Dream #05 『銀河鉄道』
発車までもう間もなくという頃、隣の車両に続く扉が開き、その紳士は現れました。
近頃では結婚式以外では見かけることもなくなった燕尾服。頭に乗せられた黒い山高帽が彼のただ一つの荷物のようです。
乗車券を片手に座席番号を探しながらこちらに近づくと、私の頭上にある座席プレートを指差し「ここだ」と彼は小さくつぶやいたのでした。
「お隣、失礼します」
私にそう断りを入れると、彼は山高帽を網棚に乗せ、私の隣、通路側の席に腰掛けました。
「私は乙女座駅で降りることになっています。それまで、えぇっと……」
男は内ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認し「八時間ですか」と言うと、あらためて客車内を見渡したのでした。
乗客は千差万別、人種年齢性別など統一感というのはまるでありません。なにしろここではどのような姿でも、どのような服装でも思いのままにいられるのですから。
通路を挟んで隣の座席には、ターバンを頭に乗せボロボロの布をまとった修行者のような老人。斜め前の席にはフランス人形のようにドレスアップした青い目の女の子。
ここでは身分も立場も肩書も、経歴や、自分の名前さえも意味を持たなくなってしまうのです。
「私は……水瓶座駅まで、あと4時間です」
大きな荷物をたくさん抱えた人もいますが、ほとんどは私や隣の紳士のように何も持たない人たちばかり。
かくいう私はこの列車に乗る前から着ていた普段着でした。
混んでいるというほど混んでいるわけでもなく、見ている限りでは乗ってきた人数だけ降りているようにも思えます。
〈各駅停車 銀河鉄道 黄道十二宮 東回り線、間もなく発車致します〉
発車ベルはハンマーが鐘を連打するモーター式で、とても上品な響きです。
駅員の警笛を合図に客車の昇降扉が自動で閉まると、『銀河鉄道』という名から想像される最新技術とはおよそかけ離れたゴトンゴトンという音に乗って列車は駅を後にしました。
〔お客様にご案内申し上げます。この列車は黄道十二星座を二時間毎、二十四時間で東周りに一周いたします。各駅にての停車時間はそれぞれ十ニ分間となっております。乗車券をまだお持ちでないお客様がいっしゃいましたら…〕
私は乗車券を持っていました。それをいつの時点で手にしたのか正確にはわかりません。おそらくは私の魂が体から離れてしまったあの時、切なくも優しい声が暖かい手とともに私を導いてくれた……。
あの声の主が? 安らかにと伝えてくれたあの声の主は……。
気が付いた時には、私は乗車券を手に駅のホームに立っていたのでした。
「お食事、お飲み物はいかがですか?」
銀河鉄道の制服を着用した車内サービスの男性が私たちの席に声をかけて来ました。各駅ごとに車内を回るきまりになっているのでしょう。
料金は必要ありません。私が乗ったのはふたつ前の駅。前の時は断りましたが、今回は隣の紳士に勧められたこともあり二人で紅茶を頂くことにしました。
列車内では時間が不思議な流れ方をしています。
見渡して感じるのですが、時間は乗客ごとにそれぞれのスピードで流れているようでした。
誰もが好きなだけこの列車に乗っていられるみたいなのですが、降りるときにはちゃんと時刻表通り帳尻が合っているのです。
間を持て余したついでに、なぜでしょうねと隣の紳士に問いかけてみたら、彼は笑いながら教えてくれました。
「時間というのは絶対に一方向にしか流れないのですよ。タイムマシンの物語もありますが、その流れをさかのぼることはそもそも不可能なのです」
「へぇ、そうなんですか」
「進むのはたしかに一方向だけなのですが、そのスピードは状況によって変わることもありますし、変えることもできるのです」
「変えられるのですか?」
「もちろん。たとえば重力が無限大に働くブラックホールの中心では、空間は極限まで収縮し時間も停止してしまいます」
「はぁ」
「一方、重力から解放され空間が無限に拡大する宇宙の果てでは、時間もまた無限大のスピードで流れるのです」
「へぇ、そうなのですか。でも誰も行けない場所なのに、なぜそういうところだとわかるのでしょうか?」
「私は行ったことがありますよ」
「え!?」
「ブラックホールの中にも、宇宙の果てにも」
「それは本当ですか?」
「もちろん」
「いったいどんな所なのですか?」
「いたって普通ですよ。空間が収縮しても膨張しても、まったく同じ割合で自分達も収縮膨張しているので、そこが特別な空間であるとは気が付かないんです」
「そうなのですか。ちょっと残念ですね。私はもう少し特別なところかと思っていました」
「宇宙の果てから見れば、逆にここが宇宙の果てになっているんですよ」
「そうなんですか?」
「はい」
「なんだかわからなくなってきました」
「ははは、ようするにあなたはいま宇宙の果てにいるということですよ」
私は窓の外を流れる星々に目を向けてみました。あの漆黒の闇の彼方にも、ここと同じような空間が広がっているということでしょうか。
「一瞬であっても永遠であっても一時間は一時間でしかないのです。ネズミとゾウとでは一時間の感じ方が違うようにね」
「誰にも等しく与えられるその一時間を、私たちはいったいどう使うべきなのでしょう?」
「構える必要などありません。すべては経験、無駄な経験などこの世にはないのですから」
「でも、後悔はしたくないと、人なら誰しも思うのではないでしょうか?」
