Dream #03 『朝の来ない街』
トントン
宿の食堂を後にしてから半時、今夜も瞑想に入るための準備をしていたところでした。この部屋にだけ響くようにして叩かれるかすかなノックです。
トントン
長い旅の途中、名前も定かではない見知らぬ街です。来客など心当たりがあろうはずもありません。
トントン
放っておいてもノックが止まることはなさそうです。大切な瞑想の時間を邪魔されるのも面白くないのですが、一応返事だけはしてみました。
「誰だ?」
「この宿に入る所をお見かけました。誰にも気付かれないように、夜になるのを隠れて待っていたんです。こんな時間に申し訳ありません」
返ってきた声は私の予想を全く裏切るものでした。その声はあまりにも幼かったのです。
「旅の導師さまにどうしてもご相談したいことがあって参りました。この街の人ではないからこそしたいご相談があるのです。どうか中に入れて話を聞いては頂けないでしょうか?」
私はこの声の主にとても興味を抱きました。言葉の中の『この街の人ではないからこそ』という部分が私の心を掻き立てたのです。
とはいえ、実際にはドアの外にどのような者が待ち受けているかはわかりません。私は念のためこの部屋に魔法で罠を仕掛け、いつでも発動できるように準備しておきました。
「鍵は掛けていない。入りなさい」
音を立てないようにして開いたドアからは小さな影が一つ。入って来るやいなや、音を立てないようにしてすぐにドアは閉じられました。
「君ひとりか」
「はい」
年の頃十歳ほどの幼い男の子のでした。部屋には私が今座っている椅子と、テーブルを挟んでもう一つの椅子があります。私はそのもう一つに彼を座らせました。
「名前は?」
「シナ・トロックと言います」
「年は?」
「わかりません」
「わからない?」
そんなことを言われると、ますます彼の話に興味を持たずにいられなくなってきます。
「で、話というのは?」
「実はこの街の人たちは僕を除いてみんな変なんです」
「変?」
「はい」
「どう変なんだ?」
「よろしければ、今、窓の外を覗いて見て下さい。そうすればわかります。くれぐれも外の人たちに気付かれないように」
窓の外を覗いている時に、背後から少年が何かを仕掛けてくるつもりかもしれません。窓の外と少年、両方に気を付けながらそっと窓板をずらして覗いてみました。
するとどうでしょう、無数の黒い影が往来を行き来しているではありませんか。それは影、まさしく生気などない、ただの人型の影でした。
私は驚いて後ろの少年に振り返り問いただしました。
「なんだあれは!?」
「あれがこの街に住む人々の本当の姿なんです」
「いったいどうして?」
「それがわからないんです。昼間は普通の人たちに見えるんですが、夜になるとああして影だけになって街をさまよっているんです」
「君……だけは大丈夫なのか?」
「わかりません。僕自身、昨日より前の事はまるで覚えていないんです。ただ覚えているのは、今日あった事と昨日より前の事は全く覚えていない、ということだけなんです」
「つまり、『昨日より前の事は覚えていない事』だけはわかるということかな?」
「はい」
私は深く長い深呼吸をして心を落ち着かせました。そして、頭の中で今までの情報をしばらく整理した後、再び少年に尋ねます。
「昼間の人々はこのことに気が付いているのかな?」
「気が付いている人も中にはいるようです。この街で疫病の騒ぎがあった頃から、この街はなんとなく変わってしまったような気がすると言っていましたから」
私は無性にこの街の正体を知りたくなってきていました。もちろん他の人には調べることなどできないでしょう。しかし、私にはそれができるのです。そう、この少年が私を頼ってきたのは賢明でした。
「今から精霊を召還して尋ねてみよう、この街がいったいどうなっているのかを」
「ありがとうございます」
ひょっとしたら、この少年は明日の朝になれば、今夜の出来事も忘れてしまうのかもしれません。それでも私は彼に真実を語ってあげたいと思ったのです。
私は唱文を口にしました。唱文とは自分が契約している精霊を呼び寄せ、命令をきかせるための言葉です。
