謹賀旧年
新年から年末にかけての繁忙期が過ぎ、歳末セールの旗を畳んだ直後にクリスマスツリーの飾り付けの準備に取り掛かる。
大型ショッピングモールの一角、広いスペースに立てられたクリスマスツリーに上司と二人でせっせと装飾品を取り付けていた。
現在時刻は店舗の閉店直後で、これから飾り付けされたクリスマス一色の店舗でクリスマスセールの大賑わいが始まる。
「いやー、今年の新年もなかなか忙しかったですねぇ」
「ああ。しかしクリスマスセールがこれからだ。まだまだ気が抜けないな」
「全くですねぇ。お義父さんは今年の客は覚えていますか?」
「うーん、顔を見れば何となくは思い出すが、詳しくは分からんなぁ。でも特に大きなトラブルは無かったはずだ…あともう私は君のお義父さんじゃないんだから、無理にその呼び方をしなくても良いんだぞ?」
「いえ、私にとってはいつまでもお義父さんはお義父さんですから。嫌でなければ呼ばせてください」
「そうかね?まあ私もその呼ばれ方のほうが慣れているからありがたいのだが」
上司である義父と談笑をしながら素早く飾り付けをしていく。窓の向こう、通りを歩く人々は皆後ろ向きのまま歩み戻っている。
広場の隅にある家電量販店の明かりが灯り、テレビの音が聞こえてくる。生放送のニュース番組が放映されているようだ。
「……ですから、これは3000年ほど前の、…失礼、3000年ほど未来の科学者たちの議論からの引用です。現在の地球に起こっている逆転現象ですが、これは地球の記憶の巻き戻しであるという事で意見が一致したとの事です。令和の現在よりもはるか未来、およそ50億年後に太陽の膨張により地球が消滅しますが、その直前に消滅を確信した地球が今までの歴史を振り返る、いわば地球の壮大な走馬灯というものに我々が巻き込まれている……そういった解釈が主流となっています。地球上のあらゆる物が時を遡って再生され、死んだ者が蘇り人生を謳歌し直して母親の胎内に戻る。これを地球が生まれる日まで遡り続ける……そうしてすべての記憶を再生し終わった地球は覚悟を決めて太陽に飲み込まれ、そして消滅する。私たちはあくまで地球の記憶の中の存在でしかなく、すべての行動は既に決められています。違うことをしようと思っても体は自動的に生前の行動をトレースし、変更することは出来ません。ただし、これは地球のせめてもの温情なのでしょうか、我々人間にはお互いに意思の疎通を行うチャンスが与えられました。もちろん勝手に体が離れて行ってしまうので、円滑にコミュニケーションをとることは難しいですが、少なくとも3000年前の科学者の結論を本日まで受け繋ぐことには成功しています」
そう、これは走馬灯の世界だ。決して変わることのない過去を順番に思い出して逆再生している世界。唯一人類が出来るのは、かつて出会った人々と束の間の談笑を楽しむことだけだ。
「それにしても、今年は冷えましたねぇ」
「ああ、寒かった。そして確か今年は記録的な猛暑日でもあったはずだ。無事に過ごせると分かってはいるが、覚悟しなければな」
「あー、そういえばそうでしたね。滝のような汗を流しながら病院へ向かったのを覚えていますよ。」
「病院…?ああ、そうか今年は私が足の骨を折る年か…嫌なものを思い出してしまった…」
「まあまあ、大した怪我じゃなくて良かったじゃないですか。後遺症もなく完治したんですし」
「そうなんだがな…しかし痛いものは痛いんだよ。徐々に痛みが増していって足が不便になって、最後のトドメにガツンと来る…来ると分かっているから恐怖がずっと続くんだ…」
そういいながらクリスマスツリーの飾り付けが終了した。
義父と私は箱を持って倉庫へと片づける。
「そろそろ閉店時間が終わる。私は売り場に戻って接客対応だな」
義父が名残惜しそうに呟く。
「次に会えるのは明日ですね。私は確か他店舗へ応援に行っていたはずですので」
「そうだったな。ではまた明日…いや昨日か?」
「フフフ、たまにどっちが未来なのか分からなくなってしまいますね」
二人で笑い合いながら体は勝手に外へと向かって歩き出した。義父は売り場へと後ろ向きに進んでいく。
私はイルミネーションの輝く街に出てスタスタと歩いていった。飲み会の途中だろうか、前方で肩を組んで仲良く歩いている二人の男性の声が聞こえてくる。
「…てめぇ、よくも俺の事を刺し殺してくれたなぁ?この人殺しめ!」
「おめぇが人の女を横取りするからだろ?自業自得だ!」
「だからって殺すことはなかったじゃねぇか!要はそれだけお前に魅力が無かったってことなんだよ!……あーあ、せっかく昇進が決まって仕事も順調にいってたのになぁ。やり残したことだって沢山あったんだ。それもこれも全部お前にぶち壊されちまった。くそ、肩なんか組んでないでお前の首を絞めてやりたいよ」
