七.陽炎と僕の弟
野原を行く。
僕は上機嫌だ。思わず鼻が鳴ってしまう。
何せ前世ぶりに二本足で歩いているのだ。
この二本足で歩く野原というのは何より視点が高くて良い。もちろん狸の地を這うようなあの低い視点も疾走感があって好きだが、この二本足で歩くという事はこと散歩にかけては格別だ。
今なら宿敵レッサーパンダにも勝てるかもしれないな。
前世のあのこまっしゃくれた劣等パンダを思い出すと思わず狸の血が騒いでしまう。
立ったくらいでなんだってんだ。絶対に狸の方が可愛いだろ。
ん。と、まあ。諸々の問題点はあるが、化け狸になって、まずはよかった。長い話には辟易するし、キンタが大きくなる問題も解決しなければならないが、おやじに感謝だな。
感謝はしているがあれ以上話は聞いていられない。
それが狸だあ!
せっかく変身能力を手に入れたというのにこれをほっといてあの長話に付き合う道理などない。だから忍術まで使ってあそこから抜け出したんだ。おやじが騙された事に気づいて戻ってくる頃には僕はそこにいません。存分に泣いてください。
というわけで、僕は今、野原にいます。
狸しかいないラクーン808では変身したって狸から狸になるだけ。
使い道なんてせいぜいママンに変身しておやじを騙して揶揄ってバカにして遊ぶくらいしか思いつかない。
あれ?……それも結構アリかも。
ま、いいか。
どうせなら強い系の魔物に変身できるようにしたいよねえ。
おやじは変身方法を教えてくれると言っていたが。
僕にはもうわかっている。
あのおやじの不快な口づけ。
僕の初めてを奪ったあれ。
あれがこの変化能力の要だろう。
おやじの口づけは僕から何かを吸い出して何かを戻していた。吸って戻される毎に自分の細胞が変化していくのを感じた。
あれを一旦化け狸細胞としよう。そしてこの変身能力はこの化け狸細胞を変身対象に合わせて変化させる事によって変身するのだと思われる。
だから変身するには変身する対象の構成情報が必要だ。でないと細胞をどう変化させていいかわからない。そしてこれもまた口づけで抽出する事ができる。
これが僕の変身能力に対する解析結果だ。
狸になってもやっぱり知らない能力を解析するのは楽しい。前世における忍者の世界は、トラウマを植え付けられたりして嫌ではあったが、これでも僕は一応サラブレッド天才忍者で、さらに言えば忍術の解析は仕事抜きで趣味みたいになっていた。
夜寝るのが怖いからって、よく敵対した忍者の術を解析して奪って、自分のものにしてたなあ。
思い出すよ……ああ、あの血統忍術を奪われた時の彼の顔は最高だったなあ。
って。
ああ……
ダメダメ! 僕はもう狸になったんだからもっとのほほんとしなきゃあ。
これじゃあブラック忍者時代とやってる事が変わらない。せっかく怠惰な狸になって夜も眠れるようになって良い事三昧だったのに。あの頃には戻りたくない。
僕は頭をぶるぶると振った。
「さてさてえ。えものお、えものはいませんかあ?」
可愛い感じで言ってみる。
しかしながら、二本足で歩いて、イヤな殺気を放つ狸に近づくバカは数少ないだろう。
「にいちゃあん」
そんな数少ないバカが背後から僕を呼んだ。
この間延びした声は末の弟、リケイだ。
「リケイじゃないか、どうした?」
「どうしたじゃあないよう。おやじの話の途中でいなくなるからついてきたんだよう?」
「いやいや、ママンに呼ばれて話の途中でいなくなったのはおやじだろう?」
「あれだってにいちゃあんの狸忍術じゃないかあ」
「バレてたか、でもお前だって寝るくらい退屈だったろう?」
「あーあれはあ、にいちゃあんに教わった『狸忍術 狸寝入り』の練習だよう。よくできてたろう?」
「お、まじか? あれにはにいちゃんも騙されたな。上達したじゃないか」
「へへ」
バカっぽいが真面目で可愛い弟である。
これぞ狸だよな。
見習わないと。
「でえ? にいちゃあんはここでなあにしてるのう?」
「ああ、変身能力をおやじからもらっただろう? それの変身する対象を探しにな」
「あれかあ。にいちゃあんはあんなのをよく貰おうと思ったねえ。ぼくはおやじみたいになりたくないよう? せっかく仲良くなったのにあんなのになったら、リーサちゃあんに嫌われちゃうよう」
は?
