八十五.逢魔ヶ時、王と魔とが、逢うのだと
俺は月明かりに黒鉄の鉄杖を掲げた。
光に照らされたその姿は前世と同じ様になんだか艶かしい。
これが。
俺が唯一惚れた女だ。
一目惚れだった。
あの日、ドリースダンジョンの近くで出会った。死にかけのサターニア、いや、本名はユーリ、って言うんだったか? 最後まで偽名で通すのもお前らしい。なあ、懐かしいな、お前が俺に恋に堕ちたのがわかったように、俺もお前に恋に堕ちたのはわかってたろう?
あの一瞬だけは運命だと思ったよ。
でも、な。
俺は王族で、お前は魔族だ。
身分どころか、世界すら違ったんだよな。
運命ってのも残酷だよな。絶対に一つになれない者同士を運命で繋ぐなんてよ。
本当はあそこで別れておくべきだったんだろうな。
お前はあそこでのたれ死んで、俺は王族として何食わぬ顔で役目を果たす。
それが正解だったんだろうよ。
だけど、それでも離れられなかった。
馬鹿な俺が、命を助けるって名目で保護して、王国に連れ帰り、金を渡して小さな酒場を開かせた。それくらいの金は王太子だった俺でも出せたからな。しかもしっかりと繁盛させやがって。スポンサーの俺が夜中にコソコソ飲みに行くしかないってどういう事だよ。
ふう。
アレから三十年、か。
「お前も馬鹿な女だな」
言葉にしても伝わるはずのない感情だけれど、つい言葉にしたくなってしまった。
だってよ、俺なんかを追っかけて、こんな真っ黒い棒っきれになっちまってよ。
お前の人生はなんだったんだよ。
俺なんかを愛して。俺なんかを追っかけて。
最期は棒っきれか?
笑えねえ。でもな、俺の人生だって笑えねえ。
だってよう、人生でただ一人惚れた女をこんな姿にさせちまって。
好きだった学問も中途半端で、王族の務めで好きでもない女と結婚して、それでもなんとかちゃんと家族を作ろうと思った矢先に王妃は死んじまってよ、息子は国を取らせるには怠惰が過ぎて、娘は嫁に出すには女傑が過ぎて、丸く収めるには俺が牢に入るしかなくて、息子を婿に出すしかなくて、娘に憎まれるしかなくて。
もうちっと器用にやれなかったもんかね。
「あの時に。あの出会った瞬間の感情のままに。お前をさらって逃げちまえば、何かが変わってたのかね?」
そんな俺の空虚な問いかけに。
杖が答える。
『変わったさ。そして今からでも変わるさ』
いや、杖じゃない。
声は俺の頭の中でからしている。
なんだよ、ついに俺はくるっちまったのか?
……まあいいさ。
「は、誰だよ、無粋だぜ。恋人同士の二人っきりの逢瀬に口をはさんでくるなんざよ」
頭の中の声に返事をする。
早く消えな。
『お前は、後悔しているのだろう?』
全てを見透かすような声。
「……してねえわけねえだろうが」
それと同時に神経を逆撫でするような声に、つい苛立って本音がこぼれてしまう。
『なら、取り戻せば良い』
甘く囁き誘う声。
「できない」
できるわけがねえだろうが。
俺とサターニアには世界の運命が乗っているんだ。王族の俺がそれを投げ出せるワケないし、サターニアはすでに生を捨ててしまっている。
「できるぞ。我らは魂をすでに操る術を持っている。女の魂を戻して、肉体に返すなど造作もない」
魔法、いや、魔法ですらない。
この世界の魔法ではまだ魂に干渉する魔法はない。サターニアの持っていた精神感応がそれに近いと思っていたが、それでも魂を制御する方法はなかった。
となれば。
この声の主人は大体想像がつく。
「できたとて、俺は王族だ! 侵略者の道を封じる役目がある」
お前らのような輩からだ。
そのために俺は生きてきた。そのために全てを犠牲にしてきた。
「だが、その役目で、お前は最愛の女を、喪った」
「……」
サターニア。
俺の手の中にある。最愛の物言わぬ女。
「その役目でお前は人生を失った」
「……」
学問。
歴史、魔法、世界樹の秘密、異世界の可能性を探求する生活。俺の憧れだった。
「それを少しだけ返してもらって何が悪い?」
「……」
何が悪いのか。
悪いだろう。
……いや、悪いのか? そうか、悪くないのか。俺の人生を少しだけ返してもらうだけだ。俺はもう十分やっただろう。王に一番最適な娘を王妃に産んでもらって、それに正しく王位を譲った。
そうだな。
もういいのかもしれんな。
「お前に何ができる」
俺に何を返せる?
「その手の中の鉄杖には魂がある。その魂を人に戻す術が我にはある。魔を人に変える術もある。人の魂を長らえる術もある。お前を最愛の女と未来永劫添い遂げさせる術が、我らには揃っている」
つまりは俺の望んだ全てがある、と。
「条件は?」
わかっている。
「この世界だ」
だろうな。
この日、俺は女の代わりに世界を売った。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
世界を救う物語が始まりました。
まずは敵側に有利な展開で進んでおります。
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