六十.酒、泪が何て言おうと惚れないんだ
どうやら狸の忍者さんはあたしの護衛を引き受けてくれたらしい。
良かった。
本当に良かった。
彼が護衛を受けてくれなければ、ほんとに決死の覚悟で坩堝の森を抜けて、断罪連峰を飛び越え、絶望海峡を渡らなければならなかった。
それはつまり、坩堝の森で鳳や大蜘蛛や熊やら狼やらとやり合って、切り立った崖から飛び出してくる岩窟ミミズを避けながら、それを登って下りて、水の体積より巨大水棲生物の体積の総量の方が多いのではないかと思えるほどの絶望海峡の上を飛んで、やっと魔族の世界に辿り着く。
うん。
絶対に命はなかったでしょうね。逆によくあたしはここまで辿り着けたわ。
若さってすごいわね。
だけれど、彼の護衛があったとて、魔族の世界へ帰るまでには相応の日数がかかるでしょう。
魔王決定戦の日程までに間に合うかしら。
まあ、間に合わなかったら、魔王になったヤツをいわしてやればいいだけなのだけれど。
護衛を快諾してくれた狸さんとその奥さんにしっかりとお礼をした後。
あたしはガッちゃんの牢の中に入った。
彼ともかれこれ長い付き合いだ。
きちんと別れの挨拶くらいはしておきたい。
そんな気持ちで目の前のおじさんを眺める。
年をとった。
出会った頃はあんなに赤い髭なんて生えてなかったものね。
今はそれが気に入っているのか、感情が動いた時なんかに、その髭を口ごと撫でる癖がある。
そんな男。
「ガッちゃん、久しぶりね」
一人の牢獄に二脚ある椅子。
その片方にあたしは腰掛ける。
「よう、サターニア、相変わらずそうだな」
ちらっとこちらを見て、すぐに視線は酒盃を持った手元に戻る。
「そうねえ、あたしは変わらないわね。でも聞いてたと思うけどそろそろ王城からお暇するわー。三十年前にここで雇ってくれてありがとうね、ガッちゃん」
命からがら坩堝の森を抜けたあたしは、三十年前にたまたまダンジョンの視察に来ていたこの王様に拾われた。チャラチャラした赤髪の優男だと思ったが命には変えられないのでそのままついて行ったのだけれど、まさか王様だったとは思わなかった。
それ以来、あたしはこのアークテート王国で侍女をしながら人間の恋を見守ってきた。
楽しかったわぁ。
でもね、それももうおしまい。
あたしは役目を果たさなければ。
目の前の男のように。
「かまわんさ、お前は見てるだけでも眼福だったからな」
そう言ってわざとらしくあたしの胸を見てくる。
ふん、普段は絶対に視線を投げてこないくせに、露悪家ぶりたい時だけは利用する。欲望の吐け口にされるよりも気に入らないわあ。あたしはサキュバスなんだからちゃんと欲望を投げて欲しいものよね。
あたしには全部バレているんだから。
「ふふ、そういう事してるから、おひいさまにクーデーターをおこされるのよ?」
「は、だからよ、あれは俺としては禅譲のつもりだけどな。ここからくる戦争に備えられんのはヤンデしかいねえだろう?」
ほんとに馬鹿な男。
おひいさまだってちゃんと説明されれば実の父親を牢獄に軟禁する事もなかったでしょうにね。
「あら? 割とちゃんと未来を見てたのねえ?」
「あったりまえだろうが? お前がここに来たのも、ここから去るのも、同じだろうが?」
そうね。あたしも知ってる。あなたも知ってる。
あたしとあなたは同志なんだわ。
そんな風に。
言った事も、言われた事も、思われた事も、ないけれど。
「ふふ」
だからあたしはただ笑う。
「は、答える気はねえ時に笑って誤魔化す癖は変わんねえな」
「秘密は女を豊かにするのよ? こんな風にね」
軽く自分のボディラインをなでて魅せる。
ねえ? 最後くらい許してあげてもいいのよ。
「は、秘密でそんな肉感がつくワケねえだろうがよ」
いらんとばかりに、酒盃とは逆の手をヒラヒラと動かす。
「あら、粋じゃないわね? 昔なら笑ってお尻を撫でてくれたのに、さ。老いたわね」
「ん、そういう事をしてたら娘からクーデーターを食らったからな。反省してんだよ」
わざと、ね。
娘にクーデーターを起こさせるためだけに、露悪的に振る舞っていたらそれが地についてしまった可哀想な王。
「ふふ、粋な返しだけは健在ね。安心したわ、ここから先、おひいさまも大変になるんだからちゃんと助けてあげるのよ?」
生まれた時から見てきた可愛い娘。
あたしがいなくなっても陰から守ってあげてほしい。
もうあたしは見守れないから。
「おう、お前みたいなババアに言われなくてもそのつもりだよ」
もう!
誰がババアよ!?
人間とは違うのよ、魔族は。
あたしなんて魔族の中ではまだまだひよっこ。ババアなんてとんでもないわ。
そもそもサキュバスなんて種族は、魅了する事がアイデンティティなんだから、容姿が衰える事はないのよ。
まったくほんとに。
誰もがあたしに見惚れるってのに。
つまんない男。
もう、いいわ。
「あたしにババアって言って許されるのは貴方くらいよ。じゃあね、お互い生きてたらまた会いましょう」
これ以上、ここには居たくないわね。
「おう、息災でな」
最後の挨拶までさっぱりとしているのね。
こんな時にあたしの手をとらない男なんて、これ以上もう顔も見たくないわ。
バイバイ。
次に会う時にはお互いがお互いをわからないでしょうけれど。
その時まで元気でいるのよ。
あたしの王子様。
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