リケイはいつの間に隣のお家の美狸、リーサちゃあんと仲良くなっていたのだい?
にいちゃあんは聞いてないけど? とぼけてるようでやる事をやってるの。
さてはこいつ狸の鏡か?
でもなんか悔しい。僕はおやじとしかチュウした事ないのに。
うっ。まだほっぺが生臭い気がする。
忘れよう。狸に噛まれたと思って。
「……まあ、リーサちゃあんは置いておいて、正直そこらへんの話、全く聞いてなかったんだよな。ほんとにおやじみたいになるのか?」
「おやじはそう言ってたよう? 化け狸細胞の基本設計図に従って姿が変化するんだって」
「あ、やっぱり化け狸細胞っていうのね? そうかあ……」
まあ安直だよね。じゃあ略称はBD細胞できまりだな。中身はさておき、なんかかっこいいだろ。
「でも虎になったりするのはすごおいよねえ」
「そうだな、俺も強そうな奴になりたいからさ。なんか強そうなやつがいると良いんだけどな」
「あてはあるのう? にいちゃあん」
「それを今から探すんだよ」
「どうやるのう?」
「ま、見てな」
狸の聴覚、嗅覚は人間よりはるかに優れている。
これだけでも周辺の気配察知に優れているのだが、さらに僕には忍術がある。脳のリミッターを解除して鼓膜と嗅細胞で受容したアナログデータを増幅して神経に叩き込む。
すると、人間だった時とは比べ物にならない位の能力を発揮できるようになり、大体、これで坩堝の森の中のラクーン808のナワバリをはるかに超えた範囲の気配察知が可能だ。
印を結んで脳のリミッターを解除する。そしてその部分に音と匂いの増幅装置を担わせる。
よし!
「狸隠神流忍術! 円索!」
息を大きく吸い込み。
耳を立てピクピクと動かして360°あらゆる方向を向ける。
そうやって吸い込んだ空気。
そうやって取り込んだ音。
それら全てを増幅して、アナログデータとして脳に叩きこむと。
統合された情報としてそれが視覚へと変換される。
その見え方を簡単に言えば生物が赤色の塊で景色の中に表示される。
前世でいう所の拡張現実を自分の脳みそでやる感じ。
と言っても、広範囲に存在する全部の生物を視界に表示してたら視界が真っ赤に染まって何にも見えなくなるから、表示する対象は一定以上の生命力が優れている生き物、簡単に言えば強い生き物のみにフィルタリングしている。
つまり表示されるのは変身対象に相応しい強え奴って事。
お、いたいた。
「見つけたぞ、リケイ」
「にいちゃあん、ほんとかあい?」
「ああ、ここから北に少し行った所だ。どうする? お前も行くか?」
厳しい戦いになるかも知れねえぜ、覚悟を決めなよブラザア。でも安心しな、ぜってえ僕が守るからよ。
「あ、ぼくはリーサちゃあんとデートだからやめとくよう」
ん? いまなんて言った?
「え? あ、そう? デート?」
デート? デートって何? 僕もした事ないよ? 前世でもした事ないよ? あれあれ?
「うん、デート。約束してたんだ。じゃあね。にいちゃあん」
僕の戸惑いなどお構いなしに、リケイはそう言うと、ふっとい尻尾とまあるいお尻をふりふりとラクーン808のある方向へと戻って行った。
え? 待って! ていうかさ! 普通ここはついてくる流れじゃないの?
にいちゃあん寂しいよ! ブラザアとか心の中でドヤっちゃったよ!?
僕はパッカン開いたお口でリケイの後ろ姿を見送る。
動作のゆっくりとしたリケイはまだ僕の視界の中でお尻をふっている。
土から立ち上る陽炎が、そんな僕の弟の姿を歪ませる。
あれえ? おかしいなあ。
まだ陽炎が立ち上るような季節じゃないのにさ。
いいもんいいもん! 僕は僕で強いやつに変身してやるんだから!
踵を返し、北を向く。
モヤッとした感情を置き去りにすべく、僕は四本足で北へと駆け出した。
そんな僕の軌跡を示すように小さな雫がキラリと煌いている事には気づかないフリをするんだ。
ちくしょうめえ。
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