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夢の通ひ路

伯彦の旅日記 関ヶ原祭り2025

作者: 斎木伯彦

§序章

 今年も来た。

 関ヶ原祭りに合わせて、「信長の野望・出陣」の催し(イベント)が同地で開催である。

 綿密な計画を立て、出陣の準備を進める。

 まずは実家に帰る段取りが必須だ。

 金曜日の夜、勤務終わりに強行軍で帰るか、敢えて一泊して早朝に出立するか、ここで選択を間違えると厳しい戦いとなるだろう。

 金曜日の勤務を終えた私は、疲れを癒やすために一泊する選択をした。

 その間に、催し(イベント)で立ち寄る必要がある施設等の位置情報を確認する。

 財布の中身を確認すれば、兵力35000。

 少し心許ないが、無駄遣いさえしなければ大丈夫だろう。それに事前課金(プリペイドカード)の別働隊12000も控えている。滅多なことはあるまい。

 補給をしない選択をして、私は床に就いた。

 翌朝、諸々を片付けて出立すれば良いとの判断だ。


§前哨戦

 土曜日の朝、普段通りに起床した私は、洗濯と掃除を済ませて、ついでに軽い昼食を摂ってから事業所の戸締まりをして出立した。

 時刻は正午過ぎである。

 能登半島は至る所で工事規制が行われているので、特に規制が集中している「里山海道」は絶対に通らない。

 東海岸を南下して、七尾市の北部から半島を横断、羽咋市に入った。気多大社の近くを通過して、柳田のインターチェンジから「里山海道」に乗るのが、距離も短く、時間短縮にもなる。

 高松インターチェンジで降りて、かほく市内を通り抜け、津幡から北陸自動車道の金沢森本インターチェンジを目指した。少しだけ距離が伸びるが、道が空いていて時間短縮効果が見込めるので、この経路を採用している。

