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Dream #06 『虹の橋の架かる村』

 カルデラの稜線を外れ、内部へと続く下り道に転じたところで、霧の中にうっすらと村が見えてきました。その先にある深い渓谷に至っては、まるで真っ白な霧の大河のようです。


 昼を過ぎてなお霧が消えないのは、上空と地上との温度差によるものでしょう。火山由来の地熱により標高の割に気温もそれほど低くはならない、とても過ごしやすい土地なのでした。


「見えてきました。ヘルムさん、シナ。あそこです。あれが私の村です」


 村からの依頼を託され、魔導士のである私とシナをここまで案内して来たのは二十代の青年ブレットです。


 半月ぶりに目にした故郷を前に思わず歩幅が大きくなってしまうのを、彼が意識的に抑えようとしているのは明らかなのですが、その様がシナに対する優しさの現れとして感じられたのでした。


 今日の行程は今までの半分以下。体力も残っていますから、その速度に続くのもさして苦にはならないのですが、私はともかく、魔導の修行のためとはいえ、幼いシナがよくここまでついて来られたものだと感心します。



 さらに一時間ほど歩き、まもなく村の入り口にたどり着こうかという時のことでした。


「御師様、あれを!」


 シナが指差す先にあったのは、厚い霧で満たされた渓谷に掛かる虹でした。


「おぉ、霧の河に虹の橋か。見事だな」


「違います、その上です。虹の上を歩いている人が見えませんか?」


「うん?……確かに人だ。そんな馬鹿な。一体どうなっているんだ!」


 驚く私たちに対し、ブレットはそれほど特別なことではないのだという口振りで答えました。


「最近多いんですよ。お二人と同じように、冒険者組合(ギルド)の依頼を受けてやって来た他所の者です。まぁ、見ていて下さい。あれが今回お二人をお招きした理由と深く関わることなのですから」


 その言葉に従い、しばしの間、私たちは橋を渡る人物を目で追うことにしました。


 渓谷の幅は目測で百メートル弱。深さは霧のため測ることはできませんが、幅と同じくらいはあるでしょう。

 

 その人影が虹の橋の頂点に差しかかった時です。そこから先は普通の虹であったかのように、突然体が橋を通り抜け、冒険者は谷底へと落下していくではありませんか。


 悲鳴が聞こえてきたのはそれから数秒後のこと。私とシナはあまりの衝撃に声も出せないまま、ただ虹の橋を見つめるしかなかありませんでした。


 一方、ブレットは顔色ひとつ変えることなく、私たちに向き直りました。


「彼なら大丈夫ですよ。しばらくするとこの村のどこかに戻って来ているんです」


「どこに戻って来るって?」


「決まった場所というわけではなくて、ボーっとした状態で村のどこかに立っているんですよ」


 説明を聞いたくらいでは抑えきれない胸の強い鼓動を感じながら、私はブレットに尋ねました。


「以前はあそこに吊り橋が架けられていたと思うんだが……」


「はい。あれは事件後、程なくして守護竜様が落とされました」


「何?」


「その代わりに架けられたのがあの橋なんです」


「やはり、あの虹は魔法で作られた橋ということですか?」


 シナがブレットに尋ねると、ブレットはシナの方に振り返り「そうだよ」と答えたのでした。しかし、ブレットの答えに、私は少なからず違和感を覚えていたのです。


 村を様々な災いから守ってきた地竜(アースドラゴン)アンドレイカーが、ふた月前の事件の首謀者により命を落としかねないほどの傷を負わされたと、彼は言いました。

 

 けれどもそれが確かなら、生死をさまようほどの深い傷を負った竜に、果たしてあれほどの結界魔法が使えるのでしょうか?


