堂は賛美の声で満たされるという。

だが、裕美の目にはその教会全体を包むように、白い靄がかかって見えた。霊障の兆候だった。

「やはりね、ただごとじゃないね」

扉が開き、中からマサエジーナが現れた。黒髪を背に流し、左右対称の美貌を持つ女牧師。その姿は完璧すぎて、どこか人間離れしていた。

「何かご用かしら?」

声は柔らかいが、どこか冷たい。

「いえ、あたしキリスト教徒なんです」

裕美は微笑みながら嘘をついた。

「そう?だったらお入りください」

教会の内部は整然としていた。無駄がなく、神聖な空気が漂っている。だが、裕美の目はすぐに異物を捉えた。本堂の左手にある、黒い鉄製の扉。周囲の調和を乱すように、そこだけが異様だった。

「何かあるわね」

裕美は直感したが、今日は深入りしなかった。その夜から、教会を見張ることにした。

満月の夜。

マサエジーナは清家瞳の肝を喰らい、若さを少しだけ保った。しかし、満足には程遠い。

「効率が悪い。もっと大量な肝が欲しい」

彼女は行動に出た。親衛隊の中から若く、健康そうな男を十三人選び、「VIP会員」と称して教会に招いた。願いを叶えるという名目で、彼らを生贄にするつもりだった。

その夜、十三人の男たちがぞろぞろと教会へ向かう。裕美は最後尾に紛れ込み、静かに後を追った。

信者たちは本堂に入り、左の黒い扉を開ける。階段を一段ずつ降りながら、互いに手を繋ぎ、長い回廊を進む。蝋燭の灯りが揺れ、空気は冷たく、湿っていた。

やがて大広間に出る。中央に石の階段があり、その上にマサエジーナが立っていた。

「皆さん、上がってください」

信者たちは階段を登り、裕美も最後に続いた。全員が揃ったところで、マサエジーナは微笑みながら言った。

「今日集まってもらったのは……」

「私たちの願いを叶えてくれるのでしょう」

一人が期待に満ちた声を上げる。

「ふふふ、お馬鹿な人ね」

まだ誰もが憧れの目で彼女を見ていた。

「皆の肝をもらう」

「えっ……?」

空気が凍りついた。誰もが言葉の意味を理解できずにいた。

マサエジーナの顔が変貌する。耳は大きく裂け、口は耳元まで開き、髪は逆立ち、牙が覗く。

「あたしは西洋の魔女、マサエジーナ。何百年もの間、人間の肝を食らって生きてきた。肝はあたしの若さの秘密よ」

信者たちは恐怖に縛られ、動けなかった。

「しかし、その前に生贄が必要。このなかに裏切り者がいる」

マサエジーナが投げた槍が、裕美の足元に突き刺さる。

「皆、その者を捕まえよ!」

裕美は叫ぶ。

「皆、逃げるのよ!」

だが、信者たちは命令に従い、裕美に飛びついた。縄で縛り上げられ、身動きが取れなくなる。

マサエジーナは大鎌を研ぎながら近づいてくる。

「この馬鹿な女を血祭りに上げる」

裕美のスーツの下には、梵字が刻まれた黒梵衣――ウェットスーツが隠されていた。

彼女は体電池を起動し、縄を焼き切る。立ち上がり、叫ぶ。

「たむならの剣!」

右腕に霊剣が輝き、空気が震える。

「皆、逃げて!」

信者たちは我を忘れて逃げ出す。

裕美の剣とマサエジーナの大鎌が激しくぶつかり合う。火花が散り、金属音が地下に響く。

何度も斬り合い、ついに裕美の剣が大鎌の柄を断ち切る。返す刀で、マサエジーナの胸元を斬り裂いた。

「うぉぉぉ……!」

魔女はよろけ、うつ伏せに倒れた。

地下の空気が一瞬静まり返る。だが、まだ終わってはいなかった――。


第五章:魔像の覚醒

大広間に響く足音は、やがて消えた。裕美の叫びに応じて、十三人の男たちは我を忘れて逃げ出し、地下の空間には彼女ひとりが残された。

静寂。

その瞬間だった。

地鳴りのような音が地下を揺らし、天井の石が軋み始めた。正面の悪魔像――山羊の頭を持ち、槍を携えた黒い巨像が、ゆっくりと動き出した。