 後は北陸自動車道を上って、実家の最寄りインターチェンジまで行くだけだ。


 話は変わるが、福井県のとある回転寿司店では、季節限定商品が提供されている。

 私は給油してから、店舗の一つへ足を運んだ。

 時刻は15時半過ぎ。

 軽めの昼食で済ませた腹が「何か入れろ」と訴えて来る頃合いだ。

 店内は客も疎らで、静かな環境。

 カウンター席に腰掛けて、注文をしようとタブレットを手に取る。

 ブリとビンチョウマグロの握りで開戦だ。

 美味い。

 注文用のタブレットを操作していると「季節のメニュー」が目に入った。

 舞茸天と焼き鯖、太刀魚の炙り、トロカツオを攻める。

 舞茸天の握りは熱々の天ぷらが危険だ。ポン酢を垂らして、慎重に攻略。

 焼き鯖は舎利に針生姜が仕込まれていたが、難なく平らげた。

 太刀魚の炙りは、柚子ジュレにポン酢で攻撃を加えて攻略する。

 トロカツオ、この時期であれば戻りカツオの一本釣りだろう。

 どれも美味いの一言に尽きる。

 そしていよいよ、今回の本丸である「うまいんやざー五貫盛り」に攻めかかった。

・タラコの煮付け軍艦

・鯖へしこ握り

・名水サーモン握り

・ガサエビ握り

・甘エビ握り

 この五貫が次々と襲いかかり、私の五感を刺激する。

「うーまーいーぞー!」

 心の中の味皇様が雄叫びを挙げる。それは勝利の雄叫びでもあった。

 更に追い討ちをかけるように、マグロの三貫盛りを注文する。

・漬け

・赤身

・中トロ

 これらの連続攻撃も、美味しく頂いて、締めに向かう。

 私は二種類あるイカの内、ムラサキイカで締めることにした。

 身厚のモチッとした食感がたまらない。

 激しい攻防の末、私の兵力5000が犠牲となった。


 空腹を満たした私は、伸び放題の髪の毛を始末するべく、理容店に向かった。

 兵力4000を失うも、身綺麗になった私は、夕飯と翌朝の朝食を求めて馴染みの店舗へ向かう。

 空腹感はないので、簡単に済ませられるように商品を選択して、別働隊3000の兵力を消費した。

 帰宅してシャワーを浴び、風呂上がりの一杯を愉しむ。

 洗濯機を稼働させつつ、ゲームアプリの日課(デイリークエスト)を完遂。

 洗濯物を干して、扇風機で乾燥を促す。

 私はそのまま就寝した。


§出陣

 午前4時。

 目覚まし時計よりも早くに起床した私は、洗濯物が乾いているのを確認して、出立の支度に取り掛かった。

 持ち帰った手荷物は袋一つに収まるので、手早くまとめられる。

 朝食はパンを二つ。

 私の目算では、山を越えた先の岐阜県で、モーニングセットを頂く予定だ。

 午前5時、いよいよ関ヶ原に向けて出陣する。遅参は許されない。

 今年の3月には通れなかった経路に向けて山道を進んだ。

 カーナビは古い地図情報なので、ひたすらに迂回路を提案して来るが、私は悉くを黙殺した。

 目的地として設定したカフェへの到着予定時刻が8時になっているのは、北陸自動車道から米原経由での所要時間である。

 通行止めの予告看板が目に入るが、表示されている道路は別の経路だ。

 対向車両もいるので、岐阜県へ通り抜けできると信じて突き進む。

 早朝の山道は車両が少なく快適に運転できた。

 順調に県境を越えて行くと、工事規制が見えて来る。

 崩落したのか、迂回路を設けての片側交互通行規制だ。

 対向車両を数台やり過ごして、工事用信号が青になるまで待機する。

 急いては事を仕損じると昔の人は言ったが、まさにその通りだろう。工事規制区間を急いでも、事故を起こす確率が高まるだけで、何も良いことはない。

 工事区間を過ぎて暫くすると、後続車両の前照灯(ヘッドライト)車内鏡(ルームミラー)に映った。

 追いついて来るようであれば、進路を譲るのが法律に定められた義務だ。

 霧が出て来たのもあって、慎重に運転する。

 いよいよ追いついて来た車両を、やや進んだ箇所で追い抜かせる。

「下手くそやん」

 速度を出せば上手いとは限らない。

 競技場(サーキット)であれば速いのが正義ではあるが、一般公道では安全第一が正義である。

 中央線を跨いで速度を出しても、それは危険と隣り合わせ、対向車両を巻き込む愚劣な行為である。

 案の定、対向車両が来ると、大きく速度を落としている。

 そのような運転なので、中央線をはみ出さないように進む私でも追いつくことが可能だ。

 連続する屈曲部を抜けて直線部分になると速度を上げて、私から離れて行く。

