03
※後書きに設定画載せています。
「…………」
……あれは、ダメだな。
うん。絶対むり。あんな人から逃げるなんて。
バットエンド直行便どころか、下手したらインフェルノ行きだ。なんなら地獄を見るより辛い目を見るかもしれない。
それはぜったいに嫌だ。
せっかくの二度目の人生、今度こそは老衰で眠るように死にたい。
前世は不幸とまでは言わないが、あまり余裕のある人生ではなかった。
高校生の時に唯一の家族だった母が病気で亡くなり、親戚は疎遠。祖父母は私が小学生の時に亡くなっていて、状況は天涯孤独。
だから私には、頼れる人がいなかった。
生活面でも、金銭面でも。
大きな借金があったわけではないが、かと言って生活に余裕があったわけじゃない。母が亡くなってからは死に物狂いで就活をし、何とか高卒で一つの会社から内定をもらったが、職場環境はとても良いとは言えなかった。
でも、辞めるわけにはいかなかった。
だって働かなければ、お金がなくては生きていけないのだから。
頼れる人もいない私は、病気や怪我などの“もしも”の時のために、働けるうちに貯蓄をしておかないといけない。
そんな不安にかられて、気付けば生活は仕事中心の日々になり、趣味だった推し活もする余裕が無くなり。
気が付くと、ただ淡々と働くために生きる日々を送るようになっていたのである。
(でも、今思うと余裕が無くて追い込まれすぎて色々なことが見えてなかったんだよね…)
別に、私だって孤独だったわけじゃない。
幸いにも、心配してくれる友人はいた。
風邪をひいたと連絡したら「オッケー。薬ある? とりあえず鼻と喉のやつとレトルトのお粥とゼリー買ってくわ」と、私に有無を言わさず買い物に行き、ドアノブにそれらをかけて「サンタ来たから。ドア開けてみ?」と言ってくれる優しい友人だ。
だから、決して不幸な人生ではなかった。
しかし、彼女を頼ることは出来なかった。
いい人だったからこそ、彼女の生活の邪魔をしたくないという意識がどうしても拭えなかったのである。
…でも、今思うと過労で階段から落ちて死んでしまうくらいなら相談くらいするべきだったんだよなぁ。私が彼女の立場だったら、友人が階段から落ちて死んでしまうなんて悲しすぎる。
とはいえ、起きてしまった事は仕方ない。
(せめて今世ではやり甲斐を見つけよう…)
それこそ、本当にゾンビみたいになってしまわないためにも。
…そうだ、母さんが元気だった頃みたいガーデニングをしてもいいかもしれない。
大昔に父と母の家族三人で暮らしていた時は、ガーデニング好きな母と一緒に庭に季節色とりどりの花を植えたものだ。
父親が浮気して蒸発してからは、家も住めなくなってアパートに引っ越したが、そこでもベランダで工夫して花を育てていた。…まあそれも、母さんがいなくなってからは何も植えられていないプランターのみになってしまったのだけれど。
でも、この世界なら魔法もあるし。
前世とはまた違った花や植物もあるだろう。
それか、魔法で花を咲かせるみたいな事もできるかもしれない。
何はともあれ、趣味は必要だ。健康な老後のためにも。
「(…でも、そういえばこの私の体って不老不死なんだっけ)」
今思い出したけど。
…そうなると、困ったな。指標として“終わり”というものがないとなると。
なんというか、途方に暮れてしまう。
まあでも、センがいる限り私はぜったい不死身というわけでもないし、その事について悩むのはもっと先でもいいだろう。
「とりあえず、しばらくはバレないように徘徊していよう」
「誰にだ」
「センに───」
反射的に受け答えをしかけて、私は固まった。
ヒュッと、驚いて吸った息が喉奥でヘンテコな音をたてる。
できれば、振り返りたくなかった。
永遠に気付かないフリをしていたかった。
しかし、彼に作られた体はその声に反応するようにできており、私の意思に反して顔が恐る恐る後ろを振り返る。
「っ……」
そうして目線だけ後ろに向けた私の視界に入ったのは、闇元素の残滓を纏った“影”だった。
この世界には、風、火、水、光、闇と五つの魔法元素が存在しているが、純度百パーセントの闇魔法を使えるのは吸血鬼しかいない。
