始まりの夜
森の中を護衛とともに駆け抜ける豪奢な馬車。
薄暗い暮れ時に小雨が降り始めた森の中は薄ぐらい。
街道は道幅がある程度あるにもかかわらず霧が出てからは先もよく見えない。
速度を上げる馬車の周りには騎士たちが馬を駆り進んでいるが、すでに落伍者も出てきている。
雨の中の遠駆けは馬の個体差や馬術の技量にも多くの影響を受ける。
追跡者からの逃走を画策している馬車の扉には侯爵家の紋章が光っていた。
森に入ってどれほどだっただろうか
前方から集団に向かって矢が射かけられ、先頭を走る2組3列の騎馬隊が少なからず被害を受ける。
止まるな!進め!の声もむなしく転倒した騎馬を避けきれずに乗り上げた馬車が横転し御者が盛大に投げ出された。
後続の騎馬隊が馬車を囲み外向きに円陣を組む。
お嬢様をお守りしろ!
半ば悲鳴とも聞こえるような声で騎士たちは守りを固め始める。
運悪く鎧の継ぎ目に矢を食らってしまった騎士や、転倒した馬の下敷きになって足を折った騎士までもが張ってでも馬車へ向かっていく。
弓を射かけた者たちは歪な盾をそれぞれに構え、これまた様式の微妙に異なるバラバラのクロスボウを持ちけらけらと笑っている。
コブリンやオークといった普段は敵対しあう亜人種族が隊列を組んでいる。
騎士たちが横転した馬車から乗馬着を着た女性を救助する。
魔物までけしかけられるとは、我が家も語るに落ちたわね。
と打撲を負ってあざのできた肩をさすりながら彼女は悔しそうに言う。
彼女の名はアンネローゼ・ルス・ギュスタス
一大勢力を国王派閥のギュスタス家の長女にあたる。
彼女は国王主催のパーティに出席後、貴族派からの刺客から長男を逃がすために、
大きな隊列を組んで王都を脱し領地ギュスタス領へ急行していた。
貴族派は昨今妖魔を操るすべを得たとするものを抱えていて、どうやら今回の敵もその者たちにけしかけられたように見える。
魔物が統制をとるなど聞いたこともありません。ご警戒を。
騎士の一人がアンネローゼに耳打ちする。
とはいえ、彼女は捨て駒に近い。
アンネローゼ自身、外れくじを引いてしまったことはわかっていた。
ほどなくして戦闘が始まった。
如何に精鋭の騎士たちといえど、騎士でいえば30人ほど。
少しずつ数を減らし2時間がたとうとするころには火のついた馬車を背に追い込まれる5人の満身創痍な騎士と力なく膝をついたアンネローゼのみが残されていた。
いまだケラケラと醜く笑う少し大ぶりなゴブリンと狼、それにオーク。
彼らは次から次へと森から這い出てくる。
彼らは恐怖する騎士たちを楽しんでいた。
女騎士が幾人か混じっていたのが災いした。
弄ぶように彼らを隔てなく嬲っている。
永遠のような雨の音が降りしきる中、遠くから馬車が通りがかる。
そこのおかた。助は必要ですか?
御者の男が彼らに声をかける。
魔物たちは彼らが見えていないようにケラケラと笑っている。
騎士が答える。
何者だ!
至極まっとうな答えだった。
このような状態でだれも信用できるはずがない。
騎士は冷静に判断できていた。
だが、騎士たちが目の前で無残に殺され遊ばれる情景をみてしまったアンネローゼは冷静にはいられなかった。
助けてください!
はやく!何をしているの!
わたくしはアンネローゼ・ルス・ギュスタスよ!
お金ならいくらでも出すから!