どうやら殺人犯と被害者のようだ。生前は仲が良かったんだろう。これから何度となく会う中で毎回喧嘩をするのだろうな。
次の店舗までは距離がある。途中に小さな公園があり、カップルが仲睦まじくプレゼントの交換をしていた。
「…うわダサッ!何度見てもこの指輪のセンスは無いわぁ…」
「そんなこと言うなよ。この指輪、高かったんだぜ?」
「フン、あんたの嘘なんて全部わかってるんだからね?この指輪だって偽物でしょ?質屋に売りつけたらはした金にしかならなかったわよ」
「ええ、売っちゃったのか…」
「当たり前でしょ!こんな浮気男のプレゼントなんて見たくもねーよ!どうして私の友達に手なんか出したのよ!」
「いやそれは、だって彼女の方から…」
「は?ありえねーっつの。大体今だってシーちゃんと二股かけてるんでしょ?全部知ってるんだから。この前のバレンタインの時に自慢げに話してたの、あたし聞いちゃったんだから!」
そうして二人は幸せそうに唇を重ねた。
「ああー!ホント最悪!なんでこんな奴とあと1年も付き合わなきゃいけないのよ!」
「まあまあ、もう変えられないんだからさ、機嫌直してよ…」
「無理に決まってるだろーが!」
そうして再びキスをして幸せそうに抱き合った。
浮気はするもんじゃないな…と意味もなく心に誓いながら通り過ぎていく。
生前の私は結婚をして娘もおり、それなりに円満な家庭を築いていた。娘も結婚して孫もできた。その孫もさらにその孫も、少なくとも伝え聞いた限りでは人類が滅亡するまで続いていたらしい。その妻との交際が始まったのは今から1年後だ。それまでは全く面識が無かったので、もう半年以上会えていない。今後もおそらく会うことは出来ないだろう。
少し寂しいが仕方がない。私たちは既に過去の存在だ。思い出を辿って懐かしむこと以外に残された道は無い。
歩みを進めると大きな交差点に出た。交差点を渡った後に、長い信号待ちの時間がある。
「あの、もしかしてイーさん?」
唐突に背後から声を掛けられた。知らない声だ。
「あの、覚えてますか?老人ホームで一緒だったエーです」
エーさん。彼女の名前は覚えている。今から50年後、私が老人ホームに入居した時に仲良くしていた女性だ。妻に先立たれて一人でいた私に優しく接してくれていた。気立てが良く、若い頃はきっと美人だったのだろうなと思いながら過ごしていた。
「もちろん覚えていますとも。こんなところで会えるとは、50年ぶりですよね?」
「そうですね。さっきちらっと顔が見えて、なんとなく面影が似ていたからつい……人違いじゃなくて良かったです」
「よく気づいてくれましたね。声をかけてくれて嬉しいですよ。…ああ、ここで振り向くことができたらなぁ。若い頃のあなたの顔を一度見てみたかった」
「あら、写真で見せたことがあったじゃないですか!」
「そうなんですが、やはり見れるのなら実物を見たいですよ…ほんのちょっとでも顔が動けば見れるのに…ほんとにもどかしい…」
「ふふっ、そんな大層なものじゃありませんよ」
二人で笑いながら話をする。
少しだけ間を開けてエーさんが語りかける。
「…あの、今だから言いますけど、私、あなたの事が好きでした。もう言える機会が無いと思うので、最後に伝えたかったんです…」
消え入るような声で呟いた。私はドキンと胸が高鳴るのを感じながら、胸につっかえるものを感じた。
私もエーさんの事が好きだった。しかし私には妻がいた。今彼女に気持ちを伝えるのは妻を裏切るような気がして口に出せずにいた。
思い悩む時間もなく足が動き始めた。信号待ちが終わり、後ろ向きに歩み始める。
エーさんは黙ったままだ。しかしまだ気配を背後に感じている。ふと前方を見ると奇麗に磨かれたガラスにエーさんの姿がちらっと映った。50年前に見たエーさんの面影の残る若い女性が私の背中を見ながら歩いている。
すぐに次の交差点に差し掛かる。体の方向が変わり、角を曲がろうとしている。ハッと前を見るとエーさんと目が合った。彼女は反対方向へ向かうらしい。私は意を決して叫んだ。
「私も!エーさんの事が好きでした!あなたと会えて幸せでした!」
エーさんからの返事は無かったが、聞こえたはずだ。
妻には少し申し訳ない気持ちはあるが、もう今は独身の身だ。
もう二度と会えないかもしれない想い人に気持ちを伝える位ならきっと許してくれるだろう。
この走馬灯の世界に意味なんて無いとも思っていたが、こうして新たな思い出が生まれることもあるもんなんだなぁ…
私は長年の心のつっかえが取れてスッキリしたような、甘酸っぱいような気持ちを胸に次の店舗へ向けて歩み戻った。
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