二十二.良い匂い森を彷徨い
人間の姿をゲットしてから数ヶ月、人間の体の使い方にも慣れてきたある日。
僕は決めた。
「おやじい、僕ちょっと人間の世界に行ってくるねえ」
そう、人間の世界に行くのだ。ここ最近、人間の体に変化した状態で、前世の記憶にある動きがある程度できるようになったのだあ。
つまりはこれで人間の世界に向かう準備は万端に整ったという事である。
そこで。また無断でいなくなると色々心配されるかなと思って今日はおやじに出立を告げにきた。
えらい。狸えらい。
しかし言われたおやじは戸惑っている。
「は? 人間の世界? 意味わからんぞ。まあ、リントが意味わからんのはいつもの事じゃからいまさらどうこう言わんが、いつ行くんじゃあ?」
「ん? 今日だけど?」
狸は気まぐれなのよう。
「いやいや、待て待てえ、今日は無理じゃあ」
なんで?
「なんでえ?」
「言ってなかったか? 今日はリントの婚約者がラクーン808にくる日じゃあ」
は?
「聞いてないけど?」
「そうじゃったか? うっかりうっかり、じゃなあ」
おい、おやじ。
「流石にお気楽な狸社会でもさ、婚約者の話は事前に話しておくべきでは?」
ぶわりと毛が逆立つよ?
「……おい、殺気を漏らすな。俺じゃなかったら気絶するじゃろうがあ」
安心してえ、おやじ以外にはこんな事しないから。
だって自分の婚約者がくる当日に婚約者がいる事を知らせる事ができるのはおやじだけだからねえ。
「大丈夫。せめておやじの親友の姿でヤってあげるから安心してえ」
「おい、やめろやめろ! お前が言うと洒落にならんのじゃあ」
うん。
「洒落、じゃあないからねえ」
「もっと悪いわあ。すまん、すまんかったあ。ちゃんと可愛い狸じゃから安心せえ」
おっと。
僕も思春期狸。その言葉、聞き捨てなりませんなあ。
「可愛い?」
「お、おう。ヒメとは違って可愛らしい感じのメスじゃあ」
ママンはキレイ系だからねえ。
可愛いかあ。会った事ないなあ。うちのメスってどうにも派手なんだよなあ。
そうかあ、可愛いかあ。
……おっと、危ない。誤魔化されそうだ。
「だからと言って、おやじの罪は消えないよう」
「ぎゃあ、お前は狸のくせにしつこいのじゃあ。そもそも原因はお前じゃあ。オリョウが何頭もメスを紹介してくれたというにの、それらのメスとお前がちっとも仲良くならんから、俺が親心でラクーン18GLDとの縁談を結んでやったんじゃぞう。こうでもしなかったら嫁取りもできんじゃろうがあ。少しは感謝せえ」
う。
それは言ったらダメだよう。
だってメスと何を話していいかわからないんだよう。
しかもオリョウが紹介してくれるメスってなんか派手だし怖いんだよう。
「……それは確かに……そう、だけどさあ」
「ラクーン18GLDで一番可愛いメスらしいぞう」
「……くう」
姑息な。
おやじめえ、古狸みたいな真似しやがってえ。
あ、そういえば、齢八十年の古狸だったな。
化け狸になると寿命伸びるんだよねえ。
いやいや。今はそんな事はどうでも良いんよ。
「名前はキンヒメというらしいぞ。ラクーン18GLDのヒメって意味じゃろうなあ」
それだけ可愛いと。おやじは暗に言っている。
くそう。
「もう、わかった! おやじを許す!」
「くふふう、お前もむっつりしてるくせに、やっぱり俺の息子……好きだのう」
その顔。
むっかつくわあ。でも、まあいい。許すと言ってしまったからなあ。
「で? その娘はいつ来るの?」
「おう? そういえば遅いのう。昼過ぎには着くって聞いてたんじゃがなあ」
昼って。もうすでに夕方に近いけどお?
いくら狸がルーズって言ってもねえ。
「遅くない?」
「そうじゃのう。美味い虫でも見つけたかのう?」
なんと、狸的な発想!
僕からしたらむしろトラブルの匂いしかしないけど?
「いや、むしろ来るまでの間になんかあったって考えるのが普通じゃないの?」
「ほう、そういう考え方もあるんじゃのう」
あるよう! 坩堝の森だよ。捕食者だらけだからねえ!
「もう、おやじはほんとに狸だなあ! 僕がちょっと様子見てくるよう」
「そうか? じゃあこの匂いを探せば良いじゃろう」
そう言っておやじは懐から葉っぱに包まれた狸の毛を取り出した。
「これは?」
「お前の婚約者の毛じゃなあ。別のラクーン同士で嫁取り、婿取りする時はお互いの毛を送り合って匂いを確認するんじゃあ」
「それ、初耳だけどう?」
「おう、これもうっかりじゃあ」
やっぱりこのおやじはヤっておくべきか?
「ぎゃあ、なんにせよこれは置いておくから、探したければ匂いを確認して行くといいのじゃあ。俺はヒメのとこに行って婚約者を迎える準備をせにゃあならんからの、気をつけて行くのじゃあ」
僕の殺気を感じとったのかおやじはでっかい体に似合わない素早さで逃げ出した。
◇
と、いう事で。
僕はおやじにもらった葉っぱに包まれた毛の匂いを嗅ぎながら森の中を歩いている。
スンスンスンスン。
うーん。
スンスンスンスン。
よくわからないなあ。
スンスンスンスン。
いやあ、いっぱい嗅いでみないと、キンヒメさんがどこにいるかわからないなあ。
心の中で理由をつけて。
僕は鼻腔いっぱいに、手に持った毛の匂いを吸い込む。
はあああ。
良い匂い。甘い匂い。優しい匂い。柔らかい匂い。
これらが渾然となってまったりと脳を包み込んでくる。
なんだこれえ。
オリョウが連れてくるメスの匂いと全然違うう。
ママンの匂いとも近いけど違うう。
安心とドキドキの波状攻撃みたいな。
くせになるなあ。
はっ。
って何してんだ僕は。
急に我に返ったぞ。そんな事をしにきたんじゃあないでしょうがあ。
恐るべしメスの魔力。
さっさと婚約者のキンヒメさんを探してラクーン808に帰らないと。
ってことで。
「狸隠神流忍術! 円索!」
息を大きく吸い込み。
耳を立てピクピクと動かして360°あらゆる方向を向ける。
そうやって吸い込んだ空気。そうやって取り込んだ音。それら全てを増幅して、アナログデータとして脳に叩きこむと統合された情報としてそれが視覚へと変換される。
現実は拡張されて、生物の居場所が赤い点として表示された。
今回はキンヒメさんという特定の生物を探しているから、嗅いだ匂いに合致する生命反応はどこかなあと辺りを見回してみる。
「お、いたいた」
ここからそんなに遠くない所に、毛の匂いと合致する生命体を発見した。
んーなんかよたよたと走ってるみたいだけど、そっちはラクーン808の方向じゃないんだよなあ。
やっぱり、何かあったのかも。
探しに来てよかったな。
僕は一度嗅いだら忘れられない良い匂いのする方へと駆け出すのだった。
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