何も知らない
「もうまじあのキスシーン見てうはあああってなってたもん」
「わかるー」
昨日見たドラマの話をしている最中、まるで存在をアピールするかのように大きな音を立てて教室の扉が開かれた。
もうその音だけで誰が入ってきたのか分かって、お話をしていたクラスメイトから笑顔が消えた。
「おはよー! あ、ちぃちゃんたちもおはよー!」
「おはよう、みゆちゃん」
「何お話してたのー?」
八重歯をチラつかせながらみゆちゃんが私たちの輪へと土足で入り込んでくる。
もうそれだけで私のお話相手は疲れてしまっているようで、一度私に視線を合わせたあとに小さく鼻息を吐いた。
「昨日見ていたドラマの話。みゆちゃんは見た?」
「あーあれねー、モザイクキスでしょ? あたし見てないんだよねぇー、ってかあんなの見るのおこちゃまじゃない?」
なんてケラケラ笑うみゆちゃん。
お話していた相手はますます機嫌が悪くなったようで、「ちょっとトイレ行ってくる」なんて言ってその場から逃げ去ってしまう。
「まゆたちトイレー? ホームルーム遅れるなよー!」
声をかけられたまゆちゃんたちはみゆちゃんの大きな声も聞こえてはいないようだ。
ただ私のほうへ一度視線を投げて困ったような顔をしただけ。きっとあの顔は「ごめんね」って意味なのだろう。
「で、なになに? ちぃちゃんはあのドラマ見てんの?」
「見てるよ。昨日やっとキスシーンがあってね」
「あー、なんとなくわかるわ。すれ違っていた二人は誤解が解けてイイ感じになってキスしたって感じでしょ?
だいたいわかるんだよねー、あぁいうドラマの展開。王道すぎてつまんないっていうかさー」
へらへらと今後はどうなるだろうというみゆちゃんなりの展開が話される。
私は相槌をただ打ちながらみゆちゃんの“私知ってますから”トークを右から左へ流しつつ笑う。
みゆちゃんはいつもなんでも知っているかのように振る舞う。
きっとネットで得た知識だとか、SNSの感想だけでものを判断しているのだろうけど。
ここ最近は何を話しても上から目線というか、マウントを取って小ばかにしたように話すせいで少しずつ他の女子たちから距離を置かれている。
今もこうやってヘラヘラ語っているから、その事実に気づいていないんだろうな。
「だいたいキスごときでさぁ」
八重歯を見せながら動く口は小さくて可愛い。
両手で頭を掴んでその小さなお口に舌をねじこんでやりたいくらいに。
「キスごときっていうことは、みゆちゃんはキスしたことあるの?」
我ら花の女子高生。まだまだキスをしたことがあるという人口比率は多くない。
ちょっとだけからかうつもりで言ってみたが、みゆちゃんは少しだけ間を開けて笑った。
「キスぐらいあるでしょー! キスぐらい中学生で済ませてるし」
「へぇ、そうなんだ。キスってどんな味だった?」
「えーとねぇ……」
経験しているのならば答えはすぐにでも返ってきたことだろう。
しかし、みゆちゃんは答えを出せずにいた。あまりにも答えを出さずにいるのでチャイムが鳴ってしまう。
もうホームルームの時間だ。
「あはは、大人の味はちぃちゃんにはまだ早いよ。いつか教えてあげるね」
「ふふ、みゆちゃんは大人だね」
キスに味なんてないことを、みゆちゃんは知らないんだろうな。
相手が煙草を吸っていれば煙草の味になるし、飴をなめていればその味になる。
歯磨きしたあとなら歯磨き粉の香りがするだろうし、キスなんてそのときによって味は違う。
みゆちゃんは知らないんだろうな。
「ちぃちゃんもいつか学べる日がくるよー!」
「ふふ、可愛いなぁみゆちゃんは」