 幾度となく訪れたこの村ですが、今回の訪問は今までとは少し違ったものとなりそうです。


 先ほどより大きくなったブレットの歩幅に合わせ、私たちは村の中へと歩を進めたのでした。




 今回の依頼について、ギルドを通しての契約のために、まずは村の役場に入りました。


 本来ならばそこで報酬などの取り決めも行うのですが、今回ばかりは、そういったものは必要ないと私は考えています。


 概略については、ここまでの道すがらブレットから聞いていたので、ある程度は把握していました。ただ、それ以外にも、契約の代表である村長からは、いくつか別の事柄を確認したい事柄もあったのです。


「お久しぶりです、ヘルム様」


「五年ぶりだな。村長も元気そうで何よりだ」


「見た目では、とっくにあなたを追い越してしまったようです」


「この村を共に開拓した頃のあなたの父君に、表情がよく似てこられた」


「左様ですか。しかし、さすがにそれは確かめられそうにありませんね。いずれにせよこの度依頼を受けて下さったのが、あなたで良かったと思っています。この村のことをよくご存じのヘルム様が来て下さると聞いて、驚くと同時に安心しました」


「ギルドで、シナのための依頼を探していたところ、たまたま居あわせたブレットが声を掛けてくれたのだ。村が大変なことになっているから力を貸して欲しいと聞いて、駆けつけてきた」


「奇跡的な巡り合わせに感謝致します」



 この地に人が移り住むようになったのは、一世代前の頃からです。


 地下から発せられる熱により、年間を通じて寒暖乾湿の差は少ないこの土地は、肥沃な土壌にも恵まれ、高地にありながら農耕牧畜に適していました。


 私と共に村の開拓から携わっていた地竜アンドレイカーは、その時から結界魔法により周囲一帯を守り、人々が穏やかに暮らせるように尽くしてきたのでした。


 風光明媚な上に温泉を利用した保養施設もあり、今では有数の観光地として国内で知らぬ者はないほどに賑わっています。



 ところが今からふた月前のこと、そのように穏やかだった村で、村の存亡に関わるとてつもなく凶悪な事件が起こったのでした。


 極めて素行の悪い冒険者一行が、吊り橋を渡って鍾乳洞に侵入すると、その最奥部に住む守護竜アンドレイカーに対し一方的に闘いを仕掛けたのです。


 冒険者一行は、最近闇市でも手に入れられるようになったという爆薬を用いて、アンドレイカーに深い傷を負わせたのでした。


 さらに、鍾乳洞の先にある鎮守の樹海にまで侵入し、あろうことか火を放ったというのです。



「鎮守の樹海へは、限られた者しか立ち入れません。この村の結界を維持するために守護竜様が力を得ていらっしゃるという、神聖にして大切な場所です。そこであのような乱暴狼藉を働こうとは」


「冒険者たちの意図は何だったのだろう?レイカー殿を倒して名を上げたいといったあたりではなかろうかと、私は思っているんだが」


「おっしゃる通りです。結局は名を上げるどころか、逆に守護竜様に懲らしめられただけだったのですが……。おそらく彼らは二度と冒険者には戻れないでしょう」


「ふむ。同情の余地はなさそうだな。ただ、レイカー殿も相当な深手を負われたのだな?」


「はい。闘いの直後は数日に渡って意識を失われていたとフレア様から伺いました」


「レイカー殿の御内儀か」


 フレアは、村が出来てしばらく経った頃、アンドレイカーが人生のパートナーとして迎えた、ダークエルフの女性でした。


「はい。守護竜様の結界を失ってしまった村内には、ここぞとばかりにたくさんの子鬼や幽鬼がなだれ込んで来てしまったのです。鍾乳洞に侵入され、これ以上守護竜様に何かあってはならないと、吊り橋を落とされたのもフレア様でした」


「なるほど。代わりに作られたあの虹の橋の結界魔法は、レイカー殿ではなく彼女の力によるものだったのか」


「はい」


「今はこの村もずいぶんと落ち着きを取り戻してきたように感じるが」


「ギルドからの依頼を受けていらした冒険者方の応援はもちろん、村の者総動員であたっていますので。村の結界が戻ったのはほんの数日前のことなんです」


「そうか。もう少し早く来られればよかったな」


「いいえ。ヘルム様でしたら、いらして頂けただけで十分です。結界が戻ったこれからは、村も自力で立て直せると思います」


「そうか。ということは、レイカー殿の具合も良くなったということだろうか?」


「それがヘルム様にお願いしたい内容です。まずは、守護竜様の容態を見に行っては下さいませんでしょうか。虹の橋を渡り、鍾乳洞深部へ向かうことが可能なのは、今やあなた様だけではないかと思っているのです」