 急ぐような時間でもないので、慌てることなく私は通常の速度で走行した。

 屈曲部が近付くと再び追いつく。本当に下手だ。

 そうこうする内に休憩地として定めていた道の駅に到着した。進入して駐車し、目的地のカフェまでの所要時間を確認すると20分程度になっていた。

 時刻は6時過ぎなので、一時間以上も短縮できている。やはり利便性の向上が図られた道路は快適である。

 カフェの開店時間が7時なので道の駅でゆっくりと休憩し、カフェに向けて出発する。

 岐阜県のモーニングセットは名古屋に負けず劣らずらしいので、私の胸は期待感に満ちていた。

 目的の一つであるカフェに到着、開店10分前なので駐車して待機する。常連客らしき車もやって来た。

 店先の電灯が点る。まだ5分前だが常連さんの車が見えたので開店時間を早めたのだろう。

 私が降車して向かうと、その常連さんも降車して店内へ。続けざまに私も入店した。

 この瞬間、私は激しく後悔する。店内が珈琲の香りではなく香水臭いのだ。

 しくじったかなと思いつつも、常連さんがいるぐらいだから大丈夫だろうと着席。

 ホットコーヒーを注文して、モーニングセットのトーストパンもシナモン風味にした。

 結論から言うと、私の舌には合わなかった。次回の来店はない。

 ネットの評判も良い方だった分だけに、残念でならない。

 車内に戻り、飲みかけのお茶を口に含んで後味を洗い流す。

 気持ちを切り替えて、関ヶ原へと向かった。


§関ヶ原

 岐阜関ヶ原古戦場記念館。

 ここは慶長5年9月15日に天下分け目の決戦が行われた地である。

 現在の暦に直すと同年の10月21日になるそうだが、その時期に合わせて関ヶ原町が総力を挙げて催事を実施している。今年の旧暦9月15日は、11月4日である。

 現地の到着は8時前、第二駐車場へ向かう。第一駐車場は会場から近いが規制の中になってしまうので出入りが難しくなる為だ。

 第二駐車場には既に20台近い車両が駐車されている。町民や関係者なのだろう。会場の準備で早駆けしたに違いない。

 私は駐車して8時を回るまで待機する。恐らくはその時刻から警備体制が本格稼働するはずだからだ。何事にも時機というものがある。それを逃すと、後手を踏んで対応が間に合わなくなるのだ。

 まさに関ヶ原の戦いで、東軍に参加していた福島正則が先陣を任されながら一番槍などの功名を逃した原因でもある。

 関ヶ原の戦いに私の先祖が参加した確証はないが、それでも幕府の御家人だった先祖が参加しなかった理由もない。

 往時を偲びながら会場周辺を散策する。

 「信長の野望・出陣」の催し(イベント)で必要な地点をアプリ内で登録して、会場中心部へ向かう。

 目的のブーステントを発見。昨年と全く同じ場所に陣取っていた。

 だが、受付開始は10時なので、更に会場内を散策する。

 物販テントを軽く物色してから、何やら騒々しい物音の聞こえる方向へ足を運んだ。

 中央広場では、演劇の練習中だった。

 関ヶ原の戦いを再現して町民が手作りしているのだろう。

 短槍や打刀の模造品を用いての演劇だ。

 現在は練習なので平服のようだが、本番では衣裳を身に纏うに違いない。

 打刀を太刀佩きしているが、当時の風習がどうであったかは私も思い出せない。

 私の記憶が正しければ、平安時代の中期までは大陸風の佩き方で、腰から吊して刃を下向きにしていた。

 それから鎌倉時代も太刀佩きとして刃が下向きの佩き方が主流だった。

 それから太刀よりも短い打刀が主流になり始めると、刃を上向きに佩くようになる。

 江戸時代には帯刀するようになるので、刃を上向きに帯びるのみになり現在に至る。

 戦国時代は太刀佩きと打刀佩きの過渡期に当たるので、戦国末期の関ヶ原の戦いではどちらが主流だったのかは自宅にある書籍で確認するしかない。

 なお用語の使い分けとしては、腰から紐などを用いて吊り下げる方式を「佩く」と表現し、腰帯などに差すと「帯刀」と呼ぶ。背中には「担ぐ」と表現し、この担ぐ武具や長柄武器は肩を支点にして振り回すことで威力を発揮したと言われている。


 さて、私の推し武将は大谷刑部ではあるが、彼の表現で心に残るのは大河ドラマの「真田丸」だ。関ヶ原の前日に山本耕史氏演じる石田治部が「勝てるだろうか?」と訊ねた時に、片岡愛之助氏演じる刑部が「勝てるか勝てないかではない、儂が勝たせてやる」との台詞は、今でも熱くなる場面だ。

