九十三.戻る生、消える生、だれのせい
あたしは目を開いた。
んだと思う。
でも真っ暗で何も見えない。
覚えている最期は。
親友のキーちゃんの髪。撫でた時のいい匂い。抱きしめた体。その柔らかさ。
それを胸に抱いたまま、あたしは意識を闇に落とした。
はずだった。
なんで意識があるんだろう。
もしかして魔の王笏になった後も意識は残るのだろうか。
いや、そんな話は聞いた事がない。
とは言っても一千年に一度、王笏になった魔族のサンプルなんてないに等しいんだから、もしかしたらあるのかもしれない。
それになんだかいい匂いがする。
汗と酒とインクと紙と埃の混ざったような匂い。
本当なら嫌な匂いなんだろうけれど。
あたしにはいい匂い。
これは間違いないガッちゃんの匂い。あたしがこの匂いを忘れるわけがない。
あーもしかして人魔の王笏になって一つになると相手を感じられたりするのかな?
だとしたらすっごく幸せなんだけど。
なーんて、そんなわけないかー。
我ながらご都合主義の思考に呆れ果てて寝返りをうった。
ぼすんと。
手が何かに当たって音がした。
寝返りをうって、手がぼすんと何かにあたる?
そんな馬鹿な。
あたしは今はモノのはずだ。肉体も精神も無機物へと捧げて、世界を救うシステムの一部になったはずだ。
「なんで!」
感情そのものが言葉になった。言葉は音となって、音は波になって、波は鼓膜を揺らして、あたしの脳に届いた。どういう事だろうか。あたしは肉を持っている。肉が精神を持っている。
生きている。
開いた目は闇になれ、今までは見えなかったモノが見えてくる。
うっすらとだが、目は開いたのだ。
かろうじてわかるのはここは室内である事。あたしはベッドに横になっている事。ベッドは質素で王城で寝ていたようなものではない。
ポスポスとベッドの上を手で探れば硬くて温かい何かが手に触れた。
さらにポスポスとしてみると、そこから立ち上る匂いが鼻腔をくすぐった。
さっきも感じた匂い。
ちょっと汗くささが強いけれど。
あたしの大好きな匂い。
思わずあたしはそれに抱きついて。
顔を埋めて。
思いきり息を吸いこんだ。
埃っぽい掛け布に思わずむせそうになりながら、それでも絶対にやめない。
夢だろうが現実だろうがそんなの関係ない。
むしろ夢なら好都合。こんな事、三十年間で一度だってさせてもらえなかった。せいぜい店で酔っ払ったガッちゃんが突っ伏してカウンターで寝ている時に頭の匂いを嗅いだくらいだ。あれは臭くていい匂いだった。
もういいんだ。あたしは一度死んだ。でもなぜか生きている。それがなんだろうと、ここがどこだろうが、ガッちゃんといる時間と場所こそが、あたしにとっての幸せなのだ。ガッちゃんが王笏になる覚悟をしていたから、あたしも王笏になったのだ。重かろうが怖かろうが。
あたしは尽くす系のサキュバスなんだ。
「んぅ」
荒ぶる感情のままに首筋の匂いを堪能しすぎたせいか、寝ていたガッちゃんが目を覚ました。体温があったから生きているのはわかっていたけど、よかった、ただ寝ているだけだった。
「ガッちゃん、ガッちゃん、起きて」
「あぁ、サターニア、閉店か……すまないがもう少しだけ寝かせてくれ……今日は徹夜で文献を読んでいて眠かったんだ」
バカね。
ここがお店だと思ってるのかしら。
でも懐かしいわ。昔もこうやってカウンターで寝ているガッちゃんを起こしたわね。ふふ、寝たら中々起きないのも変わってないのね。ガッちゃんが王妃を娶ってからはこうやって二人きりになる事も少なくなったわ。
「何を言ってるのよ、ガッちゃん。貴方があたしをここまで連れてきたんでしょう? 異世界との戦争は終わったの?」
王笏になった人間が元に戻れるという話は聞いた事がないけれど、それでもあたしが元に戻って、隣にガッちゃんがいるって事はきっと元に戻れる方法があったんでしょう? 狸さんあたりかしら? ほんとに規格外の狸よねえ。キーちゃんもすごい狸を好きになったものねえ。
世界の救世主だものね。
今頃はきっとみんなに祝われてしっちゃかめっちゃかになってるんじゃないかしら。
のんきな狸の姿が脳裏に浮かんで、ふふと笑ってしまった。
狸を祝福するように窓から月明かりが差し込んで。
室内を照らした。
音のない世界。
白と黒だけの世界。
「……異世界」
そうね、まるで異世界みたい。
ようやく目が覚めたのか、ガッちゃんが目をシパシパとさせて、ベッドの上に座っているあたしの顔を見つめた。なによ、その顔、長年の付き合いのあたしの顔でも忘れたっていうの? なら思い出させてあげるわ。
「おはよう、ガッちゃん」
あたしの渾身の微笑みよ。
貴方にサキュバスの魅了は効かないでしょうけど、素のあたしの魅力に魅了されているのは知ってるわ。
お互い初めて会った時にわかっていたわ。
運命だもの。
「サターニア」
あたしの名を。
呟いたまま。
ガッちゃんは固まって。
スルスルと涙を流した。
涙は重力にしたがって、寝ているガッちゃんのまなじりへと流れるが、加齢で乾いたガッちゃんの肌は、涙をはじけず、涙の跡だけが水を吸い込み、それが道になり、そこをまた涙が通っていく。
「あら、ガッちゃん、怖い夢でも見たの?」
可愛いわ。
あたしはその髪の毛をあやすように撫でる。
「良かった。俺はお前を取り戻せた」
「ふふ、あたしはずっとガッちゃんの女よ? 知らなかった?」
「知っていた。だが、な……俺はそれを何度も手放した」
「あら? あれで捨ててたつもり? そういうプレイだと思ってたわ」
「は、そう言いながら泣いてたじゃないか」
「そうだったかしら? 女には秘密が必要なのよ。あ、秘密といえば、そうだわ。ガッちゃんにはずっと秘密にしていた事を教えてあげる」
結ばれない運命だとわかっていたからずっと秘密にしていたあたしの名前。
本名で別れるのは悲しすぎたから。
せめて他人として別れたかったから。
貴方には秘密にしていたユーリという名前。
でも。
一度死んで。
生き返って。
こうやって貴方といれるのなら。
もう教えてもいい。
「あたしの本当の名前はユーリっていうのよ。これからはそう呼んでね」
「ユーリ」
「そう、いい名前でしょう?」
「ああ、美しいお前に似合う、いい名前だ」
「ふふ、ほめてもお酒はサービスしないわよ?」
「その名前をお前から聞けただけで……俺は満足だ……俺は……お前を……取り戻せ……」
「ガッちゃん? どうしたの? 急に目を閉じて……まだねむかった?」
最後まで言葉をいう事なく、再び目を閉じたガッちゃんの肩をあたしは揺すった。
完全に力が抜けていてグラングランと揺れる体はまるで抜け殻のようで。
いくら揺すってもガッちゃんの体からは大好きな香りがする事はなかった。
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