「そうだな。是非向かわせてもらおう」


「そうであれば、早速準備のために部屋をご用意致しましょう」


「ありがたい」



 与えられた宿の一室にて、私とシナは鍾乳洞へ向かうための準備に入りました。


 契約を結んだ精霊の力を借りて、人間にはなしえない様々な現象を引き起こす術、それが魔法です。


 精霊の能力によって現象は変わるのですが、高度な魔法を使おうとすると、それなりの知性や霊力を有した精霊の力を借りねばなりません。


 主従としてしっかりとした信頼関係を築いておかなければ、契約を無視してどこかへ行ってしまう場合もあるのです。


 ですから、本格的な冒険の前には、どの精霊の力が必要となりそうなのかをあらかじめ予測して、しっかり契約を確認しておく必要があるのです。


 村を守っていた地竜アンドレイカーは、意識不明になるほどの深手を負ったことですが、そのことで結界を守らせていた精霊を一時的に逃がしてしまったのかもしれません。


 再び村の結界が戻ったということは、レイカーの傷もある程度は癒えたというのを意味しているのでしょうか。


 私としては、そうであることを願って止まないのですが。



 準備を終えたシナと私は、虹の橋が架かるのを待って鍾乳洞へ向かいました。


 虹の橋は遠方から見るのとはまったく異なり、(たもと)から見ると大理石でできた頑丈な作りのようです。


 村人全員が不安そうな目で見守る中を、私たちは橋の中央まで進み、そこで洞窟の主に訴えました。


「魔導士ハントリー・ハースト・ヘルムより、洞窟の主アンドレイカーに告ぐ。我々の行く手を遮る万難を排し、速やかに洞窟へと招き入れよ」


 私の声は洞窟の主に届いたようでした。


 効果は村人の歓声が物語っています。今まで村を覆っていたすべての霧が晴れ、橋の全体はおろか、渓谷の底まではっきりと見えるようになりました。


「わぁ。これなら間違いなく渡れそうです、御師様」


 私の前を行くシナが振り返りながら呟きました。



 橋を渡りきるとすぐに、絶壁に開いた巨大な亀裂のような鍾乳洞の入り口が待ち構えています。


 シナを先にしたのは、私を前にして、背が低い彼の視界を遮らないため。あと、私の視界に常に入っていられるようにするためです。


 過保護というよりは、その方が合理的でしょう。言うまでもありませんが、彼は幼いながらも訓練を積んだ立派な魔導士でもあるのは認めているのです。


「魔導師たる我がシナ・トロック名において告ぐ。明かりを司る精霊シン・ハラよ。我等が行く道の先を照らせ」


 すると、洞窟内上部に明かりが灯り、私たちが行こうとする先々まで照らされました。

 

 同時に洞窟の至る所で黒い陰がうごめき、こちらの様子を伺っているのが目に入ります。進むに従って陰は私たちの身体を押したり、裾を引っ張ったりするようになっていました。