自分が騎士たちと同じ末路、いや、もっとひどい何かをされてしまうことが分かった彼女の前に
弟を守るなどというきれいごとは消えていた。
契約成立ですね。
御者の男はにやりと笑い、指を鳴らした。
とたんに馬車からうねる波のような光が一瞬放たれたかと思うと、馬車取り囲んで騒ぎ立てていた魔物たちが動揺する。
彼らからすれば自らの背後に通常より2回りほど大きな馬車が音もなく表れたように見えたからだ。
さ、皆さん。
お仕事ですよ。
と御者の男は立ち上がって言う。
その躯体は一般騎士より高いのではないか。
すると場違いにかわいらしいメイドが何やら手に黒い道具を持って馬車のホロから次々と降りてくる。
魔物たちににらみを利かせながらも素早く陣形を組んだ。
あまりのことにゴブリンたちも距離をとって警戒しているが、その口元には涎があふれて止まらない。
指を鳴らした御者の男の号令に合わせてメイドたちは一斉に持っていた道具を発動させた。
けたたましく瞬間的な爆発音とわずかな煙。
それが連続し、
それと呼応するように何か衝撃を受けたように魔物の頭部や胴体が破裂していく。
騎士もアンネローゼもこのような音は聞いたことがなかった。
アンネローゼを含めた全員があっけにとられるなか、
横一列だったメイドたちはなめらかに中央から前に前進森から出てくる亜人たちを逐次殺しつつ、
緩やかにアンネローゼたちのもとへ2列の隊列をつくり彼女たちの馬車への1本の道を作る。
メイドの何人かが手に持った装置を停止し操作している間にもう幾人か装置を稼働させ増援を蹴散らしている。
その動作はよく訓練され滑らかだ。
そして一人のメイドが騎士たちとアンネローゼのもとへ駆け寄った。
騎士さま、わが主のお客様、さ、こちらへ。
カーテシーをして馬車への道を促すメイドの所作はあまりに整っていて、
ここが悲惨な惨劇の場であることを忘れてしまうほどだった。
アンネローゼが見ると馬車への退路がひとすじの道のようにメイドたちに守られて存在している。
騎士に支えられ彼女たちは歩き出した。
先導するメイドは柔らかな笑顔を崩さずその2メートルほど先を静かに歩いている。
2列になって外側を向いているメイドたちは騎士たちが通るのを確認し、一瞥もせず彼らを包み込むように燃える馬車側を先端として先から閉じる形で馬車のもとへ戻っていく。
馬車の周りには無残に切り捨てられたゴブリンどもの死体が積み重なるようにして打ち捨てられている。
騎士とアンネローゼの6人は厚布のホロが張られた馬車へ乗る。メイドたちも手持ちの装置による攻撃を継続しながら次々馬車に乗り込み、スペースが足りない分は御者席と後ろの段に腰を掛けて御者に合図を出す。
御者が指を鳴らすと面白いように魔物たちは彼らを見失い所在なさげにうろつき始める。
自分が安全な場所についたと思いへたり込むアンネローゼを支えながら、騎士は問う。
残りの者たちはどうなる。
すると一人のメイドが答えた。
全員亡くなられておりました。
唸っていたり、今動いているのはすべて魔物の術により魔物化した方々にございます。
すでに人の魂は宿っておりません。
貴様らに何がわかる!今も苦しんでいる仲間がいるのだぞ!助けろ!
騎士の一人がメイドに食って掛かる。
やめろ。
彼女たちは私の大切な部下だ。
不満があるのなら降りるといい。
御者の男が言う。
御者、この馬車は安全か?
アンネローゼは御者に言う。
えぇ、あなたが契約を反故にしない限りは。
御者の男はそう返す。
アンネローゼは大きく息を吐いてから言った。
そなたたちの言葉を信じよう。
アンネローゼ・ルス・ギュスタスの名によって命ずる彼らを弔いたい。
御者は仰せのままに。
と仰々しく礼をしたあと目くばせをする。
後部の縁に座っていた2人が円筒形の筒を取り出し、細いピンを抜き去ってうごめく騎士だった者たちと馬車の中央へそれらを投擲する。
馬車はスピードを上げて足早に走り抜ける。
メイドがアンネローゼに言う。
耳を抑えてください。
アンネローゼは耳を両手でふさぎ、目をぎゅっと閉じた。
これまで体感したことのない爆音と衝撃がアンネローゼの体を揺さぶった。
目を見開くと馬車のはるか向こうでは燃え盛る炎と黒煙がすべてを焼き尽くしていた。
メイドの一人が長い杖のようなものを背負って疾走する馬車のホロの上に上り、ひときわ重く鋭い爆発音を響かせた。
御者席に降りてきた彼女は、旦那様、仕留めました。
と報告した。
馬車はスピードを上げて街道をひた走る。
雨は馬車をよけて進むように流れ、透明な天幕につつまれたように雨の中を進み続けた。