百十八.すべて夢でもせめて夢でも
暗闇の中で。
あたしは一人だった。
あの、ガッちゃんの姿をした偽物が、あたしをここに隠した。
手足を縛り、口を塞がれ、どこかもわからない暗闇の中にあたしを放り込んだ。
意図を探ろうとして心を読んだけど、全く読めなかった。むしろ逆にあたしの心がそこに落ちていきそうになって、あわてて読むのをやめた。
そんな事をしている間に、男はそのままどこかへ消えた。
闇に一人取り残された。
光が一切存在しない空間に身動きが取れない状態でいると、だんだん自分の存在が希薄になってくる。かろうじてまだあたしが自我を保てているのは、偽ガッちゃんがたまに戻ってくるからだ。この男は自分の作業用に薄明かりを持っている。その時だけ、あたしに光と自我が取り戻される。
たまに戻ってきても、やはり何も言わない男に向かって、あたしは精一杯の抵抗を試みる。
とは言っても体は動かないから、言葉だけ。
なぜ王笏と化したあたしが元の魔族に戻っているのか。なぜお前はガッちゃんの姿をしているのか。本物のガッちゃんはどこにいるのか。
数限りない疑問を騒ぎ立てるあたしの口には奇妙な猿轡がハマっているから。
疑問は言葉にならず、ただ唸り声とよだれが垂れ流される。
汚いし、見苦しい、とは思うが、これをする事でまだ自分が存在できている事を確認している。
熱が、命を、認識させてくれる。
そんなあたしを一瞥する事もなく、男は自分の用事だけ済ませると、また、そのままどこかへ消えた。
ムカつくけど助かる。
そしてさっき、男がまた戻ってきた。
普段なら何かコソコソと作業をしてすぐにいなくなるが、今回は少し違った。どこからか椅子をだし、その椅子に無言で腰掛けている。何をするでもない。ただ座って、闇を見ている。
なんだか今までと雰囲気が違う。
「ふえ、ふぁんふぁ、はっはほははひほふぁいふぉうひははひ(ねえ! あんた! さっさとあたしを解放しなさい!)」
相変わらずヨダレが飛沫となり、顎下に垂れ流しになる。
どうせ反応などないだろう。いいんだ。今はこうやって自分の精神を保つ必要がある。
「はあ、何を言っているのかわからんが、少し黙っていろ。もうじきに終わる」
「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁっふぁ!(ガッちゃんの声で喋った!)」
驚いた。
ずっと喋らなかった男がいきなり喋るんだもん。首の方までヨダレが垂れてきて冷たい。
「はあ、最期の礼だ。この空間の中で二人で死ねるようにしてやろう」
「ファれファふぁふぁんふぁふぁんふぁフォー!(誰があんたなんかと死ぬもんですか!)」
「はあ、うるさいし、汚い、はあ、どこまでいっても、女という生き物はやはり俺には合わんなあ……妻も……おばちゃんも……静かにできないものか……」
なんだか声に力がない。
何が起こっているのかわからないけれど。これはチャンスかもしれない!
これを待っていたのだ。
ゆっくりと横になって回復させていた魔力、微々たるものだけれど、これを身体強化に一気に割り当てる。非力な夢魔族といえ、身体強化をすればこんな猿轡や手枷足枷を破るなんて造作もない。
ムンっ!
気合いの掛け声で猿轡を噛み切り、手枷を引きちぎって、足枷を破壊した。そしてそのままの勢いで、薄ぼんやりと発光している男へと駆ける。
「ガッちゃんを返せ!」
ガッシと男の肩を掴んでみると、全く抵抗がない。むしろ体に力が全く入っていない。なぜ椅子に座っていられるのかわからない程の脱力具合だった。
「……忍は死なず」
そう、男はか細い声でつぶやいて、そのまま止まった。
「は?」
こいつは何を言ってるのかしら?
意味がわからないと思いながら、手を離さずに掴んでいる肩に、突然力が戻ってくるのを感じた。
「え?」
やばい! 復活したか!?
と思ったけれどなぜか手が肩から離れない。
離して逃げなきゃと思うけれど、手が離れようとしない。逃げなきゃいけないはずなのに、なぜか気持ちは安らいでいるし、手に伝わってくる温もりはとても暖かい。
逃げ出さなきゃいけないはずのあたしの体は。
なぜか逆に男を抱きしめていた。
ああ、臭い。
男の匂いがする。血と破壊と憎しみの匂い。でもその中から、ほのかにあの匂いがする。あたしがその匂いを探すように首筋と髪の毛から匂いを吸い込むと、よりその匂いは濃密になっていく。
汗と酒とインクと紙と埃の混ざったような、あの匂い。
あたしの大好きな匂い。
「ああ」
ガッちゃんだ。
これはガッちゃんだ。
目から溢れる愛情で頬が暖かい。
さっきまでヨダレで生を実感していたとは思えない程に、幸せが心を満たし、愛情が心を暖めてくれる。
「ふぁッふぁーん!(ガッちゃーん!)」
猿轡もないというのに言葉にならない。
涙をこぼすあたしを二本の腕が優しく抱きしめてくれる。
ああ、念願が叶ったんだ。
何度この腕に抱きしめられたいと願っただろうか。
「ああ、ガッちゃん、あたし……もう死んでもいいかも?」
「俺もだよ。これ夢じゃないんだよな?」
「あたしにもわかんないけど……もう夢なら夢でいいかも」
「そう、だな……夢かもしれないな……人間の世界を売った俺がこんな幸福になれるわけないもんな」
「……今はあたしとガッちゃんだけ」
夢でもいい。
それでも。
この幸せを離したくない。
あたしはガッちゃんの腕に中に落ちていった。
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