「邪魔ですねぇ」


 シナはさして怯えているようには感じられませんでした。しかし、このままではなかなか先に進むことができません。


「それならば……」


 私は精霊の力を借り、聖なる霧でシナと私の体を包みました。


 しかし、それはかえってこの周囲に群がる幽鬼たちを刺激してしまったようです。突然洞窟内が様々な声や物音で溢れかえってきたのです。


 そして光の精霊までも彼らの標的となりはじめ、まともな明かりを得ることさえできなくなり始めました。


 その時です。


〔静まれっ!〕


 洞窟全体を震わせるような女性の声による一喝とともに、魔性の者達の姿は一斉に消えてしまったのでした。


「御師様、今のは?」


「フレア殿だ。もう大丈夫、さぁ進もう」


 私の言葉に従ってシナが進む方向に身体を向けた時です。巨大な石柱が正面から私たちの方に向かって倒れて来たのでした。


 あまりに突然のことで二人とも反応することはできなかったのですが、しかし私たちがその石柱に潰されることはありませんでした。


 倒れる石柱を寸でのところで支えてくれたのは……、


「アーク・ヘヌリイ !」


 驚いて声をあげたのはシナでした。


〔我が主、シナ・トロック様をお守りするのが私の務めです〕


「ありがとう」


〔礼には及びません。それより早くあいつを〕


 石柱を倒した犯人は、身の丈三メートルはある一つ目の巨人でした。そしてなお、こちらの出方を伺っているようです。


 私は即座に精霊を召還しようとしました。けれどもその時、再びアンドレイカーの妻フレアの声が洞窟全体にこだましたのです。


〔ケイン! 何をしている。さっさと下がりなさい。その方を奥へお通しするのだ。そもそもお前ごときがかなうお方ではない。下がれ!〕


 その声を聞いて、いかにも渋々というふうに、一つ目の巨人はどこかへと姿を消して行きました。


〔失礼しました、ヘルム卿。ここから先は、私がご案内します。安心していらして下さい〕


 洞窟の奥からいくつもの羽ばたく光が飛んできて私たちの行方を示してくれます。その光に従って進むうち、私たちは洞窟最奥部までたどり着くことができたのでした。



〔ようこそおいで下さいました、ヘルム卿。お久しぶりです〕


 鍾乳洞の最深部にある大聖堂、その先には彼女等が暮らせる居住空間がありました。

 

 その広い応接室に横たわっていたのは、黒曜石のような美しい光沢を持つ鱗で全身を覆われた大地の精の化身、地竜アンドレイカーとその妻、ダークエルフ族のフレアでした。


 レイカーの巨体は、胴回りだけで人の高さほどあるにも関わらず、広間の奥の隅で目を閉じたままうずくまっている姿からは、まるで存在感を感じられません。


 広間中央のテーブルの脇に立つフレアは、褐色の肌にとてもよく合った黒色のドレスをまとい、長いプラチナの髪は頭の上でまとめていました。五年前に会った時とまったく変わらない容姿を人の年齢で比較するなら三十代前半というところでしょうか。

 

「お久しぶりです、フレア殿。こちらは最近弟子として迎えたばかりの……」


「シナ・トロックと申します」


 挨拶を終えると、フレアは私たちを部屋の中に招き、横たわる地竜の側へと誘いました。

 

 そのまま広間の入り口からは見えなかった方へと回り込むと、レイカーがどれほど酷い状態であるのか、一目で理解できたのでした。

 

 閉じられた羽の付け根辺りから横腹にかけて、鱗は剥がれ落ち、まだ癒えぬ大きく深い傷跡が残っています。


「これは酷い。私がレイカー殿に治癒を施しても構わないだろうか?」


「ヘルム卿さえよろしければ、是非お願い致します」


 フレアの許諾を得てすぐに、私とシナは患部に両手をかざし、傷を癒やす魔法をレイカーに掛け続けたのでした。


 えぐれて失われた細胞が復元するまでに半刻。そこから表皮が復元するまでには、さらに半刻が掛かるでしょう。


 二人が気付かぬうちにレイカーの瞼は開き、今は私たちを親しみのこもった眼差しで見つめていたのでした。


「弟子をお取りになったのですか。ヘルム卿」


 しかめっ面で治癒魔法を掛け続けるシナを見つめながら、レイカーが問いかけました。


「あぁ、なかなかの腕だろう?」


「えぇ、そうですね。少年、名前は?」


「シナ・トロックと言います。あの、すみません。あとでしっかりお答えしますので、今は治療に集中させて下さい」


 シナは一瞬だけ視線をレイカーの顔に向けると、再び傷口に向かい続けました。


 レイカーは笑みを浮かべると、今度は私に向かって語りかけてきました。


「ヘルム卿。治療しながらでも大丈夫なら、私の話を聞いてもらえるだろうか?」


「あぁ。私ならば構わない」


「ありがとう」


「私のように責任のある立場になってしまうと、あちらこちらから悩みや相談事を持ち掛けられることばかりで、私自身の悩みは誰にも打ち明けることができなくなるものです。あなたのような方でない限り」