「これは……いったい……」

裕美は息を呑んだ。石像のはずのそれが、軋む音を立てながら階段の上で立ち上がり、槍を振りかざす。

柱がなぎ倒され、砂埃が舞い上がる。天井の一部が崩れ、瓦礫が地面に落ちるたびに、空間はさらに歪んでいく。

魔像は無言のまま、槍を構えて裕美に突進してきた。

裕美は「たむならの剣」を構え、迎え撃つ。剣と槍がぶつかり合い、火花が散る。金属音が地下に響き渡り、空気が震える。

だが、魔像の動きは止まらない。槍の軌道は重く、鋭く、何度も裕美の防御を揺さぶる。

「このままじゃ、土砂の下敷きになる……」

裕美は一瞬、魔像の背後に目をやった。そこには、崩れかけた階段があった。

彼女は身を翻し、魔像の背後へと回り込む。

魔像は階段を背に立っていた。

裕美は胸元で十字を切る。

「観音の光よ――」

その瞬間、彼女の右腕から放たれた光が、一直線に魔像の胸を貫いた。

「裕美ビーム」と呼ばれる霊障解決の秘技。

光は魔像の胸を焼き、石の肉体を砕いた。魔像は呻き声のような音を発しながら、階段の下へと崩れ落ちた。

だが、裕美は立ち止まらなかった。

天井が崩れ、壁が割れ、地下の空間そのものが崩壊を始めていた。

彼女は瓦礫を避けながら走り続けた。

そして、地上へと戻った瞬間――

教会が、ゆっくりと、下から消えていくのが見えた。

白い壁も、ステンドグラスも、礼拝堂も、すべてが霧のように溶けていく。

それはまるで、夢が終わる瞬間のようだった。

マサエジーナの教会は、幻想だった。

魔女の魔力が生み出した虚構の空間。

それが、裕美の剣と光によって、完全に消滅したのだった。


エピローグ

翌日、西日暮里。

出版社「光明社」の近くにあるスターバックスは、朝から陽光に包まれていた。空は雲ひとつない日本晴れ。街路樹の葉が風に揺れ、通勤客の足音がリズムを刻む。

窓際の席に、伊田裕美が座っていた。

黒いスーツの上着を椅子にかけ、ラテのカップを両手で包み込む。湯気が立ち上り、鼻先をくすぐる香ばしい香り。

「そういえば、このラテ、半額弁当より高いのよね」

独り言のように呟きながら、カップを持ち上げる。

「司馬徽水鏡先生、人間に害を与える邪悪を一つ、退治しました」

その言葉は誰に向けたものでもない。けれど、背中の梵字が静かに応えているような気がした。

裕美はバッグからノートパソコンを取り出し、電源を入れる。画面が立ち上がると、指先がキーボードを滑るように動き出す。

「さて、今回の始末記を伝兵衛に送りますか」

画面には「あなたの見えない世界」編集部のメールアドレスが表示されていた。

魔女マサエジーナの教会は消えた。幻想は破られ、犠牲者は救われた。

だが、霊障は終わらない。

人の欲望がある限り、闇は形を変えて現れる。

伊田裕美の戦いは、まだ続く。

(完)

本来は「教会の魔女タムザベート」を題材にする予定でした。ところが、ある日ビッグAで買い物をしているとき、ふと今回の物語の構想が降りてきました。日常の些細な瞬間が、物語の扉を開くこともあるのです。

ちなみに、私は半額弁当を買ったことがありません。行く時間が早いため、店頭に並ぶ前に帰ってしまうのです。代わりに、ケーキやヨーグルトの三割引きにはよく出会います。そんな日常の断片が、物語のユーモアや温度を形づくっているのかもしれません。

次回作の構想として『カマキリ姫』や『衣服霊』を考えています。人間の暮らしの中に潜む異界の影を、また新たな形で描いてみたいと思います。どうぞご期待ください。

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