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幻燈機  作者: stepano
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(Ⅳ)・最終章


 “茶瓶堂”の主人から待望の電話がかかってきたのはその奇妙な雪の降る屋台の出来事から数日たったある日の午後のことだった。

「ありましたよ。三十年代のものです。きっとお客さんのおっしゃっていた品です。」

 あの禿げ頭の顔が電話機の向こうで微笑んでいるようであった。

 その日の夕方、欲と形式の固まりのような会社から早速抜け出すと一直線に“茶瓶堂”へと急いだ。店に着くまでのあいだ私の頭のなかはその幻燈機に会える喜びに興奮した。胸のなかは既に幼い頃の自分の姿が熱く蘇ってきてはち切れていた。

 息を弾ませて“茶瓶堂”の店先に立ったとき富山の骨董品屋の返事を待つのも今日限りでお仕舞いだなと思いつつそのガラス戸に瞬間映った自分の紅潮した顔を確認した。

「いらっしゃい」

 待ち構えていたように禿げ頭の声が奥の方から聞え私の姿をいつ捉えていたのか一瞬不思議な気もしたがこの胸の高鳴りはそんな疑問に停留する余裕などなかった。

 外の寒さから急に暖の入った店のなかに足を踏み入れるとこの洞窟にこの前一回しか来たことがなかったのに馬鹿に今夜は四方のがらくた物が私を歓迎するかのように夢の精があちらこちらで輝いていた。狭い通路の先にやっと巡り合える相手がまるで待ち兼ねているかに見えた。

 “やっと幻燈機に会えるぞ”心のなかにここ数十年あくせくと欲と形式の世界にまみれ、その都度挫折しては疲れ果ててきたもうひとりの自分がもはや遠のいていた。やっと潤いに満ちた正気を取り戻してくれるべく一条の光が貫いていた。まだ確認したわけではなかったが店のなかを進んで行き主人と向かい合う瞬間までその歓喜した緊張はつづいていた。

「これです」

 禿げ頭の主人は用意していた箱を抱えて立っていた。眼は笑い、まるで自分の商魂に勝利するような微笑みを讃えながら私を促すようにして奥へと案内した。

「いやー参りましたよ。それこそ全国中の関係者にあたりましてね…」

 その古ぼけて染みの付いたような小さなダンボールケースの箱を隅の机の上に置きながら彼はその調達した苦労話をいかにも勿体ぶったように自慢するのだった。

「お客さんのおっしゃる三十年代のものがなかなか見つからなくて」

 説明はどうでもよかった。その箱の中身を早く見てみたかった。ダンボールの蓋を開けながら主人はまだくどくどと半分訳の分からないような前置きをつづけ、上気する私はただうなずくだけでやがてそのなかから現われてくる瞬間に固唾を呑んでいた。

「学校関係の…」

 と言いかけた主人の言葉に私の嫌な予感が走り、同時に凝視する眼に取り出されつつある重量感のいかにもありそうな物体の片鱗が写りかけたときそれは果たして無残にも予期したとおりの結果になった。“スライドだ”張り詰めていたものが一挙に崩れ、緊張と落胆が同時に駆け抜けて茫然と立ち尽くした。

気づかない主人は教材用だとか分校のものがどうだとか真空管が云々とべらべらと喋りつづけ私の方を振り返ろうともせず自慢げにその物体を眺めて説明するのだった。

 何という見当違いか。私の求めているものをこの男は全然理解していない。店のなかに先程まで充満していた期待感は急速に褪め、脱力感が全身を覆っていた。

「いかがですか?」

「……」

「これでしょ?お客さんのおっしゃっていたものは」

 やっと振り返り私を覗き込んだ彼の表情にやがて怪訝そうな眼がやがて狼狽する気配に変わっていくのにそう時間はかからなかった。この男の考えていた幻燈機のイメージは昔学校でよく教材用として使われていたスライドにしか捉えられていなかった口惜しさに私は答える気力を無くしていた。私は最初にはっきりとおもちゃと言ったはずだった。幻燈機というおもちゃにあれほどこだわったはずなのにこの男には通じていなかった。学校で使われたスライドではないのだ。

「違ったのですか?」

 急に主人の声が弱くなった。私の表情を見てそれが直ぐに分かったのであろう。

「これではありません。幻燈機と言ったはずですが」

「…幻燈機って、これでは…」

 ふたりの眼が机の上に置かれた三十年代の物体に黙って注がれていた。鈍く輝くそのスライド機のレンズの表面に唖然として眉間に皺を寄せる主人の顔と褪め切って絶望した私の眼が微かに反射するかのように煌めいた。

「これはスライドです」

 私はつぶやくようにして唸った。私の落胆する様子に少しは気を遣いながらも彼はまだ納得のいかない顔をしていた。

「…幻燈機のようなものでしょ?…」

「……」

「違うのですか?」

 話にならなかった。

十歳の私の視覚の根底に今も鮮やかに残っている躍動に満ち溢れた映像は幻燈機というおもちゃであって学校で教材用として使われていたスライド機ではないのだ。この幻想をこの主人にどう説明したらいいのだろうか。

 このとき頭のなかにはまるでふたりの自分が葛藤しながら宿っていた。諦めきれない少年のような自分と説明に絶句する今の私自身だった。そして、例の禿げ頭がまた最初出会ったときのようにきっと眼の前で嘲笑するだろうと想像しながら私は退散するしかなかった。

 机の上に置かれたそのスライド機に背を向けて歩き始めたとき私の脳裏の奥になぜか再び真っ白になったスクリーンが現われやがてそれには光の世界が交錯し始めていた。

 いつかまた…巡り合えるはずだ。

 次に賭ける期待が淡く胸によぎるのを僅かばかりに確認しながら足を運んだとき背中に聞えた声を噛み締めていた。ぶつぶつと呟いていたのはあの禿げ頭の主人だったが聞えてきた言葉は寒い夜の屋台で唄っていたあの女のシヤンソンだった。

 何になるのさ…そんなおもちゃを求めて…





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