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Dream #04 『邂逅(かいこう)』

「異常」の文字を目にするのが、すっかり日常になってしまった日本の夏ですが、今年の夏はまた格別でした。


 近年では、雨が降らないとなったら二、三週間全く降らないというのも珍しくはないのですが、この地域ではすでに二ヶ月近く雨が降らない日が続いているそうです。



 僕がここに来たのは四日前、おじいちゃんの葬儀のためでした。葬儀自体は滞りなく終わったのですが、相続等の手続き等が案外複雑で、両親がそんなこんなから解放されるまでにはもうしばらく掛かりそうです。


 僕はといえば、親類縁者の応対とご近所さんへの挨拶を任されてはいますが、それ以外特にすることもありません。さらに葬儀から四日も経てば訪れてくる人もほとんどいなくなってしまいます。


 何かないかと探した挙げ句、僕は暇つぶしに「昔の実家」へと出かけてみることにしたのでした。


「実家」というのは私のではなく父の実家、ようするにおじいちゃんの家なのですが、「昔の」というのは、それが今はダムの底に沈んでしまっているからなのです。


 ダムが完成したのは数年前、水を湛えたダム湖の上から湖底を覗くことなど全くできなかったのですが、この夏の異常な渇水でなんと、ダムの水がほとんど干上がってしまったのでした。


 ここのところ、自宅の跡を懐かしむ人たちが次々ダムの底へと降りているらしく、ちょっとした観光地になっているという話を、葬儀に来て下さったご近所の方々から伺っていたのを思い出したのです。


 それならばというわけで、自転車を借り、僕も早速そこまで降りてみることにしたのでした。




 ダム湖の中に入りますとやはり風景が一変します。下に行くに従って自転車では徐々に通りづらい状態となっていきます。


 かつては道だったところにも土砂と流木が折り重なり、ついには自転車を置いていかねばならなくなりました。


 それでも足下に注意を払いさえすれば歩いて行くことはできますし、実家は谷の割と高い位置にありましたので、さほどの苦労もなく辿り着けそうです。


「この辺りかな?」


 すでに家の形はありませんし目印になるような物さえありません。どちらを見ても泥が乾いた灰色だけの世界の中にあって、頼りになるのは幼い頃に見た山の形だけです。


 それでも地形を思い出しながら辿っていきますと、何とかようやくそれらしい場所に着くことができました。


 もっとも、着いたからといってそこに何かがあるわけでもありません。昔の記憶を引き出して感傷に浸りながら変わり果てた風景をただ見つめるだけのことです。


 ダムの功罪について自分の心に問題提起をしてみたところで、何かが変わったりすることなどないのはわかっているのですから。



 家のあった場所より一段高く、斜面を登った所で、僕が周囲を眺めていた時のことです。突然、後ろの方から小さな女の子が誰かを呼んでいる声が聞こえてきました。


「おーい、余四郎」


 振り向くと、およそこの場所にはそぐわない、おかっぱ頭で着物を着た十歳位の小さな女の子がこちらに向かって駆けて来るのが見えました。


「余四郎、やっぱり余四郎だぁ。わったい驚いた、久しぶりだなぁ」


 呼ばれていたのはどうやら僕のようです。ただ、こんな場所で見知らぬ少女に驚かれても何と答えていいのやら瞬時には思い浮かびません。それより何より僕は……。


「ちょっ、ちょっと待って、よしろうって、僕はよしろうじゃないよ?……えぇっと、君は誰?」


「わかっとる、今のおまえが余四郎でないことはもちろんわかっとるわいや。だけども、恩ある人のことをわしが忘れたりするわけがない。おまえは間違いない、余四郎だ」


「と、言われてもなぁ、っていうか、君、どこからきたの?」


「わしかぁ。 そりゃそうだわなぁ、見も知らぬ相手にいきなりこんなことを言われても、そりゃおまえも驚くわなぁ。でも、びっくりするやら懐かしいやら嬉しいやらで、ほんにどうしたらええか、わしの方まで戸惑ってしまうがないや」


 きつい訛りと不思議な語り口があまりにも少女の姿と不釣り合いでしたので、僕の頭の中は混乱する一方でした。

 

「わしはな、ちょっと前までそこにおったんだわ」


 そう言って少女が指さしたのは僕の後ろ方、元々は林だった場所の奥、枯れた大きな木の根本で泥に埋もれかかっている(ほこら)でした。


「え?」


「わしはなぁ、キツネだ。気に入っとるもんで、今んところはまぁこんな格好をしとるけどなあ、本当はキツネなだわいや」


 少女(?)は、拳を握ったまま腕をクイッと曲げて、一応キツネらしい格好をしてみせました。


「随分前、そうだなぁ、今から百年くらい前になるなあ。おまえがまだ余四郎という人間だった頃、わしはおまえに助けてもらったことがあるだわいや。わしの名前はゴン助。そん時に、おまえがわしに名前も付けてごしなっただわ」


