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???


ムームーと。

ポケットの中から伝わってくる振動に、男は目を開けた。


珍しく霧の出ていない、月夜の事である。

辺りには、世界の終わりのような光景が広がっている。

どこまでも続く荒野に、枯れ果てた木、毒々しく変色した草。水の流れなくなった川。砕けてボロボロになった、原型のない骨。

そして、大きく、白く、不気味に浮かぶ、まあるい月。


その眩しいくらいの月が、男の白い顔を照らしていた。


「………」


男はぼんやりと月を見上げたのち、ポケットに手を入れた。

そこからスマホを取り出すと、電源を入れる。慣れた様子でトークアプリを開く。


「起きたか」


男はスマホに向かってそう言った。

すると、画面にピコンと絵が表示される。

それは、デフォルメされたコウモリが布団から起き上がって欠伸をしているようなイラストだった。


「またその絵か」


男が言う。

と、今度は画面に文字が返ってくる。


【おはようございます】


それは、男の世界には()()()()()()()だった。

しかし、何度もこうしてスマホでやり取りをした男は、この文が自分の世界でいう朝の挨拶のようなものであると知っている。


「おはよう。今日は遅かったな」


【はい】


「最近はあまり眠れないと言っていたが、昨晩はどうだった」


【いいえ】


「眠れなかったのか」


【はい】


「難儀だな。人間は」


【はい】


「そうだ、僕が本の読み聞かせをしてやろうか。前に眠れない夜は、小説を読むか寝入るまで音を流して目を閉じていると言っていただろう」


【はい】


「何がいい? 親が子を思う優しい話か、悲恋の苦い話か、背筋のゾッとする怖い話か、右から左に流れる馬鹿話か、たくさんの人間が死ぬ爽快な話か」


【いいえ】


「? それ以外ということか?」


【はい】


相変わらず、スマホは【はい(肯定)】【いいえ(否定)】でしか応えない。

だが、男は構わなかった。

その二つの返答だけでも、相手の意思と存在を感じられるからだ。


「そうだな…では聞こう。お前は何がいい?」


問いかけてみれば、珍しく肯定と否定以外の返答が返ってくる。


【あなたの恋愛話が聞きたい】


「ん?」


初めて見る文字だった。

…ああでも、【あなた】と【恋愛】は分かる。

【あなた】は、こちらを指さしながら吹き出しでそう言うコウモリの絵が送られてきた事があるから、おそらくこの世界でいう「君」「あなた」「お前」というような意味合いがあるのだろう。


そして【恋愛】は、赤いハートのマークを抱き締めながら頬を赤らめるコウモリの絵が送られてきた事があるから、おそらく「愛」という意味だ。


「ふむ…前半が『お前』と『愛』という意味だとして、後半が分からないな。前半の不足部分を補うのなら、動詞的な意味があるのではないかと思うのだが」


【スタンプ】


「…ん? …ああ、この絵にある文字と一緒だな。コウモリが耳をすませているように見える。という事は…『お前の愛を聞く』か?」


【はい】

【いいえ】


「…どっちなんだ」


【はい】


「ふむ。お前と僕を指しているという事は、僕の愛に関する話が聞きたいということか」


【はい】


「そうだな、愛か。…そういえば、この間読んだ恋愛小説で看守と囚人の物語があった。美しい男に恋をした看守が、男に罪を擦り付けて咎人として捕らえる話だ。

最終的に、囚人は看守に罪を擦り付けられたと知らぬまま、『自分があなたの無実を証明します』と親身になってくれた看守に恋をし、看守と心中する」


【いいえ】


「? 何に対する否定だ」


【あなたの恋愛話が聞きたい】


「だから話しただろう。この物語で、看守は窮地に陥った人間のメカニズムを利用している。救いもなく、味方もいない。未来もない。そんな絶望に、看守は自分という存在を唯一の()()として落としたのだ。結果、囚人の中でストックホルム症候群や吊り橋効果と似たような心理的変化がおこっている。

この小説の中で囚人は言っていた。『希望も夢も潰えた俺の前に現れ、寄り添い、言葉を交わしてくれたあの人は、俺にとって“神様”以外の何者でもなかった』と」


【?】


「…まァつまり、僕はこの手法に興味があるという事だ。もし、自分がこの男のように全てに絶望し、そこに差し伸べる手を見つけたら──僕は、その存在に恋をするのか。

牢屋から見る看守が、“神”に見えるのか」


【行ってきます】


「…お前も唐突だな」


【スタンプ】


「ああ、行ってらっしゃい」


飛び立つコウモリの絵にポツリと呟いて、男はスマホの電源を切った。

【行ってきます】という文字が送られてきたら、しばらく返信が帰ってくることは無い。コウモリが飛び立つ絵を見るに、おそらくどこかに出かけているのだろう。

暗くなった画面に映る自分の顔をしばらく見下ろした後、男はそれをポケットにしまう。

ゴホッと乾いた咳を一つこぼして、ポツリとつぶやく。


「──神、か」


その言葉は、誰に聞かれることもなく空に溶けて消えていった。




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