一般的には呪文と勘違いされていますが、契約者たる自分の名前と、呼び寄せる精霊の名前、それに何をして欲しいのかを、魔導師だけが使う言語で語っているだけなのです。
実際はどんな言語でも構わないのですが、自分が契約している精霊を他人に乱用されないための、昔からの工夫なのでした。
【魔導師たる我がハントリー・ハースト・ヘルムの名の下に告ぐ。万物の精霊を知る精霊マクナ・ホーンよ、我が前に姿を現し、その智を以てわが問いに答えよ】
〔ここにおります、我が主ヘルム様〕
【では早速聞こう、この地に人々の魂を操る精霊の存在はあるか?】
〔はい、あります〕
【それは何者か?】
〔人の魂を豚のように養殖し自らの糧とする妖獣、アーク・ヘヌリイでございます〕
【それは今どこにいる?】
〔あなた様の目の前にいる少年の中に〕
「!!」
突如、少年の目つきが変わりました。あまりの驚きのため私は自分の声の大きさをコントロールできません。
「お前、そこで何をしている!!」
叫ぶと同時に私は立ち上がり、そのままの勢いで椅子を後ろに弾き身構えました。
〔今お聞きになった通りです、私はここで人々を飼っているのです〕
意外にも落ち着いた声でヘヌリイは答えてきました。
〔あなたを襲わないのは、この部屋にトラップとして仕掛けられた毒獣オートンの存在を知っているからです〕
「では、私の力を認めるのだな」
〔はい、私を従えたいのであればいつでも申して下さい〕
「うむ、ではそうしよう」
〔ただ……〕
「何だ」
〔私を従えたら、この街の人たちはすべて消えてしまいましょう〕
「どういうことだ?」
椅子を元に戻し座り直しました。その時になってようやく私は魔導師の言葉ではなく、普通の言葉で話していたのに気が付きます。
〔今から百年以上前の話です。この地を疫病が襲いました〕
ヘヌリイの話は驚くべき内容でした。
人々がバタバタと倒れていく様子を、たまたまこの地にいたヘヌリイは見ていたと言います。そこで彼は街を全滅させない方法をこの街の司祭に提案しました。そうしてできあがったのが、今のこの街だったのです。
司祭の了承を得た上で、ヘヌリイはこの街を自分が生きるのに都合のよい姿へと変えていったのです。
〔あれから百年以上経っています。ゆえにこの街の住人は誰一人として肉体を持ってはおりません。魂を実体として動かし街を維持しているのです〕
「ではこの少年もか?」
〔はい、もちろんです。すべて私の力によるものなのです。ですから、私があなたに従うとなれば、何もかもが消え去るでしょう〕
私は迷っていました。本当にこの街を消し去ってしまってよいものか? このままこの街で平和な日常を暮らし続けることが、この街の人々にとっての幸せではないのか? とはいえ、このままこの街を魂の牧場としておくわけにもいかないのではないか……。
翌朝、宿の扉を開くとそこには誰一人いない街がありました。
「それでは行こうか、シナ。今日から二人旅の始まりだ」
「はい、お師匠さま」
私は、ヘヌリイとは契約を結びませんでした。
精霊を従えるということは、自分の生気を与え続けるということでもあります。すなわち、多くの精霊を従えるほど気力体力もたくさん必要になるのです。
世間のイメージと違い、魔導師というのは強靱な体の持ち主でなければ務まりません。
昨夜ヘヌリイと話をした後、この街の真実をシナに伝えました。
彼も私同様に随分悩んでいましたが、彼の出した結論がこれだったのです。
この世界を維持管理することができるのは、結局実体を持っている人間だけ。その定めを何者からか託された唯一の存在、それが私たちなのです。
そして、この世界を無事に次の世代へと引き継いでいかなければならないのも、また私たちの役目なのです。
二人はそんな思いを胸の片隅にしまい、まだ見ぬ地を目指して街を後にしました。
おわり
この物語を初めてブログにアップした頃、アメリカのプロレス団体WWEにて、二人の大人気レスラー、ジョン・シナとザ・ロックが初めて激突するということで、大いに盛り上がっていたのを思い出しました。