八十六.死んだ街だとヤンデの涙
「ガッチさん、いない?」
狸の姿に戻り、王城の片隅で二匹で身を寄せ合って一夜を明かし。
おなじみの貴族牢に戻った僕らがまず最初に気づいた異変がそれだった。
「あれ? 魔の王笏もいないですよ?」
次にキンヒメが気づいた異変がそれだった。
「おかしいねえ、ヤンデの所にでも行ってるのかな?」
「でも、鍵も開いてませんよ?」
「うーん、とりあえず、人間の姿になってヤンデの所に行ってみる?」
「そうですね、行ってみましょうか?」
「そうしようか」
僕らは貴族牢から王城の中枢へ向かった。
その途中にも誰もおらず、城は閑散としており、どことなく不穏な感じではあったが、ここまでは平和だった。
◇
僕らはヤンデの執務部屋の扉をノックもせずに開ける。
だって扉の前には護衛もおらず、室内に侍女の気配もないのだから。
気配察知でわかる。執務室にはヤンデしかいない。
扉を開ければ案の定、ヤンデが一人でカリカリと書類にペンを走らせていた。
「やあ、僕だよ」
その姿がなんだか鬼気迫っていたのであえて呑気に声をかけてみる。
僕の声にヤンデは頭を上げ、こちらを見て、一瞬戸惑ったがすぐに満面の笑みを浮かべた。
そしてそのままの勢いで執務用の椅子から立ち上がり、僕の眼前まで駆け寄ってきて叫ぶ。
「リントじゃあ! はああ、昼日中の仕事中にリントが現れるとは、わらわも大分と、疲れているようじゃ。肩もガッチガッチじゃし、目もしょぼしょぼするのう。街中の異変に対応してほぼ寝れておらんからなあ。これはきっとすでに千年一年戦争が始まっておるのだろうが。一人ではこれが限界じゃあ。サターニアもいつの間にかいなくなっておったし。ああ……一人は寂しいのう。でもわらわがやらんといかんからのう。まあ、よい、わらわにはリントがおる。さあ、概念のリントよ、早くわらわの疲れを癒してほしいのじゃ。いつもみたいにほら、耳を齧って引っ張ってくれええ。わらわに痛みと快感をお。そこから殺意でわらわを縛っておくれ」
途中に色々と表情や感情を変えながら、一息でここまで喋ったヤンデは、最後に目を閉じて唇を突き出しながら胸を張った。
うわあ。
これはこじらせてるなあ。
僕がやった事とはいえ、随分と業の深い事をしてしまったかもしれない。
隣を見れば、流石のキンヒメも同情気味の目でヤンデを見ている。
「あのさ、ヤンデ。僕、本物のリントだよう」
だから痛みと快感は与えられないよう。
本物、と言った。
僕の言葉にヤンデはキョトンとしている。
「ヤンデ? 大丈夫?」
「本物、の、リントか?」
「うん、そうだよう」
肯定する僕の言葉に。
ヤンデの顔から喜色が消えた。
よく見れば目の下にはびっしりと隈がこびりついて、髪も若干乱れて、肌の色も生気を失っている。
本人が言っているようにどうやら疲れているようだ。
「確かに呑気にしゃべっておるなあ。概念のリントはもっとこう、なんかかっこいい感じに喋るからのう」
ほけっとしたヤンデの口から無感情に漏れた言葉。
え? 喜んでない? もしかして僕、概念の自分に負けてんのう?
ショック。
「ええー、僕いらない感じなのう?」
それなら用事だけ済ませて帰るよう。
プイッと若干スネ気味に言った言葉。
そんな僕を見てもヤンデはほけっとしたまま。
空虚に開いた口から言葉が漏れる。
「……そんなワケないじゃろう」
そう言った言葉は変わらず無感情だった。
表情も声と同じ。
無表情のまま。
だけれど。
そんな状態にもかかわらず。
ヤンデの目からは、大粒の涙が溢れ出し、滝のように頬へと滂沱と流れていた。
泣いてるうう!
「ちょ、ヤンデ! どうしたのう!?」
情緒が、情緒がぶっ壊れてるよう。
思わず僕はキンヒメがいるというのに、ヤンデに駆け寄ってしまった。
ヤンデはまるで陸で溺れているかのように、駆け寄った僕の腕に腕に縋りついた。
口ははくはくと開いては閉じて。
伝えたい言葉が全部同時に溢れ出して、その言葉を音に変えられない状態になっている。
僕は一旦キンヒメをチラッと確認する。
キンヒメは無言で頷いた。
許可が出たので僕はヤンデを優しく抱きしめる。
落ち着くように。
落ち着くように。
ゆっくりと優しく包み込むように。
そうやってただ無言で赤い髪を撫でた。
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