「後悔も大切な経験なのですよ」
「それはわかっています」
「あなたは後悔しているんですか?」
「この列車に乗る前の事はあまり覚えてはいないのですが、もう少し何かを……何だったのか思い出せないのですが、とにかくもう少し頑張れば良かったという気持ちだけは心に残っているのです」
「そうですか。では、この列車を降りてからは後悔しない生き方を選択するように頑張ればいいじゃないですか。振り返っても仕方ありません。時間は一方向にしか流れないのですから」
そういえば車窓から見える星々には、ひとつとして前に流れるものはありませんでした。この列車は例えるなら時間そのものなのかもしれません。
「あなたは……」
私は隣の紳士にあらためてもう一度訊ねてみました。
「この列車を降りたらどうするのですか?」
「実は私には与えられた役目があるのです」
「役目、ですか?」
「はい、この星の人々を導いて行くという役目を銀河連邦評議会の方から仰せつかっているのです」
「銀河連邦評議会!?」
「はい、地球はまだ加盟していませんから、一般にはその存在は知られてはいないでしょうね。おそらくこの列車のことも」
「はい」
「この列車を降りたら、おそらくほとんどの人がこれまでの記憶を失ってしまうでしょう。そして、赤ちゃんとして再びあらたな人生を歩み始めるのです」
「あなたは違うのですか?」
「私も赤ちゃんとして、この星に降りることになりますが、それでも自分の役目を決して忘れたりはしません」
「その役目というのは?」
「この星の人々が、互いに思いやる気持ちを忘れないでいられるよう導いて行くことです」
「ひょっとしてあなたは救世主と言われる方になるんじゃないですか?」
「そうですよ。その一人です」
「一人? ということは他にも?」
「たくさんいますよ。歴史的にも現在も」
「そうだったのですか」
「しかし、どんなに私たちが言葉を尽くしても、態度で示しても、この星の人々の心が変わることはありませんでした」
「そうですね」
「なにかにつけ、とても頑ななのです、この星の人々は。しかも悪い方に向いてしまったままで。良い方に向けば限りなく優しくなれるはずなのに」
「それが本当で良い方向に向かうなら、なんとしても叶えたいところです」
「えぇ、この星の人々が素晴らしい能力を秘めていることは外部から見ればよくわかりますよ。それ故になんとか手を差し伸べたいと、多くの指導者がここには送りこまれているのです」
「そうだったんですか」
「実は、私はこれまで子熊座にいたんですが、あちらの星はここよりまだひどかった。それでも多くの協力によって素晴らしい星に生まれ変わることができたのですよ」
「小熊座?」
「そうです、私は乗り継いでここまで来たのです。もっともこんな各駅停車とは違う銀河特急ですが」
「銀河特急!?」
「もちろんご存じないでしょうね。銀河系内の星々はそれぞれの距離が遠いですから特急を利用します。銀河系間の移動となればもっと遠くなりますから超特急は欠かせません」
「どうやら私たちは宇宙についてまだまだ知らないことが多いみたいですね」
「物質だけが現実だと思っている限り、この星の人々が銀河連邦評議会やこの列車の存在に気付くことはないでしょう」
「宇宙からみれば、地球はまだまだ未熟な存在なのですね」
「そうですね」
〔お客様にご案内申し上げます。当列車はまもなく水瓶座駅に到着いたします〕
私たちが話に夢中になっている間にも列車は走り続け、すでにひと駅を通過して、気が付けば目的の駅まであとわずかとなっていました。
〔乗り替えのお知らせです。北十字方面にお乗換えの方は在来線3番ホームへ、アンドロメダ行き銀河超特急にお乗りの方は階段を上りまして0番線ホームにてお待ち下さい〕
「新たな生を得た時、私はあなたのお手伝いをできるでしょうか?」
「おそらくあなたには私を探すことはできないでしょう。ですから私が会いに行って差し上げましょう」
「本当ですか!?」
「えぇ、ただあなたが私のことを覚えていてくれるかどうか……」
「自信はありませんが、いまこの時のことは心に刻んでおきたいと思います」
「それならば」と言って紳士は深く頷くと、手の平を上に向け私の方へ差し出してきました。
「私の手にはこのように三ツ星の模様があります。せっかくですから、あなたの手にも同じ模様を刻んで差し上げましょう。思い出すきっかけとなるように」
「どうやって刻むのですか?」
そう問いながら差し出した私の手に彼は自分の手を合わせるように重ねました。そしてその手を外した時には、もう三ツ星が刻まれていたのです。
「これであなたも私たちの仲間入りですね」
「ありがとうございます」
「それを見ただけでは無理かもしれませんが、何かのきっかけがあれば、いまこの時のことを思い出せるでしょう」
満天の星明かりに照らされたホームに立ち、私は遠ざかる列車を見送っていました。
地球創世の時から走り続けているという列車が止まるのは、地球が消滅する時なのだそうです。
私は自身の手の平に視線を落としました。
銀河鉄道に乗る前には、忘れてはならないと思っていた事もたくさんあったはずなのですが、そのいくつかはすでに思い出せなくなっています。
この先どれほどの事を覚えていられるのでしょう。それほど大切なことならば、私の代わりに誰かが覚えていてくれるでしょうか。
改札を抜ければ、私の新しい人生が始まります。
おわり