05
※後書きに設定画あります。
私は途方に暮れながらそう言った。
これはどう頑張っても無理である。
多分、辞書と見比べながらでもムリだ。「こことここが同じだろう?」と歪んだ線を指さして言われても、全然区別がつかない。
「…お前」
すると、ここで初めてセンが表情を変えた。
微かに口角を動かしたり、目を細めたりするだけだった彼の顔に、呆れの色が浮かぶ。
パムッと、彼の読んでいた本がひとりでに閉じる。
「文字も読めないのに、ここに本を読みに来たのか」
「い、いえあの、コウモリの持ってる看板の文字は読めます。でも、この歴史書の文字はちょっと…」
「アレは僕が看板に魔法をかけているからだ」
「魔法…?」
「字に込められた想いを他者に伝える魔法だ」
「…?」
「…有り体に言えば、翻訳魔法だ。お前のような文字の読めない存在でも、その文字に込められた意味が伝わるよう魔法をかけている」
え、それはすごい。
私はアホ丸出しの顔で感動した。
センは無表情でこちらを見つめている。無表情だけど、完全にあほだなこいつと思っているのが分かる目をしている。
「…カケラを作るならば、知性くらいは与えるべきだったか」
「?」
「来い。ユニ・ファルム」
「あ、はい」
クッと顎先で呼ばれ、私はデスクに駆け足で近づいた。
それから、足を下ろしたセンに本を差し出す。と、彼は片手でそれを受け取って、表紙に魔法陣のようなものを描きはじめる。
「おお」
「言っておくが、僕があの看板に魔法をかけたのはコウモリ達に意思を伝えるためだ」
「コウモリ達に?」
「看板と本棚にこの魔法をかけておけば、彼らは自ずとその分類の本を本棚へと戻す。そして僕が言わずとも、その本棚にとまる」
「………え」
「使い魔とはそういう存在だ。アレは僕の魔力を糧として生きている。決して無給というわけではない」
「無給」
…なんか生々しい感じの言葉だったが、つまりウィン・ウィンの関係でやってますよーということだろう。
確かにここにいるコウモリ達は、もふもふしていて毛艶もいい。あとでっかくてぷっくぷくだ。
それが正しい姿なのかは分からないが、まあ不満があるようにも見えないので、彼らは彼らで現状に満足しているのだろう。
「そら。これで読めるだろう」
「ありがとうございます」
「その本は、シルフ文字と呼ばれるエルフ族に伝わる古代文字だ。その昔、風詠みのエルフが読んだ“風”を文字に著したといわれている」
「風…」
なるほど。
言われてみれば確かに、あの文字は風の“絵”のように見えた気がする。
「風詠みはエルフ族にのみ与えられた力だ。その昔、神が己が力を五つに分けたとされる“風”の力。…まあその話も、この歴史書に記されているだろう」
「そうなのですか…」
「ユニ・ファルム」
「はい」
「次に本を読むならば、文字を学べ。翻訳魔法は便利だが、伝わる者の知能によってニュアンスが変わってしまう。その本の素晴らしさは、読み手が文字を学ばなければ理解できない」
「………」
「文字は絵画と同じだ。その記された形や言い回しからも、筆者の意思や感情が伝わってくる。それが分かって、僕達は初めてその本を“読んだ”と感じるんだ」
それは、諭すような落ち着いた声音だった。
顔は相変わらず無表情で、彼の感情のひとつも分からなかったけれど。
でも私には、それこそ、父親が娘に人として教える優しい言葉のように感じたのだ。
「……」
私は口を閉ざして本を見下ろした。
そこに記される文字は、既に見知った日本語に変わってしまっている。
あの風のような、不思議な文字の面影はひとつもない。それを見て…私は、今さらのように感じたのだ。
“もったいない事”をしてしまったと。
「…はい、お父さん」
私はこくりと頷いた。
彼の言うとおり、翻訳魔法は便利だが、郷に入っては郷に従えという言葉もある。
新しい世界で生きると決めたというのに、ずっと日本語にすがって生きるというのもおかしな話だろう。
「翻訳魔法、ありがとうございました。次からは一人で本を読んでみます」
本をしっかり抱いてから、センに頭を下げる。彼は何も言わず、ジッと私の姿を見つめていた。
艶やかな黒髪からのぞく瞳には、何の感情も浮かんでいない。まるで蟻でも観察するような無機質な眼差しだ。
しかし、だからと言って威圧感を感じるかと言えば、そんな事もない。
たぶんそれは、私が少し彼の事を知ったからだろう。
冷酷非道な吸血鬼。威圧感が銃とナイフの両刀並み。そんな殺人鬼も裸足で逃げ出すようなセンの印象に、“無類の本好き”というなんとも親近感の湧く一面を見つけたからだ。
「そうしてみろ」
するとセンは、短くそう言って椅子から立ち上がった。
途端、植物図鑑と書かれた看板を持ったコウモリがバサバサとここに飛んできて、センがデスクに置いていた本を「よいしょお!」というように足で持ち上げる。
バッサバッサと力強く本棚に運んでいく。
「ユニ・ファルム」
その光景を見ていると、また私に付けられた名前が呼ばれた。
「はい」
「自我とは与えられるものでは無い。血筋や環境が生み出す個性だ。ゆえに、人で無しである僕にもその個性は存在する」
「……?」
「僕にとってお前はカケラだ。それ以上でもそれ以下でもない。……お前はお前のまま、好きにしたらいい」
それだけ言って、彼は変わった形のマントを揺らして図書室から出て行った。
私はポカンと口を開けてその姿を見送る。
そうしていると、不意にまたもお告げのような声が脳裏をよぎる。
【ようこそ、死の地へ。僕は人で無しだ。かつては別の呼び名があったが、今はただの吸血鬼として存在している。俗世のいざこざに興味は無いが──まァ、住処くらいは提供してやろう】
「!」
──そう、だ。そうだった!
思い出した。
さっきの女の子の声も、今の声も。
“アレ”はサンプルボイスだ。
【本好きの吸血鬼 セン・ファルム】と【さまよう骸 ユニ・ファルム】の。
…思い出した。そうだ。
この世界は、前世の世界にあったスマホアプリの女性向け恋愛アドベンチャーゲームの物語。
【From︰ファイラット】
通称、フロファイと呼ばれるゲームの世界だ。