 優しさで包みむような柔らかい声で、レイカーはゆっくりと語り始めました。


「相談相手と言えばもっぱらフレアなのですが、基本的な立場は私と同じなので、同じ結論しか出せません」


 私は治癒魔法を止めることなくフレアの方に向き直ると、彼女は目を伏せるようにして頷いたのでした。


「何か相談事でも?」


「相談というよりは頼み事です」


「レイカー殿の頼みとあらば、断るわけにはいかないが、一体どのような内容だろうか?」


「娘を、私たちの娘をあなたの弟子に加えてはもらえないでしょうか?そして旅を通じ、この世界を見せてやって欲しいのです」


「娘というと、クリスか。他にはいないな?」


「えぇ。一人娘です」


「私は構わないが、本人は了承済みなのか?」


「あなたが来られるとは思っていなかったのでまだ伝えてはいませんが、彼女自身は村の外へ出たがっていると思います」


「そうか。フレア殿も構わないのだな?」


「はい」


 フレアは目を伏せて答えました。


「私たちは精霊たちを通じ、この地にいながらにして世界のあらゆる事を知ることができます。世界の政治、経済、軍事から技術、文化まで。もちろん爆薬の事も知っていました。けれども、ただ知っているだけに過ぎなかったと思い知らされました。新しく開発された便利な道具。武器に転用することも可能だという程度にしか理解していませんでした」


 そう言うとレイカーは長い首を回して、治療中の傷の具合を確かめました。


「爆薬は、いずれ世界各国の力の均衡が崩れてしまうでしょう。私に向けられた悪意を、この身をもって受けたことで、私はその破壊力に隠された本当の脅威に気が付きました。この村に暮らすことで忘れかけていた、人間の悪い意味での本質を思い出すこともできました。ヘルム卿、世界はこれから大きく変わるでしょう。変わらざるを得なくなるでしょう。今まで弱く小さく虐げられてきた国々が、思いもよらなかったような新技術を振りかざして、大国を脅かすようになるかもしれません」


「時代の変わり目に差し掛かっていると考えられる点については、私も同意見だ」


「だから、これから世界がどう変わっていくのか。それをあなたとの旅で、娘には見て、感じて、そして考えてもらいたいのです」


「承知した、レイカー殿。クリス自身が望むのなら連れて行こう」


 治癒を施しながら私は応えましたが、その後、レイカーから言葉は出てきませんでした。


「すみません、ヘルム卿。夫は眠ってしまったようです」


「そうか。いや、構わんよ」


「傷の痛みのため、事件以降はしっかりと眠ることができないようでしたので、こうしてヘルム卿とシナ君に治癒魔法を掛けて頂いて、心から安らげたのだと思います」


 フレアはレイカーに近寄ると、慈しむように見つめながら、目を閉じたその顔に手を置きました。


「あなたも、大変だったのだな。フレア殿」


 治癒魔法によって、傷口はふさがり表皮も回復します。その表皮を覆う鱗が回復するまでには、まだ一年、二年は掛かるでしょう。


 ただ、痛みに関しては、もう心配ありません。これからは、ほぼ今まで通りに暮らせるはずです。



 それから半刻、治療が終わるのと同時に、レイカーは目を覚ましました。途中で眠ってしまったことに本人は照れていましたが、気にするようなことでないのは言うまでもありません。


「ありがとうございました、ヘルム卿」


 そう口にしたのは、今現在目を閉じている竜ではなく、その隣に佇むレイカーの人型の分体でした。


 金糸で縁を刺しゅうされた黒いローブをまとい、背中まである長い金髪の若い男性の姿は、主に村で作業する際にはお馴染みの姿です。


「大切な友人のためだ、どうということはない。立場が逆なら同じことをしてくれるだろう」


「もちろんです」


 そう言うとレイカーはシナの方に向き直り、幼き魔道士に対してもあらためて感謝を伝えたのでした。


「ところで、クリスの件についてなのですが……是非ともあなたに見て頂きたいものがあります。どうぞ私にご同行下さい」



 人型となったレイカーの分体に続いて、三人は大聖堂に移動しました。そこから、壁面に隠された扉を潜り、長い長い鍾乳洞の通路を抜けて行きます。


 迷路のような洞窟に方位を惑わされつつ進んだその先は、村人でもわずかな人しか立ち入ったことがないという、鎮守の樹海の中心部でした。


 空からの光を半減させるほど茂った木々によって、外界からしっかりと隠されたその場所は、決して手つかずの樹海などではなく、住人たちによってしっかり管理され、暮らすのに都合が良いように整備された森の中なのです。