 何とか落ち着いて理解しようと心がけましたが、ゴン助の話は僕の想像を遥かに超えた突拍子もないものでした。しかし、この少女の独特すぎる雰囲気が、あながち嘘ではないとも感じさせるのです。



 今から百年前の明治中頃、この同じ場所に住んでいた家族の中に、かく言う余四郎がいたのだそうです。


 山で倒れていた子ギツネを見つけて家に連れて帰って介抱し、その命を救ったのが余四郎でした。


 ゴン助と名付けられた子ギツネは、しばらく余四郎の家族と供に暮らしていたのですが、大きくなる前には山に帰されたのだそうです。


 ゴン助は、その後もたびたび顔を見せに山から下りてきたりもしていたそうですが、ある日、何かとても大きな獣に襲われて、致命的な怪我を負わせられてしまったということでした。


 そんな瀕死の状態で偶然にも再び余四郎に発見されたのですが、さすがに今度ばかりは手の施しようがなかったそうです。


 亡骸は余四郎の手によって、家の裏手から山へと入る道の脇に墓を作って埋めてもらったということでした。


 それから数日後のこと、今度は余四郎の妹が病に掛かかり、命さえ危険な状態にまで陥ってしまったのです。


 またしても何もしてやれない余四郎でしたが、妹を思ってせめてもの気持ちで、ゴン助の墓の前で一生懸命手を合わせたということでした。


 それが功を奏したのかわかりませんが、幸い妹は一命を取り留め何事もなかったかのように元気を取り戻したのでした。


 その後、余四郎はゴン助へのお礼も込めて、自分で作ったゴン助の墓の上に新たに祠をこしらえ、改めて稲荷として祀ったのだそうです。



「でも、本当にあなたが、僕……の、妹の命を助けて下さったのですか?」


「手助けはしたが、すべてわしの力によるものだとは言い難いな」


「そうでしたか。それにしても……ゴン助というのは本当に僕がつけたんでしょうか? そうだとしたらなんだか申し訳ない気がするのですが」


「まあ、人間で子ギツネの雄雌なんか、わかる方が珍しかろう? それに、わしはこの名が結構気に入っとるんじゃ。それよりも、その後のお前自身の事も知りたかろう?」


「ええ、是非」


「では話そう。確か数えで十八になった頃だったかな、おまえはこの同じ谷の『おせん』という娘と結婚することになる。そして二人の間に六人の子供を授かったんだわ」


『おせん』という響きを耳にした瞬間、僕はまるで時間が止まってしまったかのような衝撃を感じました。と、同時に心の中がなんとも懐かしい、なんとも切ない、なんとも恋しい思いで一気に満たされてしまったのです。


 この感情は一体……!?


「しかし、六人のうち四人は幼い内に病で命を落としてしまうことになる。この時代にはよくあったことだ。でも、お前自身もまた、残された子供たちの生涯を見届けることなく若くして死んでしまうんだわ」


「え? そうなんですか?」


「大きな猪に咬まれたまんま引きずり回されたらしい。一緒におった仲間に助けられたそうだが、結局三日の内に亡くなってしまったんだわ。みーんな悲しんどった。あん時はさすがにわしも悲しかったなあ」


「そういう死に方だったんですか……」


「猪を見たことのないもんにはわからん。怒らせたらほんに何するかわからんだけえ。全速力でこっちに向かって来っだ」


「すみません、知らないものですから」


「まあ、そんなことはどうでもええだ。今度は残された『おせん』の方だけど、彼女は当時としては本当に長生きだった。たしか七十も過ぎとったはずだけえ」


「では、彼女は幸せだったんですか?」


 実は今の僕には、自分の死よりも彼女の生涯の方が気になって仕方なかったのです。


「うん、二人の子供と沢山の孫に囲まれた中で安らかに息を引き取った。たぶん幸せだったんじゃないかとわしは思う。それが、戦争が終わってしばらくたった頃だったかのう」


 彼女は幸せだった、それが聞けただけで僕は良い映画を見終わった後のような、とても満足した気分になりました。それで別に何が変わったり起ったりするわけでもないのですから。


「戦争というのは第二次世界大戦のことですよね? それからしばらくなら、今から何年ぐらい前でしょう?」


「ざっと六十年だな。おまえのおじいちゃんのおじいちゃんが余四郎だ」


「えっ!?ということは、僕はまた同じ家に生まれ変わったということですか?」


「そうだ。こんなことは滅多にありゃせんで。かえって珍しいくらいだ。この谷によほど強い思いでもなけらにゃ、こんなことはまずありえんとわしは思うだわ。あるいは、おせんとの間にでも、何か約束があったのかもしれんなあ」


