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幻燈機  作者: stepano
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(Ⅰ)


その光は暗やみのなかで無類の興奮を湧き立たせ、動く影と散りばめては集約されていく映像に私の幼い空想は小躍りして酔い痴れるのだった。深い闇の世界に迫りくる眩いばかりの光の躍動が十歳の私のすべてを覆い尽くしたのである。

 この思い出は四十を過ぎた現在でも私の視覚の根底に鮮やかに残り、怠慢に欲と形式だけの世界を飽きるほど見つづけてきた脳裏の裏側で片時もその形を変えず静かに息づいていた。もう一度私はその魔性に出会いたいと思っていた。

「幻燈機?」

 骨董品屋の主人は嘲笑に充ちたような顔をして、店先に佇む私を見つめた。

「そうです。昭和三十年頃のおもちゃだったと思うのですが」

 店のなかに無造作に積み重ねられ、まるで蜘蛛の巣の匂いが沁み付いたようながらくた物の山に自分の声が妙に渇き切って響くのを感じながら、それでも怪訝そうに見つめつづける主人の眼と次に反応する言葉を私は真剣に追った。

「そんな子供のおもちゃの類は…」

 歳の頃ならこの主人と私はそんなに変わらないと思った。しかし、彼の眼には最初から軽率な商いの対応がにじんでいて私の数十年にわたる秘かなおもちゃの執着心など理解する余裕など持ち合わせていなかった。

「扱ってないですねぇ…」

 冷たく返ってきたその言葉に予想してたとはいえ、私の小さな期待が音もなく遠くに消え去っていくのを感じた。同時に自分の脳裏の遥か片隅に居座りつづけていたその“光”への憧憬の精がそれによって次第に激しく砕かれていくような音を聞いた。

 私はわざとらしく辺りを見渡しながらこの店に並ぶ骨董品の種類を確かめるかのようにしてうな垂れるしかなかった。

「昔のおもちゃなんて今日々どこも扱っていませんよ」

 まるでそれは皮肉っぽくそして冷淡にも個人の感情のなかへ鋭く無遠慮に突き刺さってくる響きを放っていた。

 頭の禿げたその主人は最初の一瞥からして愛想が悪かったが大体、骨董品屋の親父というものは何かしら客を逆に品定めするといった横暴さがあった。しかし、この場合私は骨董品を売りに来たわけではない。

「懐かしい代物なんだがねぇ」

 傍にあった煤けた古時計の文字盤を眺めながら私はわざと気落ちするようなため息をもらし、反面彼の商売の裁量をいかにも評価するかのようにふるまった。

「ブリキ製だと時価、一億は下らない。マニアの間だとそれこそ血眼になって探しているんだろうなぁ」

 私は大ウソを打って出た。この独り言はまさに詐欺罪に似た仕掛けといえたがその主人の“おもちゃ”に対する偏見と絶対ありえないと豪語した高慢な態度に何か反抗してみたかった。

 しかし、一億円という数字はまんざら出任せではなかった。先週、わざわざ富山まで出かけ骨董品の老舗と呼ばれる館の主人から聞いたあるおもちゃの話を思い出したからである。

 ひととおり店のなかを調べ尽くした私はここのがらくた物の品々のなかにはおもちゃらしきものがひとつもないことを改めて確認しながら、やはりここには自分の求めているものはないことを悟らざるを得なかった。この店に陳列されているこれらのものには自分の求めているおもちゃと同じようにその形や色のなかに確かにその古き経年の漂ってくるような懐かしい匂いがあるにはあったが今の私の求めている種類そのものではなかった。私はあの十歳の時の歓喜に奮えあがった光の衝撃にもう一度出会いたかった。私の視覚の根底にその鮮やかな光の映像を刻み込んだ“幻燈機”というおもちゃに再会したかったのである。

 禿げ頭がいつのまにか私のすぐうしろに突っ立っていて追い出そうとするのかそれとも先程の私の独り言が気になったのかその影はじっとしていて、やがて張り詰めたその一瞬の沈黙のなかに私は彼が何かを言い出そうとしているような気配を背中に感じた。

「そんなおもちゃが一億円もするって初耳だなぁ。本当ですか?お客さん」

 案の定、その主人は最初の無愛想な表情を一転させ、私の話に半分興味を持つような素振りを見せたのである。

「マニアの間ではそうらしいようですよ」

 私は自分が求めている幻燈機のことではないことを知っていた。しかし、敢えて弁解しょうとは思わなかった。あくまでもたかがおもちゃでも品物によってはそれだけの値段のすることをこの禿げ頭に言ってやりたかった。 

「ブリキ製のものがですよ。ただし」

 ようやく諦めの決心が胸中を占め、私は再び彼に背を向けて入口の方向へと歩んだ。足元に並べられたつるつるした火鉢の表面に電灯の光が眩しく反射し、立ち去ろうとする自分の影がその上をゆっくりと移動していった。

「あの、…」

 店から出ようとした私をその禿げ頭の主人が呼び止めた。最初の嘲笑の表情は彼の眼からすっかり消え、その仕草のなかに一変した主人の態度が読み取れた。

「そのおもちゃのことですが、ちょっと調べてみましょう」

 振り向いたまま私はその店先で佇み、先程とは別人のように変貌したこの主人の顔を眺めるのだった。一億円が効いたのか執拗に固執する私の態度を気に留めたのか。何れにしても私はこの時再びあの暗闇のなかで光が生き、その鮮烈な画像を映し出すおもちゃに対しての憧憬の精が再び少しずつ疼きだすのを感じた。

「時間を戴けますか?」

 禿げ頭の主人はそう言って軽く会釈をしたふうに見えたので私は咄嗟に連絡先替わりに名刺を渡した方がいいと思い、上着の内ポケットをまさぐりながら生返事をして、「それじゃ、お願いします」と彼に自分の名刺を差し出した。

 店を出るとき入口のすぐ傍にあった例の古時計の文字盤が私の眼のなかに飛び込んできてその主人の言葉に微かな期待感が走るのをその振り子を収めたガラスの上によぎった。


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