◇
お昼休みのとき、私はみゆちゃんが誰とも一緒に食事を出来ずにオロオロとしているのを見つけてしまった。
いつもならば固定のメンバーと食べるお昼ご飯だが、お昼休みになった途端みゆちゃんのいつもの固定メンバーたちはそそくさと教室から抜けだしてしまっていた。
おそらくはみゆちゃんの『私知ってます』トークにいい加減嫌気がさしてハブられてしまったのだろう。
少しみゆちゃんを見ていたがまるで親をなくした小動物が震えて彷徨っているようで、庇護欲をかきたてられてしまう。
丁度私の固定メンバーたちも今日はお休みでいないから、声をかけるにはいい機会だった。
「みゆちゃん一緒に食べない?」
「あ、ちぃちゃーん! いいよ、一緒に食べよー」
居場所を見つけた小動物の顔が明るくなる。
さっきまでおろおろして震えていたのに。本当に可愛らしいんだから。
「でさー、日本の映画って遅れてるよねー。アイドルとかばっかり使って」
アイドルとかばっかり使ってうんたらかんたら。うんたらかんたら。へらへら、がたがた。
いつの間にか邦画の話になっていて、みゆちゃんの全知全能ぶったお話が続く。
「みゆちゃんはあまり邦画見ないの? 私結構見るけどな」
「だってさー、邦画ってアイドルとかばっかりだし、ストーリーも幼稚じゃない?」
「そうかな。私黒沢明監督の映画とか好きだけどな」
「だれそれ?」
「七人の侍とか知らない?」
「知らなーい。え、ちぃちゃん時代劇とか好きなの? でも時代劇もあれでしょ、わかりやすい悪役が……」
またうんたらかんたがガタガタ抜かしているけれど、私は笑顔でみゆちゃんを見ていた。
よく喋る口だなぁ。なんで知りもしないものをそこまで語れるのだろうかと感心するくらいだ。
黒沢明監督なんて、映画好きなら知っていて当たり前だと思うんだけどな。
「洋画のほうがスケールが違うし、使ってる金額も違うからねー」
「みゆちゃんはどんな作品が好きなの?」
「えーとねぇ……ハリーポッターとか」
それこそ王道じゃねぇか、と喉まで出かかった言葉をお茶と一緒に流しこんだ。
せめてそこはサブカル系の作品とかであれよ。
「ちぃちゃんは洋画だとどんなの好きー?」
「ヘドウィグアンドザアングリーインチとか凄い好き」
「へどうぃぐ? フクロウ?」
「ふふ、違うよ」
「えー、ヘドウィグとかハリポタのパクリじゃん」
うーん、この口を黙らせたい。
「あ、そうだ。朝に話したお話なんだけどさ。みゆちゃんはキスしたことあるんだよね?」
「あるよー」
「いつしたの?」
「中二のときかな?」
なんで『かな?』と疑問形なのは置いておき、私はみゆちゃんを刺しにかかる。
「みゆちゃん〇〇中だったよね? 〇〇中にさ私友達いるんだよね」
「え゛っ、そうなの? え、だれ?」
「ひまりちゃんって知らない?」
ひまりちゃんと言えば中学からイケイケのギャルだった私の友人である。
もちろんひまりちゃんなら〇〇中学のことは色々と知っているだろうし、恋愛の話なんてそれこそ噂話、事実に限らず隅々まで知っていることだろう。
そんな一軍どころかSランク女子と付き合いがあることなど知らなかったみゆちゃんはお箸に持っていたからあげを落とすと拾えないままに私を見つめた。
「え、ひまりちゃんと知り合いなの?」
「うん、幼稚園から一緒で。今でもたまに遊ぶよ」
「へ、へえええ、そうだったんだ。意外すぎて、知らなかった」
「大丈夫? からあげ落としたよ」
「あ、ち、ちょっとー、驚かさないでよー!」
「あはは、ごめんね」
◇
学校が終わったその日の夜、私はひまりに電話をしていた。