 見も知らぬおせんとの約束と言われて、僕はなんだか照れてしまいました。そうは言っても約束の内容どころか、約束したことすら覚えてはいないのですが。



「あれから六十年か。この谷にもいろいろあった。本当にいろいろあっただけえ」


 ゴン助は乾いた泥に埋もれた谷を眺めながら独り言のようにつぶやき始めました。


「うんにゃ、逆だな。あったもんが無くなってしまったんだわ。豊かな実りを与えてくれた山は杉林になってしまぁたし、田んぼも畑も家も遊び場もみんな湖の底に沈んでしまった。この谷には、ほんににええもんが沢山あったのに。目には見えんけど本当はとっても大切なもんがなあ。形がないから価値がないと思われるんかなあ。みんなが一人で生まれて一人で生きとるような気になっておりゃあせんだろうか。自分達の御先祖さんが何代も何代も掛けてここまで築きあげてきたもんが、まるで無用のようなものに思われてしまうのが、わしは悲しいだが」


 そう語るゴン助の目は心底寂しそうです。幼い少女の姿のせいもあって、その思いは増幅して僕に伝わってきました。


「ダムは形があって電気を作って都会の便利な生活を支えてくれる。でも、生活は不便な方が実は心が喜ぶだわ。便利な生活に慣れた人間は、不便を嫌うばっかりでなかなかそれに気が付いてはくれんのだわ」


「僕もその便利に慣らされた人間の一人です」


「すまん。でも人間のすることにいちいち怒っとるわけじゃあらへんで。それがどういう結果をもたらすかなんてことは誰にもわかりゃせんけえな」


「でも、その結果としてあの祠はこの夏が過ぎればまた水の中に沈んでしまいますよね。そうしたらあなたはどうなるのですか?」


「今そこにある祠は、もちろんその当時のものではあらせんで。この前亡くなった、ここの家の主で英世という男がまだ若かった頃に、こしらえ直してくれたもんだけ」


「英世というのは僕のおじいちゃんのことですね」


「そうだ。ここがダムの底に沈んでしまう前に、英世が新築した家の裏手から山へ入る道の脇に新しい祠を作ってくれたんだ」


「えっ、そうなんだ」


「そして神体も移してくれた」


「神体って、いわゆる御神体のことですか? それって何なんですか?」


「おまえが作ってくれたわしの墓の石だ。おまえがキツネの形をした石を探してきて墓の標としてくれたんだが」


「…………」


「英世は優しい男だった。それに信仰の厚い男だった。いっつも何かに感謝しとったし、毎日この祠にも来ては『ありがとう、ありがとう』と手を合わせておったよ」


 生前の、とても優しかったおじいちゃんの姿が目に浮かんできました。そして数日後にはここを離れなければならないことが、なぜかとても辛く感じられるようになったのでした。


「もう少し……私の事を、私の御先祖様の事を教えて下さい」


「そうだな、また何かの機会があれば話してやろう。だが、その前にもうひとつ教えておいてやりたい事がある」

「何でしょう?」


「谷の入り口のところに『わかくさ』っちゅう介護施設があるのを知っとろう。そこで、職員ではないが橋本っちゅう女性が働いておる。年はおまえより、そうだな五つ六つくらい上の女だ」


「はあ、その方はどういう人なのですか?」


「おせんだ」


「!」


 心臓の鼓動が突然強く、そして早くなったのを、僕は明確に感じました。


「そろそろ帰るとしておくかな。それじゃあ、また会おうな」


 言い終わるとゴン助はくるりと背を向け、掛け出すと同時に姿を消してしまいました。


 本当はもっと聞きたいことがあったのですが、突然だったのと、思いもよらぬことを言われて上気していたのとで、引き止める余裕はなかったのです。


 ただ、また会おうと言ってもらえたので、それには期待することにしています。もっとも、その「また」がいつになるのかは見当もつきませんが。



 一時間前に下りて来た道無き道を上って自転車の所まで戻ってきました。そこであらためて辺りを見回すと、谷全体を満たす静けさが戻ってきているのに僕は気が付きます。


 太陽はまだ高いのですが、この場所は谷を取り囲む山の陰に、まもなく入ろうとしていました。


 自転車に跨り、乾いた泥と砂利に覆われた坂道を、僕はひたすらこぎ続けます。


 急な上りが延々と続いているもかかわらず、なぜかペダルの重さを感じることはありませんでした。




おわり

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