以前、この城を尋ねてきた騎士たちがそんな話をしているのを、徘徊中に聞いた事がある。
果たして、その闇そのものである黒を纏った影は、ゆっくり。ゆっくり暗がりから靴音を響かせて姿を現した。
まず、黒々としたブーツが月明かりのもとに浮かび上がり、次いで影と変わらない黒く細い脚が現れる。
そこから上を見ればカマーベストが目に入り、裏地が赤のケープのようなマントが肩に掛けられているのが視界の端に映る。
しかし、その上は見られなかった。
何かをされたとかでは無い。
ただ、目の前の彼の威圧感に体が震えて、恐ろしくてその顔を見る事が出来なかったのである。
「…」
「──ユニ・ファルム」
「っはい」
「いつ自我を得た」
抑揚のない声で問われ、私は乾いた口を開く。
「さ、さっきです。お父さん。天井のランプが頭に落ちてきて、それで…」
嘘を考える暇はなかった。
例えば、目の前に刃物を持った人間がいたとして、その人間に追い詰められた時。
冷静に思考できる人間がどれほどいるだろうか。
少なくとも、私は無理だ。
そんな状況下で、筋書きの通った嘘なんて瞬時に考えられない。
「ランプが落ちてきた?」
するとセンは、訝しげな声色で問い返してきた。
私は、「こ、これです」と無惨にガラスの割れたランプを指す。
と、センの頭の影が僅かに動く。
多分、私が指差した先を見たのだろう。
「………」
「わ、私もよく分からないのですが、これが頭に当たったら言葉を喋れるようになりました…」
自分でも、めちゃくちゃな事言ってるなとは思った。
でも、さすがに前世の記憶を思い出したとは言えないし、それに嘘も言っていない。
「……」
「……」
センはしばらく黙っていた。
恐くて顔が見れないので、その表情はうかがえない。
だからジッと、均等に敷き詰められた石畳を見つめて彼の言葉を待っていると。
「──成程」
だいぶ間を開けて、センは淡々と口を開いた。
「まァそういう事もあるか」
そして次に吐き出されたのは、なんともテキトーで軽い言葉だった。
「………え?」
これにはさすがに私も反応してしまった。
思わず顔を上げて彼を見やる。
しかし、その時にはセンはすでに踵を返しており、コツコツと靴音を響かせて廊下の向こうに去って行った。
途端、辺りは静まり返る。
薄暗い廊下に、呆然とする私だけがポツンと残る。
「………え?」
やや間を空けて、私はもう一度同じ言葉を呟いた。
荒唐無稽な私の発言をセンが信じて去った事が、どうにも信じられなかったからである。
だって、「頭にランプがらぶつかったら自我が芽生えた」に対して「まァそういう事もあるか」って。
「いやないよ。そんな事」
誰もいないのをいい事に、私はブンブン手を振って一人ツッコミを入れた。
当然、返答はない。ただ、近くのランプに止まっていたコウモリが不思議そうに私を見下ろしただけである。
…なんだか腑に落ちないけど、でも、これは見逃されたという事でいいのだろうか?
分からない。どちらかと言うと流された気もする。「どうでもいいし、まあいっか」みたいな感覚で。
(というか、実際センにとっては私に自我が芽生えようがどうでもいいんだろうな)
何せ彼が私を作ったのだって、“なんとなく”という気まぐれな理由なのだから。
センにとって私は、アーティストが仕事の合間に息抜きで創り出した作品のようなもので。
納品先があるわけでもなければ、とくべつ愛着のあるものでも無い。
だから創ったあとは、持て余すようにただそこに飾るだけなのである。
「(…そう考えると、ろくでもない父親の娘にしかなってないな。私)」
なんならタイプも似てるわ。前世のくそおやじと。どっちも「父親はやりたい時だけやる」って感じで。
まあ、私もいまさら父親なんて求めていないし。
それに、冷徹な吸血鬼が父親で殺されなかっただけマシなのだろう。
「とりあえず、この世界について調べよう」
何はともあれ、まずは知識だ。
ここを出るにも働くにも、趣味を見つけるにもまずは知識が無ければ何もできない。
私はよしとひとつ気合を入れると、くるりと踵を返してセンとは逆方向に走り出した。
向かう場所は決まっている。
このお城にある図書室。
──別名、宝物庫だ。