 脚本家は三谷幸喜氏で、彼の描く物語は賛否両論ある。大きく感情を動かす筋書きが苦手な方もいらっしゃるようだ。

 演劇の練習風景を暫く見ていた私ではあったが、物販テントへと再び足を運んだ。

 戦国武将を題材にした物品が陳列されている。

 小さいものではキーホルダー、大きなものでは暖簾なども販売されていた。

 隣接するテントでは兜が陳列されているが、値段が3万円を超えている。私の残存兵力では全く太刀打ちできない。

 いろいろと勘案して、我が先祖の家紋に近い森家の物品を漁る。それから徳川の御家人だったので、三つ葉葵の施された物品を選択。

 あっと言う間に私の残存兵力は13000近くにまで減ってしまった。

 時間は9時半、目当てのブースが開くまでにはまだ時間があると思いつつも目を遣ると、既に開いていた。

 アプリ内の達成画面をスタッフに見せて、記念品を受け取る。

 目標達成、この後は昼食を摂って帰るのみだ。

 物販テントから、先程の演劇練習に参加していた方が出て来たが、しっかりと甲冑、兜、陣羽織で支度されていた。あれなら見栄え良く素晴らしい演劇になるだろう。

 帰りの時間に余裕があれば観劇したかったが、私は後ろ髪引かれる思いで会場を後にした。


§帰路

 車に乗り込み、帰りにどこで、何を食べようかと思考を巡らせる。

 昨年は南下して三重県で天麩羅を食べた。だが今回は帰着目的地が遠いので、三重県までは足を伸ばせない。

 ならばと、岐阜市内の鰻屋を思い起こす。しかし財布の残存兵力を考えると、鰻はちょっと厳しい。

 あれこれ考えたが、運転しながら思いつきで立ち寄ろうと決心して駐車場へ戻った。

 帰路、大垣市内からは東海環状が大垣西インターチェンジから美濃ジャンクションまで全面開通しているので、その道路を利用して帰ることにした。

 新しく完成した道路なので私の車載ナビでは案内が出ない。

 ゲームアプリでは城を登録する機能もあるので、帰り道沿いにある郡上八幡城に立ち寄ることにした。

 順調に進み、郡上八幡へ到着したのは正午。

 だがここでは計算違いが発生する。

 観光客が多くて駐車場が空いていない。

 これではゆっくりと昼食も摂れないだろう。私は退却を決意した。

 やはり城攻めは朝駆けか夜討ちに限る。

 国道156号線を走るのは久しぶりである。普段は東海北陸自動車道を通るので、一般国道を走るのは本当に久しぶりだった。

 道路の付き替わった場所や、新しく架設された橋梁、修繕される橋梁などが目に入る。

 そしてよくネタにされる大中小学校。

 それらを過ぎて、白鳥町から荘川町に向かった。

 岐阜県内でも一般国道が崩落したのか、長い工事規制区間が何カ所かある。

 それほど急ぐような帰り道でもないので、ノンビリと走行した。

 途中のスキー場などは夏場でも飲食店が開業している。

 空腹感がなかったので、そのまま進んだ。

 白川郷を抜けて、流石に疲労感が募って来たので、東海北陸自動車道へと路線を切り替えた。

 この道路も飛騨清見から城端までの区間で4車線化の工事が進んでおり、この工事が完了すれば全線で4車線になる。

 工事中は確かに不便を感じるが、終わってしまえば利便性が高まり不満が募ることもなくなる。少しの辛抱もできないようでは、いつまでも不便なままである。

 走行しつつも、眠気が私を襲う。城端で休憩しようかと思うが、前走車両が続々と城端へ入って行く。

 気を取り直して、福光インターで降りようかと考えるが、前走車両が何台も退出して行く。

 私は開き直ってこのまま七尾まで進行することにした。


§終章

 小矢部東ジャンクションで東海北陸自動車道を出ると、その先は能越道である。

 高岡インターチェンジまでは二車線区間、その先は一車線区間なので、急ぐ場合は出来得る限り遅い車を追い抜いておくと時間を短縮できる。

 私は時間的余裕と疲労感があるので、さほども急ぐ必要もなく、ノンビリと走行した。

 だが、七尾城山インターチェンジを降りる時に、前走車両が下手過ぎて苛立ってしまう。

 本線走行時から左右にユラユラと蛇行運転したり、急に速度を上げたり下げたり、全く安定感のない運転だったが、インターチェンジのランプ部でもブレーキばかり踏んで、加速が遅い。

 私が追突を避けようとして減速すれば、逆に私が追突されそうになっているのだから、私以外の車両が追走していた場合は事故になっていたかもしれないほどだ。

 休日の遠出は本当に気遣いの連続である。

 出口信号で別方向へ曲がって行ったので、私は七尾市内の馴染みの店舗へ車両を進ませた。

 ここも事前課金(プリペイドカード)が使用できる店舗なので、簡単に買い物を済ませ、ついでに軽く昼食も済ませた。

 後は、給油して宿舎に戻るだけである。

 給油所で兵力3000を投入して、入る分だけ給油する。

 財布の残存兵力は10000、懐は寒いが心は暖かい。

 そして帰り道で買い忘れたことに気付いた襟巻き(ネックウォーマー)(面頬柄)を通販しようかと悩むのであった。

 帰着するまでが旅路である。今回も無事に帰着。


 次回は、あなたの街に出没するかもしれません。

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