 視界が届く範囲に限りますが、かなり奥の方まで建物や暮らしに必要な設備も整えられているようでした。


 けれども、この前の事件で破壊され、焼かれたためでしょう。多くの場所で、本来の形を失い、黒く焦げた跡が残っています。


「この樹海から、村の結界を守るために必要な大地の精を、私自身が得ていると、村の人たちには伝えています。それは事実です。ただ、実際にはそれだけではありません」


 レイカーが伸ばした腕の先には、多くの住人が作業をしたり語らったりしている姿がありました。


「ほとんどの村人たちには秘密にしていますが、この村には、ご覧のように多くの、世間による悪意の眼差しから逃れて来た者たちが暮らしています」


「悪意の眼差し?」


「ここで暮らしているのは、ほとんどがエルフ族と多種族の混血になる、ハーフエルフたちです。他にもエルフとも人間とも交わることを好まない、ダークエルフなどもおります」


「なるほど、そういうことだったのか」



 精霊に愛され、森とともに生きる種族と言われるエルフ族ですが、行き過ぎとも思われる高潔さゆえに、多種族と交わることを極端なまでに嫌い、近づくことさえ拒みます。


 一方では、そういったエルフの思想を嫌う人間も多く、その両方の血を受け継ぐハーフエルフたちは、結果的にどちらからも疎まれる存在となっているのでした。


 竜とダークエルフの混血となるクリスもまた、ハーフエルフです。この森で暮らしながら、時に村人とも交流のあったクリスが、実際にはどのような思いを抱いているのか、今はまだわかりません。



「この樹海も、私の力でいつまで守れるかわかりません。かつての自信は、今はもう無くなってしまいました」


「レイカー殿の心配は私にも理解できる。いずれ来たる時代には、魔法などほとんど役に立たなくなるに違いないと感じている」


「どうすればよいでしょうか?」


「そうだな……」


 私はレイカーではなく、フレアに向き直って問いました。


「虹の橋の結界は、フレア殿が作られたと村長から伺っていたが、やはりフレア殿の魔力だけでは無理だと感じていたところだ。虹の橋は、あなたがこの樹海の人々と協力して作り上げたものだろう?」


「はい」


 フレアは答えます。


「そして、最終的に侵入者を撃退したのも、レイカー殿ではなく、この樹海の住人たちの力だったのだろう?」


「その通りです」


 私は、この樹海の尊さと美しさが、この先長くは続かないのではないかと感じ初めていました。それはこの夫婦と、おそらくここの住人達も同様でしょう。


「レイカー殿、あなたの力は絶大だ。だが、その力だけで足りないというのであれば、この樹海の住人たちの助けを借りればいい。どのように抗おうとも、時代は変わっていくのだから。それならば、それに合った暮らしや守りを模索するより他にはない。何もせず、時代の波に飲み込まれて消えていくのも悪くはないと私は思うが、外の世界で様々な悪意や善意に触れ、その経験を持ってこの樹海を守る方法を考えるのも有りだとも思う」


 その時、私たち四人の姿を見つけ、駆け寄ってくる少女の姿がありました。


 五年の間に、フレアと同じくらいの身長にまで育ったその少女の変化に、私は少々戸惑いを覚えましたが、その容姿が母親譲りであることは間違いないと感じられたのでした。


「やぁ、クリス。久しぶりだね」


「お久しぶりです、ヘルム卿」


 少女は笑顔で私に答え、そして隣に立つシナとも挨拶を交わしました。


「クリス。私と一緒に来るかい?」


 少女は父と母の顔を交互に見つめ、そのいずれもが頷いたのを見た後に、自信を持って答えたのでした。


「はいっ!」




おわり

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