「いやー、みゆが彼氏いたとかキスしたとか聞いたことないけどなー」
「だよねー」
知っていた答えの答え合わせ。
「むしろみゆ陰キャ寄りだったと思うけど。あんまり知らないんだよね」
「そっか。情報ありがと」
「てかさー、今度また遊ぼ―ぜー最近全然会ってなくね? 学校変わってからだいぶ会ってないよね、うちら!?」
「確かに」
そこからはまた今度遊ぼうっていうお話と、懐かしい話を数時間ほどして通話は終了した。
やっぱりみゆちゃんはキスなんてしたことないんだな。
なのに、キスしたことがあるなんて嘘をついて。
明日はどんな会話をしてからかってやろうかな、なんて小悪魔な私が心の中で笑っちゃう。
布団にもぐりこみ、今日のことを思い出す。
八重歯の見える可愛いお口。
みゆちゃんはキスの味を知らない。
小悪魔が笑う。
『じゃぁ、キスの味教えてあげれば?』
「それもいいかもね」
◇
放課後、私はみゆちゃんと一緒に帰った。
やたらとみゆちゃんは率先して会話を広げてくる。きっと昨日のことを覚えていて、下手に墓穴を掘らないように必死なんだろう。
「でさでさ、うちの弟がちょー馬鹿でさー、何回言っても」
「ねぇ、みゆちゃん」
「ん?」
「みゆちゃん、キスの味知ってるんだよね?」
固まるみゆちゃん。
「え、あー、知ってるけど……ってかちぃちゃんめっちゃキスのこと聞いてくるじゃん。え、何、誰か好きな人でもい……」
お花を両手で包み込むようにみゆちゃんの頬に両手の平を合わせ、そのうるさい唇を塞いだ。
なんの味もしない、ふわりほんの少しだけ重なるキス。
みゆちゃんはまるで凍ってしまったようにぽかんと口を開けたままいる。八重歯が可愛くて、もう一度キスをして、今度はその八重歯を舐めた。
「なんの味もしないね」
凍てついたみゆちゃんの顔が次第に赤くなってまるで内に火を宿したかのように熱くなっているのがわかる。
「教えてくれてありがとう、みゆちゃん。キスの味、知りたかったんだよね」
「あっ……い、今、キス……、え、ちぃちゃん……え……」
今度は手を絡ませて、恋人繋ぎをしてみゆちゃんを歩かせる。
黙ったままのみゆちゃんは何を言っていいかわからず、ただ赤いリンゴになっている。
「みゆちゃんとのキスはこんな味がするんだね」
「え、あ、はは! そ、そっかーちぃちゃんキスの味が知りたかったんだ!? う、うん、そうだよ、これがキスの味だよ!
ちぃちゃんもこれで一歩大人になれたかな!?」
「ふふ、そうかもね。ねぇ、みゆちゃん」
まだ熱帯びる唇を人差し指でなぞりながら問う。
「この先の味、みゆちゃんは知っている?」
「この先の味?」
「教えてあげようか?」
黙ってうなずくみゆちゃん。
みゆちゃんの手が緊張に汗ばんでいる。
両親は今日帰ってくるのが遅いから、何も知らないこの子に教えてあげよう。
「ち、ちぃちゃん」
「なに?」
「あ、あの、あたし……実はネットの情報しか知らなくて」
「知ってる。みゆちゃんはなんでもしってるけど、なんにも知らないものね」
「あ、あう……あ、あ! あたし、そういうのは付き合ってから……恋人になってからって決めてるから……」
「みゆちゃん、恋人がいたことはある?」
「……えっと」
「私を彼女にしてみない?」
「……」
赤いまま俯くみゆちゃん。もじもじして何も言葉に出せない初々しさがとっても可愛くて。
「……あたしでいいの?」
「ふふ、ほら、みゆ行くよ」
やっと握り返してきた手を引いて、私は。
『え、えへへ』って笑うみゆがとてもとても可愛くて。




